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五章 変わっていく絆と印象

 十月、大規模な模擬戦「一花繚乱の模擬戦」がユースティティア領にあるフィデア平原で行われるとディアーに言われた。なぜユースティティア領にある平原で行うのか、それは女神の血筋を引いている唯一の貴族だからという理由らしい。

「アイリス先生、救っていただきありがとうございました」

 チェリーが頭を下げる。ディアーも「改めて礼を言わせてくれ。君のおかげでチェリーが助かった」と告げた。アイリスは「当然のことをしただけです」と首を横に振った。

「ただ、結局「死を誘う者」の正体が分からずじまいで……」

「いや、いい。チェリーとアンジェリカ先生が無事ならばあとからでも調査は出来る」

 エペイストは今だ戻ってきていないようだ。アネモネはキキョウを連れて帝国に戻っているというし、ユーカリはユースティティア領主ヨハンに会いに行かないといけないようだ。グロリオケも祖父が床に臥せていて一度戻らないといけないらしく、級長がいないという少し異例になる十月だそうだ。もちろん、課題の日には戻ってくるようだが……。

 とにかく、出来ることをしようとアイリスは残った生徒達を指導するのだ。



 ユーカリはユースティティア家の屋敷・ディユルオーゴに来ていた。

「ユーカリ殿下、よくぞいらっしゃいました。父はこちらにおられます」

 出迎えたのはヨハンの息子テレンス。彼はヨハンの妻の忘れ形見でまだ若いが、刻印がないために領主になれないのだ。

「その、姪……シンシアは戻ってこないのですか?」

「えぇ。シンシアはまだ戻れないと言っていて……あんなことがあった後ですから、まだ心の整理がついていないのかもしれませんね」

 次期領主の権利がある彼の姉の娘は平民として今はなき村に住んでいたのだが、何者かに襲われ死んだものだと思われていた。だが、今も旅人として生きていると分かったのでヨハンは何度か呼び戻そうとしている。当の本人はやりたいことがあるからまだ待ってくれと言っているようだ。最初の頃は爵位を継ぐつもりはないと言っていたので、戻って来ようとしている分まだ進歩しただろう。

 ユーカリは一度、シンシアと会ったことがあった。まだ彼女が赤子の時、母に抱かれて秘密裏に王城に連れてこられ父アルバートと会っているところを偶然見かけたのだ。それに気付いた父は「この子はお前の妹分だ。大きくなった時、お前を支えてくれる者になるだろう」と言われたことを覚えている。シンシアは金髪に碧眼……自分によく似ていたと記憶している。元々、ユースティティアの者は王家と容姿がよく似ているのだが、シンシアはユーカリが女性になったらこうなるだろうという姿だった。

「一応、来年の四月には戻ってくるつもりだと聞いていますよ」

「そうなんですね。……彼女、女神の力を授かったと聞いています」

「そうですね、わたしも詳しいことは知らないのですが……」

 ユースティティア家は秘密が多い。中には当主と次期領主しか知らない内容もあるのだ。だから、テレンスは何も分からないというのもおかしくはないのだ。

 執務室に入室すると、そこには初老の男性が座っていた。彼が現当主のヨハン=リアトリス=ユースティティアだ。

「わざわざ申し訳ない、ユーカリ殿下」

「いえ、私も色々と頼りきりで……ルドルフ以外にはどうしても頼れず……」

「いいんだ。私も国務代理を務めることが出来なくて本当に申し訳ない。孫娘……シンシアがいてくれたなら、任せることが出来るんだがな。何しろ旅をしているものだから、どうしても任せられず、殿下の伯父殿に任せるほかなく……ただ、いろいろとアドバイスはくれていて解決方法も手紙で送ってくれている。これを参考にされてみてはいかがだろうか」

 ヨハンはシンシアからこうしたらいいのでは、というアドバイスが書かれた手紙を渡した。ユーカリは受け取り、「ありがとうございます」と頭を下げた。

「テレンスも言ったと思うが、シンシアは来年の四月に戻ってくる予定……ではあるが、どうなるか分からないと先日手紙をもらった。もしかしたら殿下が王位に即位すると同時に戻ってくる可能性もある。……だが、教養はあるからすぐ頼れるだろうと思う。もし戻ってきたら、妹として構ってあげてほしい」

「……分かりました。恐らく、私は彼女に頼りきりになるでしょうから」

 まさか、ゆくゆくはシンシアと結婚しろというのだろうか?確かに身分的にふさわしいが……自分には好きな人がいる。その人は諦めないといけないのか?そう思ったが、それが伝わったらしい。ヨハンは笑う。

「なに、私はシンシアを妃にしろ、とは言わない。あの子だって、それは望んでいないからね。王族貴族は政略結婚も多いが、シンシアは殿下には好きな方と結ばれてほしいと願っている。もちろん、私もだ。……私は平民の女性を大公爵夫人として迎え入れた。周囲は反対したが、それでも私は彼女と生涯を共にしたいと願った。だが、私達はなかなか子宝に恵まれず……私が四十を過ぎた時にようやく娘を授かった。それがあの子の母親だった。テレンスを産んだ時に私の妻は亡くなってしまったが、それでも幸せだった。……もし殿下が好きな女性とご結婚されるという時、誰かが反対するのなら私が味方する。シンシアもそのつもりだ。だから安心してほしい」

 確かに、大公爵が一声言えば貴族達は従う他ないだろう。それで父も何度も助かったと言っていた。……自分達王族はユースティティア家に支えてもらっていると言っても過言ではない。

