87 えっ、それも魔法なの?
隣に座っているネロから距離を取って、肘掛けに背中を預けて座り直してみる。ネロが本を読む姿をぼんやりと眺めていた。ネロは俺が移動したのに対して、少しだけ不審そうな顔で俺に視線を飛ばしてきた。それも一瞬で、その後は気にした様子もなく読書を続けていく。
なんか、ここのトコロ、精神的に相当疲れちゃったらしく、何もやる気力が起きない。はーっと息を吐き出したら、ずるずると体が落ちていってしまった。ネロの太腿に足先が当たって、ごめん、と起き上がる。
「少し疲れたか?」
「大丈夫。少しだけ色々と考えちゃってた。」
「そうか。」
俺が脱力したのを心配してくれたのか、ネロに声を掛けられて首を振る。少しだけ心配そうな表情で俺を見つめたネロだったけど、それ以上は追及せずに短く会話を終わらせてくれた。
「あ。ネロは夜から仕事だよね。少し寝る?」
「そうだな、琥珀も薬を飲んで少し横になるか?」
「ほぅ。寂しくて一緒に寝て欲しいなら。そう言いなさい?」
俺もネロが心配なんだよって伝えたくて聞いてみたら、俺の事が心配らしいネロが気遣いを返してくれた。気遣われるのがちょっと嬉しくて、軽口を叩いてしまう。悪戯っぽく笑っていたら、ネロが頬を緩めてくれた。
「そうだな。寂しいから一緒に寝て欲しい。」
「え?」
少しだけ目を細めたネロが低い声で呟いた。ネロの言葉に虚を突かれて止まってしまう。ネロは読んでいた本を俺の本の上に重ねて、さっさと寝室に移動して行った。ポカンとしながらネロの後姿を見送ってしまう。
ネロが冗談を言うようになったのはいいけど、真顔過ぎて全然分からない。でも、薬は飲んでおこう。体がまだ怠いのは続いてるからね。薬を口に含んで、もう冷えてしまったお茶で流し込む。
少しだけぼんやりと部屋の中を眺めていたけど、静か過ぎる空気に耐えられなくなってしまった。ネロの姿を求めて、寝室を覗いてみる。
薄暗くした室内で、ネロがいつも通りの仰向けの綺麗な姿勢で寝ていた。俺が覗いたのに気が付いたらしい。片耳がピクリと動いて、ネロが細く目を開けて俺に視線を向けてくれた。
「ごめん、起こしちゃったかな。」
「一緒に寝てくれるのではなかったのか?」
揶揄いを含む口調のネロにくすっとなってしまう。冗談だけど、冗談じゃないんだね。俺が体調悪いから一緒に寝なさいって事ですね。
「そんなに寂しいの?」
「ああ、傍にいて欲しい。」
「じゃあ、しょうがないね。一緒に寝てあげよう。」
優しい口調で確認を取ってみると、ふっと優しく微笑んだネロが掠れる声で同意してくる。その感じが嬉しくて、軽口で了承して、ネロの隣に潜り込んでみた。めっちゃ温かい。背中をネロにくっつけて横になっていると、うとうとしてくる。ネロの匂いと体温が落ち着く。
「ガトの人ってめっちゃ温かいね。体温が高いのかな?」
「ガトとは、レオの事か?」
そうだな、レオさんは一番体温が高い気がする。でも、ネロも、多分だけど、アルさんも高い気がする。いきなりレオさんの名前が出てびっくりしたけど、ネロもレオさんの体温が高いって分かってるって事だよね。
同じ護衛の人だから、接する機会も多いからなんだろうね。レオさんの体はネロよりかなり温かいからな。寧ろ熱いくらいな気がする。アルさんもふんわり温かかった記憶がある。おぼろげな記憶だけど。
「レオさんも、アルさんも、ネロも。」
「そうか。琥珀の体温よりは高い、多分。」
「ネロは俺の体がくっついてるトコは冷たくない?寒くないかな、平気?」
「問題無い。落ち着く。」
「そっか、良かった。」
温かさと薬の効果からか、すーっと眠りに落ちていった。眼が覚めるた時も、ベッドの中はぬくぬくで暖かい。ポカポカな事から、背中側にまだネロが寝ていているらしい。寝返りをうって振り返ってみると、ネロはもう起きていた。横向きに寝方を変えて、肘枕で俺を眺めている。
