第31話 あくまでも自分の選んだ道を進んで欲しいの
ひょんなことから爵藍家の夕飯まで馳走になりつつ、この潮流に乗ったが最後。お泊りという階段すら上がる事になりそうな風祭疾斗こと、この僕である。
「──疾斗君、貴方うちの颯希が出戻りだって聞いてるのよね?」
「え、あ、はい。それは転校初日に伺っております」
つい今しがたまで大和撫子を絵に描いた様な作法で、もてなしてくれた颯希母の口調に、淀みが混じるのを感じ取った。
「………?」
ふと颯希当人を横目に見ると、何とも形容し難い顔で俯いていた。
「じゃあ──娘を自転車事故から救っていたお話はどうかしら?」
「そ、それは……その先程伺いました。そして僕も当時の颯希さんを思い出しました」
いよいよ颯希母が話したい事の核心がやって来る。正直に言おう……事故から彼女を救ったというだけなら大層な美談で終わる。
だが実の処、それ程具合の良い話ではないのだ。僕に取っても──。
「そ、そぅ……。あの事故の後、色々有ったの。実は私達も知ってはいたのよ」
「な、成程……」
今の言い淀んだ一言で、粗方の事は察した。やはり大体想像通りの話であった。
───幼かった爵藍颯希がこの街を後にした理由。
自転車と歩行者による事故。
これ程扱いの難しい交通事故は中々ない。しかも赤信号を無視して飛び出そうとした颯希の代わりに僕が飛び出した。
結果だけ言えばそういう事故だ。歩行者側の赤信号。この事実だけ切り取れば、100%悪いのは僕というのが通常である。
但し此方は当時小学1年生。寄って信号の見落としという過失も止む無しという情状酌量の余地が生まれてしまった。
これが実に話をややこしくする。
当時事故に立ち会った警察は、この情状酌量と、自転車>歩行者という交通弱者の法則を額面通りに解釈した。
それに僕の怪我の状態も加われば、自転車に乗っていた男性へ、治療費請求が生じるのも必然の流れだ。
突き飛ばされた矢先に頭を強くアスファルトで打った僕は、暫くの間、脳内出血による一刻を争う大変危険な状態と化した。もっとも僕当人は、意識不明が続いていたので覚えていない。
さらに悪いことが重なった。
この若い男性は当時大学生。大変優秀な成績で、将来を有望視された存在であったらしい。
けれども自転車──。任意保険など加入してなかった。ただそれだけの事でこの人の人生が大きく揺らぐ。
親へ治療費支払いを頼もうにも片親であり、もし僕の命か或いは脳に一生涯の障害を抱えたりしようものなら到底補償出来る蓄えなど無かった。
こうなったら向こう側も泣き寝入りする訳にゆかず、加害者が被害者へ転じた僕の知らぬ間に裁判迄発展する大事に膨れ上がった。
結果──僕は一命を取り留めただけでなく、奇跡的に何の引き摺りも出ずに済んだので、何とか示談が成立した。
颯希母の語る『私達も知ってはいた』とはそう言う話だ。当時僕の家族が相手と裁判で争っていたのを知っていながら見て見ぬふりをしてしまった。
元々轢かれる筈であった幼き我が娘は無傷であった。此処で『実はその男の子、うちの子を庇って………』などと参考人として出しゃばると、どちらにどう話が転ぶか?
