第50話 トライアングラー
───弘美が海外留学!?
俄かに信じ難い発言である。逢沢弘美17歳、生まれてこの方一度たりともこの街を出て生活したことなど在りはしない。
そりゃあ冷静に考えれば僕こと風祭疾斗を含め、高校2年の秋である。そろそろ───いや寧ろ今頃、高校卒業後の進路をウダウダ決め兼ねている僕の方がどうかしている。
でも、しかし、だけども、けれどもだ。どれだけ相反する接続詞を並べても足りやしない。
県内にだってスポーツ進学出来る大学は存在する。それも超が付く有力校だ。あとプロを目指すにせよ関東周辺にだって選択肢が在るというのに、国境すら飛び越えたいとは耳を疑わずにいられない。
「わ、私…………自分の可能性を思い切って広げたいの。その為にはやっぱり世界を知る必要が在るって思っちゃった。ま、全国大会の結果次第だけどね」
───それは判る話だ。活躍してる大抵のスポーツ選手は世界という舞台へ飛び出し、自分磨きをした者が一握りの存在に成れる可能性が頗る高い。
ただ弘美は未だ全国大会にすら出ていない。それにも関わらずもう国内には自分を磨くライバルがいないと考えるのは早計過ぎやしないか?
そして何より島国である日本の国境を越えられた日にゃ高卒より先、益々会えなくなるのが目に見えている。
それに弘美は『これからも僕を応援したい』と言ってくれたし僕自身もこれから逢沢弘美が開く大きな花を見ていたい。例え住む場所が離れようともそれは適う。
だけど……だけどどうせなら隣で見ていたいというのは僕の身勝手な我儘なのか?
───…………冷静になるんだ僕。学校の逢沢弘美が日本の………違う世界のHiromi Aizawaに為れるかも知れない瀬戸際なのだ。
さっき弘美は『私の気持ちを知ってるよね……』って確かに言った。逢沢弘美は幼馴染の風祭疾斗のことが好き。これは自惚れじゃないと思っている。
ただ…………いやだからこそ今この場で全てを打ち明け、ケジメを付けようとしてくれている。そう考えると何もかも辻褄が合う。
僕だって幼馴染という足枷なんかになりたくはない。ならばいっそこの場で僕への想いと夢への翼を語り尽くして…………そんな決心止められない、止めようがない。
寧ろTVの向こう側、世界の檜舞台で大活躍する弘美を心の底から応援出来るではないか。『例えそれが貴方の隣じゃなくてもだよ………』この発言、ひょっとしてそんな意味が込められてる?
「───だ、だからね…………そ、卒業まで精一杯頑張って疾斗の気持ちを私へ向けようって決めたの」
───は、ハァッ!? ちょ、チョット……ナニイッテルノカ、ワカラナイ………。
真っ赤な楓の様な笑顔を向けて来た弘美。僕の心の声が片言になる。弘美より先に意識がブラジル辺りへ飛行した。
「───マスター、昭和風プリンとカフェオレ宜しくぅっ!!」
「「───えっ…………」」
店内入り口付近から聞き違える筈のない溌溂した女子の声が僕等二人の心を鷲掴みにする。
───ま、まさかっ!?
