三.奪われた宇宙船
どこかでうなり声がしている。
懐かしい、聞き慣れたうなり声だ。生まれ故郷を連れ出されてこのかた、ずっと人生を共にしてきた音。
だが、何かがおかしい。頭の中のどこかが、違和感を訴えている。
何か、大事なことがあったはずだ。それを見つけなければという思うのだが、まぶたがやけに重い。
目覚めの途中でうなされているような状態で、意識が宙づりになっているチャフセックの耳に、女の声が聞こえた。
「このポンコツ、言うことを聞きなさいよ!」
ポンコツ! <逆巻き時計>号はオンボロかもしれないが、まだポンコツじゃないぞ!
チャフセックはかっと目を見開いた。見慣れた<逆巻き時計>号の操縦室だ。船長の座る椅子が一段高い場所にあって、その前に操縦士と副操縦士の座る席。実際には、船長席に計器類やコンソールが集中し、一人で操縦できるようになっていて、操縦士と副操縦士用の座席は、後付けの配線や機材で半分以上埋まっている。船長席に座っている何者かを見ようとして、チャフセックは自分が、操縦室の入り口近くにある配管に、直立姿勢で縛りつけられているのに気がついた。
そうだ、思い出した。フェイニア・マコヴナーと、首筋の冷たい感触。
ガタガタと船体が揺れた。
「もう、この船ったら、どれだけ手間を掛けさせてくれるのよ?」
再び女性の声。チャフセックの位置からは見えないが、フェイニア・マコヴナーの声に間違いない。
「フェイニア・マコヴナー! 私の船に、いったい何をしてるんだ?」
「あら、チャフセック船長のお目覚めね」
フェイニアがくるりと振り返った。その服装は、研究室で出会ったときのワンピースではなく、ボディラインをくっきりと見せるタイプの宇宙服だ。チャフセックはちょっと顔をしかめ、言った。
「何だ、その格好は?」
「わたしが特注で作らせた宇宙服よ。なにか文句あって?」
宇宙へ放り出されたとき、とても役には立ちそうにはない宇宙服だな、とチャフセックは思ったが、それを口に出すかわりに咳払いして、彼は言った。
「さて、ミス・マコヴナー。どこからがお芝居だったんだ?」
「教授との面会のくだり以外は、大体ほんとうのことよ。わたしはカイル・マコヴナーの娘だし、光子帆船は持ってるし、この宇宙船を見せてもらいたかったし、その場にあなたも一緒にいてもらう必要があった」
チャフセックは顔をしかめた。気絶した自分の体が、船の起動認証に使われたことに気づいたからだ。まったく、だらしのないことだ。
「全て、この船を乗っ取るためか? 一体何でそんなことを……」
フェイニアは肩をすくめた。
「父から逃げるためよ。彼がわたしの<ゲート>通行用のIDを凍結しちゃったから」
「IDを凍結?」
そんなことができるとは、聞いたことがなかった。しかし相手がカイル・マコヴナーともなれば、何でもできるように思える。
「そうなると、わたしは<ゲート>をいっさい使えなくなっちゃうわけ。その上、突然わたしの結婚相手を決めたから、アカデミーも辞めて戻ってこいっていうのよ? だからわたしは、父の手の届かないところまで逃げてやろうって思ったの」
「それは……何というか、なかなかひどいお父さんだな」
チャフセックは同情的な言葉を返した。実際、かなり同情していたのだ。だがそれと<逆巻き時計>号を彼女の好きにさせておくこととは、別問題だ。
チャフセックはフェイニアの背後の巨大なスクリーンに目をやった。輝く星々を映したその画面は、<逆巻き時計>号がすでにアカデミーの大気圏を抜け、宇宙空間に出たことを示している。船長席に目をやると、船長席の正面に据えられた、船体の状態を示したディスプレイに、いくつか赤の警告が表示されていた。画面の細かな内容は読み取れなくとも、チャフセックにはその内容がわかった。
