第14話 騒音トラブル
奥田が自殺を選んだのか、それとも第三者の手によって殺されたのかは、解剖によってある程度は明らかになるだろう。だが、どんな事情や原因が隠されているにしろ、今現在も宏隆は被害者なのだという事実を前に、飛鷹も西島も、すぐには答えを見つけられなかった。
『ぴろちゃん。捜査に協力してくれるのは、本当にありがたいです。この事件が解決するまで、ぴろちゃんに聞きたいことが、まだたくさん出てくるでしょうし、それで君を傷つけてしまわないかと、僕たちは心配しています。人を好きになる、誰かを大切にしたい気持ちは尊いのに、それが歪んだ欲望に変化してしまうのも、また人間の本質なんでしょうか。僕自身、客としてブルージュリアンに行きたいとも思ったほどで、「理解出来ない」と一概には言えないですね。はい……』
黙って腕を組み、口を開く気配のない飛鷹を一瞥し、西島は手振りを加えつつ、正直な意見を述べる。宏隆の求める答えがわからないからと、やわらかなニュアンスの言葉を選んだ西島は、その点だけを見れば飛鷹よりも気の利く社会人だ。
『包み隠さず、はっきりと言わせて頂きます。私には、理解出来ません。新宿をはじめ、池袋や秋葉原と、メイド喫茶は数多く店を構えているようですが、このような機会がなければ、私が個人的に行くことはなかったでしょう。北上さんも国吉さんも、若い時から汚い大人の中で働くのは、あまり良い経験にはならないかと』
『だから飛鷹さんはぁぁ! 自分がぴろちゃんの立場だったらどうですか? そう聞いてみたくもなったぴろちゃんの気持ちを、まず理解しようとしてください。いくら断片的な情報を集めたって、それを繋げられなければ無意味なんですよ!』
つい立ち上がって飛鷹を責めた西島だったが、すぐに声のボリュームを下げ、再びソファに座ると、気まずそうに視線を泳がせる。飛鷹と西島を交互に見ていた勇紀は、何往復目かで西島と目が合った。子犬のような瞳で何かを訴えかけてくる西島に、自信に満ちた顔で頷く勇紀は、さぞ頼もしかったことだろう。
『みなさん、落ち着いて要点を振り返ってみましょう。奥田さんは、ぴろちゃんと結婚したいと思うくらい、本気でぴろちゃんを愛していた。それは全員知ってますね。次に、奥田さんが最後に来店した次の日から届けられている花束、そしてメッセージカードですが、急に積極的になっているんです。奥田さんはきっと、容姿にコンプレックスがあり、そこそこ良識も兼ね備えていた。何が言いたいかというと、奥田さんにあるきっかけ、出来事が起こらなければ、ずっと「いいお客さん」だったはず。その日常を壊すのは、それなりに奥田さんに恨み、妬みの感情を持っていた人物と推測されますよね。飛鷹さん、誰だと思いますか?』
『レメロンさん、でしょうか』
『そう、レメロンさん。安直にぴろちゃんの同担から容疑者を絞り込むとすれば、レメロンさん、愛梨さんくらいです。もちろん、ぴろちゃん推しのお客さんは他にもいますが、人を殺しかねない独占欲は、この二人からしか感じません』
『すみません、国吉さん。アイリさんという方の話の前に、教えてください。ドウタンとは何のことかを』
本来なら西島に「オシ」と「ドウタン」の意味を聞いておくべきだったのだが、ちょうど待ち合わせ場所に現れた宏隆たちによって、飛鷹はまたも機会を失っていた。頻繁に出てくるこの言葉の意味を、なんとなくわかった気でいるのはもう限界だと、飛鷹は真剣な顔で勇紀に迫る。
『あ、あぁ、失礼しました。ご存知なかったんですね。「同じ」「担当」合わせて「同担」、ぴろちゃんが好きな同士という意味です。ちなみに「推し」は読んで字の如く、推す、応援している相手を差します。「推し」とは言うものの、奥田さんたちのように同担拒否の方も多くいて、私は使い方が間違ってると思うんですが』
『なるほど、そういうことだったんですね……。ありがとうございます。では、アイリさんについてもお願いします』
『はい。愛情の愛に、梨と書いて愛梨さん。愛梨さんは、歌舞伎町のキャバクラで働く、いわゆるキャバ嬢です。店に来るたびに、ぴろちゃんにプレゼントやチップを渡していて、奥田さんと鉢合わせると、一人でぶつぶつと文句を言っていました。迷惑行為とまではいかないので、店長も容認していたみたいです。キリがないですからね』
やっと「推し」と「同担」の謎が解け、気分が晴れた飛鷹は、宏隆を取り巻く新たな人物の出現に、動揺もせずメモを取っている。ふと、宏隆の様子が気になり、勇紀はアイスティーを飲みながら、隣に座る宏隆を横目で窺ったが、西島の気遣いのおかげか、落ち着いて前を見ているようだ。
