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97 怠けるか休憩か、サボっている

 家の前に籠を下ろしてくれたネロが手を差し出してくれる。その手を掴んで籠から出ると、ネロが入り口を開けてくれた。家に入る俺の〈シール〉を解除してくれたネロは、籠を返しに行くみたいだ。


 家に入らず外に向かっていったネロを見送って、マントを外しソファに腰を下ろす。直ぐ戻ってくるかなと、入り口に目を向けていたらネロが帰ってきた。自分の〈シール〉を解除しながら、ネロは真っ直ぐ俺の隣に移動してくる。


「樹の子供達は数が増えてて安心した。もう少しすればもっと増える、よね。」


「そうだな。」


 隣に腰を下ろしたネロに話し掛けてみる。俺の希望的観測だけど、ネロは淡々と同意をしてくれた。そうだよね、きっとまた直ぐに賑やかになってくれると思う。


 胡蝶と白雪に樹の子供達が沢山力を使ってくれたから、今は神樹の中で休んでいるのかもしれない。この前よりは数も増えてたしきっと大丈夫。


「ネロも酷い怪我なのに連れてってくれて、ありがと。」


「問題無い。」


 樹の子供達で頭がいっぱいになってたけど、目の前のネロも満身創痍だった。ネロにもお礼を伝えると、目を細めたネロがいつも通り答えてくれた。ホントに、いつも通りの返しだ。


「ネロは怪我をしたのは顔と首だけなの?」


「体も少し。」


 ネロは平気そうな顔をしているけど、やっぱり傷が痛々しい。ネロをの顔の傷を撫でながら質問をしてみる。ネロが言いにくそうに答えながら困った顔をしてしまった。


「見せて。」


 顔と首にこんなに傷があって、体にない訳がないよね。知ってた。じーっと見つめて要求をすると、ネロは諦めたように小さく溜息を吐いて上半身の服を脱いでくれた。


 裸になったネロを見て驚いてしまう。胸全体に斜めに大きくて深そうな切り傷が五本伸びている。瘡蓋になっているけど、凄く深そうな傷だ。


 指を伸ばして一番大きな切り傷を触ってみる。一本の傷の幅は俺の指の幅の2倍以上もあって、長さに至っては鎖骨の下辺りから腰まで伸びている傷もある。


 深くて目立つ傷以外にも、他にも小さいながらも痛そうな切り傷が多数ついていた。どう見ても重症だ。絶対痛いじゃん。ってか、生死に関わるような怪我じゃん。


「こんな酷い怪我だったの?」


「時間が経てば癒える。」


 ネロの胸に刻まれている重症にしか見えない深い傷で、声が震えてしまった。ネロは俺を落ち着ける為か、頭を撫でてくれる。優しく穏やかな声も俺を落ち着かせてくれる。


「でも、知らなかったとはいえ、こんな体で俺を運んでくれたんだ。ごめんね。もっと前に聞いとけばよかった。深い傷って首だけだと思ってた。痛くない?」


 ネロはこんな怪我で俺を神樹の所まで運んでくれたのか。泣きそうになりながら謝ってしまう。マジで、行く前に聞く事だった。なんで俺は自分の気持ちを優先させちゃったんだろ。


 ってか、ネロが帰ってきて首の深い傷を見た時に勝手にそれが一番の重症だと思い込んでたんだ。ネロがこんな怪我をする訳がないって思い込んでた。平気そうに微笑んでくれるネロに甘えてた。


「少し、痛い程度。」


「ネロの少しは信用できない。」


 俺の動揺を気遣って優しく髪を撫でてくれるネロだけど、自分の傷には無頓着っぽい。平然と答えるネロに、むっとして睨みながら文句を言ってしまった。ネロは困ったように頬を緩めてくれる。


 もう一度、ネロの体をに視線を向けてみる。最近できた傷以外にも、もう完治しているらしい傷痕が沢山あった。少し盛り上がっている傷痕は、今回みたいに深い傷だったのかもしれない。


 顔も手も首も見えるトコロは傷一つなく綺麗だったから、こんな傷だらけの体なんて知らなかった。確かに、ネロは傷ならあるって言ってた。でも、知らなかった。


 外の世界ってこんな過酷なのか。震える指先を伸ばして、ネロの古傷を触ろうとしたら、その手を握ったネロに止められてしまった。顔を上げると、心配そうなネロの顔が見える。


