第60話 受け入れた"風姫"の願い
『──疾斗、私はもっともっと色んな私に触れて欲しいの。貴方の望むままが私の願いよ。そこに罪悪感は不要なの』
僕、風祭疾斗。只今途方もない現実と向き合っている最中である。
『颯希、僕に直向きな愛情を注いでくれる君は可愛い』
僕はこれをどうしても返礼したい。ただそれだけであった。
だけども僕のこの『可愛い』が爵藍颯希の理性のタガを外してしまったのだ。だけど思えば当然の帰結なのかも知れない。
爵藍颯希はこんなどうしようもない僕のことを心底愛してくれている。引っ張ってくれる、支えてくれる。
そして僕、風祭疾斗も爵藍颯希が好きだ。これに偽りなんてこれっぽっちも存在しない。
両想いの健全なる男女が二人っきりの部屋で触れ合っている。互いの鼓動を交換している。しかも行きずりとはいえAは既に終えていた。
次に辿るべき道──。
他に一体何が在ると言うのか?
もし踏み忘れてる階段があるのなら飛び級しない様、誰か教えて欲しいものだ。少なくとも若い僕と彼女にはもう他に何も思いつきなどしない。
颯希の胸元に当てられた僕の掌。体温計測の次は心拍測定?
私の異常値を測って下さい?
そんな馬鹿な話ある訳がない。女性経験ゼロ、彼女いた歴ゼロの僕ですら流石に理解出来る。
これが理解出来ず、さらに受け入れられないのなら、僕はきっと一生不幸のままだ。
── そして風祭疾斗と爵藍颯希は、遂に次の階段を共に歩んだのである ──
「い、颯希……」
「ン?」
未だ信じられない現実が目の前に在る。
風邪で頭がボーッとしてる所為では決してないと言い切れる。こんな幸せが世知辛い現実に転がってるだなんて本当に思いも寄らなかった。
僕の薄く頼りない胸元で、裸同然な颯希が笑顔を手向けてくれている。またも、またしても爵藍颯希は僕の初めてを奪ってくれた。
でも今回はいつもと様子が異なる──。
僕は僕で爵藍颯希の初めてを奪い去ったのだ。
いくら颯希本人が『貴方のモノなら何だって欲しい』と背中を押してくれたとはいえ、二度と癒えない傷跡をこんな僕がとびきりの颯希に残してしまった。剰え渡してしまった。
「こ、こんなに僕。幸せで良いのだろうか? な、何だか夢見てる気分だ。ぼ、僕なんかがい……颯希の初めてを、喪失させるだなんて……」
現実をどうにか受け入れるべく、一旦天井を見つめ落ち着こうと試みた。そんな僕の手を掴んだ颯希がまたもや、それを自分の胸元へ捧げた。
「もぅ……さっきから僕なんかがばかりじゃない。疾斗だからこそ嬉しいの。私も想いは同じだよ。それに私が疾斗のこと卒業させちゃった。これだけは誰にももぅ奪えないね」
僕は天井から視線を真横にいる夢へと移す。夢は無邪気に笑っていた。やはりこの夢可愛過ぎて堪らない。次に胸元へ届けた手を自分の頬に寄せる颯希。
こんな高嶺の花が僕の掌で頬摺りして、さも嬉しそうに穏やかな笑顔を浮かべてくれている。
僕の何処がそんなに好いんだ? 僕を卒業させたのが自分でそんなに嬉しいものなのか? そればかり頭の中をグルグル回っていた。でも何だか馬鹿々々しく思えてきた。
颯希がこんな僕が好いのなら、もうそれで万事OKじゃないか。僕の初めてが颯希を大いに悦ばせたのだ。大体もう過ぎた事だ。クヨクヨした処で仕方ないのである。
「と、処で聞きたいのだがどうして僕のジャケットを着ているんだ?」
互いの気が済んだ後、颯希が『ちょっと寒いかも』と言い出した。いよいよ颯希が風邪を引いては申し訳が立たないと感じ、エアコンの暖房をONにしようとした矢先。
颯希が勝手に僕のジャケットを勝手知るかの様に手を伸ばしてサッサと羽織ってしまったである。しかも他には何も身につけず直接である。
「ン? 特に意味はないよ。一番手直に在ったからだよ」
確かにクローゼットに収納せず、剥き出しでこそあった。在りはしたのだ。だけどこれは巧いこと口から出た、でまかせであるに決まっている。
まるで猫吸いでもするかの如く、僕のジャケットへ亀の様に首まで埋め、思い切り息を吸って嗅いでいるのが見て取れる。
またしても女性の七不思議──いや不思議が七つなのか僕は知らない。もっと在るかも知れないし、少ないかも判らない。
『好きな男性の匂いが堪らなく好き。汗臭い? 寧ろアリに決まってるじゃない』
DT卒業する以前から知っていた謎の現象。
好きだろうが嫌いであろうが臭い物は不快だと相場が決まっている筈だ。どうやら猫も同じ様な習性が在ると聞く。
女子とは、女性とは……男子と違う生き物でないか?