予想出来る程の余裕が無かったのだ。幸いなことに、身代わりになった少年の意識が戻らないから幼き颯希のことなど話にも上がらない。
自転車側の男性にしても慌ただしい事故だった為、そこまで気が回らなかった。
「も、もう、本当になって言ったら良いか……。わ、私、巻き込まれるのが怖くなって一時期パニック障害になってしまったの」
幼い彼女とて苦しんでいた。彼女の病気を治す最善策───。その場から落ち着く迄逃げること。
僕が僕の判断で身勝手に彼女を助けたのだ。そう解釈すれば、後は音無しを決め込んでこの街を後にすれば良い話だ。
「パパもママも理屈で『お前は悪くない』と言ってくれた──。で、でも……理由はどうあれ疾斗、私は君を置いて逃げ出したのよ……」
枯れた筈の涙がまたしても颯希の頬を伝い流れ落ちる。颯希母が持って来たハンカチで幾ら拭いてもそれは留まる事を知らなかった。
───僕は所詮ただのガキだ。二人に何て声を掛けたら良いのか……。気の利いた言葉なんて何一つ浮かばなかった。
「ごめんなさい疾斗君……。結果貴方が助かったとはいえ、私達は途轍もない身勝手を貴方と御家族へ押し付けてしまいました」
颯希母すら必死に涙を堪えているのが僕にも判る。
「──わ、私中学二年の頃、疾風@風の使い手様の事を偶然知ったの。さっきも言ったけどフィルニアが大好きに成れた」
「………」
どうにかこうにか涙交じりであるものの、颯希が口を開き始める。僕はどんな顔をすれば良い判らず押し黙ってただ話を聴くだけだ。
「それまでの私はその事故をずっと引き摺ったままだった。バイクどころか自転車を見るのでさえ怖かったの」
「……あ、うん」
つい気のない返事をしてしまう。
「でも、フィルニア姫を知って私変わりたいって思える様になれたの。コメントにそんな想いをぶつけてみた。そしたら疾風様は応えてくれた」
「──っ!」
ほんの僅かであるものの、まるで罪人の様であった颯希の声に弾みが加わるのを感じ、僕の心も共鳴する。
「疾風様とそんなやり取りを続けてる内に私気付いた。フィルニアの事は好き、だけど頑張って物語を書いてる疾風様はもっと大好き」
「い、い……ぶ…き」
我慢出来ずに颯希の顔色を窺いたく僕は俯くのを止めにした。青い瞳と視線が絡んだ。颯希も同じ想いだったらしい。
ただ驚いた僕の顔と異なり、颯希の顔つきは悲壮感より笑顔の比率が勝り始めていた。
「だから私も疾風様の様に前を向こう! 逃げるのはもう止めようって決めてパパとママにこの街に戻る事を伝えたの」
───そんな気持ちの重さを僕なんかが書いた物語が前を向く想いの糧にしてくれてた!?
駄目だ……もう僕の瞳が決壊するのを抑えきれない。
「ず、狡い! 颯希姫 貴女は本当に狡過ぎるっ! ……こ、こんなの刺さらない訳がないじゃないかっ!」
涙も鼻汁も全く以って歯止めが効かない。だってそうなるさ! 僕の書いた物語がッ! 僕の想いが一人の人生を変える切欠になったなんて……。
「そ、そんなの嬉しいって言うに決まっているじゃないかぁぁ……」
颯希と颯希の母、二人の事など気に留めずに僕は号泣を止めようがない。その嗚咽、恐らくリビングにいる侯爵の耳にも届いてる事だろう。
そんな僕の背中を颯希が擦り始める。僕は未だに嗚咽を漏らす。人の涙は伝染する、僕の想いへ応える様に颯希も再び泣き始めた。
「疾斗君──私はこの子の母。だからネット上の疾風様じゃなくて、疾斗君との恋愛が成就してくれたらどんなに良いかと思ってはいるわ。だけどね……」
此処で颯希母の物腰柔らかな声が届いた。僕と颯希が顔を見上げて彼女の目を見る。
「……貴方にはあくまでも自分の選んだ道を進んで欲しいの。他人の私が口出しするのも可笑しな話だけどね」
───それは至極当たり前な優しさだった。
「……は、はい。僕だって流されたくはありません……から」
しわくちゃな顔だった。鏡なんか見なくって流石に判る。でも間違った答えじゃないと僕は確信出来ていた。