「寝ちゃってた。ネロは寝れた?」
「休まった。」
「ネロが寝てるのって数える程しか見た事がない。俺ばっかり寝てる。」
「俺も寝ている。琥珀、不安であれば夜間はレオの家に行くか?」
俺だけ寝ちゃってたのかなって思って聞いたら、ネロもちゃんと休めたみたいで安心した。けど、ネロの寝姿なんてホント全然見てないんだよね。拗ねた口調で不満を漏らしていたら、ネロが目を細めて口元を緩めてくれた。優しい雰囲気が嬉しいって、俺も笑顔になってしまう。それなのに、ネロが唐突に言った提案に驚いてしまった。
「なんで急にそんな事を言うの?」
「俺は当分の間、夜間は外に出る。琥珀が一人で不安というのであれば、誰かといた方がいい。」
「いや。ネロの家がいい。ここがいい。」
「そうか。」
この家から出て行けって事なのかな。不安になって聞き返してしまった。ネロがゆっくりと言い聞かせるみたいに話してくれる。それを聞いてもここがいいって、駄々を捏ねてしまった。我儘を言ってしまったのに、ネロは目を細めて優しく相槌を打ってくれた。
それでも不安そうな顔をしていたらしい。ネロが手を伸ばして落ち着けるみたいに俺の髪を撫でてくれる。ゆっくりと優しく撫でつけてくれるネロの指先の感触を感じながら、寝癖でもついてたかなって自分の髪を触ってみた。
ってか、髪が伸びた気がする。起き上がって前髪を引っ張ってみた。この前色が変わった時にも思ったけど、やっぱ伸びてる。前髪でこうなら後ろも伸びてそうかな。髪を掻き上げながら後ろ髪を触ってみた。
「琥珀?」
「えっと、髪が伸びたなと思って。」
「そうだな。少し伸びたようにも見える。」
俺が体を起こして髪を触り出したのが気になったのか、ネロに呼ばれた。視線をネロに向けて、横になったままで俺を眺めるネロに、そのままの事実を伝えてみる。返ってきた言葉は俺を肯定している。ネロが見てもやっぱ伸びた感じがするんだね。
「やっぱそう思うか。ここに美容院とかは、ないよね。みんなはどこで髪を切ってるの?」
「魔法が使える者に頼む。もしくは技術のある者に頼む。」
技術のってのは髪のカットの技術のある人って事だよね、それは置いといて。魔法の使える者ってなんだ、魔法で髪を切るのかな。そんな事もできるの?
「えっ、それも魔法なの?」
驚きで目を丸くしてしまったら、ネロがコクっと頷いてくれた。髪切るのも魔法って、マジでこの世界は魔法だらけじゃん。日常生活を魔法で補助する系が多くないか?ってか、イメージする魔法って攻撃とか、防御とか、強化とか、戦闘で使うって感じだったのに。俺の中の魔法に対する常識が覆っていく。
それはそうとして、ネロの髪型がカッコいいんだけど、誰に切って貰ってるんだろ。その人に俺も頼んでみたいんですけど。カリスマのカット師みたいな人かな、超気になる。
「ネロは誰に切って貰ってるの?」
「自分で。」
マジか。自分で切ってそんなに整った髪型ができるのか。髪を切るのに特化した魔法があるって事なのかな。気になって聞いてみたら、ネロが返してくれた答えでびっくりしてしまった。
「ネロはそんな事もできるの?」
「昔、一人で旅をしていた。大概の事は自己完結が可能。」
「へぇ、そうなんだ。凄いな。」
「琥珀は髪を切りたいのか?」
そうなんですよね。髪が伸びてきたなって自覚しちゃうと、直ぐ切りたくなる人なんです。ってか、一人旅で自己完結が可能って、凄い魔法のレパートリーがある人だったんだ。魔法が沢山使えるって事なんだろうな。今までも魔法を普通にさらっと使ってたから、ネロは魔法も得意なのかなとは思ってたけどね。そっか、そうなんだね。