「……二十五年前に私の側仕えの騎士が大修道院に行ってね、その四年後に彼にも子供が生まれたそうだ。だが、何かあったみたいで教団から抜けたみたいだ。――どうやら子供が少しおかしくてね。生まれた時から泣きも笑いもしなかったそうだ。そしてそれはシンシアもだったんだ。それについてシンシアは調べているらしい」

 なるほど、何か手掛かりが欲しいのか……。だが、泣きも笑いもしない……ユーカリの頭には担任教師の顔が浮かんでいた。今でこそそれなりの表情を見るようになったが、出会った当初は眉一つ動かさぬ人形のようだった。

「それにしても……その格好を見ると娘を思い出す。娘も級長として皆をまとめていた。まさか大修道院にいる間に子供を産むとは思っていなかった」

「エステル嬢ですね。私はよく知りませんが……」

「殿下はその時四つで、エステルは殿下が生まれた時には大修道院の士官学校に行っていたから、シンシアを連れて行った時会ったぐらいだろう」

 ユースティティア家はその家柄から、子供が生まれた時には王家に顔を出さなければならないという決まりがある。だが、シンシアは帝国の身分が高い者の子でもあったので協議するために五歳までは平民として過ごすことになったそうだ。その後、母が領主になり嫡子として表舞台に出るハズだった。

「ラメント村が誰かに襲われてなければな……今頃殿下を支えていたハズなのだが。本当に申し訳ない。だが、シンシアも命がらがら生き残った。許してやってほしい」

「それを責めるつもりはありませんよ。むしろ、無事だったことを喜ぶべきです」

 事実、本当なら村人全員死んでいてもおかしくはなかった事件だ。むしろ、当時五歳だったシンシアが生き残っていたのは奇跡なのだ。

「だが、シンシアは髪色と瞳の色が変わってしまって、今は別人のようになっている。もしかしたら、一目ではシンシアと分からないかもしれない」

「そうなのですか?私の記憶では自分とよく似ているのですが……」

「女神の力を得た時にね。背もかなり伸びたようだ、他の人からは少年のように見えるらしい。ユースティティアの者は身長が高い者が多いから。そういった特徴を覚えていてくれたら分かるかもしれない」

「なるほど……覚えておきます」

 少年のように見える……ヴァイオレットを思い出すなと思った。

「わざわざ来てもらってすまなかったね。だが、秘密裏にやらねばいけなくて」

「秘密裏に?なぜですか?」

「……孫娘からの情報だ。殿下のお命を狙っている輩がいると。本来なら私のところかルドルフ殿のところに身を寄せてほしいと言いたいところだが、学業がある。その間はシンシアも目を光らせておくと言っていた。私の方でも王都に使者を送り、調べてみるつもりだ。もし何かあった時は、助けに行くともいう書面ももらっている。これを持っていてくれ」

 ヨハンはユーカリに先程とは別の、青い印がついた手紙を渡した。恐らく、分かりやすくするためだろう。

 ユーカリはその手紙を読む。

 ユーカリ殿下。直接会うことが出来ず、このように書簡で送ることになったことは申し訳ありません。ですが、裏で暗躍していると知られると困るので祖父に手紙を送りました。

 今、王国は政治が安定していないことはご存じでしょう。その中で、国を乗っ取ろうと目論んでいる輩が現れ始めています。そして民は、その輩に従う他ないのです。私も働きかけるつもりですが、それも長くは出来ないでしょう。

 もしものことがあった場合、私がすぐに駆け付けることが出来るように手紙に同封している魔法石を常にポケットに入れていてください。それは危険を探知出来るもので、殿下の身に何かあった時、私に教えてくれるものです。

 どうか、殿下がご無事でいられますように。私はいつでも、協力する所存です。

シンシア=ブルーローズ=ユースティティア

 内容はそんなものだった。封筒を見ると、確かに小さな青い石が入っている。見た目は本当にただの石だ。これが魔法石だと誰も思わないだろう。

「シンシアは私達より魔法が使える子だからね、こういったこともお手のものだろう。どうか、あの子の指示に従ってくれ」

「分かりました」

 ユーカリは魔法石をポケットに入れた。少し温かい気がする。

「ありがとうございます。シンシアにも、かわりに礼を言っていてください」

「いや、殿下がご無事であればそれでいいと言っていた。それはどうか、いつか会った時にご自身の口で言っていただきたい」

 今日はもうお疲れだろうから、と傍にいた使用人にユーカリを部屋まで連れて行くよう言った。

 ユーカリが執務室から出ると、ヨハンは「シンシア」と孫娘の名前を呼んだ。すると、隠し部屋から少女が出てきた。彼女は気付かれてしまってもいいように動きやすい青のドレスを着ていた。これは彼女の母エステルがかつて着ていたドレスで、シンシアもエステルと同じく身長が高く、また自分のものがないため使わせてもらったのだ。

「はい、おじい様」

「本当によかったのか?殿下にお会いしなくて」

「えぇ。……私にはまだやることがありますから。まだ、正体を気付かれるわけにはいきません」

「そうか……。しかし、急に呼び出して悪かったな。テレンスにも内緒でここに来るのは苦労しただろう」

「いえ、隠密行動は慣れていますから」

 ヨハンは孫娘の頭を撫でる。少女は少し照れくさそうにしながらそれを受けていた。

「……すまない。全て、お前にやらせてしまって」

「大丈夫ですよ。それに、今、ユースティティアの者で動ける者は私しかいませんから。私も、おじい様にはいろいろと頼んでいますし、これぐらいはしますよ」

 シンシアはいつもの服装に着替え、窓に足をかける。

「もう行くのか?」

「はい。……もし、何かあった場合はすぐに連絡しますから。もしかしたら流浪の旅をすることになるかもしれませんし……おじい様も知っていると思いますが、五年に渡る戦争が始まりかけていますから、出来ることはしておきたいんです」

