四.重力匠との邂逅
今日は妙な日だ。
チャフセックは思った。だがすぐに考え直した。
違う。今日はひどい日だ。勘違いでやってきたお嬢様のはずだった娘が、実は宇宙船を乗っ取りに来たお嬢様だった。船は故障し、次には会ったこともない人間が目の前にいる。明らかに、先ほどまではこの宇宙船に乗っていなかった何者かだ。
その青年は、にやにやしながら言った。
「そんなに警戒しなくてもいいよ、チャフセック船長」
「あんたは誰だ?」
チャフセックは言いながら、事態が呑みこめないでいるフェイニアの手を引っ張った。それが引き金になったらしい。びくりと体を震わせたフェイニアは、そそくさとチャフセックの後ろに隠れた。
「はじめに言っておくが、ぼくは君たちの命の恩人だ」
青年は言った。
「ワープコイルの共振暴走なんて、ここ百年ばかり見たことがなかったよ。気になったんで、君たちをここへ連れてきた。ワープドライブの暴走を止めてあげたのは、言わばサービスだね」
「何のために、そんなことをする?」
「ぼくのすることに理由なんてないんだよ、船長。少なくとも、君たちに理解できるレベルでの理由はね」
ああ、そうだろう。チャフセックはこういうもの言いと行動をする存在について、ひとつ思い当たる節があった。できれば当たらないように、と願いながら、彼は言った。
「あんたがあの有名な、重力匠か」
「ご名答」
今日は、とびきりひどい日だ。チャフセックは思った。
重力匠は、<ゲート>の管理を行っている人知を超えた存在である、と教科書には書いてある。彼は百年余り昔に、当時ひとつの組織にまとまりつつあった銀河の知的生命たちに協力することを申し出た。彼は連合の傘下にある生命体の行動を観察する代わりに、この次元に住む存在には不可能といわれて久しい、<ゲート>の動力供給とその制御を行うことを約束し、今のところそれは社会に利益をもたらしている。
しかし、船乗りにとっての重力匠とは、そんな都合のいい存在ではない。それは一種の気まぐれな神か、もしくは悪魔だった。
ワープドライブを起動するときは気をつけろ。重力匠がちょっかいをかけてくるかもしれない。その昔、宇宙船乗りの間で交わされた言葉だ。重力匠は自分が興味を持った存在に手を出し、彼のゲーム、すなわち、生命の危険をともなう冒険への参加を強制する。つまり、ちっぽけな人間が運命と対峙し、闘争することこそが、重力匠の退屈を紛らわす大事な要素だということらしい。今までどれだけの宇宙船乗りが、彼の暇つぶしのために命を落としてきたことだろう。チャフセックは重力匠を名乗った人物をにらみつけた。このいかにも優男風の姿も、重力匠のかりそめの姿に違いなく、その本質は、これまで伝えられてきた所業が明確に語っている。
「そんなに非難するような目つきで見ないでくれよ。君たちの船を救ってやったのは本当のことなんだから」
やれやれ、というように重力匠は肩をすくめた。
「まずは、共振暴走の原因だ。ぼくは礼儀正しいから、君たちの脳みそを走査したりせず、ちゃんと訊いてあげよう。何があった?」
「偶然だ」
フェイニアが何か言おうとしたのを遮って、チャフセックは言った。
「ワープコイルに欠陥を抱えた状態で、無理矢理ワープドライブに移ろうとして失敗したんだ。私たちが何かしたわけじゃない」
「へえ、なるほどねえ……」
重力匠はしげしげとチャフセックとフェイニアを眺め、そして言った。
「つまらない答えだ、船長」
「つまらない? だが、それが真実だ」
チャフセックは言い切った。とにかく、重力匠になにかおもしろそうだと思わせてしまったら、それが最悪の事態なのだ。
「そんなつまらないことでぼくの手を煩わせたのなら……そうだな、君たちをもとの空間に返してやる気には、到底なれないな」
「なに?」
「船の表示を確認してみるといい。君たちはいま、通常の空間にはいない。ワープドライブの歪曲空間の中にもいない。ここはぼくの存在する、<ゲート>管理用の亜空間だ。つまらない君たちを、ぼくはここに放置しておくことにする」
チャフセックの中で、重力匠が言うことは真実だろうという考えと、それを信じたくない思いがせめぎ合った。彼は正常に動作しているらしいディスプレイのひとつを操作して、船の座標を表示させようとした。だが、ホログラフ天球儀をはじめとするすべての計器が、この船が既知の銀河のどこにもいないことを告げている。
「信じる気になったかい?」
ううむ、とチャフセックは唸って、それきり黙りこんだ。通常の空間に戻るには、何とかして重力匠の考えを変えさせなくてはいけない。だが余計なことを言えば、妙な場所に送られたり、おかしな仕掛けをされたりする可能性が高くなる。
