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一.チャフセック船長の憂鬱

 これは厄介な問題だぞ。

 宇宙交易史研究室の研究員であるチャフセックは、目の前の画面に表示させた見積書を、どうしたものかといった顔つきで眺めていた。

 ふうむ、これは実に厄介な問題だ。

 チャフセックが大柄な体を折るようにして眺めているその見積書は、彼が船長を務めている宇宙船、<逆巻き時計>号の整備についてのものだ。ワープコイルの交換から始まり、重力発生装置のオーバーホール、シールド発生器の更新、各種計器の校正、その他諸々の、宇宙を航行するに当たって必要不可欠な機器類の修理が項目として含まれている。ひとことで言えば、今の<逆巻き時計>号は瀕死の状態で、これからも船を使っていこうと思うのなら、多額の予算が必要になる、といったところだ。

 多額の予算。それこそが、厄介な問題だ。チャフセックは、ため息をついた。


 彼の所属する宇宙交易史研究室は、銀河知的生命連合で最大の学術組織、星ひとつが丸ごと教育機関である連合総合アカデミーにおいても、有数の歴史を持っている。

 その目標を簡単に言うなら、「銀河の知的生命の起源をつきとめること」だ。

 というのも、銀河の知的生命は、あまりに長い間をかけてその版図を広げてきたせいで、自分たちがどこから来たのか、どうやって来たのかという記録をほとんど失ってしまったからで、これは例えば、自分たちこそが銀河の知的生命の先駆けであると自負する、一部の自己主張の激しい連中などにとっては、非常に不名誉なことと考えられている。偉大な民族の歴史を失ったままでいては、ご先祖さまに申し訳が立たない、というわけだ。

 まあそういったわけで、宇宙交易史研究室の歴代のメンバーは、自ら宇宙船を駆って宇宙へ飛び出し、<ゲート>が星々を結ぶ以前の人類の痕跡を探検して、数々の秘宝や貴重な遺物を持ち帰ってきた。アレル帝国の凍結大艦隊やゴントール文明の機動衛星など、今ではどんな星の子どもでも名前を学ぶような発見を、数多く積み重ねてきたのだ。

 だが、<ゲート>、そう、あの超空間を介してどこにでも行けるようになる扉こそが、全ての悩みの始まりだった。銀河知的生命連合が設立された要因でもあるゲート技術は、高次の知的存在である重力匠によって、この銀河の知的生命たちにもたらされた。<ゲート>は重力匠の管理のもと、各惑星に、やがては各都市ごとに、ついにはあらゆる集落に設置され、お互い同士をつないだ。扉をくぐるだけで、人々はまさにどこへでも--その気になりさえすれば、銀河のこちらの端からむこうの端まで--行くことができるようになったのだ。あげくは資源開発のための、生物の住まない惑星や衛星への扉も登場し、もはや宇宙船は、過去の遺物と化した。

 それで、何が起こったか? 人々は、宇宙に対する興味を失った。宇宙は今や、単なる空間にしかすぎない。そことあそこの間に横たわる、小さな水たまりというわけだ。たやすく飛び越えられる水たまりに、わざわざ足を突っ込むやつがいるだろうか?

 そんなわけで、最近の宇宙交易史研究室は、志願してくる研究生も減り、研究費も減らされる傾向にあった。今期の予算残を確認するまでもなく、船の修繕は難しいだろう。しかし船を修理しないことには遠征がままならず、遠征がままならないのでは研究が進まない。

 チャフセック船長が直面している問題とはつまり、こういうことなのだ。


 考えてもどうにもならないことを感じながら、チャフセックは助けを求めるように、研究室を見渡した。しかし今は、数の少なくなった研究生たちも長期休暇で帰郷していて、雑然とした部屋の中には誰もいない。おまけに研究室の長であるウオルフ教授も、地方の学会に出席するため、研究室を留守にしていた。

 要するに、今この問題を理解しているのは彼ひとりだけで、当分は誰かと相談もできないということだ。チャフセックはもう一度、ため息をついた。

 宇宙船の操作の都合上、船長を名乗ってはいるが、実際のチャフセックの立場は、標準年で二十七歳を過ぎたばかりの、いち研究員に過ぎない。彼がウオルフ教授の養子であり、若い頃から発掘作業に従事していたという事実はあるものの、教授はそのために彼を特別扱いすることはなかったし、自分もそのつもりでアカデミーに入学し、この研究室を選んだのだから、何も後ろめたいことはないつもりだった。彼はただ、<逆巻き時計>号にずっと昔から魅了されていて、それを操縦することだけを自分の目標にしてきたのだ。

 それがまさか、船の修理代で苦悩する羽目になるとは!