「そうか。……気を付けて行ってこい。私は、お前の帰りをいつまでも待っているからな」

「はい。行ってまいります、おじい様」

 シンシアは窓から飛び降りた。三階だったが、彼女にとっては関係ない。華麗に着地し、誰にも気付かれないように走り去った。その様子を、ヨハンは窓から見届けていた。



 帝国領のとある場所にて。

 モルスと無機質な仮面を被った赤いマントの戦士――帝王が話をしていた。

「……そうか、例の義賊が……」

「はい。ただ、彼女も教団の被害者である可能性が高い。教団と手を組むつもりもなさそうですし、彼女を狙うのは筋違いかと」

「なるほど。私も教団によって人生を狂わされた。そういうことなら、彼女は始末しなくても構わないか」

「やはり「闇に生きる者」と手を組み、隙をうかがうのがいいでしょう。そして、反撃の狼煙を上げ、「人間の世」を取り戻すべきでしょうね」

 モルスの言葉に帝王は考え込む。

「……私達の計画でイレギュラーが起こったと言えば、アイリスとその義賊だ。きっと、我々の仲間になってくれたならとても心強い人材だろうな。少なくとも、アイリスからは不思議な力を感じる」

 しかし、それは同時に叶わぬ願いだとも分かっている。なぜなら、自分達がこの先やろうとしていることは教団を裏切る行為だからだ。アイリスが賛同するわけがない。

「お前はついてきてくれるか?我が覇道の道に」

「もちろんです。俺はあなたに忠誠を誓った身、全ては教団を倒すために教団の中に潜入していたのですから」

「得られた情報は?」

「アヤメが禁を犯していた……ということですね。それによって多くの女性が亡くなったそうです。……そうして生まれたのがかの教師かと」

 つまり、アイリスは父が騎士団を抜けた後に生まれたのではなく、修道院で生まれた、ということだろうか。

「根拠は?」

「アヤメはアイリスに異常なまでの執着を見せています。アルフレッドが不在の間に手記を拝見いたしますと彼女は、心臓が動いていないのだそうです」

「心臓が動いていない?生き物である限り、それはあり得ないだろう」

 まさか、化け物でもあるまいし。冗談で言っているのだろうと思ったが、彼は至って真剣だ。

「しかし、確かにそう書いてあったのです。それゆえか、泣きも笑いもしない、産声すらあげぬ赤子だったと」

「……確かに、今でこそ感情の起伏が分かるようになったが、最初の頃は感情を全く出さぬ人物だったな」

 なら、アイリスは本当に……?モルスは冗談を好む人物ではない。また、修道院に来た当初のアイリスを知っているから真実と思わざるを得なかった。

 だとしたら、あの時は感情を「出さなかった」のではなく、感情が「なかった」のか?

 そうなると話は変わってくる。彼女は生まれた時から人間として必要な「感情」がなかったということになるのだ。

「それから、アルフレッドの手記には菫色の髪の少女も書かれていました。彼女もまた、心臓が動いていないのだと」

「……心臓の動かぬ者が、二人……女神も、二人……まさか……二人は「女神の器」、なのか?」

 帝国の記録に記されていた予言を思い出す。戦争が起こる時、女神達も再臨するだろうと。そしてその時、「器になりうる人物」が現れるのだと。二人は他人とは違う特徴を持っている。それがもし、これだというのなら……。

「……もし、女神が既に再臨していたとしても我々がやることは変わらない。たとえ悲願が果たされることがなくとも」

 帝王の覚悟は、生半可なものではない。その程度でやめるような、そんな思いで教団に反旗をあげるわけではないのだ。

 ――「女神が司る世」から「人間の世」に戻すために。

 自分がされたことを思い返すと、吐き気がする。いわゆる「人体実験」をさせられ、自分は変わってしまったのだ。きょうだいは全員死に、たった一人だけ生き残った。帝王にとって、アヤメに従う理由がなかった。ただ、体面よく従っているように見せているだけで。

 他の誰から、どう思われてもよかった。だが、アイリスからだけは、嫌われたくないと思った。ずっと傍にいたいと思う程に。そう感じる何かが、彼女にはあった。

 だが、知っている。隣に立つことは許されないのだと。

「……だけど、せめてその時までは、傍で笑っていられるように」

 帝王は誰にも聞こえぬような声で呟いた。



 一花繚乱の模擬戦の一週間前、級長達が戻ってきた。

「悪かったな、長らく空けていて」

「別に構わない。何か用事だったんでしょう?」

「あぁ。ヨハン殿に呼ばれてな……シンシアから手紙が来ていたらしい」

「シンシア?」

 始めて聞く名前だ。ユーカリは「あぁ、そういえば名前は言っていなかったな」と反応を見て気付く。

「ヨハン殿の孫娘だ。前も話した次期領主の権利がある子だな。「シンシア=ブルーローズ=ユースティティア」。どうやら来年の四月、俺達が卒業した後に戻るつもりらしいが……どうなるかは分からないらしい」

