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86 それで構わない

 下を見ながらゆっくり歩いていても食事場には到着する。やっぱり圧倒される風の大きなテントには目が釘付けになってしまう。俺がぼんやりと見上げてる隙に、ネロはバスケットを調理場に返しに行ってくれたみたいだ。


 ぼんやりと目の前の光景を眺める俺の視界に、黒い服が入ってきたのが見えて、顔を向けてみる。ネロは隣に立って俺を見下ろしていた。


「行くか。」


 短く促す声に頷いて、歩き出すネロの斜め後ろをゆっくりとついていく。俺を視界で捉えていない位置だと思うけど、ネロは俺の遅い歩みと同じ速度で進んでいる。ゆったりと歩くネロの尻尾もゆったりと揺れている。


「生の魚の料理、昼には用意できるとの事だ。」


 俯きながら、時々視界に入るネロの尻尾を気にして歩いていると、ネロが話しかけてきた。しょんぼりと歩いていた俺は立ち止まってネロを見上げてしまう。俺に合わせて立ち止まったネロが振り返ってきた。じっとネロを見つめてしまう。


「マスターが族長に相談して族長が即、海の魚を複数取り寄せた。昼には用意できる、との事だ。」


「アルさんが取り寄せてくれたの?」


 取り寄せるって、この村って僻地なんだよね。道のない森に囲まれた村だよね、宅配とかできるのかな。そもそも宅配業者なんて存在してるのかな。昨日注文して今日届きましたよって、かなり凄いじゃん。


「〈伝令〉、〈転送〉、〈冷凍〉、他にも使った可能性もある。族長は魔法の所持数が多い。」


「俺の一言でアルさんにまで迷惑をかけちゃったの?」


 あ、そうか。魔法がある世界だから魔法を使えば簡単なのか。でも、俺が食べたいって言っただけなのにアルさんまで動いてくれたんだ。


「迷惑、ではない。族長は寧ろ喜んでいる。マスターも食に無関心なガトの中に於いて、琥珀の食への関心を喜んでいる。」


「喜ぶってなんで?」


「族長は食した事のないモノを食せる、と。マスターは肉以外の料理に対しても反応がある、と。」


「そっか、良かった。」


「琥珀、俺も迷惑などと思った事はない。充足している。」


 伝えたい事を伝え終えたのか、ネロはくるっと前に向き直って歩き始めてしまった。ネロの後を追って俺も歩みを進める。ゆっくり歩いてくれるネロの後を追うのは凄く楽だ。


「歩くの遅かったり、体力なさ過ぎたり、直ぐ死にそうになるのに迷惑じゃない?」


「言っただろう。琥珀の隣は違うモノが見える、と。誰もが最初から速い訳ではない、体力がある訳でもない。死にかけて大変な思いをするのは琥珀自身。それを迷惑とは思わない。」


「ネロはホント優しいね。ありがと。」


 前を向いたままで頷くネロの後ろ姿をぼんやりと眺める。ネロは普段、口数が恐ろしく少ない。でも、こうやって落ち込んでる時は、直ぐに手を差し伸べてくれる。まだ若いのにネロの精神が驚くほど大人過ぎて、自分もこんな大人になりたいな、と思ってしまった。


 少し小走りで駆け寄ってみると、ネロは振り返って立ち止まり、待っていてくれる。ネロに並んで歩き出しながらネロを見上げる。俺に目を向けたネロは金色の目を優しく細めてくれた。


 俺と同じ歩調で歩いてくれるネロに、もう一回ありがとうと呟いてみた。長い沈黙の散歩の後で、漸く到着した市場には色々なお店が並んでいた。テントの入り口のカーテンだけを開け放っているお店もちらほらあるけど、大半は入り口を閉じている。今日は雨だからなのか、閉じてるお店が多いのかな。


 壁の布を柱の位置で分断して固定している感じのテントが多い。分断した部分をロールカーテンみたいに巻き上げて開け放つ構造っぽいね。テントの構造的には、普段は屋根だけあって壁全体を開け放っている店が多いのかもしれない。