「琥珀は知らなくていい事だった。すまない。」


 謝りながら服を着てしまうネロに言葉が返せない。じっと見つめて止まってしまった俺の頬をネロが優しく撫でてくれた。こんな重症なのに、ネロは俺を気遣ってくれる。


「怖くなったか?」


 心配そうに眉を少し寄せてしまったネロに聞かれて首を振る。でも、怖いと言えば怖いかもしれない。あの日、ネロが帰って来られなかった可能性もあったって事が怖く感じる。


 悪い想像で体が震えてしまった。宥めるようにネロが俺の頬を撫でてくれる。頬を撫でてくれるネロの手を握って中断して貰った。ネロは俺の真意を確認するみたいに覗き込んでくる。金色の瞳が心配そうに揺らいでいるのが見えた。


「ネロがこんなに傷だらけになる世界って、どんな世界なのかなって思っちゃった。ネロが傷だらけって知らなくて、今回もこんな重傷で。怖いと言えば怖いかな。ネロがいなくなるって考えたら怖い。」


「俺はいなくならない。」


 俺もネロの頬の傷を優しく撫でてみる。撫でながらゆっくりと思いを伝えてみると、ネロの頬が緩んでくれた。金色の瞳が優しく細められる。ネロは決意を表すように、いなくならないと断定してくれた。


「うん、分かってる。でも怖くなった。」


「そうか。」


 そうだよね、って頷きながらも、不安がまだ残ってることを伝えてみた。ネロは俺の頬に両手を添えて、俺の顔を固定してくる。目を合わてくれたネロが優しく相槌を打ってくれた。


 こんな傷だらけで、しかも重症なのに。それを全く表情にも態度にも出さずに、俺を気遣ってくれるネロは凄く優しい。


 でも、それじゃ駄目だと思うんだよ。こんな時こそ、俺が役立つべきだと思うんだよね。ネロにして貰った恩は今返すべきなんだよ、凄くいいタイミングだと思うんだ。


「決めた。ネロの胸の傷が治るまでネロは絶対安静で。俺が全部やる事にした。」


「全部?」


 決意を表明してみると、ネロがは驚いたのか、少しだけ目を丸くしてしまった。直ぐに冷静な表情に戻ったネロが俺の髪に指を絡めてくる。ネロは俺の髪を指で弄びながら、揶揄うような口調で聞き返してくる。ネロの言う通りだ、全部は無理だったかもしれない。


「えっと、お茶はお願いするかも。」


「そうだな。」


「あとは、〈シール〉もお願いするかも。」


「他には?」


「〈浄化〉と〈乾燥〉もお願いします。」


 できない事を羅列していくと、ネロが優しく目を細めて相槌を打ってくれる。ってか、大体駄目だった。そもそも、俺は魔法使う系が全滅な事を思い出してしまった。


 魔法で楽々生活なこの世界に於いて、俺は何もできない事実が悲し過ぎる。ネロはがっくりとなってしまった俺の髪を優しく掻き上げてくれた。俯いた俺の頬に片手を添えたネロが視線を合わせてくる。


「琥珀。無理な時は言う。今はこのままで問題無い。」


 表情を和らげて、柔らかい雰囲気のネロが視線を合わせながらゆっくりと俺の提案を拒否してきた。このままで、いつも通りネロが色々してくれるのでいいのかな、やっぱり負担じゃん。


「でも。」


 言葉を続けようとする俺の唇をネロが親指で塞いでしまう。目を細めたネロに俺も何かしたいって目で訴えてみる。ネロは嬉しそうに頬を緩めて、唇から指を離してくれた。


「琥珀の為に動くのは楽しい。一人の時は茶も淹れない。」


「そうなの?だってお茶っぱはあるじゃん。一人でも飲んでたって事じゃないの?」


「琥珀が滞在する事が決まって、族長に渡された。ついでに淹れ方も伝授された。」


「まじで。」


「ああ。淹れた事もなかった。」


 確かにネロは一人だと全てが面倒でやらなかったって言ってた。お茶を淹れるのも面倒だったって事なんだ。ネロはマメで几帳面な性格だと思ってたけど、結構ものぐさタイプの人だったんだ。


