第36話 恐るべし"追い桜"
「あ、うぅ………あ、朝か」
閉ざしたカーテンからの木漏れ日と、小鳥達の囀りで僕、風祭疾斗は目覚めた。いつもと違う枕やベッドの感触………。───てっ!?
「ま、真騎さんの格好で寝ちゃったのか僕はっ!?」
こ、これは余りにも羞恥が過ぎる。誰にも見られていないとはいえ………。枕元から実に良い香りが漂ってきたのは、化粧を落としていない自分からだと知り、余計に頭が錯乱する。
加えて口紅の残る己の唇に触れてみる。あの感触………きっと生涯忘れないだろう。
だがしかしである。
あの唇は風祭疾斗へ向けられたものなのか? 或いは大好きな姉に捧げたものではないのであろうか?
───判らない………。判る訳が無い。僕は爵藍颯希ではないのだから………。
ガチャッ。
「い、颯希っ!?」
「は、疾斗ぉっ!? そ、その格好のまま寝ちゃったのおっ!? さ、流石に引く……」
あの例の金髪侯爵だけでなく、その娘すらもノック無しで姉の部屋を開けるのか!?
爵藍家のセキュリティぶりに嫌気が差す。「の、ノック位しろよ!」と早速文句を告げたが「ノックならしたわよ」とけんもほろろに返された。
「し、仕方ないじゃないっ! 昨夜は色んなことが多過ぎて疲れちゃったのよっ!」
───あっ………。つい真騎姉を自然憑依させてしまった。
部屋の温度も自身の心さえも異様に暑くて仕方ないのだが、手近な毛布で我が身を隠した。結局羞恥プレイされてしまった。
「………ご、ごめんなさい。そ、そう……よね、疲れたよね………」
───あら急にしおらしい。このギャップ、実に狡い。
部屋の扉を開いたまま、いじらしく戸惑う妹である。
「───って、良いから早くそのドアを閉めてくれぇ!」
バタンッ。
───ふぅ………。見られた者は仕方ない。これ以上、爵藍家に知られては。いよいよお嫁に往けなくなる(?)
「そ、そっち行って………良い?」
「嗚呼………良いぞ」
寝巻姿でさも申し訳なさげな颯希が地べたに座り、ベッドを背もたれに寄り掛かってきた。長い黒髪がシーツの上をハラリッと舞う。
薄い青のネグリジェ姿、颯希の蒼き瞳と重なるし、清楚な感じが実に宜しい。
それにしてもだ。
昨晩から白いスーツ姿にメイド衣装………。全く隙を見せない颯希が、ようやく見せた隙だらけのこの御姿。
僕とて家にはお年頃の妹が居る。だから女子の部屋着位、免疫がある………と油断していた。
───ゆ、緩いィッ! 何かもうそれは色々とッ! やはり爵藍家のセキュリティに難を感じずにはいられない。
い、颯希……さん? 僕より下に居ないでくれ………それはそれは目のやり場に困ってどうしようもないじゃァァないかッ! そ、それ、つ、着けてないですよねぇ?
───嗚呼………いっそのこと身も心も真騎姉に生まれ変わりたい………。いやいやそもそも僕が覗き込まなきゃ良い話だ。何か別の話題を………そうだ!
「い、颯希………」
「ンっ、何?」
「ば、バイクのこと………何だけどさ。僕やっぱお前の彼氏って口実で、タダで譲って貰うのはちょっと………ただ即金で払えないだろうから、頭金だけで後は分割ってのはどうだろう?」
「あ、あ、そ、そう……よね。おじさんに話してみるよ」
颯希が話を聞いた一瞬だけ項垂れる。僕とてこれだけはどうしても譲れない。
だけどもあっという間に颯希は立ち直り、笑顔を寄せると僕の両手を自分の両手で握り、一つになるように引き付けた。
まるで僕はイエス・キリストに穢れのない愛を祈るシスターの様相にされた。
「で、でも私。疾斗もバイク乗り仲間になってくれて心から嬉しいっ!」
───や、止めてくれ。て、照れる………。あ、あと胸元近過ぎ……。
碧い目をキラッキラさせながら歓喜してしてくれた颯希。そんな屈託のない笑顔が刺さって胸が苦しい。
此方は色欲に塗れてドロッドロだというのにだ。
「ぼ、僕もやっぱり風の使い手には憧れるから………さ。あのマスターのお店にも行きたいしな」
兎に角どうにかバイク愛で誤魔化し切ろうと試みる。
しかし真に穢れを知らなそうな聖母の顔を増々寄せられ、暗黒面へ堕ちないように懸命に足掻いたのである。
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「ふぅー………」
かくして逢沢弘美への励ましから始まった愛の梯子という凄まじき金曜日の夜は、どうにかその幕を閉じた。
ただいま風祭家リビングにて自分で淹れた珈琲を啜り、昨夜の情事に想いを馳せている。
大袈裟? とんでもない、良く考えてみて御覧なさい(?)