「うん。なんか伸びてモッサリしてきた感じがしない?」
「余り変わらない。」
変わらないって事はないと思うんだ。凄いわさってしてる気がしてきたんだよ。指を通すと結構重くなってる感じが指先に伝わるんだよ。でもまぁ、ネロがあんまり変わらないって言ってるって事は、傍目には変わらないかもしれないね。
「そう?」
「問題無い。」
でたよ、ネロの問題無い。この言葉は駄目だ。これを真に受けてはイケない。ネロの目をじっと見つめる。俺を眺めているネロの瞳を覗き込むように見つめ続ける。
「俺で良ければ、整えるか?」
根負けしたようにネロが提案してくれた。やった、ネロの魔法も見られて髪もすっきり。一石二鳥とはこの事ですね。にっこり笑顔で頷いたら、ネロの瞳孔が少し広がった。
「失敗しても知らないぞ?他人に対しては初めてだ。」
「大丈夫。失敗してもすぐ伸びるし。」
「分かった。床に座れ。」
言われた通りにベッドから下りて床に座り込んでみる。ネロが俺の背後に移動して、俺の髪に指を通してきた。少しだけ確認をしているのか、ネロの指が髪の間を梳くように撫でていく。
そして、手が離れるのと同時に、低く詠唱する声が聞こえてきた。ふわっと髪が巻き上げられる感覚と、髪を伝う引っ張られるような微かな刺激が心地いい。
髪を切られているというより、風に撫でられるような感覚だ。短時間の心地良い風が止んだと同時に、詠唱が変わった。水の気持ち良い感触がして、その後で暖かい風に包み込まれる。
ネロが離れたから散髪は終りらしい。振り返って、ネロに顔を向けてみた。視線の先で、ネロの手の中に火がついて一瞬で消えたのが見えた。
「終わった。」
「もう終わり?こんな短時間で終わるの?」
ネロが箪笥に移動して奥の方から鏡を取り出してきた。手渡された鏡を覗き込んでみる。そこに映っているのは、違和感満載の見慣れない色彩の俺だ。白金の髪に紺色の瞳の俺の姿。一瞬、誰だ?となって、ああ、色が変わったんだったね、と思い出した。自分の姿って自分で見る事がないから、改めてクリアに見て驚いてしまった。
ってか、ネロとかユリアさんとかアルさんは全然びっくりしてなかった気がする。一瞬、少しだけ驚いた感じはあったけど、後は普通に接してくれた。アルさんに至っては、何事もなかったように一切動じてなかった。アルさんは驚き耐性が高いのかもしれないね。
「琥珀?」
「あ、ごめん。この家は鏡とかあったんだ。知らなかった。」
そう、自分にも驚いたけど、鏡にも驚いたんだよ。なんで仕舞い込んでるんだろ。ネロは鏡が嫌いな人なのかな。
「余り使わない。」
「そして、自分の姿に驚いてた。」
「気に入らなかったか?少し切り過ぎた?」
心配そうなネロだけど、全く失敗してない。全然普通に美容院レベルな感じに見える。
「いや、髪型はばっちり。ありがと。色が慣れなかっただけ。初めてはっきり、くっきり見たから。」
「そうか。どちらの色も琥珀には良く合っている。」
前髪は微妙に眉にかかるくらい、横は耳にかかるくらいの自然な感じで整えてくれたっぽい。元の髪型を崩さずに、全体的に少し短くしてくれた感じだ。目に髪がかからないっていいね。鏡を返すと、受け取ったネロはまた箪笥の奥の方に鏡を仕舞い込んでしまった。
「切った髪の毛も散らばってないんだね。」
「纏めて燃やした。」
ああ、さっきの手のひらの火って髪を燃やしたヤツだったんだね。レオさんもゴミを燃やしてたな、同じ魔法なのかな。ほんっと、この世界の魔法は凄くない?燃えゴミはご家庭で処理できるんだよ。ヤバいでしょ。
「それも魔法だよね。」
「そうだ。」
戻ってきて隣にしゃがみ込んでくれたネロの手を掴んで、手のひらを観察してみる。大きな骨太の手のひらで、指は細くて綺麗に見えたけど、実は結構ゴツかった。指が長くて手が大きいから相対的に細く見えいただけみたいだ。俺の指より全然太かった。
