第16話 愛梨
ドン・キホーテ新宿歌舞伎町店を右に入っていくと、正面にそびえ立つゴジラとTOHOシネマズ新宿がひときわ目立ち、左右の店など霞んでしまう。セントラルロードは、ゴジラロードと名前を改め、もう数年の月日が経ったが、そこを利用する客層にさほど変化はなく、やはり独特の不潔さが醸し出されている。
エテルノ西新宿203号室、204号室、104号室、留守だった201号室を含め、計四つの住人の自宅を訪問した翌日の二十四日、勇紀と真賢は、普段は立ち入らない、歌舞伎町の街を歩いていた。本来違法である客引きを真賢が撒き、視界が開けた先、道路を挟んで向こう側にいる人物に、勇紀が大声で呼びながら手を振る。
「愛梨さーん!」
ふんわりとウェーブがかかったセミロングの髪を、ピンクっぽい茶色で染め、同系のネイルを合わせている女が、振り向いてきょろきょろと辺りを見回す。そして、勇紀を見つけると、途端に表情を輝かせ、片手にたこ焼きを持ちながら立ち上がって振り返す。
「ふとんちゃ~ん! どうしたの~?」
「いま、そっち行きますねー!」
TOHOシネマズ新宿の一階部分、地上に面したところには、大阪王将、クリスピークリームドーナツ、リンガーハット、銀だこなどの店舗が立ち並び、映画の上映開始前後に気軽に食事を摂れる。もっとも愛梨は、歌舞伎町にあるキャバクラで働いているというだけで、ここで映画を鑑賞する機会は少ないようだ。
「ふとんちゃん! もうー、聞いてよ。刑事が店まで来てさぁ」
愛梨が近づけてきた、たこ焼きを一口で含み、勇紀はそれを味わってから、愛梨を思いやるように頷く。キャバ嬢と男の娘メイドのコンビは、とても華やかで美しく、愛梨には真賢の姿が見えていない。
「飛鷹さんと西島さんですよね。ごめんなさい、愛梨さん。常連の奥田さんが亡くなった件で、奥田さんに恨みを持っていた人物を聞かれ、私がレメロンさんと愛梨さんの名前を出したんです。刑事さんには既に証言してると思いますが、私たちにも教えてくれませんか? 動機やアリバイについてを」
「へ……? 私、たち?」
そこでようやく目線を上げ、真賢をみとめた愛梨は、はじめから勇紀との関係性を疑ってかかっていた。いつも通り、勇紀が兄だと紹介すると、みなその一言をあっさりと信じてしまうが、本人たちは元々他人同士。顔も系統からして、全く似ていないのにだ。
「遅かれ早かれ、誰かしら愛梨が怪しいって話したでしょ。だから、ふとんちゃんは悪くないよ。逆にほら、なんで黙ってたんだーってことになったら大変だし、そこは気にしないで。んー、たしかにあのキモヲタはマジうざくて、あの痩せも不気味だけど、恨んでたまではいかないかな。あいつらとは同担とはいえ、愛梨は『ねむい』を強く推してて、ふとんちゃんも大好きなんだから!」
「えへへ、そうですよね。ありがとう、愛梨さん」
「いいえー、こちらこそ、いつも萌えをもらってます。今日から新曲披露なんだよね。たぶんすごい倍率の中、愛梨は見事、ショーの時間のチケットを確保しました~! ぱちぱちぱち~!」
「わぁ、さすが愛梨さん! 今回のダンスは、プロの振付師さんにお願いしたそうですよ。私もぴろちゃんもがんばって覚えたので、楽しみにしててくださいね!」
うんうんと頷き、勇紀の頭を撫でている愛梨は、化粧が派手なせいで実年齢より若干上に見えるが、おそらく二十代前半だろう。大学に入学・卒業したかは定かではなく、その歳で一般企業に就職したとして、給料の手取りは、わずかなものだ。自分の時間、若さを犠牲に、夜の接客業をすることにより、自由に使えるお金は、本人のやる気次第で倍以上にもなる。「推し」が出来るとは、その人の人生を七色に輝かせてくれるが、裏を返せば、嫉妬、恨み、牽制、一歩間違えば、犯罪に近い行為など、さまざまな問題を生み出していくのもまた事実なのだ。
「愛梨さん、いま時間ありますか? 私はこのあと、三時出勤なんですが、それまでお話を聞かせてもらってもいいでしょうか」
「うん、愛梨はね、六時からのチケットを持ってるの。だからいま、一旦腹ごしらえをして、ブルージュリアンではオムライスを注文しようと思ってるんだぁ。いいよいいよ、ふとんちゃんになら何でも話すし」
「ありがとうございます! ここで立ち話じゃ寒いですから、どこかお店に入りましょうか」
「まだ十月なのに、今日はずいぶん冷えるよねー。ん、じゃあ、ちょっと待って。これ食べちゃうね」
「ゆっくりで大丈夫ですよ。私たちは向こうにいますねー!」
銀だこの店員に白い目で見られ、真賢は勇紀の肩を抱いて、映画館の正面まで歩く。こんなところを、ふとん推しの客に見られようものなら、すぐにSNSを中心に大炎上しそうだが、真賢の存在を知る誰かが、兄だと教えてくれるだろうと、勇紀は自分の人気を軽くとらえすぎだ。
真賢は、いまだに歌舞伎町に良い印象を持っておらず、ましてや勇紀には、極力近づいてほしくないと思っている。ブルージュリアンの近くの喫茶店は、先日、リヴィアの帰りに飛鷹、西島、宏隆との五人と入ったのと同じところだ。
