第13話 攻略対象
都立桜ヶ丘高校では、試験のあった翌週土曜が休日となるが、それは追試を控えた者にとっては、勉強する場所が自宅や塾になっただけのことだ。勇紀の成績は、試験の結果で言えば平均点程度で、可もなく不可もないといった無難さをキープしている。
今回の中間試験では、英語だけ追試を受けるはめになってしまい、本来なら外出している場合ではないのだが、勇紀はとにかく事件を解明し、宏隆を救ってあげたい気持ちに突き動かされ、真賢といま、ここにいる。
「だからぁ、刑事さんにも同じこと話しましたって」
うんざりした顔で頭を掻いているのは、奥田の隣室203号室の住人、そして通報者でもある臼井絢斗だ。臼井はたびたび奥田と揉める姿が目撃されており、大家の田淵も「騒音トラブル」と認識していた。
「ここは見ての通り、ぼろっちいアパートで、ほんとに最低限の内装なんですよ。テレビや音楽は、なにも奥田さんの部屋からだけじゃありません。反対側の204号室からも聞こえて来ます。俺だって、はじめは我慢してたんです。でも、今年の春よりちょっと前くらいから、さすがに限界ってくらいの音量になって……。それに、だからって殺しませんよ」
「いえ、臼井さん。先にも申し上げました通り、私たちは警察ではなく探偵です。警察より情報収集が難しいぶん、色んな方にお話を伺えればと訪問しています。臼井さんを疑っているわけではないですし、話してくださるだけ、事件の解決が見えてきます」
エテルノ西新宿に行ってみよう、と勇紀が提案した本日早朝、真賢は無表情で、ベーコンを切る手を休めた。本格的に探偵として動き始めようとしているだろうとは、五人でリヴィアに出向いた三日前から感じていたが、勇紀は突発的かつ、行き当たりばったりなのだ。
無言のままフランスパンを千切っていると、バターをつけたばかりのそれを、向かいに座る勇紀がぱくりと口に含んだ。バディを受諾したもの、いや、常に勇紀のサポートをしている自覚のある真賢は、勇紀の頬についたパンくずを親指で払いながら、やれやれと頷く。そして現在に至る。
「四日前の十九日に、『何日か前から異臭が漂っている』と通報されましたよね。なぜ異臭に気づいた時すぐではなかったんですか」
「誰かがすると思ったからですよ。俺は夜の仕事で、帰ってくるのは明け方か、もう少し遅い時もあります。職業柄、酒を飲みますし、昼間は疲れて寝てるので、タイミングが合わなかったって感じすかね。通報した日はちょうど休みだったのと、マジできつい臭いだったんで……。つか、201号室の人がしても良かったんじゃないすか?」
「201号室の鈴木さん宅には、このあと伺う予定です。臼井さんのおっしゃる通り、周辺のどなたでも、通報しようと思えば出来ましたが、やはり皆さん、面倒事を避ける傾向にあるのかもしれません。大家さんによると、九日の夕方を最後に、奥田さんの部屋から音がしなくなったそうですが、それを不審には思いませんでしたか」
「やっと騒音と認めてくれたか、帰省中なのかくらいにしか。ここ一週間以上は見かけないとは気づいてましたけどね」
警察でも探偵でも、通報者に対する目や、質問の内容はほとんど変わらないと推測される。本人の言う通り、飛鷹たちにも同じことを聞かれ、回答したのだろう。グレーのスウェットの上下という部屋着で応対している臼井は、苛立っているらしく、次第に態度が悪くなってくる。
「そろそろいいすか。これから仕事なんで」
もう取り合わないという意思表示か、臼井は二人に背を向け、何度か肩の上で手を振り、自室のドアを開いた。ところどころペンキの剥げたそこに細い指をかけた勇紀は、不快そうに振り向く臼井に、取り繕った笑顔を見せる。
「すみません、最後に一つだけ。奥田さんが推していた『アイドル』についてはご存知でしたか?」
それまで真賢とだけ話していた臼井は、前に出て来た勇紀を見つめ、へぇ、と口元を綻ばせる。臼井の返事を聞くまでの間、勇紀は右手に意識を集中させ、ドアが持つ「残像」を得た。
「君、ハスキーな声でかわいいねぇ。ああ、奥田さんの好きなアイドル? じいちゃんはCDを見せられたりしたみたいだけど、俺はそっち方面には詳しくないから」
「じいちゃんとは、大家さんのことですか?」
「そそ。俺の母方の祖父。ね、君ってまだ高校生かな。卒業したらうちの店に遊びにおいでよ。俺を指名してくれれば、サービスするよ」
臼井は玄関先の台に手を伸ばし、派手な色合いのカードケースから名刺を取り出すと、勇紀に手渡して微笑む。ローズピンクの箔押しで『KAI』と記されたそれは、臼井絢斗の源氏名だ。
「ありがとうございます。考えておきますね」
「ご協力ありがとうございます。ご出勤前に失礼しました」
「はいはい、どうも。警察でも探偵でもどっちでもいいんで、早く犯人を捕まえてくださいね」
最後に勇紀にだけ会釈をし、臼井はドアを閉めた直後に鍵をかけていた。臼井が部屋の奥へと戻った気配を感じた真賢と勇紀は、顔を見合わせ、溜め息を吐き出す。
