第65話 飛べない翼
爵藍颯希と愛車の125D◇KEの後ろに乗ってやって来たのは住宅街に潜むごくありふれた民家──。
流石にそんな訳はなく庭に古ぼけた小屋が存在する。その中に純和風な掘り炬燵と暖を取る為の薪ストーブを完備しているという不思議な空間。
颯希は奢りだと1,000円ポッキリを主人らしき人へ渡すと『此処は珈琲しか出さない店だから』と言いつつ持ち込み菓子を堂々振舞う。
主人は客の相手よりも先に暖を取るべく薪ストーブの着火に出掛けた後、やがて店内に戻って来た。
コトッ、コトッ。
主人の男性から『どうぞ』とも何も言われず、お出しされたのはなんと湯呑だ。では中身は緑茶やほうじ茶辺りかと思えば何だかやたら黒い。
それで冷えていた手を温めながら颯希がさも当然の様にズズーッと頂いている。どうやらこれが500円で飲み放題の珈琲で間違いないらしい。
僕も見様見真似で飲んでみる。珈琲を飲むのに作法なんて気にしなくて良い気もするが、これ程説明ゼロだと流石に少々不安が残る。
──ムッ!?
「な、なんだこれ凄く薄い……」
思わず初来店で正直失礼にあたりそうな感想を口から吐いてしまう。主人の方へチラリッと流し目。全く聴こえてなかった様子。
「──うちのはそれで良いんだ。何杯でも飲んでいられる様にな。世間話の御供だと思ってくれ」
しっかり聴かれていた。そして意外な程きちんとした理由までもが返って来た。要するに珈琲は主役じゃないと言っているらしい。
声が少々不機嫌そうに感ずるのが気になるけど、颯希が通常運転な様子をみるに、どうやらこれで普通らしい。
さらにジャズ? とにかくそれっぽいのが聴こえてきた。自慢じゃないが僕、風祭疾斗。洋楽は論外な程不得意である。
その割、耳に残るこの音質? 一体何だろう……。そうか、これは恐らく昔ながらのレコードなのだ。耳に残ると言ったけれども決して耳障りという訳ではない。
掘り炬燵、狭い和室。これだけなら僕の人生には今のところ全くご縁のない茶道を感じさせる。けれど飲むのはあくまで珈琲。その上、洋楽が流れており、主人は葉巻をくゆらせる。
これで調和が取れているのだからケチの付けようがない。
「──は、疾斗。そ、その……き、昨日と今日は……その……ごめんなさい」
とても言いづらそうに外の庭木を見ながら、ようやく颯希の話したい本題が始まった。まあ正直想定通りの切り出し。
「あ……いや……僕も風邪引いてた癖して、まるで自制が効かなかった。今日マスクしてたけど体調は大丈夫なのか?」
「あぅ……そ、それは大丈夫、うん、本当に大丈夫だから」
自分なのか僕なのか、それとも此処に居ない誰かに向けてか? 何やら言い聞かせる様な颯希の返事。そこから僕も颯希も言葉を失う。
当然だ、どうしようもなく昨日の事が頭を過ぎって仕方がない。これはとても無粋だが颯希の頭の中も覗けばきっと同じだろう。
因みに颯希の『大丈夫』には風邪なんか引いてない以外の意味が込められていた。そんなことを鈍い僕が知るのは随分後の話になる。
いくども同じ気分の堂々巡りがレコード盤のようにグルグル回る。卒業まで僕からの告白御預け──そんな口約束を僕、颯希、弘美の三人で交わした翌日の裏切り行為だ。
今日のお昼休み、逢沢弘美は『さもありなん』とでも言わんばかりの態度で納得した体であった。実際のところ、どう思っているのだろう。
──ま、まさか……弘美とまで!?
この先の文面は文脈を拾って頂きたい(?)もし仮にそんな事がまかり通ってしまうものなら……それが学校にもしバレたりしたら……僕は学校中引き回しの上、打首。
はたまた『天誅!』と叫ぶ学校中の男子から全身を刺されてもおかしくはない。かたや学校アイドル、もう片方は夏休み明け、突然学校に舞い降りた黒髪の天使。
これも何度目の想い語りだか定かでないが、僕みたいな何でもない男子を不純交友の一線すら越えて取り合うとかいよいよ意味が判らない。
たまに聞く話だ。僕には全く以って縁遠い都市伝説並みだと思い込んでたモテ男という世界の敵。
モテ男子が女子に二股以上を掛ける悪行三昧。信じ難い、許すまじ行為だと思っていたし、今でもそれは変わらない。
僕もこの状況に慣れてしまう!? そんな非道に堕ちてしまうのだろうか……判らない、ちょっとそれは流石に想像を絶する。
──そうだ。今取り合えず、これを考えるのはよそう。埒があかないし、とても正答が出るとは思えやしない。
此処に来た以上、どうしても聞かねばなるまい。
「あ、あのう初対面同然で失礼ですが教えて下さい。この『飛べない翼』って貴方のことでしょうか?」
「──え?」
「チィ……」
僕はカクヨムのユーザサイト『飛べない翼』様のサイトをスマホに映して店の御主人の耳に絶対届く声で質問してみる。
この店を知ってる颯希、これ全くの無知らしく驚きで大きな蒼い瞳をパチクリさせる。御主人は触れられたくない話題だったか小さく舌打ち。
「嗚呼、そうだよ。そのアカウントはこの俺。一昨日お前のこと『疾風』って呼んじまったから流石にバレたか」
葉巻を灰皿に押し付けて消し、さも面倒臭そうに寝ぐせ頭を引っ掻く飛べない翼さまである。それにしても飛べないのに翼とは、どういう謎掛けだろう。
「そ、そうだったんですね……」
「颯希? さっきから気になってたんだがこの店一応常連じゃないの?」
疾風@風の担い手=風祭疾斗を見抜いた@ADV1290Rが、気付いてないとはどうした事か?
「た、確かにこの店自体は何度か訪れてるよ。だけどパパと一緒に来ただけだから喋ったこと殆どないの」
──あ、成程。実に判りやすい広がりのない展開を、どうもありがとうございました。
「ぼ、僕は貴方のことを良く……いや少なくとも作品だけは知ってるつもりです。飛べない翼ってのは正直良く判りませんが……」
カクヨムで『飛べない翼』と言ったら読み専でも知ってる程の有名人。疾風とは悲しい位、住んでる次元が異なっている。
「んんっ、多分アレのことよ」
何だあ? 飛べない翼さまのアカウントすら知らない颯希が一体何を知っていると言うのか?
颯希が指差した先、羽根の形にHONDAの文字が入ったロゴが貼ってあるカウンター。
バイク覚えたての僕でもアレ位は判別出来る。HONDA・WING、四輪でなく二輪のHONDAといえば、このロゴなのだ。
──あ、そういう訳か。
この御主人のバイクの素性さえ知れれば、暗号にもならない答えである。飛べない翼とはこの御主人の鉄馬──HONDA・MTXシリーズから取っているのだと。
ただこの飛べない翼の意味に込められている真意。これが想像以上に重苦しい話になるのだ。