「あ、戻るつもりなんだね」

「心境に変化があったのだろう。実際、俺が入学する一か月前に行った時はまだ戻らないと言っていたらしいからな」

 たった数か月の間に、どんな心境の変化があったのか。そもそも、なぜ戻るつもりはなかったのか。それが気になるところだ。

「……そういえば、そのシンシアって子のミドルネーム、花の名前なんだね」

「あぁ、ブルーローズ……「青いバラ」だな。ユースティティア家の者はミドルネームを誕生花から取ることが多い。実際、ヨハン殿もミドルネームは「リアトリス」だからな」

「へぇ……ちなみに、青いバラの花言葉は?」

 単なる興味だった。ユーカリは確か、と考え込み、

「「不可能」、だったハズだ」

 そう答えた。

「なぜ?」

「青いバラはこの世にないんだ。だから、花言葉しかない」

 だが、もし青いバラがこの世で咲くようになった時、それは「神の祝福」であり「奇跡」と呼ばれるだろう。

 ユーカリはそう言った。なら、シンシアは「神の祝福を受けた者」という意味合いで「ブルーローズ」とつけられたのかもしれない。そう言うと彼は笑った。

「そうかもしれないな。何しろシンシアは「女神の生まれ変わり」と言われているからな」

 それはもう、彼女の母にしか分からないが、とユーカリは苦笑いを浮かべた。

 それにしても、「女神の生まれ変わり」……ユースティティア家は女神の血筋らしいし、そんな子が生まれてもおかしくはないと思うがアリシャ教と関わってこなかった自分としてはやはり不思議だ。なぜそうして女神を求めるのかということが。

「ふむ……人間とはそんなものではないのかの?」

 アモールが頭の中で話しかけてきた。そうかな?と聞き返すと「よく分からぬが……」と困ったように言った。

「人間とは、神がいると信じるから助けを求め、縋ろうとするのではないのか?女神とて、万能ではないのにの……」

 どこか知ったような口調で話すアモールを不思議に思うが、「先生」とユーカリの声によって我に返った。

「どうしたの?ユーカリ」

「今度の一花繚乱の模擬戦、絶対に勝とう」

 その瞳は全体的な信頼を寄せていた。それに応えようとアイリスは誓った。



 休みの日、ユリカとネモフィラが買い物につき合ってほしいと言ってきた。二人共他学級なので少し悩んだが、これを機に仲を深めることが出来るかもしれないと了承した。

「あたし、先生と話してみたかったんですよ。ほら、あたし達って違うクラッスですし、なかなか話す機会がなくって」

「私もです。私、ローズルージュクラッスの中で唯一の平民ですから」

「あぁ、ユリカはそうだったね。確か、帝国にある劇場の歌姫だったかな?」

 ネモフィラは同盟の貴族ではなかったか。国という概念を持っていなかったのでよく分からないが、それなりに高い身分だった気がする。

「二人は仲がいいの?」

 尋ねると、二人は頷いた。

「私、本当は貴族って嫌いなんですけどね。士官学校に来ている人達は平気なんです」

「あたしは爵位っていうのが嫌いで。貴族って肩書きが重いんですよ。あたしの場合、兄が爵位を継ぐつもりだからまだマシなんですけどね」

 やはり、その人によって価値観は違うようだ。

 そうしている内に洋服屋に来た。ここは前にユーカリやヴァイオレットと一緒に見たところだ。まぁ、どちらかと言えば武具専門店を見ていたのでほとんど見ていなかったのだが。

「あ、これ先生に合いそうじゃありませんか?」

「この色もよさそうですね」

 数分後、なぜか二人の着せ替え人形にされていた。自分達の買い物に来たのでは……?と思ったがあえて言わなかった。

 夕方、二人は満足そうに帰路に着いていた。アイリスはと言えば珍しくクタクタだ。

「先生って何でも似合うから、とても楽しかったです!」

「今度は食事に行きましょうね」

 だがまぁ、二人が満足したならそれでいいかとアイリスは思った。



 模擬戦の三日前の講義後、散歩をしているとエメットが紙に何かを描いていた。

「……エメット、何を描いているの?」

「うわっ!アイリス先生!?えっと、これは……」

「女の人、みたいだけど、モデルがいるの?」

 エメットは頬を染めながらあたふたしているが、「その、これは僕の思う女神様なんです」と照れながら言った。

「女神……なるほど、確かに神秘的に見える。それにしても、緑色の髪なんだね」

「そうなんです。女神様は二人おられるんですけど、姉が緑色の髪で妹が菫色の髪なんですよ。神話によれば、武神である妹の方が、背が高いみたいで……」

 彼は目を輝かせて女神について語り出す。かなり信仰深い子らしい。

「……そうなんだね。女神か……私は考えたこともなかったな」

「そういえば先生はアリシャ教とは無縁だったんですよね。女神様の神話がモデルの絵画ってたくさんあるんですよ」

「そうなんだ。それはぜひ見てみたいね」

 どうやら彼は同盟で営んでいる豪商の次男で、兄が店を継ぐから自分は騎士になるよう言われたらしい。だが、エメット本人は画家になりたいようだ。

「画家……いいね。こんなに上手なんだから、きっとなれるよ」

「あはは……ありがとうございます。そう言ってくれるのは先生だけですよ。でも、父は許してくれないでしょうね……」

 エメットは寂しそうにそう呟いた。アイリスは考え、

「……じゃあ、今度私に一枚くれないか?部屋に飾りたい」

「え、でも僕の絵なんか何の価値もないのに……」

「私が欲しいと思ったからもらうんだよ。駄目かな?」

「い、いえ!誰かに僕が描いた絵を飾ってもらえるなら嬉しいです!」

 では、今度持ってきますね!と彼は笑った。



 そうして模擬戦の日。フィデア平原でそれぞれの学級が定位置に着いた。

「これより、「一花繚乱」の模擬戦を始める!」

 ディアーの掛け声と共に雄叫びが響く。今回はそれぞれの国の次期後継者が集まっているということでヨハンも来ていた。その隣には付き添いの者なのか、目元までフードを被った人物がいた。素顔は伺えないが、少年……だろうか?腰に細身の剣を携えている。あの剣、どこかで見覚えが……。