考えていると、突然、フェイニアが口を開いた。
「ちょっとあなた、自分が興味をもったからわたしたちを呼び寄せておいて、興味がなくなったから放っておくですって? そんな身勝手な話が通るわけがないでしょう!」
元気のいい口ぶりだが、体はチャフセックの後ろにしっかりと隠れている。
「おや、これはおもしろいお嬢さんだ」
重力匠が楽しそうに言った。
「そうだねえ、ぼくは身勝手が性分だから、悪いけれど君たちを放っておくつもりだった」
なにやら妖しい雲行きになったぞ。チャフセックはそれ以上フェイニアに喋るんじゃない、と目配せを送ったが、彼女はそれに気づかない様子だった。
「なら、あなたがわたしたちに興味を持てばいいんでしょう? わたしと勝負なさい!」
「勝負、ねえ」
重力匠は言った。
「なら、こうしよう。ぼくはきみたちをある場所へ送り返す。そこではちょうど、きみたちのやるべきことが待ってる。それを成し遂げたら、そうだな、きみたちをアカデミーに帰すだけじゃなく、きみと船長にひとつずつ、要求を呑むことにしよう」
「フェイニア、それ以上余計な口を挟むんじゃない」
チャフセックはまた口を開いたフェイニアを遮ると、言った。
「悪いが、あんたの言うことは信用できない。それに……」
「残念だけど、これはもう決定事項だよ」
重力匠の言葉と同時に、後ろに引っ張られるような力を感じて、チャフセックはよろめいた。
にやにや笑いを浮かべたままの重力匠が言った。
「安心するといい。向こうで待っている問題は、きみ向けだよ、船長」
船長席のディスプレイが、ワープドライブに入ったことを表示した。「通常の」ワープドライブだ。
「じゃあ、ぼくは一度引っ込むよ。運がよければ、また会おう」
重力匠が言うと同時に、前方のスクリーンがまばゆく輝いた。そのまぶしさに思わず目を閉じる。しかしそれは一瞬のことだった。
ワープドライブから通常航行に戻ったことを伝えるアラームが鳴り、チャフセックは目を開いた。
スクリーンには、いつもの宇宙、星々の輝く宇宙が映っている。重力匠の姿は、宣言通り消えていた。
「フェイニア、君は自分が何をしたのかわかっているのか?」
チャフセックの声には、すでに諦めが混じっていた。
「何よ、ああ言う以外に、何か方法があったっていうの?」
うん、何もなかっただろう。たぶん、重力匠ははじめからこのゲームに自分たちを送り込むつもりで、<逆巻き時計>号を引っかけたのだ。今となっては、あの異常そのものが重力匠の企みだったようにすら思える。
チャフセックはため息混じりに首を振って、船長席についた。
キーパネルを操作すると、今度は正常に、天球儀にホログラフが表示された。座標はこの船が、アカデミーの星系の外れに位置していることを告げている。時計を見ると、研究室でフェイニアに出くわしてから、およそ半日がたっていることがわかった。
さて、重力匠の言った『やるべきこと』というのは、何だろう。
チャフセックは船を停止させたまま、周囲の状況の探査を続けた。おっと、ここから標準距離千二百の位置に、宇宙船が静止してるぞ。しかし識別ビーコンが出されていないので、正体がわからない。彼は超空間通信機のスイッチを入れて、マイクに向かって話しかけた。
「こちらは<逆巻き時計>号のチャフセック船長。そちらの識別ビーコンを確認できない。応答願う」
通信機は黙り込んだ。しばらく待ったが、向こうの船は何も返答してこない。
「あっちの船は、無人船かなにかなんじゃないの?」
天球儀に豆粒のように映った船影を見ながら、フェイニアが言った。
「その可能性もある。何にせよ、あれが重力匠と君の勝負の舞台になる可能性が高いだろうな」
チャフセックは天球儀を操作して、相手の船の形状を三次元表示させた。おおまかだが、これで相手の形がわかる。
その船は今でもそこそこに使われているタイプの宇宙船で、四角錐を尖らせたような形状をしている。おそらく採掘探査船の類だろう。チャフセックはふと思いついて、近接交信用の無線通信機のスイッチを入れた。電波通信はもちろん光速でしか伝わらないので、宇宙船どうしのあいだで使われることはまずない。しかし、何らかの原因で相手の船の動力が停止しているとしたら、超空間通信機は使えないはずだ。
無線通信機の受信帯を全周波数にセットし、聞き耳を立てる。
ガーガーという雑音がしばらく続き、そして突然とぎれた。それから、男の叫び声が船内に響いた。
『こちら<黄金の嘴>号。応答願う。こちら<黄金の嘴>号。本船は正体不明の船に襲われている!』