 最初はネロの事は、きっちり完璧几帳面で真面目な人って感じがしてた。でも、何気に抜けてる所とか、雑なトコロもあるって今は知ってる。そう考えると、ネロの言葉通りに俺と一緒の生活で少しだけ楽しんでくれてるって事かな。そう考えると、ちょっと嬉しい。


「そうなんだ。ネロの淹れてくれたお茶は凄く美味しいから、普通に普段から淹れてるのかと思ってた。」


「そうか。」


 ネロの淹れてくれるお茶は、最初の数回以降は完璧なお茶だ。温度も濃さも、俺の好みを把握してるかのような味わいだ。


 食事の後とデザートの時、普段の日常、お薬の時、全部濃さが違った。あれはお茶を知り尽くした人の淹れるお茶だと思ってたけど違ったんだ。ネロは器用だな。


「じゃあ全部は止める。でも、ネロの役に立てる事はないかな。俺もネロに何かしてあげたい。」


「そうだな。」


 俺の能力じゃ、ネロの役には立てないかもしれない。でも、ネロの提案を飲む代わりに、俺もネロに何かしてあげたい。俺から目を離して一瞬考えたネロは何か名案が思い浮かんだらしい。


 ネロは優しい微笑みを浮かべて覗き込んできた。俺にもできる事もあるらしいって分かってワクワクとネロを見つめてしまう。ネロは嬉しそうに頬を緩めて、笑顔になってくれた。


「一緒に寝てくれるか?」


 ネロがさらっと口に出した提案を聞いて、少し首を傾げてしまう。別に隣で寝るのは構わない。ベッドを間借りさせて貰ってるのは俺のほうだ。隣で寝かせて貰ってる立場なのは俺なんだけど、どういう事なんだろ。


 それに、ネロはかなり神経質っぽい感じがするんだよ。俺より前に起きちゃってる事が多い。そして、俺が先に起きた時も寝てた筈なのに、ネロは直ぐに起きてきちゃった。


「ほう?でも、ネロは音に敏感そうだし。俺がいたら直ぐ起きちゃわない?」


「琥珀が隣にいると、何故か熟睡できる。」


「成る程。じゃあ、俺がネロの睡眠薬になればいいんだね。了解。」


「頼む。」


 熟睡できるってネロが判断できるならいいか。そんな安眠効果が俺にあるのかは分からないけど、役に立てるならそれでいい。納得して了承したら、ネロが嬉しそうに目を細めてくれた。


「でも、いつの間にか俺も寝てるんだよ。で、ネロは気が付いたらいなくなってるよね。」


「俺は短時間の睡眠で済む。」


「羨ましい。俺なんて夜寝て、二度寝して、更に昼寝しても。また夜も寝れるよ?」


「それはそれで楽しそう。」


「楽しくない。俺もたくさん活動したい。」


 満足そうに頬を緩めたネロが髪を梳いてくれる手が気持ちいい。不満を伝えながらも、手を伸ばして服の上からネロの胸に手を当ててみる。意識して触ると傷の凹凸があるのが分かった。深くて酷い傷なのに、なんで気が付かなかったんだろ。


 ってか、本当に深い傷だった。見ただけでも分かるくらいに、死に直結しそうなくらいの深い傷。鍛錬場であんなに圧倒的な強さを見せてくれたネロでも、あんな傷を喰らっちゃうくらいの強い敵がいるんだ。


 ネロが無事に帰ってきてくれたのは嬉しい。でも、同時に、この世界は優しいだけの世界じゃないんだってのも分かってしまった。


「これもお肉で治るの?」


「そうだな。」


 悪戯っぽく聞いてみるとネロも片眉を上げて悪戯っぽく冗談を返してくれた。そっか、お肉の冗談はガトでは普通のネタなのかもしれない。レオさんもユリアさんも使う鉄板のネタだと確信した。


「じゃあ、ユリアさんとマスターさんに特性お肉料理をお願いしないとね。」


 冗談半分で言葉を続けてみたら、ネロが唇の端を上げて頷いてくれた。少しだけ苦笑してるネロの表情が珍しくて嬉しい。楽しそうなネロを見られて良かった。お肉で本当に治ればいいんだけどな。