「我が孫娘がこの場にいないことが誠に遺憾であるが、それぞれの実力を発揮してほしい」

 ヨハンの言葉を聞き、戦闘態勢に入る。

 模擬戦が始まる。アイリスは指示を出していった。

 結果から言って、オキシペタルムクラッスは勝った。アイリスとユーカリがヴァイオレットから教わった戦術で攻めたからだ。

「まさか、同じ相手に二度も負けるなんてね……」

 アネモネは少し悔しそうだった。グロリオケは相変わらずの笑みで感情が読み取れなかった。

「ほんっと、先生はすごいよ。こちらの進軍を先読みしているみたいだったぜ?」

「いや、私だけの力じゃないよ。皆が協力してくれてこそだ」

 アイリスのその言葉にユーカリは感動した。同時に、惹かれていくのも自覚する。

 だが、自分にはやらねばならぬことがあるのだ。だから、この想いに蓋をしなければならない。

「いや、グロリオケの言う通りだ。先生は本当に俺達を導いてくれる」

 どす黒い感情を、笑顔で隠す。彼女に報いるためには、こうするしか出来ないのだから。

 そしてどうか――。

 自分なんかのために、その身を費やさないでくれ。こんな、偽りの姿しか見せていない自分のために彼女が「こちら側」に落ちる必要はないのだ。こんな、「死者の声」が吹き荒れる世界に。

 なぜなら、お前は――俺の唯一の光だから。


 夜、最初の時と同じように祝勝会を開く。

「先生、今日は本当にありがとうございました!」

 サライが飲み物を渡しながらお礼を言った。それに続けて他の人達も「ありがとう」と告げる。

「もう、先生がいないオキシペタルムクラッスは考えられないですよね」

「そうね~。かけがえのない一員だもの~」

「そんな大げさな……」

 メーチェとアンナの言葉にアイリスはそう言ったが、アドレイが「大袈裟じゃないですよ。先生がいなかったらここまでやってこられませんでしたから」と答えた。

「あぁ。先生がいなければ殿下を守る手段が増えなかっただろう」

「鍛錬の相手が増えて助かっている」

「フィルディアは素直じゃないなー。本当は一緒にいられて嬉しいくせに。あ、もちろん俺もそうですよ」

 生徒にそこまで言われ、アイリスは僅かに頬を染めた。どこか照れくさくて、だが嬉しいとも感じて……。

「先生、卒業まであと半年だがこれからも導いてくれ」

「もちろんだよ。こちらこそよろしくね」

 だが、この約束は果たされることがないと誰も知るよしがなかった。



 ヴァイオレットは王都の民に反逆者達に負けるなと言っていた。

「ユーカリ殿下が戻ってこられるまで、耐えてください。きっと、彼ならこの状況を変えてくださる。それに、私もベネティクト神聖王国の民の一人だ。惜しみない協力をしよう」

 しかし、民は浮かない顔をしていた。当たり前だと、ヴァイオレットは思った。なぜなら、その反乱軍の首謀者はかつて王国を守った女魔導士だからだ。誰だって、敵いはしないと分かっている。

 その時、後ろから首を掴まれた。屈強な男がヴァイオレットを捕らえたのだ。

「貴様か。愚民共に余計なことを吹いて回っているのは」

 目の前に立った恐ろしい形相をしたこの女こそ、反乱軍の首謀者だ。

(動けない……)

 首を強く絞められ、呼吸すら出来ない。ヴァイオレットは震える手で隠していた短剣を掴み、男の腕に刺した。

「……っ!」

 その痛みに男はヴァイオレットを離し、腕を押さえつけた。ヴァイオレットは目の前の女魔導士――アマンダを睨みつけた。

「お前、何の権利を持ってこんなことをする?お前の行為は、国を裏切ったも同然だ」

「貴様には関係ないだろ?民想いの義賊様」

「関係ある。なぜなら、私は――」

 その名に、アマンダは目を見開いた。



 十一月、「死を誘う者」の情報が手に入ったとディアーから聞いた。どうやら謎の集団と関わっているようだ。

(謎の集団……)

 前にヴァイオレットから聞いた、「闇に生きる者」だろうか?それは分からないが、可能性として頭に入れておこう。

 とにかく、今度はどこが狙われるか分からないので今は保留となっているそうだ。それから、今度の課題は騎士団と共闘で、アルフレッドも一緒らしい。

「アルフレッド殿と先生の共闘か……。久しぶりに見るな」

「あぁ、そういえばユーカリ達が助けを求めに来た時以来だったね」

 アイリスからすれば傭兵の時はいつも一緒に戦っていたのでそこまで珍しくはないのだが、生徒達にとってはそうではない。騎士団長とその娘の共闘、となるとここまでの勉強はない。ユーカリからすれば、さらにヴァイオレットもいてほしかったが、そんなことは言えない。

