第12話 嫉妬心
勇紀がいつものように店に入ると、中央のステージ付近に大きな花が生けられていた。本来なら、ショーのある日の開店前に準備されるのだが、定休日を利用したダンスレッスンに出向くキャストの士気をあげようと、丸山が気を遣ったようだ。
「すっげー! なんか矢崎さん、今までで一番気合入ってませんか?」
「もちろん。だって、ショーはキャストの子がメインだからね。俺の生け花を熱心に見る客なんかいないよ。それより、俺はふとんちゃんにこの作品を届けたいんだ」
「またー、そんなこと言って。でも、本当に綺麗です。圧倒されます。今度、矢崎さんのライブにも行ってみたい」
「いつでもおいでよ。もし本気でそう思ってくれるなら、チケットも用意するし。ぴろちゃんと一緒に来る?」
「あー、いえ。もちろん本気ですが、チケットはちゃんと自分たちで手配します。兄の休日とも照らし合わせて、きっと近いうちに」
会話が途切れ、矢崎が再び花を手にする。喫茶店内に飾るものという制限があり、矢崎の本来の力が発揮出来ているとは言いがたいが、それでもひときわ目を引く鮮やかさだ。
赤や黄色、橙色といった暖色に、ところどころ緑が入っている。矢崎が演じる『華道ライブ』では、生け花がより引き立つよう、やや大げさなライティングが施されるが、それがなくとも、花は扱う人の愛情によって凛と咲くのだと、勇紀は実感した。
フラワーパフォーマーとして、華道ライブを生業としている矢崎は、昨年十月のブルージュリアン新装オープンから加わったスタッフで、月に二回ほど、ショーが行われるステージ横で、フラワーアートを行っている。華道には詳しくない勇紀だが、矢崎の創る作品には関心があり、ちょうど先日、真賢とライブの話をしたばかりだった。
「ふとんちゃん、お兄さんがいるんだ。やさしい?」
「まぁ、はい。やさしいって言うか、私に甘いですね」
「それは仕方ないでしょう。なるほどなるほど、お兄さんか」
矢崎が最後の一本を中央に挿し、目を閉じて花の香りを吸い込む。においが殺し合わないよう、バランスよく生けられた花々は、何から何まで完璧だった。勇紀は、矢崎の作品のそばで踊る自分を想像し、やっとレッスンのことを思い出した。
「ふとんさん! いらしたのなら、さっさと着替えてきてくださいまし! 新しい振り付けで踊るのは、明後日からなんですのよ。ナンバーワンのふとんさんがマスターしていないなど、言い訳出来ませんわ!」
すべての窓に長いカーテンをかけ終えたパン子が、高い声で喚きながらずんずんと勇紀の前まで進んでくる。これからダンスレッスンを始めようというのに、いつもの縦巻きロール、いつものメイクを崩さないパン子は、さすが天職を得たと言うだけあると、心から関心してしまう。
「パン子ちゃんんんん……! もちろん今回だって手を抜きませんわよ!」
「勘違いしないでくださいませね。わたくしがいつ、ふとんさんを疑ったというのでしょう。わたくしたちは、プロの男の娘メイドですわ。それぞれの役割を見極め、お客様をおもてなしするために、こうして集まって練習しようとしているのです。ふとんさんは学業との両立を余技なくされている中、本当にブルージュリアンに尽くしてくれていると、感謝しております。わたくしもおもちさんも、ふとんさんを引き立たせられれば、それで良いのですから」
「だめだよ! 何のためのキャラクター分けなの? 男性客女性客、好みは人それぞれなんだよ。だからパン子ちゃんも、おもちちゃんも、もうふちゃんもいるんじゃん! 私はぱっと目につきやすいだけで、特技の占いがSNSでバズっただけ。たまに負担に思うこともあるよ……。でもね、やっぱりこの仕事が好きだから」
パン子の瞳は、アクアマリンのように透き通るブルーで、勇紀はそれを見ていると、どこか別の世界にいるような感覚になった。きっと、ブルージュリアンに依存する客の多くがそうなのだろう。日常に疲れ、癒しや夢を求めて、予約が取りづらくなってもなお、ここでしか味わえない幻を掴みにやって来る。中には、生身の男の娘にちょっかいを出したい欲がミエミエの男もいるが、そういう不快な客は、すぐに丸山が追い払ってくれる。おかげで、キャストが大きなストレスを抱えることなく、それぞれ自分らしく働けているわけだが、ここへきて勇紀は、宏隆が背負っていた重荷についてが心配になった。
「ありがとうございます、ふとんさん。わたくしも、このお店が、仕事が好きなんです。だから自分のするべきことを果たしたい……。それは、わたくしのエゴでもあるのですわ。わたくしがキャストとしてお店に立てるのは、もうあと数年。引退までに、経営者になるための勉強をしておきます。わたくしはいつか支配人になりますから、どうかふとんさん。ずっとブルージュリアンを愛してくださいませね」
「パン子ちゃん……!」
「ふとんさん……、早く準備を」
「はい」