「そういえば、さっきはなんで助けてくれなかったの。」


 ネロの傷を服の上から撫でていて思い出してしまった。拗ねた口調で不満を吐露してみると、ネロは何の事だって感じで首を傾げる。


 ネロから体を離して軽く睨んでみた。睨んだ事が不思議だったのか、ネロが目を細めてじっと見つめてくる。全く何の事か分かってないらしい。


「ニル君のトコで、ネロは助けてくれなかった。俺はあんな高そうなのは受け取れないよ。」


「貰っておけばいい。」


 ニル君の工房での静観の姿勢のネロを思い出して不満を伝えてみた。成る程っと頷いたネロはそんな事かって感じで、適当に答えてくれた。


 貰える訳ないでしょ。ニル君は凄腕の職人さんって知ってるもん。あの腕輪はどう見ても超力作だよ、ヤバいでしょ。金額的にも性能的にも俺にはオーバースペックだから。


「ネロが言ってたじゃん。ニル君は凄い職人さんだって。十指に入る職人さんだって。そんな人の作った、あんな気合の入ったモノって超高価でしょ。俺じゃ、天地がひっくり返っても払えないじゃん。」


「金の心配をしているのであれば、俺が払う。何も問題は無い。」


 ちゃんと理由を伝えて貰えないって事を強調したら、ネロが俺を見つめて呆気に取られた表情をした。少しの間を置いてさらっと言ってきたネロの返しにむっとしてしまう。


 そういう事じゃないでしょ。ニル君に物を貰う理由もないし、それをネロが払うのも、どう考えてもおかしいでしょう。


「問題あるでしょ。ネロからも払って貰う理由がない。」


「成る程。だが、琥珀は俺の睡眠薬になってくれると言った。その報酬と考えればいい。」 


 拒否を示す俺に対して、ネロは当たり前の事という口調で答えてくれた。睡眠薬はあくまで俺がお世話になってるお礼でしょ。報酬とかはおかしいじゃん。


「悪かった。でも、あれはニルの気持ち。この村の中にいる間だけでも受け取っておけばいい。」


 じーっとネロを見つめると目を逸らされてしまった。手を伸ばしてネロの顔を両手で挟んでこっちに向けてみる。目線を合わせてじーっと見ていると、ネロが降参してくれた。


「そっか。少しの間、借りておけばいいか。それもありだね。ネロ賢い。」


 次にニル君に会ったら、そういう風に言えばいいんだね。少しだけ気が楽になった。なんかあっさりと解決した気がして、安堵からニコニコになってしまう。ネロがもう話は終わりって感じで本に手を伸ばした。


「そういえば、回復魔法ってないの?」


 ネロが開くページを横から覗き込みながら、話しかけてみた。ネロが本を読むのを邪魔してるのは重々承知だ。というか、故意に邪魔してる自覚しかない。


「回復、か。族長なら使える、多分。」


「おぉ、じゃぁ。アルさんの所に行こ。」


 本に視線を落としながら静かに答えてくれたネロの言葉に、おぉっとなってしまう。回復魔法を使えるアルさんは凄い。ネロの横顔を眺めながらテンションを上げて提案してみる。


 顔をゆっくりと俺に向けてくれたネロだったけど、嫌そうに眉を寄せている。テンション駄々下がりな感じにしか見えない。


「アルさんのトコに行くのはイヤなの?」


 多分そうだろうな、とは思う。でも、一応聞いてみた。ネロは無言で俺を見つめてくる。なんだ、何を考えてるんだ?嫌そうなのは、その寄せた眉を見れば分かる。でもね、目に表情がない。無だよ。その無の感情じゃ何も読み取れないよ。


「ん~。嫌ならいいけど。ネロの怪我が凄く酷かったし。心配だな。」


 俺も眉を寄せて心配って顔をしてみると、小さく溜息を吐いたネロが本を置いて立ち上がった。ネロを目で追っていたら、ネロが疑問を提示するみたいに首を微かに傾ける。


「琥珀も行くか?」


 ネロが静かに問いかけてくる。冷静な話し方のネロが俺の提案を受け入れてくれたって理解できた。ネロは言葉が少ないから分からなかった。


 嫌過ぎて、話は終りでどっか行っちゃうのかと思ったよ。俺も行っていいなら、アルさんのほんわか優しい笑顔で癒されたいし、一緒に行きたいかも。でも、アルさんは族長さんだし、忙しくないかな。