そんな疑念すら渦を巻く。
これは大層困ったものだ。何しろ汗ばんだままの身体を拭き取らず、その上から直接羽織っているのだ。
やはり女性とは、勝手気ままなネコ科動物なのではあるまいか?
僕の学校指定学生服が颯希の香りを吸収してしまった。僕は恐らく明日から登校する。なおそのジャケットは所謂一張羅だ。
──そんな物を着て登校!? 颯希のことを常日頃から、もっともっと意識せずいられなくなるに決まっている。
僕は猫颯希にすっかり縄張り指定されてしまった。
たった今とて、この全長167cmもある巨大猫が匂いを嗅いだり、擦り付けたりとまるで他を寄せ付けない様、念には念を入れてる様に見受けられる。
颯希自身にそんな裏の狙いは無いかも知れない。だけども結果がそれを証明している。されどそんな颯希さえもまた、いとおかしきもの也とすっかり盲愛している僕もいるのだ。
──ハッ!
「い、颯希……」
僕はとんでもない事に気付き、外から見られぬ様カーテンをそっと僅かに開く。世間はすっかり陽が暮れて夜の装いを見せ始めていた。これには流石の颯希もハッとして動揺を隠せない。
別に爵藍颯希が夜の住宅街を独り、バイクで帰れないなどとは思っていない。
然し我が家には夕飯の買い出しから戻った母。そして隣の部屋で手ぐすね引いて颯希が僕の部屋から出るのを待ち受けている舞桜が居る。
果たしてこれらの監視網を潜り抜け、見事颯希を風祭家より、脱出させられるであろうか?
さらにもっと不味い事に爵藍家でも、この可愛いが過ぎる娘の帰りを待ち侘びていることだろう。時計の針は、何と既に19時半頃を指していた。
11月初旬、特に理由もない真面目な高校生なら既に帰宅しているべき時刻の筈だ。帰宅部ならば尚更だ。
「い、颯希……お前今帰ったとして大丈夫か?」
「う、うーん……さ、流石に何の理由もなく、これは駄目かも知れないね」
何度も言うが、やっちまったものは仕方がない。
ただ後始末が実に重要である。僕はあっという間に夢から覚めるざる負えなかった。
因みに事此処に至り、未だ颯希姫は僕の一張羅を着物の様に羽織ったままだ。これは肝が据わっているのか、はたまた思考停止してるのかちょっと気分が読めない。
ブレザーの下から伸びる白い脚。今は左側へ両膝を揃えて曲げてベッドの上に座り込んでいる。所謂女性の横座りだ。
姫は姫でも……いや、これは流石に止めておこうか。兎も角艶めかしいが過ぎる。まともな思考が吹き飛びそうだ。
「ご、ごめんね疾斗。いくらなんでも私、調子に乗り過ぎたね」
──うん、それは正直そぅ……。後、いい加減ソレ脱いで自分の服に着替えて欲しいのですがぁ?
その下に……。ア"ア"ッイカンイカン。そっちに気分が走ってしまえば、いよいよ終わりが訪れなくなる。
こうなる前に僕が止めるのが紳士の嗜みなのだろか。だけど余りに夢我夢中で歯止めなど利く訳もなく……。
兎も角此処は一応男である僕が罪を被るしかない。但し僕一人だけではどうにも出来そうにない。味方を引き当てる必要が在る。
──味方? 果たしてそんなの本当に居るのか?
「──は、疾斗??」
随分長い事──長いと言っても恐らく3分程度だと思うのだが、途方もなく長く思えた。
颯希も一緒だったらしく、頭を抱えたまま静止画と化した僕をどう扱えば良いか悩んだ末の背中押しで引き戻そうと試みたらしい。
ブブブブブブッ、ドサッ。
マナーモードにしていた僕のスマホが机から床へと落ちた音だ。
「あ"っ?」
通知を見て一瞬茫然としたものの、これは寧ろ天の助けへ転じるのを勝手に感じた。
『毒食わば皿まで』
『毒を以て毒を制す』
僕は決心の末、NLENの着信通知を開くのである。もう後戻り出来やしない。