『誰かが奥田さんに接触した。何かがあった。それは間違いないはずです。昨日もパン子ちゃんが言ってくれましたが、まず動機のない私たちのアリバイ云々よりも、レメロンさんと愛梨さんの証言を取られた方がいいような気がします。奥田さんの直接の死因は、もうわかってるんですか?』
『今回のように事件性が高いとき、ご遺体を司法解剖にかけるのですが、奥田さんの場合は、死後かなりの日数が経過していたので、結果が出るまでにもそれなりに時間がかかります。具体的には、数日から二週間程度。そして残念ながら、解剖も万能ではないんです』
『と言いますと……?』
勇紀は飛鷹に、続きを促したつもりだった。だが飛鷹は、四人の注目を集めておきながら、西島さえも予想だにしなかった返事で、場の空気を悪くする。
『国吉さん、藤沢さん、お気持ちは大変嬉しいのですが、この事件に関しては、不明瞭なことが多く、マスコミにも報道を制限しています。捜査の一部始終を開示するわけにもいきませんし、以降は我々警察にお任せ願えませんか』
『ちょっと、飛鷹さん! ぴろちゃんもふとんちゃんも、それから藤沢さんも、快くご協力くださったんですよ。それを、聞くだけ聞いて突き放すだなんて、俺は納得出来ません。何よりぴろちゃんが、これからも楽しくあの店で働けるように、みんなで力を合わせて事件を終わらせるべきなんじゃないですか?』
声を荒らげてしまいそうになるのを懸命に堪え、西島は飛鷹の腕を揺さぶって訴える。飛鷹の生真面目さはわかったつもりでいたが、こうも頑なに規律を主張する人だとは思わなかったのだ。勇紀たちへの申し訳なさもあいまって、西島はなんとか飛鷹の考えを改めさせようと、腕を掴んだ指に力を込める。
『西島、お前の言いたいことはわかる。だが我々には、一般人を巻き込まずに捜査を進める義務があるんだ。皆さん、本日はお時間を頂き、感謝いたします。もちろん、これからも可能な範囲でご報告いたしますので』
『……ふとんちゃんに占ってもらいましょうよ。ふとんちゃんの占いは、嘘みたいに当たるんです』
飛鷹は正しいのだと思う。そもそも自分のように、単純で、あまり人を疑わず、事件現場にも慣れない刑事は、いざとなったら使えないとも心得ている。それでも西島は、一人でも多くの笑顔のために、区民の安全のために戦える人間でいたいのだ。
握りしめていたスーツが離れたかと思うと、空中に取り残された西島の手を、飛鷹が膝に戻していた。向かいの席から見ていた勇紀は、二人の誇りの行き違いも含め、うまくいかないことだらけだと、小さな溜め息をついた。
エテルノ西新宿202号室の左隣、201号室は留守だった。はじめに管理室に立ち寄ったが、田淵によると、鈴木は一人暮らしのOLらしいので、平日の昼間は不在で当然といったところだろう。
続いて204号室のチャイムを鳴らすと、インターホンに出たのは、若い女性だった。シングルマザーだという彼女は、自分の部屋にまで聞こえて来る騒音に対し、田淵に再三注意してくれと頼んでいたようだ。
「子供がまだ小さいので、在宅ワークなんです。お隣の臼井さんは、何度も奥田さんと口論になっていましたが、私は直接話したこともありません。亡くなった方を侮辱するようで気が引けますが……、あの、どうしても生理的に受け付けないというか、ああいう外見でまともな人っていないと思いませんか。現に、アイドルにお金をつぎ込んでいたんですよね?」
ここまで一気に話した百瀬は、いまさら自分が言った内容を恥じるように、口を結んで横を向いてしまう。真賢とアイコンタクトを取り、勇紀は百瀬宅のドアに触れるが、事件とは無関係な残像だけだった。
「ええ、正確には『男の娘メイド』なんですが、駅前にある店舗の常連さんでした。騒音の原因となったのは、そこで販売しているCDです。百瀬さんは、大家さんに騒音の件を相談されていますよね。ご本人には言いにくかったでしょうか?」
「だって普通の人なら、もう少しくらいは音量に配慮しますよ。それを出来ない人に、私たちが何を言ったって無駄です。大家さんに『出てってもらう』と宣告してもらうのが一番いいんです」
「それでいくらかは改善されたとのことですが、百瀬さん。在宅ワークとは、ライターやイラストレーターですか?」
「webライターです。女性を応援するコンセプトのサイトで、主に恋愛運や、ファッションについての記事を書いています。だから騒音にはほとほと困ってましたよ。子供の世話をしながら、深夜にならないと仕事が出来ない。死活問題ですが、さすがに殺人までは犯しません。子供と一緒にいたいですから」
百瀬の怒りのこもった眼には、真賢を牽制する力があり、二人は閉まっていくドアを黙って見守るしかなかった。臼井と同様に、百瀬もまた騒音に悩まされ、日々奥田への憎悪を募らせていたに違いないのだが、百瀬は、奥田の死亡推定日時のアリバイがあった。