「俺もいいのかな。アルさんは仕事中じゃない?邪魔になっちゃわないかな。」


「怠けるか休憩か、サボっている。」


「そんな事はしないでしょ、アルさんだよ。」


「・・・そうだな。」


「でも、行っていいなら一緒に行きたい。」


 同行したい旨を伝えると、目を細めたネロが手を差し出してくれた。その手を掴んで立ち上がる。マントを手にして自然に俺に羽織らせてくれたネロにありがと、とお礼を伝える。ネロは無表情ながらも、目だけは優しく細めて頷いてくれた。


「〈シール〉は大丈夫だから走ろう。すぐそこだし。」


 詠唱を始めようとするネロの腕を掴んで止めてみる。首を傾げるネロにニコっとして、〈シール〉は不要と伝えてみた。頷いてくれたネロと連れ立って外に向かう。


 入り口から外を覗くと小雨になっていた。土砂降りだったら流石に頼もうかと思ったけど、〈シール〉なしでも問題なさそうだ。


 目の先で霞んでる族長のテントを目指して走ってみた。ネロの速さなら直ぐに追い抜かれる筈なのに、ネロは俺の前に出てこない。不思議に思って、振り返ってみると、俺に追従してネロも歩いてる。


「先に行って。濡れちゃうよ。」


 声をかけたけど、ネロは首を振って俺の後ろをゆったりと歩いてくる。族長のテントに到着した時には、小雨だったとはいえ二人とも少しだけ濡れてしまった。


 髪の毛をぱさぱさと手で整えて、ネロが開く横を通ってテントに入らせて貰う。開いた入り口の先にはマヌさんが待機していた。マヌさんは真っ直ぐにネロに視線を向けていて、俺には一瞥すらもしてくれない。まぁ、そんなモノです。


 一応、マヌさんにぺこりと頭を下げて挨拶をしてみる。ネロを見ていたマヌさんが俺を一瞬だけ見てくれた。どうやらマヌさんの視界には入っていたらしい。でも、直ぐに視線を逸らしてしまった。


 なんでこんなにマヌさんに嫌われているのか。悲しい。そして、マヌさんのその猫耳はいつ見ても可愛い。子供のタレ耳ちゃんはそこそこ見かけるけど、大人のタレ耳ちゃんは超レアなのに。その可愛いタレ耳ちゃんには嫌われてしまっているらしい。はー、悲しい。


 ネロが廊下を歩いて行く後ろをしょんぼりと続く。ネロはアルさんの居室に声を掛ける事もなく、いきなり開けて入っていった。


 ネロに続いてお邪魔させて貰う。ネロの体の横からアルさんを覗き込むと、難しい顔をしたアルさんが書類と格闘していた。全然サボってないじゃん。アルさんはめっちゃ真面目に仕事してた。


「アルさん、こんにちは。お邪魔してごめんなさい。」


 真剣過ぎるアルさんに、邪魔にならないように小さく挨拶とお詫びの言葉を届けてみる。俺の声が届いたのか、アルさん眉の間の皺を解除して顔を上げてくれた。目が合うと、アルさんがニッコリと輝くような笑顔になってくれる。


「こんにちは、琥珀さん。ちょっと近くに。」


 挨拶もそこそこに、アルさんが優しく手招きしてくれた。アルさんの座っているベッドの脇に移動して、小首を傾げた途端に、ふんわりと風が吹いて濡れていた体が渇いていた。


「ありがとうございます。」


 無詠唱で予備動作らしきものもなしに魔法が発動した。アルさん、すご。目を丸くしてお礼を伝えると、アルさんは嬉しそうに頷いてくれた。ちらっとネロに視線を向けたアルさんが俺に視線を戻して首を傾げた。


「今日はどうしたのかしら。ネロも怖い顔。」


 アルさんの言葉でネロに振り返ってみる。いつも通りの無表情なネロが立っていた。アルさんに視線を戻して首を傾げると、アルさんがふんわりと微笑んでくれた。成る程、場を和ます冗談、的な感じだったのか。