パン子の圧に押され、勇紀は更衣室へと走っていった。その場に残ったパン子が、やれやれと肩を竦めると、二人のやりとりをそばで見ていた矢崎は、何がそんなにおかしいのか、腹を押さえて笑い出す。
「矢崎さん! 笑うところではございませんわ。ふとんさんは人気が実力に見合っておりますし、ここはお給料がいいですから、長く続けてほしいのです。ただちょっと、遊び半分というか……。ふぅ。わたくしの気はいつ休まるのでしょう」
「まぁ、その方が高校生らしくていいじゃないですか。ふとんちゃんの魅力は、かわいくて、絶対当たる占いなんていうすごい特技を持っていても、全く調子に乗らない素直さだと、俺は思いますよ。誰とでもすぐに仲良くなっちゃいますしね」
「ええ。ふとんさんが入ってから、キャストがまとまったと実感しております。純粋で情に厚く、みんなに愛される、完璧なまでの男の娘メイドですわ。だからこそ心配なのです。ぴろさんを思いやるあまり、ご自分まで弱ってしまわないかと」
「……大丈夫ですよ。ふとんちゃんは、みんなのふとんちゃんなんですから」
矢崎はそう言うと、片づけ始めていた自身の仕事道具の中から、使わなかった一輪の花をパン子に差し出す。パン子の髪に似た色の薔薇は、丸くて愛らしかった。
「花言葉は、よくないのもあるんですけどね」
「花は見た目が第一。わたくしは目に見えるものしか信じませんわ」
やや硬く、しっかりとした花弁の黄色い薔薇を胸元に抱き、パン子は矢崎に一礼をして、奥の部屋へと消える。矢崎の周囲では、着替えの済んだキャストがテーブルを端に寄せたり、マットを敷いたりと準備を進め、矢崎の生け花を目の端に入れては、嬉しそうに微笑んでいた。
毎月第一火曜、第三木曜は、ブルージュリアンの定休日だ。その定休日には、ショーのためのダンスレッスンが行われるのだが、総勢三十人ほど在籍するキャストが一度に店内に入れるはずはなく、二時間ずつのタイムスケジュールが組まれている。
学校帰りにそのまま店にやって来る勇紀は、夕方六時から八時までのシフトだ。接客がないレッスン日でも給料は支払われるし、わずかだがボーナスも出る。もともと火曜日と木曜日は出勤日のため、そして、振り付けを間違えずに踊り、客を楽しませるため、勇紀はレッスンに欠かさず参加しているのだった。
勇紀と同じ時間帯に来ているのは、パン子ともうふだった。本来なら、ユニットを組んでいるぴろと合わせられたらよかったのだが、宏隆は今日は都合が悪いということだ。
昨日、飛鷹や西島と共に『フラワーショップ・リヴィア』を訪問したが、事件の情報が出て来るたびに、宏隆は傷つくのだと、勇紀は悲しくなった。奥田がネットから予約した花束のプレゼントは、まだあと二週間も続くのだ。すでに亡くなっている人からの花束とメッセージを、宏隆は受け取り続けなければならない。
生きているうちに、店で直接話せるうちに、もっとやさしく出来なかったのか。宏隆の性格なら、そう自分を責めていることだろう。
ブルージュリアンで働く男の娘メイドとして、客に優劣をつけるような行動や態度を取ってはならない。まだ高校生だとしても、宏隆だって店のコンセプトや性質は理解しているだろうし、何より勇紀より先輩なのだ。きっと自分が思うほど、宏隆は子供じゃない。わかってはいるが、それでも勇紀は、どうしたら宏隆が早く元気になるかを考える。一人で考えても埒が明かないから、真賢に相談する。
『ねぇちかちゃん……、さっきさ、ぴろちゃんに渡された花束を読んでみたんだ。何が見えたと思う?』
『生前の奥田さん、か?』
『そう。花束じゃなくて、正確には外側のフィルムに残ってたんだと思う。何度もリヴィアに足を運んでたみたいなんだ、奥田さん。飛鷹さんが写真を見せたら、戸松さんも覚えてたよね。贈られる側にしてみたら、花束ってちょっと迷惑だったりもするんだけど、でも、なんで。そんなにぴろちゃんが好きなのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろうね……』
昨日の帰宅後、勇紀は洗い物をする真賢の背中にすがって、静かに話した。真賢はそれきり何も言わず、ただ勇紀の息遣いを近くに感じていた。
普段は薄い遮光カーテンなのに、ネイビーの暑苦しい色合いで店内を覆い隠すのは、レッスンの様子を覗き見されないようにだ。それは、明後日に初披露される、新曲とダンスを動画に撮られる危険性を避ける目的でもある。
「あら、カーテンが少し開いていますわね。ごめんなさい、中が見えるほどじゃないと思いますけれど」
「私、閉めて来ますね!」
「すみません、ふとんさん」
窓の一番近くにいた勇紀が、分厚いカーテンを掴み、左右を合わせようとした時だった。ふいに不穏な気配を感じた勇紀は、おそるおそる下に視線を落とし、ぞっとして息を止めた。アニメニアの入口からすこし道路に出たあたりから、痩せ細った猫背の男がこちらを見ている。それは、奥田に強い嫉妬心を抱いていたと思われる、奥田の「同担」のレメロンに違いなかった。