「あの菫色の少女は来ないのか?」

 フィルディアがそう言ったのでシルバーは「なんだ?お前がそんなこと言うなんて珍しいな」と笑った。

「もしかして、惚れたか?」

 シルバーがからかってきたので、フィルディアはキッとにらんだ。

「武術の才能にな。先生もそいつも、勉強になる。特にそいつは己に合った戦い方を知っていたからな。くだらん形にはまらない戦い方が応用出来るかもしれないと思った」

「ヴァイオレットか。俺も戦い方が参考になっている」

「猪と意見が合うのは気に食わないが……その通りだな」

 そんな風に話をしている間、アドレイは何かを思い出していた。

 菫色の、少女……。昔、まだヒイラギ卿に拾われる前のことだったか。自分より幼い少女に助けられたことがあった。弟妹達に食べさせなければならず、盗みを働いていたがその時は真冬で他にも寒さに耐えなければならなかった。もう少しで凍え死にそうだというその時、温かな上着をかけてくれた。それが菫色の少女だった。その少女は旅をしているらしく、近くの洞窟で暖を取るからと自分達を連れて行ってくれた。そこで、温かなスープをもらった。自分の食糧であろうに、それを惜しみなく赤の他人に分け与えたのだ。裕福な大人達はそんなことを一切しなかったのに、だ。安心して寝ていい、と言われ、君は寝ないのかと尋ねたが少女は慣れているからと笑った。慣れていないのか、その笑顔はぎこちないものだったが、彼女は信頼していいと思った。

 ある日、アドレイは少女に打ち明けた。自分は盗みをしているのだと。もしかしたら見捨てられるかもしれないと思ったが、少女はただ微笑んで自分がいる間はそんなことしなくても平気だと言ってくれた。また、自分を守るために怪我をしながら野獣から守ってくれたこともあった。そして、火の起こし方や生きていくうえで必要なことを教えてくれた。

 春になり、少し暖かくなると少女はそろそろここから旅立たないといけないと言った。自分は何も返せていないと言うと、少女は返さなくていいと言った。

「その上着、もらっていいですよ」

 そう言って、さらにお金もくれたのだ。これで当分は生きていけるだろうと。これはどうしたのかと尋ねたら町で働いたと答えた。そんなものをもらっていいのかと聞くと自分の分は確保しているからと笑った。むしろ、それぐらいしか渡すことが出来なくて申し訳ないとさえ言ってくれたのだ。

 ――こんな人になりたい。

 アドレイは、少女の後ろ姿を見てそう思った。そこからは、アイリスに話した通りだ。

 初恋、だったのかもしれない。今だにその感謝を忘れることが出来ず、思い出すと胸が熱くなるのだ。

 もしかしたら、彼女に会うことはもうないかもしれない。ただ、菫色の少女という言葉で彼女のことを思い出したのだ。

「どうしたんだ?アドレイ」

 シルバーがニヤニヤしながら彼を見ていた。アドレイは「な、何でもありませんよ」と慌てて首を横に振った。

「ふーん……今の顔、恋煩いのようだったけどな?」

「シルバー……あまりからかったら駄目だよ」

 アイリスが注意する。シルバーは「えー?いいじゃないですか」と口を尖らせたが、「何なら、剣でやり合う?」と言ってきたので「いえ、遠慮します……」と冷や汗を流しながら丁寧に断った。元傭兵に本気でやり合って勝てると思う程命知らずではない。

「賢明な判断ですね。先輩とやり合おうなんて、命知らずのすることですからね」

「アルフレッドに喧嘩売る方が大変なことになると思うけど……ってうわっ!?」

 いつの間にいたのか、ヴァイオレットが後ろに立っていた。「おー、先輩が驚いたところ、初めて見ました」と当の本人はのんきに感想を言っている。何事もなさそうにしているが、僅かに血の匂いがした。