「いるよねー、男と女で極端に物言いが変わるヤツ。ホストったって、あれじゃ一生ヘルプだろ」
「……勇紀。お前はたしかにかわいい。今でも許したとは言い難いが、バイト先がメイド喫茶なのはいい。しかし、なぜ店以外でも女装をするんだ!」
「コスプレイヤーみたいなものだよ、ちかちゃん。武装すると強気になれるだろ。おれの場合は、こっちでいる時の方が頭が冴えるからかな」
私服のメイド風ワンピースは、勇紀にとても良く似合っているが、だからこそ真賢の気は休まらない。声を出しても、女の子だと間違われてしまう勇紀が、新宿の街でトラブルに巻き込まれでもしたら、自分はどう助けてやればいいのだ、と。
勇紀の性格上、一度やると決めたことは、意地でもやり遂げるのだが、そもそもそこに真賢の力が添えられる前提で計画される。だから心配しなくても、勇紀は真賢のそばを離れないし、勇紀も真賢が思うほど楽観主義者ではない。勇紀は、もっと真賢に信じてほしい、自分を認めてもらいたいと願っている。そのために探偵事務所を二人の住まいに構えたというのに、真賢はいつまでも「事件」をそっちのけにする。
「ちかちゃん、臼井さんの証言をどう思った?」
「全く怪しくないと言えば嘘になるが、奥田さんを殺したいほど憎んでいたとも感じられなかった。ただ、他殺だと断定しているのには違和感をおぼえたな」
一度アパートの階段を降りて、崩れたブロック塀の脇に立つと、真賢は臼井の証言をメモしていく。ふんふんと頷きながら、真賢の手元を覗き込んでいた勇紀は、そこに臼井にもらった名刺を差し込み、自分の意見を述べる。
「だよね。ニュースでは『事件と事故の両面から捜査を進めている』と発表されてるし、その報道を見ていないはずはないと思うんだ。だって臼井さんは通報者であり、亡くなったのは隣の部屋の住人だからね。にも関わらず、真犯人の存在を暗に示すような言い方をしてる。とすると、臼井さんはその人物に早く辿り着いてほしい、のか……?」
「奥田さんが殺されたのだとして、犯人の動機は何だ? ぴろちゃんを守ることか? だがそれが迷惑かどうかは、本人でないとわからない。そして、騒音の件で恨まれていた可能性も、まだ捨て切れないのがやっかいだな。まとめるのは、他の部屋の聞き込みが済んでからの方が良さそうだ」
「そうそう、臼井さんちのドアを見てみたけどね、残念ながら事件との結びつきはなかった感じ。複数の女のひとの出入りと、宅配便、かな。にしても、大家さんの孫だったなんてねぇ。飛鷹さんたちはもう知ってるのかな」
「そりゃあ、通報者の周辺は真っ先に洗うだろう。俺たちも独自の調査をせず、警察と連携出来ればもっと効率がいいんだろうが……。勇紀、お前は『全面協力する』と言ったんだよな」
「うん。おれとちかちゃんがいれば、警察なんかより早く正確に犯人を割り出せると思わない? でも、『絶対に当たる占い』を持ってはいても、おれは一般人だからね。なかなか難しいよ」
空に向かって思い切り手を伸ばし、勇紀は指の隙間から太陽を見て目を細める。奥田が花束を手配していた『フラワーショップ・リヴィア』を訪問した三日前の十月二十日、勇紀は飛鷹という壁にぶち当たり、攻略する必要性を感じていた。
リヴィアでの収穫は、いつまで花束が予約されているのか、それはいつ、どこから行われたのか。主にその二点だった。その日のぶんの花束を男性店員・金井から受け取った宏隆は、最後まで届けてもらうことを承諾したが、それでも複雑そうに店内を見渡していた。
他の客が二名来店したこともあり、十数分の聞き込みのあと、五人はリヴィアをあとにした。新宿駅付近の喫茶店に入り、それぞれが注文したドリンクが揃ったのをみとめると、宏隆はバッグから数枚の紙を取り出し、テーブルの中央に置く。
『飛鷹さん、あの、昨日お約束したメッセージカードです』
『わざわざありがとうございます。拝見します』
飛鷹はカードを手に取り、そこに記された文字を目で追っていく。横から見守っていた西島は、これを受け止めなければならなかった宏隆を想い、顔をしかめた。
花束が届き始めた今月七日、メッセージは「つきあってください」からスタートした。翌日からは「手紙を書きます」「デートしませんか?」「写真を撮りましょう」と続き、十四日には「デートのお返事待ってます」と催促している。言うまでもなく、十四日には奥田は既にこの世におらず、自宅で腐敗を進めていたのだ。それまで、行き過ぎた言動などは見受けられなかった奥田が、突然ぴろに数々の要求をし、店には来なくなった。最後に訪れたという六日から、死亡推定日である九日までの間に、奥田はどこで何をし、また、他者との接点はあったのか。まずその空白の時間を調べることが、事件を解く近道であると思われた。
『理解出来ますか? 男だとわかっている、親子ほど年の離れたメイドに、ここまで夢中になれるって』
俯いたまま、組んだ自分の手を見下ろし、宏隆が独り言のように呟く。奥田ほどではないが、熱心に自分を推す数人の客を思い出し、勇紀は疲れたようにまぶたを伏せた。