 入り口から少し見える商品や看板から判断できるお店は、服屋さん、アクセ屋さん、武器屋さん、防具屋さん、食材屋さん、素材屋さん、そして本屋さん。結構な種類のお店があるんだ。そして、見える範囲でも、食材とか素材屋さんは一軒だけじゃなくて複数軒ある。


「食材屋さんがあるけど、家で料理をする人もいるの?」


「家族のいる家庭は家で料理をしている、多分。」


「ネロは料理をしないの?」


「肉を焼くくらい。」


 家でほんわか家庭料理もいい光景だろうな。子供さんがお手伝いとかして、お母さんとお父さんが仲良く料理とかいいじゃん。ネロはどうなんだろうね、っと思って質問したら帰ってきた答えにふふっとなってしまった。そうだね、ネロは料理とかしなさそうな感じだった。でも、器用だから、お肉を焼くのは凄く上手いのかもしれない。


「そっか。」


「少し、笑ってくれたな。」


 ネロがほっとした感じで、言葉を出した。笑うってなんだ、と疑問の顔でネロの顔を見上げてしまう。ほっとしたように優しく微笑んでいるネロが綺麗過ぎて少し見惚れてしまった。そっか、心配させちゃってたのか。こんなトコでも迷惑をかけちゃってたのか。目を逸らして丁度通りかかった服屋さんを覗き込んでみる。


「服が欲しいか?」


「あ、お金がないからいい。ネロが用意してくれた服もあるし平気。」


「用意した服は少し大きい。いい機会だ、ここで用意する。」


 服屋に入って行こうとするネロを慌てて止める。ネロのズボンを引っ張って、ネロの前に回り込んで見上げてしまう。困った表情で見上げると、ネロが目を細めた。


「ネロ。俺はホントにお金がないから買えないよ。」


「この村で金の心配はいらないと言っただろう?」


 片眉を上げて心底疑問だ、という顔のネロが俺を見下ろしてくる。なんでネロは他人の俺にお金を使って、それを気にするなって言えるんだろう。そんな高くないからなのかな。首を捻ってしまう。その間に、ネロはさっさとお店に入ってしまった。ネロを追いかけてお店の中に入ってネロの傍に移動する。


「気にするのであれば、何れ稼いで返せ。」


 ネロは服を見始めている。動けずにネロの傍で佇んでいたら、屈み込んだネロが優しく話しかけてくれた。金色の瞳には不安そうな俺の顔が映ってる。


 話は終りって感じで、ネロが俺の頭をポンと撫でてくれた。そして、ネロは服探しを再開してしまう。ネロの傍で動けずにいると、ネロは黒い服ばかりを引っ張り出して俺にあてがってくる。


「俺に任せていると、俺の選んだ服ばかりになる。それでもいいのか?」


 ネロが屈んで覗き込んできた。目を合わせながら、少し意地悪な顔をしている。その顔で、揶揄うような口調で話し掛けてきた。黙ってネロを見続ける俺の頭をもう一回撫でて、ネロが目を細めた。


「この後、本も買うのだろう?遠慮をしていたら何も得られない。甘えられる時には甘えておけばいい。」


「ホントにできるか分からないけど、何れ返す。で、大丈夫なの?」


「それで構わない。」


「本当にありがと。ごめんね。」


「問題無い。必要な物を選んだら後で届けさせよう。」


「うん。急いで選んじゃうね。」


 ネロの選んでくれた黒い服と合わせて、ボタンがない羽織るだけのとか、足の長さのあったズボンとかを急いで選んでいく。ネロの選んでたの以外で上下を3着ずつ選んで、ネロの元に向かう。これだけあれば着回せる筈。


 服を持ってネロの所に行くと、これだけでいいのか?と聞かれてしまった。これだけって、抱える程には多いよねっ。ってか、ネロの持ってる服も多いんだけど、自分の服も選んだのかな。疑問に思いながらも頷くと、ネロは受け取って奥に歩いていってしまった。