『ワープコイルの動作に異常有り、ワープ装置の起動は致命的事故につながる危険性があります。コイルの同期を確認し、可能であれば即時の点検を行って下さい』
正直に言えば、この表示に出くわしたことは何度もあった。チャフセックはこの警告を回避してワープドライブに入る方法を知っていたが、フェイニアにそれを教える必要はない。これはチャンスだ。
「フェイニア、きみが何に腹を立ててるのかはわかった。しかし今、ディスプレイに出ている通り、この船は、ワープドライブに入ることができないんだ。無理に航行しようとすれば、船体が致命的な損傷を受ける可能性だってある。きみも、むざむざこの船と運命を共にしたくはないだろう?」
しかしチャフセックの予想に反して、フェイニアは、ふふん、鼻で笑っただけだった。
「冗談を言わないでちょうだい。わたしが何の事前調査もなしにこんなことをしてるとでも思ったの? ちゃんと研究生に訊いたんだから」
得意げに、フェイニアは説明した。
「この船は休暇明けの学期はじめには、研究室の配属希望者を乗せて試験飛行するはずでしょう? そんな致命的な故障を抱えてたら、休暇のうちに修理に出しているはず。つまり、休暇明けの飛行には問題がないと、あなたは判断してる。わたしの言うこと、なにか間違ってる?」
チャフセックには言い返す言葉がなかった。彼女と会う前、整備会社から見積もりを受け取るまでは、彼自身、フェイニアが言った通りのことを考えていたからだ。
オーケイ。この娘は、こっちが考えているよりも頭が切れるぞ。
顔をしかめて、チャフセックは言った。
「間違ってはいない。少なくとも、今朝の時点までは、私もそういう判断でいた。だがきみが来る直前、事態はまったく変わってしまったんだ。今じゃ、こうして船が飛んでるあいだにも、船が分解するんじゃないかと冷や冷やしてる」
「そんなことを言っても、信じないわよ」
フェイニアは冷たく言って、それ以上チャフセックに取り合おうとはせず、船長席のメインパネルの方へ向き直った。
「さて、わたしに惑星間航行の知識がないと思ったら大間違い。この計画のために、このポンコツの操縦方法を調べたおしたんだから」
フェイニアの細い指が、キーパネルの上を、官能的なまでに素早く動きまわる。
「見てなさい。警告の回避なんて、ほら!」
カチ。フェイニアが最後のボタンを押した。
押したと同時に、操縦室内の明かりが消えた。ひとつ残らず、全部だ。
暗闇の中に、エンジンの駆動する低いうなり声だけが響いている。
「それで?」
チャフセックは言った。
「もう少ししたら……」
フェイニアが自信がなさそうに言った。
チャフセックは目を閉じて、数を数えた。一、二、三……十まで数えて、目を開いた。
部屋は暗いままだ。
「それで?」
チャフセックはもう一度言った。
「わからない」
とうとうフェイニアが言った。
「何をしたんだ?」
「ただ、ワープドライブ・シークエンスを手動にして、ダミーの情報を挟みながら実行しただけよ。何かあったらすぐに停止できるし、そもそも何かあるはずが……」
ガクン。
操縦室が大きく揺れたので、彼女はそれ以上続けることができなかった。
揺れは、一回では収まらなかった。エンジンの駆動音に合わせるように、部屋が上下左右に揺さぶられる。
これでは、体を縛られているチャフセックはともかく、無防備に立っていたフェイニアは、たまったものではない。振動に合わせて、彼女の体が転げ回る。倒れ込んだまま手を伸ばすが、その手が何かを掴む前に次の揺れが来る。
チャフセックは彼女が何か叫んだのを聞いたが、何を言ったのかはわからなかった。きっと、彼女自身もわからなかっただろう。
だしぬけに、振動が止まった。それに、明かりが戻ってきた。
ただし、ディスプレイには何も表示されていないままだ。
「いたた……」