「アルさんは回復魔法って使えたりしますか。」


「成る程。ネロのケガね。ちょっと待ってね。ネロ、少し痛いかもしれないけど我慢しなさい。」


 改めて本題を、と質問をしてみると、アルさんが成る程っと頷いてくれた。俺の意図がすぐ分かったらしいアルさんは、ネロに視線を向けて真剣な眼差しになった。痛いってどういう事だって思う間もなく、アルさんが行動を開始する。


 ネロに手をかざしたアルさんが高速で詠唱を始めた。アルさんの髪や服が風もないのに揺らめく。アルさんの手が導くままにネロに視線を向けて眺める。


 アルさんの詠唱の旋律と共に、ネロに変化が起きていく。顔の傷が開いて血が滲み出した。首の傷も瘡蓋がなくなっていき、大きく傷が開いて内側の肉が見える程に、傷がパックリと開いた。その痛そうな深い傷から血が流れ落ちる。


 胸のあたりも盛り上がっていき、黒い服でも分かる程に服に血が染み込んでいった。生々しい傷は少しの間続き、だんだんと激しい光景が収まっていく。顔の傷が消えていき、首の傷も抉れたのが元から無かったように消えていく。


 見てて圧倒される光景に驚いて固まってしまった。ネロは最初の一瞬だけ、片眉を上げて眉を顰めたけど、直ぐに無表情になって、眉一つ動かさなくなる。


 アルさんの手が下ろされて詠唱が止まった事で、魔法は終わったと分かった。ネロに近付いて、頬を触ってみる。


 全く傷痕の欠片すらない綺麗な肌になってる。首を撫でて、上着を捲ってみる。傷がない。胸の痛々しい重症なあの傷が全くない。昔からある感じの古傷だけが残っている。


 ネロの深く酷い傷のあった胸の辺りをペタペタ触っていたら、ネロが俺の手首を掴んで服を戻してしまった。触った感じでも、古傷は残っているけど、さっき見た深い傷はどこにもなかった。


 これ、凄い。アルさんに視線を移したら、ベッドの上で息を切らしたアルさんが目に映った。荒く息を吐いて、ベッドの上で倒れ掛かってるアルさんの額には汗も滲み出ている。


 滅茶苦茶消耗して疲れ切った様子のアルさんに驚いて、駆け寄ってアルさんの手を握ってしまう。笑顔で頷いてくれるアルさんは、いつも通りの優しい笑顔を浮かべている。


「アルさん、大丈夫?ごめんなさい。そんな大変な魔法だと思わなかった。」


「久しぶりに使った魔法だから、体が鈍ってたのかしら。歳は取りたくないモノね。」


「ありがと、アルさん。ごめんなさい。」


 びっくりし過ぎて謝ってしまう俺の頭を、アルさんが優しく撫でてくれた。にっこり笑顔のアルさんは優しく言ってくれたけど、そんなに消耗すると思わなかった。


 アルさんは魔法がスゴイし、さらっとできるものだと思っていた。こんな大変な魔法を、あんな簡単にお願いしてしまった事実に気が付いて、しょんぼりとしてしまう。


「まぁ、ネロにこの仕事を全部押し付けられると考えれば、楽な魔法だったわ。」


 アルさんは俺の頭を撫でながらニコニコっとなってくれた。ゆっくりと楽しそうに話をするアルさんは、ベッドの上の机に置かれた書類に目を向けた。


 アルさんは疲れ切っているけど、やり切ったって感じでドヤ顔をしている。そして、俺を安心させるみたいに大きく頷いてくれた。


「だから、大丈夫よ。私はこれから寝られるもの。」


「ホントにごめんなさい。ありがと、アルさん。」


 にっこり笑顔のアルさんが俺を覗き込んで満足そうに伝えてくる。アルさんの手を握ってもう一度お詫びとお礼を伝えてみると、アルさんは優しく手を握り返してくれた。


「と、言う事だから。この書類持って行ってくれて構わないわよ。」


 ネロに視線を向けたアルさんは、疲れ切った様子でネロに仕事の引継ぎを指示している。それを終えると、アルさんは俺の頭をポンポンと撫でてくれて、話は終りっとベッドに横になってしまった。