 少しして紙袋に入った服を抱えたネロが戻ってきた。首を傾げる俺に頬を緩めたネロがそのまま横を通って外に出て行ってしまう。


「後で届けて貰うんじゃなかったの?」


「こんなに少ないと思わなかった。これなら持って行けるだろ?」


 ネロを追いかけながら聞いてみると、返ってきたネロの返事に驚いてしまった。どれだけ沢山買ってくれるつもりだったのか。ネロは見上げる俺には視線を向けずに、本屋さんへと向かってるみたいだ。


 ネロの隣を黙々と歩き続ける。少し歩いて到着した本屋さんは、市場の他の店より大きなテントだった。他のテントみたいに壁をロールアップできそうな感じの軽装系のテントではない。凄く重厚感のある造りの大きなテントだ。


 中に入ると、大きな本棚が並んでいて、分厚い本がびっしりと詰まっている。適当に選べ、と告げたネロも本を探しているのか、俺から離れて行ってしまった。どこにどんな本があるのか分らない。ということで、うろうろと本屋さんの中を彷徨いながら、本を手に取ってぺらぺらと中を確認していく。


 挿絵が一切なくて文字だけの本が大半を占めている。挿絵はあっても、章毎の切り替わり、とか、目次だけとかだ。挿絵のある本はないのかも、と諦めかけていた時に漸く壁際で挿絵が多めの本を見つけた。


 絵本とかそういう感じなのかな。他の本より薄くて伝説や物語などを題材にしている感じの本が多かった。でも、こういうんじゃないんだよな。地理とかで地図が乗ってるような奴が欲いんだよ。


 少しだけがっかりして、もう一度本をゆっくりと探していく。一冊、凄く惹かれるタイトルの本で目を留めてしまった。『東の大陸・探訪記』と題された本の横にはずらっと探訪記の他の大陸や島シリーズもあるらしい。思わず『東の大陸・探訪記』を手に取って中を見てみる。分厚い本で手にずしっとくる。


 片手で持ちながら重さに思わず眉を顰めてしまう。中をペラペラと捲ってみると十数ページ毎に少しだけ挿絵が入ってたりして気になる。でも、本の装丁が豪華で重さを感じる程に分厚い本だから高そう、これは駄目だ。


 本棚に戻そうとしたら、横から延びてきた手がひょいっと本を持ち上げてしまった。手の主を辿ると、本を数冊持ったネロが俺の見ていた本をその上に重ねている。


「ソレは高そうだからいい。後ね、挿絵が沢山のは子供さん向きの本しかなくてちょっと違った。」


「そうか。では、この本だけでいいのか?他にはあるか?」


「む、その本は高くないの?俺が出世払いで返せる金額なのかな。」


「問題無い。」


 問題ないくらいの価格なのかな。ネロの問題無い、はどこまでがあてになるかは分からない。でも、超気になる本だし、甘えちゃってもいいかな。


「そっか。じゃあ、その本だけでお願いします。」


「分かった。」


 直ぐに会計に向かったネロの後姿を見送る。ホントに高くない金額なのだろうか。そもそも、この世界でのお金の価値が分からない。はー、やっぱ、地理の本とかを読んで、物価とかをもう一度ちゃんと学ぶべきなんだろうな。


 そうだよな、外に出たら自分で稼いで生きて行くんだよ。お金か、大変だね。生きていくって事はお金を使うって事なんだよね。一度気落ちすると、ループに入ってしまう感じがする。俺って基本楽観的なのに、変なとこで悲観的なんだよな。ヤな性格だと自分でも自覚はしてるんだけど、止まらないね。


「行くぞ。」


 俺を覗き込んで声をかけてきたネロの声でびくっとなって顔を上げてみる。両手に1つずつ紙袋を抱えたネロが目の前に立っていた。よく見ると、ネロを覆っている薄い風の膜が、ネロの抱えている紙袋も覆っている。