「ど、どうしたの!?なんか、怪我している気がするんだけど……!?」

「ん?……あぁ、やっぱりあなたには気付かれてしまいますか。いろいろあってね……。これぐらい、義賊をやっていたら当たり前ですから、気にしないで」

「そういう問題なの……?」

 相変わらず、自分のことになると興味をなくす妹分の怪我を見ようとするが、本人が止める。

「ちょっと緊急でね……多分、ディアー殿から聞いていると思いますが「闇に生きる者」が動き出した。私も奇襲を受けてしまって」

「それで怪我をしてしまったと?」

「そういうこと。はぁ……まさか、あんな罠に引っかかるとはね。一人で倒せる人数だったのが不幸中の幸いでした」

 ヴァイオレットですら苦戦する相手……不意打ちとはいえ、それだけ強いということだ。チョーカーも血でにじんでいる。

「……首からも血が出てる」

「あー……相手の剣がかすってしまって……」

「その出血量はかすったどころじゃないと思うけど。……本当に苦戦したんだね」

「奴らはどれぐらいの勢力を持っているか把握していないので。私も魔法と剣と弓しか使わないと思っているんですけど、それすらも怪しいんです」

「手当てしなくていいの?」

 アイリスが尋ねると、ヴァイオレットは首を横に振った。

「私もそれどころではなくて……多分、次に狙われるのは「インコントロ村」だと伝えに来ただけなんです」

「インコントロ村……」

「えぇ。何の法則性があるのか分かりませんが、前に言っていた印……それが見つかって。でも、まだ被害に遭っている様子はなかったのでもしかしたらと」

「君はどうするの?」

「すぐに現場に向かおうと思っています。ディアー殿には先輩の方で知らせてください」

 まさか、その怪我の状態で行くというのだろうか。いくら天才軍師と言えど、辛い戦いを強いられてしまうだろう。

「すみません、邪魔しました」

「待って。せめてその怪我を治してから行った方がいいよ」

 すぐに行こうとするヴァイオレットを引き留める。彼女は「でも……」と渋っていた。

「君も、戦いを経験しているなら身体がどれだけ大事なのか分かっているハズだ」

「そうですが……」

「足や腕も怪我しているんでしょう?歩きにくいし、弓も引きにくいハズ。そんな中で戦いになったら、どうなるか分かるでしょ?」

「これぐらい慣れているから。少し痛いぐらいで戦えなくなるほどやわじゃな……っ!?」

 突然アイリスはヴァイオレットの腕を強く掴んだ。突然のことに少女から声にならない悲鳴があがる。

「これの、どこが「少し」なのかな?」

 じわ……とシミが広がる。黒衣なので色は分からないが、血であることは確実だ。

「まだ傷も塞がっていない。……君が例の組織と戦闘したのはついさっきだね。そうじゃなければ、こんなににじまない」

「わ、分かった。合っているから離して……」

「まだ話は終わっていないよ?大体、君はいつも無茶をする。自分の命を軽く見ている節があるね」

 耳が痛い。事実である分、反論も出来ない。いっそ逃げ出せたらいいが、掴まれているためそれも出来ない。

「こら、ちゃんと聞いてる?全く……」

 アイリスはため息をついた後、

「なら、ヴァイオレット。今月の課題、手伝ってくれる?」

 そう言ってきたのだ。ヴァイオレットはキョトンとする。

「……手伝う?つまり、オキシペタルムクラッスの一員として戦え、ということでしょうか?」

「そう。このままじゃ君、絶対に行くだろうし。私達は戦力が少しでもほしい。君は無駄な労力を使わなくて済む。どちらにとってもいいことだと思うけど」

「取引、ということですか……」

「そういう認識でも構わないよ」

 その提案に義賊は考え、

「……分かりました。私としても一人で行くのは危険だと思ってはいたところですし」

「とか言って、行くつもりだったくせに」

 頷くと、アイリスは口角をあげた。全く、この姉は自分の扱いをよく知っているとヴァイオレットは苦笑いを浮かべた。

 チャイムが鳴り、まずは手当てをしようと部屋に連れて行かれた。服を脱ぐと、アイリスはその怪我の多さに驚く。気付いていたが、腕も足も傷跡が深い。身体中も傷だらけで、背中に至っては大きかった。普段の彼女なら、ここまで酷い怪我はしないだろう。

「……何があったの?」

 傷薬を塗りながら、アイリスは尋ねる。ヴァイオレットは「……実は、人を守っている中での奇襲でして」と答えた。やはり、と思う。「民想いの優しき義賊」と呼ばれているぐらいだ、他人のために全力を尽くす彼女の心意気は彼女なりの美学だろう。それを否定するつもりはない。だが、彼女の場合それが行き過ぎている。

 だが、彼女がそこまで自分のことを大事にしなくなってしまった原因も知っている身としては、厳しいことを言えなかった。

 ――この子は、復讐のために殺した人達に償うためにこうして人助けをしているのだ。だからこそ、自分のことにはほぼ無頓着になっている。

 彼女は今なお、死者達の声に苦しまされている。復讐しろと、自分達の無念を晴らしてくれと。その声がいつまでも続いて決して止んではくれない。……それで、寝つきも夢見も悪いのだ。うなされ、夢にまで出てきて、忘れさせるものかと言いたげに。

 一緒に傭兵稼業をしていた時に一度だけ、彼女が跳ね起きた時があった。少なくとも、アイリスが知る限りではそれだけだったが、呼吸が乱れていて苦しそうだったことを覚えている。

 そんなこともあってか、彼女は限界まで動こうとする。それこそ、あまりの疲れで気を失うほどに。さすがに義賊として動くようになってからそうなるまで動くことはしないだろうが、それでも心配なのだ。

「……死なないで」

 不意に口をついた言葉は懇願だった。ヴァイオレットは目を見開き、優しくアイリスを抱きしめた。

「大丈夫、簡単に死んでやりませんから」

 その声は子供をあやすような優しさを含んでいた。

 夜、アドレイが外を歩いているとヴァイオレットが歩いていることに気付いた。彼は話しかけようとしたが、緊張していてそれが出来なかった。

 ――昔、自分達きょうだいを救ってくれた少女によく似ていて。

 そうしている間に、少女は部屋に入っていった。


 それからヴァイオレットと共に策を立て、直々に戦術を学ぶ。やはり、彼女の戦術は勉強になると思った。

 だが、アイリスはそれより気になることがあった。


 それは夜、部屋でヴァイオレットと話している時。

「ここ数年で変わったことを教えてくれませんか?」

 そう聞いてきたのだ。アイリスは何があったかと思い出していき、

「……確か、今年ウンブラ先生が書庫番に戻ってきたって」

「戻ってきた?」

「うん。何でも、四十年間書庫番をしていたんだけど、一度病気で離れていたんだって」

 そう答えると、ヴァイオレットは考え込んだ。数分して、「これ、本当に本人だったら失礼なんですけど」と前置きし、

「チェーニ、という生徒の時も思いましたが……そのウンブラっていう人、本当に生きているんですか?」

 そう言ってきたのだ。どういう意味かと尋ねると、

「だって、もし仮に二十歳で書庫番になったと仮定しても病気で一度離れた時は六十でしょう?なら、病気が悪化して既に亡くなっている、ということも考えられるんですが」

「なら、今いるウンブラ先生は?」

「いわゆる「替え玉」というものか、私の仮定が間違っているか……。あぁいえ、すみません、不安にさせてしまいましたね。忘れてください」

 そんなこと、考えたことがなかった。チェーニ、ウンブラ……確かに二人共、一度行方知れずとなってしまっている。仮に本人でなくとも、他人を騙せるだろう。


 ヴァイオレットはいつも、未来が見えているのではないかと思うほど的確に言ってくる。もしかしたらあの発言は、その一端かもしれない。そう思って頭の隅に入れていたのだ。

 最終週、ヴァイオレットの言葉通りインコントロ村が何者かに襲われているという知らせを受けた。オキシペタルムクラッスとヴァイオレット、アルフレッドはすぐに現場へ向かう。