うずくまったまま、頭をおさえたフェイニアを見て、チャフセックは言った。
「どうせ宇宙服を着るなら、ヘルメットをかぶっておけばよかったな」
フェイニアは何か言いたそうにチャフセックを見あげた。涙を目に溜めたその顔を見て、さすがに可哀想になったチャフセックが慰めの言葉を言おうと口を開いた途端、今度はディスプレイが点灯した。
どれも、真っ赤な画面が点滅している。
チャフセックは慰めの言葉を飲み込んで言った。
「何が起こってる?」
フェイニアが泣きそうな声で答えた。
「わからない」
チャフセックはエンジンの駆動音に、妙なうなりが加わっているのに気づいた。それに、操縦室は重力制御されているはずなのに、後ろに引っ張られるような感覚がある。
「フェイニア、今ならまだ間に合うかもしれない。私の拘束を解いてくれ」
フェイニアも慣性の異常に気づいたらしい。顔が血の気を失って、目を宙に泳がせたが、それもわずかの間だった。
彼女はチャフセックの体に飛びつくと、彼の体を拘束している粘着テープを外しにかかった。テープは長手方向に垂直な力に弱いようで、彼女の力でも易々と破れていく。
「さあ、何とかできるのなら、してちょうだい」
言われるまでもなかった。チャフセックは船長席に飛びつくと、キーパネルを操作し、でたらめな数値を表示しているアナログの計器を確認した。それから前方の操縦士席へ駆け寄り、ケーブルに埋もれたパネルの表示を確認した。
間違いない。ワープコイルの暴走だ。滅多にないことだが、コイルのどれかに固有振動数の変化が起きて、別のものと共振しているのだ。チャフセックは船長席にとって返すと、画面の指示のないまま、記憶に頼って緊急遮断のコードを入力した。変化無しだ。
「機関室に行って、ワープドライブシークエンスの強制終了を……」
言いかけたチャフセックは、体をハンマーでぶんなぐられたような衝撃に、ひっくり返った。意識が一瞬空回りして、それから事態を把握した。先ほどよりもさらに猛烈な振動が、部屋を襲っている。反射的にチャフセックは右手で手近な配管にしがみつき、同時に左手で、運良くこちらにひっくり返ったフェイニアの体をひっつかんだ。そのまま彼女の体を引き寄せて、しっかりと抱きかかえる。
ディスプレイがでたらめな点滅を繰り返し、慣性力はいよいよ強くなった。駆動音はもはや轟音になって部屋の中に響き渡る。狂った慣性力のせいで、後ろが下になったかのようだ。
あまりにひどい重力に気が遠くなりかけながらも、チャフセックは歯を食いしばり、二人分の体重を必死に支えた。
ともかくこれでは手の打ちようがない。これが収まったら、まず機関室、ワープドライブをシャットダウンして、それから……
出し抜けに、すべてが静寂に包まれた。
チャフセックは慣性力が消えているのに気づき、立ち上がった。呆然としているフェイニアも立たせてやる。
「大丈夫か?」
魂の抜けたような彼女の表情に、思わず声をかけると、彼女の目の焦点がゆっくりとチャフセックに合わせられ、それから信じがたいことだが、彼女は顔を赤らめた。
「その、ありがとう」
落ち着かなげに目を泳がせながら、フェイニアは言った。
「どういたしまして」
チャフセックもぎこちなく答え、ついでに自分がやるべきだったことを思い出した。
ワープドライブのシャットダウン。
「ここでじっとしているんだ、フェイニア」
フェイニアに言って、自分は操縦室を出ようとしたそのとき、背後から、つまり船長席の向こう側から、声がした。
「ワープドライブなら、ぼくが停止させたよ」
若い男の声だ。チャフセックは振り向いた。
細い、というよりは、ひょろ長い体つきの青年が、操縦士席に体をあずけ、こちらに向かって微笑みかけている。
「やあ、珍しいお客さんだねえ」
青年が、明るい調子で言った。