この風祭疾斗17歳は未だDTはおろか、彼女いない歴=年齢を継続中なのだ。それにも拘わらずまるで二股───いや、していないぞ。
だがこんな色恋沙汰がまるでなさげな悪友───刈田祐樹辺りの視点であれば『ふっざけんなよテメェッ!』と首を絞められることだろう。
「───お・に・い」
ビクッ!?
───居たあァァッ!! 祐樹より先に、あまつさえ心赦せない存在が足音すら立てず、耳元で杭を刺しにやって来た。
何せ同じ屋根の下に居るのだ。しかも昨夜の出来事をこの拡声器に知られたら、僕の学園生活に終演すら訪れかねない。何故なら我が明誠は中高一貫なのである。
よくよく考えてみると昨夜の奇跡を祐樹辺りに話した処で『そんな馬鹿な……』と一蹴されるに決まっている。
しかし舞桜発信だと危険が危ない(?) 『風祭疾斗は最低………』のレッテルを貼られかねない。
「な、何かな舞桜………ちゃん」
あからさまに不自然な動きで応答してしまう。普段ちゃん付けなんか絶対しないし、振り返る僕の首が出来損ないのロボットの如く固かった。
「何がじゃァァないよッ! 高2の男子が超絶美形の同級生の家に、向こうから誘われ泊まった! これで何もなかったとか在り得へんわっ!」
左手を自分の腰に当て、右手人差し指を僕の鼻先に突き付ける我が妹。これが本来の実妹である。颯希ちゃん位、可愛げが在ればどんなに幸せな事か………。
突っ込み処と踏んだか、ここぞとばかりに関西弁すら使いこなしてきた。これにどう対処するのが正解なのだ? おおジーザス………。
「な、な、無いです何も。考えてみてく送んなさいまし(?) こ、こんな奥手で従順なお兄ちゃんが何か成せるとでもお考えかい?」
もうどうにもこうにも僕の口が紡ぎ出す言葉がとち狂っている。
あのカミルやフィアマンダすら、超絶肝心な時に形を潜めてしまっているのだ。
「それでも漢かッ、この甲斐性なしめッ! 嘘つくんじゃァァないッ!」
舞桜ちゃんがまるで尋問する刑事の様に声を荒げる。いっその事、かつ丼頼むか?
いやそれよりも中2でリア充を謳歌中とはいえ、漢の何を知り尽くしているのやら。お兄ちゃんかなり心配なのだがそれは………。
ヴァンッ!!
リビングのテーブルを平手で強烈に弾かれた。最早命の危険すら感じ『背筋、凍らずにはいられないッッ!』
「───なぁお兄ィ? 私だって鬼じゃァァないんだぜ? クククッ………」
「ほ、本当っスかッ!?」
ニヤニヤした顔で下から覗き込んできた敏腕風な女刑事。強烈な圧のお次は譲歩案を切り出すあたり、本当にプロの手口だ。
これはつい、容疑者の口が滑り出す助勢に為り得る。
「嗚呼、本当だとも。今すぐ真実を打ち明ければ………。そうやなあ………裏垢でコッソリ呟くだけで手を打ってやるぜぇ~」
───いや呟くんかぁぁぁいッ!! そもそも裏垢って闇が深いぞっ!
「あ、あ、あ、あの………その………なんだ」
───いや本当に何だ? 僕はこれから何が言いたい?
「早う言わんかいッ、このボケがァァッ!!」
ヴァンッ! ヴァンッ!
再び2回もテーブルを弾かれ、流石に僕も腹を括った。
「え、A………」
「ア”ア”ンッ!?」
もう何のAやら全然伝わらないであろう。現に女刑事が辛抱ならねえとばかりにキレ散らかす。
「Aまで………その、されました」
「ハァッ!? されたあってことはテメェ………まさかあの美少女に撃墜されたとでもぉ?」
覗き込んで来る眉の吊り上がった舞桜の顔が、息がかからんばかりに近距離と化す。今朝、聖母に言い寄られたが、同じ女でこうも変わるものなのか!?
「ほ、本当なんです刑事さん!(?) わ、私されちゃったんです。信じて下さぁぁいッ!」
「ケッ! この意気地なしがッ!」
椅子から下りて地べた這いつくばって、舞桜の足元から自分の潔白を必死面で訴えた僕。
そんな僕を、さもみすぼらしい生き物でも見る冷ややか視線でグサリッと突き刺す。唾を吐かれた訳ではないが、そんな錯覚さえ感じた。