 チャフセックは子どものころ、父にも内緒で<逆巻き時計>号の操縦席に座り、いつかこいつを自分の手で動かしてやるのだと思っていたころのことを、懐かしく思った。あの頃は、研究室が資金難に悩まされていることも、養父が自分を、将来の見込みのない研究から遠ざけようとしていたことも、知りもしなかったのだ。

 まあ、こうなってしまったものは仕方がない。ともかく予算を出してもらおうにも、ウオルフ教授に話さなければどうしようもないのだ。チャフセックは首を振りながら立ち上がり、そこではじめて、研究室の入り口に人影が見えるのに気づいた。

「どなたですか?」

 声を掛けると、人影はドアを開け、控えめに顔を覗かせた。女性だ。それも若い上に、美人だ。チャフセックは少し緊張しながら、彼女を研究室に招き入れた。

 その女性は、落ち着かない様子で研究室を見まわしていた。研究生のガールフレンドだろうか? ブロンドの髪を結い上げていて、蒼い目が印象的だ。薄いベージュのワンピースを着こなした全体の雰囲気からすると、十七、八歳といったところか。しかし小柄なせいで、大男のチャフセックから見ると、子どものようにすら見える。きっと二人が並んでいるところを端から見れば、親子のように見えるのだろう。いや、騙された女の子と、誘拐犯かなにかかもしれない。

「誰かと、お約束でも?」

 半分声が裏返りながら、チャフセックは訊いた。正直に言って、女性は苦手なのだ。それが美人ともなれば尚更だ。

「ええ、ここが、宇宙交易史研究室ですよね?」

 可愛らしい声で、女性が答える。チャフセックはうなずいた。

「ウオルフ教授は、いらっしゃいますか?」

「教授は、今、出張に出ていますが……?」

 その言葉を聞いて、女性の顔が曇った。

「教授に、何かご用ですか?」

「ええ……」

 曖昧にうなずいた女性が、話していいものかどうか、というような表情でチャフセックを見あげた。こういう視線には慣れっこだ。チャフセックの体格と荒削りな風貌を見た人間は、たいていの場合、彼とアカデミーの歴史ある研究室との関連性を見いだせない。備品を盗みに来た泥棒か、学生を引っかけて恐喝しに来た悪徳業者の手先のように見えるのだ。

「私はこの研究室の研究員で、チャフセックといいます。職員のIDを見せましょうか?」

 チャフセックが言うと、女性はほっとしたように息をついた。

「わたしは、フェイニア・マコヴナーと言います」

 フェイニアと名乗った女性の細い腕が差し出され、チャフセックは壊れ物でも扱うようにその手を握った。フェイニア・マコヴナー。素敵な名前だ。マコヴナーという名字には聞き覚えがあるような気がするが、どこでだったろう?

「わたしは来期の所属研究室にここを志望していて、今日、ウオルフ教授とお会いする約束だったのですが……」

「それはおかしいですね。約束をなさったのはいつです?」

 チャフセックが手元の携帯ディスプレイをいじると、ウオルフ教授のスケジュール表が表示された。

「長期休暇に入る前のことです。わたしの方で都合が悪くて、今日にしていただいたのですけれど……」

 おかしな話だ。長期休暇に入る前から、ウオルフ教授の地方学会行きは予定に入っていた。それで約束が今日と言うことになると、ウオルフ教授が間違って日付を伝えたのか、もしくは……チャフセックは気づいて、ちょっと悩んだが、思いきって言った。

「もしかして、日付をお間違えではないですか? 教授の今回の出張は、かなり前から決まっていたものですし、こちらからも教授に問い合わせてみますが……」

「いえ、失礼があってはいけませんから、先にわたしの方の予定を確かめてみてからお願いします」

 フェイニア嬢は言って、肩に提げていたバッグから、素早く小型の情報端末を取り出した。滑らかな曲線で構成された、洗練されたデザインのものだ。それをほんのすこし操作しただけで、彼女の顔にぽっと赤みが差した。

「なにか、わかりましたか?」

 チャフセックが遠慮がちに問いかけると、フェイニア嬢ははにかむような笑みを浮かべた。

「はい、今日の予定というのは、わたしの勘違いでした」

 ふうっ、とため息をついて、彼女は続けた。

「ご迷惑をおかけして、すみません。わたしの早とちりで……」

「いいえ、こちらこそ、何もお構いできなくてすみません」

 ふたりは同時に頭を下げ、それからどちらからともなく微笑んだ。

「あの、ひとつ、お願いしてもよろしいでしょうか?」

 フェイニア嬢が、控えめな声で言った。

「こちらにある、宇宙船を見せていただけたらと思うのですけれど……」

「宇宙船ですか? 本当に?」

 宇宙船は、もちろんチャフセックの専門分野だ。それが<逆巻き時計>号となれば、彼以上に詳しい人間はいないといってもいい。その<逆巻き時計>号を見たい?

 うら若い女性の口からそんな言葉が出るとは、少しも予想していなかったので、チャフセックはどぎまぎしながら言った。

「もちろん、もちろんお見せしますよ」

 言ってから、彼は自分の声が自信ありげに聞こえていればいいのだが、と願った。

「でも、チャフセックさん、お邪魔ではなかったですか?」

「いいえ、そんなことは全然、まったくありませんよ!」

 どうしてそんなに大きな声で話すんだ、彼女が怯えるじゃないか。チャフセックの中の冷静な部分が指摘したが、彼はそれを無視した。

 その選択は、まったく正しかったようだ。フェイニア嬢は彼の態度に自信を感じたらしい。

 彼女はにっこりと笑うと、今度は控えめではなく、朗らかに言った。

「では、申し訳ないですけれど、お願いしますね」

 チャフセックの頭の中で、豪華なファンファーレが鳴り響いた。


こちらでははじめて投稿させていただきます、伝屋とかいて「つてや」と読む者です。

このお話はSFジュブナイルっぽいものを目指して書いてみました。

楽しんでいただければ幸いです。

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