思わず声の方を振り返る僕。弘美も同じ方を向いていた。それも大層驚いた顔。しかも注文が弘美と丸被りする。偶然にしては出来過ぎた秋の気紛れな恋の女神による悪戯。
長い黒髪と黒いフルフェイスのヘルメット片手に朝と変わらぬ姿の爵藍颯希がそこに居た。偶々僕等が注文した品を届けようとテラス席に出たマスターと鉢合う。
届けるべき僕等を探したマスターの眼鏡越しの視線が移る。その先へ颯希の蒼い瞳も釣られたらしい。
「「「あっ…………」」」
重なり合う3人の驚き。マスターは「はい、いつものね」と恐らく敢えての抑え声。客応対を優先するただの店長。邪魔すべきではないといった大人の態度。
コトッ。
「───はい、プリンとカフェオレ。ナポリタンの方も直にお持ちしますね」
予定調和なマスターの声色。
偶発的出来事とは不思議と重なるものだ。僕等二人の隣に座っていた客が席を立ち、帰り支度を始めたのだ。
「───や、やあ…………き、来てたんだ」
「───そ、そっちこそ…………」
声と顔に戸惑いを見せつつ、流れに任せ僕等の隣に座る颯希。殆ど完徹と取れる早起きの後『いってらっしゃい』と僕を送り出した相手と、日付を跨がずまたも逢うとは思ってもみなかった。
「わ、私は………ほぼ毎週この店に来てる常連ですから」
無意識下でぶっきら棒な挨拶をした僕に少しだけ頬を膨らます颯希である。『べ、別に追い掛けて来たんじゃないんだからね』と顔に書いてある。
そしてその蒼い瞳が隣の随分お洒落な同級生の姿を足元から順に追っている様に見えた。
「───ご、ごめんなさい。わ、私絶対お邪魔だよ………ね」
明らかに僕と弘美はデート中。そんな甘ったるい空気を感じたのか颯希がどもる。
「そ、そんなの気にしないで! 折角だから颯希ちゃんも一緒にお話しよ。わ、私、貴女にも聴いて欲しいと思ってたし…………」
弘美は慌てて笑顔を作りその場を取り繕う。でも『聴いて欲しい』とは如何なる事か?
届いたばかりのカフェオレを慎重にオレンジ色の唇へ運ぶ。弘美の跡がカップに残る。
「───颯希ちゃん…………わ、私疾斗の事が好き」
「───っ!」
割合落ち着いた声だが淀みない視線を向ける弘美。言葉を受け取る颯希の表情が明らかに強張る。例え僕視点で在ろうとも、今の二人の気持ちは判っているつもりだ。
爵藍颯希は風祭疾斗が好き。
逢沢弘美も負けじと好き。
これは二人の共通認識に違いない。我ながら途方もない間に居るものだと今さら思う。
そんな判り切った事を敢えて伝えているのだ。よもやこんな修羅場を僕中心で経験するとは。正直身震いする思いだ。
「さっき疾斗にも言ったんだけど私ね、高校卒業後テニス留学する気なんだ」
「え、え…………」
先程空を舞う国際線に見立て頭ン中真っ白と化した僕とほぼ同様、声も色すら失う颯希。加えて途端に目を潤ませる。
真横で観察している僕からしたら少し不思議な気分であった。趣味趣向が異なるこの2人が僕という鎹を経て、こうも仲良くなっていようとは。
「───そ、そんな………さ、寂しいよ私」
颯希が恋愛の話をすっ飛ばして切なさに泣き始める。これには流石の弘美もだいぶ慌てて持て余す。「颯希、これは弘美が自分で決めたんだ。だから応援してあげないと」僕が宥める羽目に。
「───う、うんっ…………そ、そうだね」
やはりハンカチなど持ち合わせがない僕である。取り合えず余っていた紙ナプキンで涙を拭うよう渡すしかない。
「でもね私、敗北宣言した訳じゃないよ。テニスも恋愛も絶対悔いを残さないよう頑張って疾斗と遠距離恋愛するんだ」
「う、うぅ…………そ、そっか、それを私にも言いたかったんだね」
この場面に於いて哀しみの余り涙するのは弘美の方でもおかしくない。でも実際には笑顔で言い切る弘美と、受け取った颯希が悲しむ図式に成っている。
僕は身勝手にも天真爛漫なティラソーレと、真面目でちょっと人渡りの苦手なフィルニアを重ねてしまう。自分の物書きとしての馬鹿さ加減に呆れてしまった。
「───判ったよ。でも私だって負ける気ないから」
泣き腫らした顔を挙げて決心を固めた強い視線を向ける颯希。彼女もようやく宣戦布告。もう迷いのない真っ直ぐな目をしている。
「い、颯希ちゃん凄く綺麗だしお料理も上手だから、とても手強い相手だけどね…………」
その碧眼に少々怯んだのか、このやり取りで初めて見せる弱気な弘美が少し俯く。
「えっ? 私の方こそ弘美ちゃんみたく完璧人間じゃないし…………」
「わ、私なんてどうしようない泣き虫だよ…………」
互いに見せ合う自分の弱さ。
この何とも言えぬタイミングでマスターが僕の分を運んでいながら、背後で品出しを躊躇っていのに気付いた。笑い袋の緒が切れる。
弘美と颯希がお腹を抱えて大いに笑い、晩秋の青空に響き渡った。