 ――その光景は、まさに地獄絵図だった。村人が村人を襲い、周囲は炎で囲まれ簡単には逃げられない。

「ひでぇ……」

 アルフレッドが呟く。それに関してはアイリスも同感だった。だが、それよりもユーカリの様子がおかしい。どこか、憎しみに溢れているような目でその光景を見ている。

「……先輩、あれを見て」

 そんな中、ヴァイオレットがある一か所を指差した。その先には謎の集団がいた。

「奴らか……」

 ユーカリが怒りを含ませ、そう呟いた。アイリスが「どうする?」と聞くと、

「――殺せ。一匹たりとも逃すな。奴らの四肢を引きちぎり、首をへし折ってその頭を潰せ」

 なんと、彼らしからぬ命令を出したのだ。ヴァイオレットが「本当にいいんですか?」と最終確認をすると、彼は頷いた。

「……分かりました」

 少女が頷くと、「本気かよ?」とシルバーが驚いた。彼は知らないのだ、かつて、殺率の人形と化していた彼女を。ユーカリが命じたことを、平然とやっていたことを。

 もちろん、今は本気でやるわけではないが、村人達を助けつつ確実に倒していっていた。他の人達も倒していく。

 戦闘が終わると、ウンブラが謎の男に連れて行かれていた。

「待て!ウンブラ!」

 ヴァイオレットが叫ぶ。するとウンブラはニヤリとそれはそれは楽しそうに口角をあげた。

「私はウンブラではない。イーブルだ」

 そう言って、彼の姿が変わった。ヴァイオレットの言う通り、ウンブラは替え玉だったのだ。

「もう少しで計画が完遂するところだったのに……貴様のせいで台無しだ」

「それは悪かったな。だが、俺も悪意を見過ごすわけにはいかない」

 口調が昔のものになっていたが、ヴァイオレットは気にしていない。ウンブラ……いや、イーブルの首元に剣を突きつけるが、

「今の貴様に、私は倒せない」

 そう言ったかと思うと、弓矢が飛んできた。それはヴァイオレットの左肩に刺さる。

「……っ!」

 ヴァイオレットは剣を落とし、肩を押さえる。イーブルがニヤリと怪しく笑い、ヴァイオレットに近付いた。――その時、ヴァイオレットの口角はあがった。

「我々の邪魔をする貴様にはここで消えてもらう」

 それに気付いていないイーブルはそのまま剣を振り落とそうとした。すると、ヴァイオレットは左手を懐に入れ、短剣でイーブルの手首を斬りつけた。隙のない動きに、さすがのイーブルも不意を突かれた。

「貴様……!」

「油断したな。俺は両手利きだ、どちらでも同じぐらい使えるんだよ」

 それは初めて聞いた。……だが、言われてみればどちらでも使っていた気がする。

「アルフレッド!村人を避難させて!アイリスは皆を守りながら操られている村人達を正気に戻して!傷ついた人がいたらすぐに回復を!」

 ヴァイオレットの指示にアイリスは従う他なかった。ヴァイオレットは一人で強敵と戦っている。だが、どんな攻撃をしてくるか分からないから変に手出しも出来ない。

 やがて、イーブルの方が「……計画失敗、か。だが、ここまで人間の血が大地に染みたなら……」と瞬間移動でどこかに消えてしまった。ヴァイオレットは舌打ちをし、アイリス達の方に手を貸す。

 やがて、全てがおさまった時赤いマントの何者かがアイリス達の目の前に現れた。

「……お前は?」

 ユーカリが尋ねる。その人は「私は帝王という者だ」と答えた。その声からは誰か特定出来なかった。

「お前がこんなことをするように命令したのか?」

 ユーカリはなおも怒りを含ませ、睨みつけた。しかし、帝王は首を横に振った。

「違う。私もこんなことをするなら止めていた」

「信用ならないな」

 彼の意見ももっともだ。ヴァイオレットの方を見ると、彼女は何かを考えているようだった。何かを知っているような……。

「まぁいい。今はそこの二人に話がある」

「……私とヴァイオレットに?」

 なぜ自分達なのか。この場合、ユーカリにすると思うのだが。

「お前達、私に協力するつもりはないか?」

「……遠慮する。私は私なりにやることがある」

「私も、それは出来ない」

 その提案を二人は即座に斬り捨てる。帝王は分かりきっていたのか、「だろうな」とだけ言った。

「だが、私も止まるわけにはいかない。今日のところはこれで失礼する」

 ユーカリが捕らえようとしたが、その前に魔法でどこかに行ってしまった。

「……逃がしてしまいましたか……追いかけるのも無理でしょうね」

 今回は戻るのが得策でしょう、とヴァイオレットが言うとユーカリは「……それもそうだな」と頷いた。


 夜、夜風に当たっているとユーカリが近付いてきた。

「先生、今日はありがとう」

「それはいいんだけど、今日はどうしたの?酷く動揺していた気がするけど」

 彼らしくないあの言動を思い出し、アイリスが聞くと彼は俯き、

「……父が死んだ時と似ていてな。頭が真っ白になっていたんだ。どうしても許せなくて、な」

「……そう」

 その時のトラウマを思い出したのだろう。……ようやく、彼の心の闇を見た気がする。

 だが、アイリスは知らなかった。彼がヴァイオレット以上に復讐に燃えていたということを。

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