「まずは、ご紹介しますね。私の兄の真賢、ニックネームはちかちゃんです。このたびの事件をきっかけに、二人で探偵を始めることにしました」
「なに、ちかちゃんて、かわいすぎぃ。ね、愛梨もそう呼んでいい?」
勇紀と愛梨の期待のこもった瞳に根負けし、真賢は抵抗を覚えつつも、頷くしかなかった。自分がブルージュリアンでバイトを始めて、すぐに仲良くなった女性客ということで、勇紀は愛梨と姉妹のように息が合う。
「ふとんの兄で、美術館に勤務しております。藤沢と申します。よろしくお願いします」
「だから、ちかちゃんでしょ? ふとんちゃんに聞いてると思いますが、歌舞伎町の『クラリネット』でキャバ嬢やってます、愛梨です。よろしくお願いしまーす、ちかちゃん」
飛鷹ほどではないが、真賢もなかなか硬派と言え、特に軽い女性には苦手意識が強い。だが、愛梨には奥田を憎む理由があり、自分たちがまだ知らない秘密を握っているとみるからこそ、受け答えには注意しなければいけない。
「愛梨さん。じゃあまず、九日の夕方以降、何をしていたかを教えてもらえますか?」
勇紀が言うと、愛梨はコーチのバッグから、カバーにラインストーンがびっしりとついたスマホを取り出す。そしてカレンダーのアプリを開き、一覧から九日のデータを表示させると、顔を上げて勇紀の目を見ながら答える。
「六時から翌日一時まで仕事。途中、十時くらいかな。酔っ払った客を駅まで送った時に、二十分店を空けたけど、キモヲタは自宅で死んでたんだよね? それだけの時間じゃ、愛梨にはあいつを殺せないでしょ」
「奥田さんの死亡推定日時のアリバイを、何日か前に、警察にも話しましたよね。なぜスケジュールを確認したんですか? 憶えてたでしょうに」
「ちかちゃん、超するどい。そう、おととい刑事にも同じことを言ったし、だから愛梨は、九日の自分のアリバイがほぼ成立すると安堵してた。ここには、その時に聞かれた質問内容が書いてあるの。ふとんちゃんの頼みだし、見せてもいいよ。愛梨は犯人じゃないから」
口調はゆるやかで、語尾には笑い声が含まれていたが、真賢を見る眼光は鋭いものだった。ちょうど真賢と勇紀の間に置かれたスマホには、愛梨の言う通り、飛鷹たちとの会話内容が詳細に記されているようだ。「キモヲタが死んだと聞いて驚かなかったのはなぜか」「テレビやネットで事件の報道を見たか」「愛梨には動機がある?」など、それは簡単に予想がつく項目ばかりだが、その中にひとつ気になる記述を見つけ、勇紀は口元に手を添え、首を傾げる。
「『キモヲタは来たか』って、どこに?」
「クラリネットにだよ。それは、手下っぽい方の刑事が聞いてきた。男の娘メイド喫茶の常連が、キャバクラなんかに行くわけないじゃんて思うでしょう。来店の目的は、愛梨への宣戦布告だった。ブルージュリアンの店内で揉めるわけにいかないからね。愛梨とぴろちゃんが話してる内容を盗み聞きして、愛梨の店を特定したっぽい。まったく、見た目も性格も最悪って記憶しかない。ぴろちゃんをあんなに困らせて」
「……亡くなった人を悪く言うのは、良くないです。それに奥田さんは、マナーのいいお客さんだったんですよ。でも、そうだったんですね。騒音トラブルも起こしてますし、一歩店の外に出ると、傍若無人という方は珍しくないのかも。愛梨さん、それで、奥田さんが愛梨さんのお店に来たのは、いつ頃でしたか?」
「九月最後の週だったと思う。指名されて席についたあとに、あのキモヲタだって気づいて、不快感が顔に出ないように必死だった。いや、どう転んだってお前がぴろちゃんに選ばれる未来はねえよって、よっぽど言ってやりたかったけどね。そもそも愛梨は、楽しく推し活をしたいだけで、自分が本人とどうこうなんて、頭にないわけ。そこは、男と女の違いなのかなぁ。ま、女でも芸能人とかと付き合いたい奴はたくさんいるか。あっ、ふとんちゃんも男の子なのにごめんね」
片手を立てて謝る愛梨にスマホを返し、勇紀はオレンジジュースを飲み干すと、真賢の袖を引く。手首に光る腕時計が指し示すのは、午後二時四十分だが、愛梨から聞き出したい情報は、まだこの先にあると感じられた。
「ごめんなさい、愛梨さん。私はそろそろ出勤時間なので退席しますが、このあともちかちゃんとお茶してくれますか?」
「お、おい、ゆ……ふとん!」
「いいよー、愛梨は六時までヒマだから。ふとんちゃんがいなくても大丈夫ですよね、ちかちゃん」
「よかった。またあとで会えるのを楽しみにしてますね。ちかちゃん、がんばって!」
私服用のメイド服をひらひらとひるがえし、勇紀は喫茶店をあとにする。鐘の音はリヴィアのそれよりも少し高く、愛梨と向き合う真賢を緊張させた。
女の子のようにかわいい男にしか興味のない愛梨は、勇紀がいた時とは打って変わって、落ち着いた様子で、真賢の問いを待っている。勇紀を喜ばせたい、これ以上事件が長引かないようにと、真賢はスーツの内ポケットから手帳を取り出し、愛梨との攻防を始めた。