 明るく、悪戯っぽく話してくれたとはいえ、アルさんが消耗してるのは確実だ。心配で覗き込んでしまうと、アルさんは心配ないって笑顔になってくれた。


「琥珀さん。せっかく来てくれたのにごめんなさい。少しだけ休ませてね。また遊びに来て。」


 アルさんは優しく話してくれる。俺のせいで消耗しちゃったのに、優しく言い聞かせてくれた。今は休みたいって意思は伝わって頷くと、アルさんはニコっとしてくれた。


 ネロはアルさんがさっきまで格闘していて中断した書類を纏めて、無言でさっさと廊下に出て行ってしまった。部屋を出る前にもう一度アルさんに振り返ってみる。アルさんは頷いて手を振ってくれた。


「アルさん、ありがと。また遊びにくるね。」


「ええ。待ってるわ。おやすみなさい。」


「うん。おやすみ。いい夢を見てね。」


「ありがとう。」


 笑顔で送り出してくれるアルさんに小さく手を振って、ネロを追いかける。廊下で待っていてくれたネロは二人をすっぽりと覆う大きさの〈シール〉をかけてくれた。


 歩き始めたネロの横を進んでいくと、マヌさんが驚いた顔をしてネロに目を向けているのが見えた。マヌさんに声を掛ける事もなく外に出るネロに続いて、マヌさんにお辞儀をして外に出る。


 黙々と横を進んでいくネロを見上げて歩いていると直ぐ家だ。入り口を開けてくれたネロの横を通って中に入る。


 ネロは〈シール〉を解除してくれて、書類を無造作にテーブルに投げ出した。俺の前に移動してきたネロがマントを丁寧に外してくれる。マントは綺麗に畳んで片付けて、俺にふんわりと〈乾燥〉をかけてくれた。


 流れるようにいつもの帰宅後の色々をやってくれるネロに全てを任せて、ネロを目で追いかけてしまう。でも、無言のままのネロに少し不安になってしまった。


 暖かい風に靡いてふわふわと揺れる自分の前髪越しに、ネロの目が見える。何を考えてるのか分からない、感情を抑えたような金色の瞳だ。


 今考えると、ネロがなんで嫌な顔をしたのかが良く分かる。あそこまで大変な魔法だって事を、ネロは知ってたんだ。アルさんが消耗するって理解してたから、ネロは嫌々行動してくれたんだ。


 何も知らない俺を気遣って、俺の思う通りに行動してくれたんだと思う。アルさんも同じだ。無知な俺を気遣っての行動だったんだ。


「ネロ。ごめん。回復魔法ってそんな大変な物だと思わなかった。」


 ネロにも謝ってしまう。ネロは一瞬、優しく微笑んで〈乾燥〉の終わった俺の髪を整えてくれるように指を滑らせてくれた。ネロの指が心地よくて片目を閉じてしまう。


「ただの回復魔法であれば、あそこまで消耗はしない。」


「だって、ネロの傷は消えたよ?回復して貰ったからでしょ?」


「消えた。癒えた訳ではない。」


 ネロは話しながら、俺の手を引いてソファに座らせてくれる。お茶を用意してくれるネロを目で追いかけて質問を重ねてみた。お茶を淹れて戻ってきたネロが俺の隣に腰を下ろし、静かに答えてくれた。


 目を細めながら俺の髪を撫でようとしたネロが、思い出したように立ち上がって寝室に移動していってしまう。唐突なネロの行動が疑問で、何があった、とネロを追いかけて寝室を覗いてみる。


 ネロは箪笥から服を取り出して、着ている服を脱ぎ、自分に〈浄化〉と〈乾燥〉をしている。素早く新しい服に着替えていくネロの姿を見守ってしまった。


 脱いだ服を手に持ったネロが低い言葉で詠唱をすると、服が燃え上がって一瞬で消え去った。静かに、迅速に行動と魔法を終わらせたネロに見入ってしまう。


 そして、それ以前に、下着だけのネロの後ろ姿にも古い傷が沢山あるのが見える。ネロの裸なんて見てなかったから気が付かなかった。傷だらけのネロの姿から目が離せなくなってしまった。

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