綺麗な手だと思っていたら、実はゴツかった手に少しびっくりしながら、ネロの手のひらをじっくりと観察する。武器を扱うからか、ネロの手のひらの皮膚は少し硬かった。ひっくり返して手の甲も見てみる。
筋張って血管の浮き出た何というか、男の人っぽい手だ。よく見るとメッチャ男っぽい手なのに、指が長くて綺麗な手に見えてた。もう一度、ひっくり返して手のひらの皺をなぞるように指で撫でてみる。
手のひらで火の魔法って熱くなかったのかな。小さく息を吐き出すのが聞こえて、見上げると少し目を細めたネロが俺を見下ろしていた。真顔だけど、瞳には何かの感情が見える、気がする。
「手のひらで火を使っても火傷しないの?」
「一瞬なら。少し熱い程度。」
「俺も今度やって欲しい。手のひらで火とか、ヤバいよね。メッチャカッコ良かった。」
「それは駄目だ。」
「なんでよ。」
「琥珀は手のひらが柔らかい。火傷をする可能性がある。見るなら離れた所で。」
「むぅ。」
テンションが上がって俺にもって提案したら、却下されてしまった。ネロの言葉に不満の顔を見せると、頬を緩めたネロが俺の頭を撫でてくれた。そして、ネロは寝室から出ていってしまった。
ネロが去った後で自分の髪をもう一度触ってみる。全体的に梳いて髪の量も減らしてくれたのか、短くなった上に少し軽くなったような気もする。
寝室から出ると、ネロがお茶を淹れてくれていた。ソファの前のローテーブルの上に、湯気の立つカップと湯気のないカップが並んで置かれている。ネロは俺を待ってくれていたらしい。
ソファに深く座ったネロはリラックスした様子で、足を組んで俺を眺めている。俺と目が合って頬を緩めてくれたネロの隣に移動して、美味しそうなお茶を頂く事にした。自分で切った髪型が気になるのか、俺の髪を触ってくるネロに目を向ける。
「少し切り過ぎたかな?俺の感覚でやり過ぎた。」
「大丈夫。すっきりして気分爽快になった。ありがと。また伸びてきたらお願いしてもいい?」
謙遜してるネロだけどね、いや、ホント。美容院でカットして貰ってブローして、セットして貰ったみたいに綺麗にきまってた。鏡を見た時は、色の違和感で髪型は上の空で見てた感じがあった。
でも、思い返すとしっかり綺麗にセットされてた気がする。これがこの魔法の効果なのか、ネロの技術なのかは分からない。でも、美容院いらずって凄くない?またお願いって頼んでみると、目を細めたネロが頷いてくれた。
「ネロは自分の髪を自分で切るんだよね?」
質問してみると、ネロはまたコクっとうなずいてくれる。ネロから目線を少し上げてネロの髪を見てみる。短髪に近いけどレオさん程は短くない。ネロに良く合ってる髪型で、セルフカットには全然見えない。
「自分で切ってるのにそんなにカッコいい髪型になるんだ。凄い。」
「この髪型は好みか?」
「うん。ネロに合ってる。そして、その長さだと耳が強調されていいね。」
「耳か。」
俺の言葉の中の一単語を捉えて、ふっと目じりを下げた優しいネロに俺も笑顔になってしまう。もう隠さなくていいって素晴らしい。どれだけ猫耳を愛でても、この家の中なら許される、気がする。
「髪を切る時は耳は大丈夫なの?」
「最初の頃は少し切った。慣れで問題なくなった。」
「へぇ。って事は、魔法で自動じゃなくて、自分でコントロールしてるって事なのかな。」
「調整は自分でやる。」
「そうなんだ。やっぱ凄いね。」
オートで髪を切る魔法じゃなかった。ネロは魔法でのカットで、美容師さん級の腕前を持ってるって事が判明した。ネロはホントに欠点がなさ過ぎて、怖いぐらいに完璧なんだね。そのまま、まったりとお茶を楽しんで時間がゆっくり流れていく。