 ほぉ、手で抱えている袋も体の一部と認識されてるって事なのかな。俺が顔を上げたら、ネロは俺の横をすり抜けて外に出て行ってしまった。


 後を追って外に出た後で、歩きながらネロのズボンを掴んでみる。ズボンに手を触れると俺を覆っている風の膜がネロのと繋がった。手を離すと、空間を埋めるようにそれぞれの風の膜が閉じて隙間が埋まっていく。


 ネロの持つ紙袋に触ってみる。今度は風の膜は融合しない。どんな仕掛けになってるんだろ。紙袋から手を離して、今度はネロの腕を掴んでみた。お互いの風の膜がゆっくりと融合して泡に穴が開いたように繋がった。何かが違うのか。原理が気になる。


「このぴったりした〈シール〉は、このまま飲んだり食べたりもできるの?」


「できる。」


 風の膜がこんなに自由に動きまくるなら飲食も可能なのかなって聞いてみたら、ホントにできるらしい。凄過ぎるじゃん、超有能魔法だった。


「まじか、凄いね。雨の中でも食事ができるじゃん。」


「そうだな。」


「あ、でも。食事の方が濡れちゃうから結局は室内の方がいいね。」


 ネロが俺に視線を向けて少しだけ目を細めた。その後で、ネロは頷いてまた前を向いてしまった。ネロの横顔を見上げると、視線は真っ直ぐ前を見ながら耳だけをこっちに向けている。


「ネロは何を買ったの?」


「武器の本。」


「おお、挿絵がある本なのかな。」


「詳細な絵が載ってる。」


「後で俺にも見せて。」


「分かった。」


 また武器かって思ったら、クスッとなってしまった。ネロは何事にも興味なさそうに見えたけど、武器だけは違うんだね。そっか、趣味があるっていいよね。ネロが視線を俺に向けるてくれた。少しだけ優しそうな表情を向けてくれるネロにつられて、俺も笑顔を浮かべてしまう。


 家について〈シール〉を解除したネロは紙袋をテーブルに置いて、俺のマントを外してくれた。マントを畳みながらソファに向かうネロにくっついて、俺もソファに座り込む。背もたれに寄りかかってぼんやりと部屋の中を眺める。


 この世界で初めて、俺のお金じゃないけど買い物をした。お金っていうモノがやっぱりあるんだなって。食材屋さんがあってそこで買い物をして料理をする家族もいるんだって。服屋さんがあって生活する人達がいるんだって。


 いろいろと実感した事で、やっぱりここは現実なんだなって分かった。どれだけ現実逃避してても、本当にこの世界はゲームじゃないんだね。ネロが優しく受け入れてくれて、他の人達も凄く友好的で優しい世界に浸っていた。


 ある意味、ゲームっぽいからこんな優しい世界なのかな、とか思ってた部分もあったのかもしれない。もうこの世界に来て何日も経過してるのに、また改めて気付かされちゃった気がする。俺はこの世界で何をして、どう生きて行けばいいんだろうね。


 ネロがお茶を淹れて薬と一緒にローテーブルの上に置いてくれたのに対して、反射的にありがとう、と伝えていた。ネロは少しの間、止まって俺を見下ろしていたみたいだけど、テーブルの方に移動していった。


 ネロがテーブルの上の紙袋から本と服を取り出しているのが見える。服に〈浄化〉と〈乾燥〉をしたネロは服を畳んで重ねて寝室に運んでいく。ぼんやりとネロを目で追って寝室の方を見ていたら、ネロは直ぐに寝室から戻ってきた。


 ネロは俺に視線を向けて、目が合うと優しく目を細めてくれた。そして、重ねた本の山から俺の本と他に一冊を持ってソファに戻ってきた。俺の隣に腰を下ろし、分厚い俺の本をローテーブルに置いてくれる。ネロは俺の髪をサラッと撫でてから、自分の本を読み始めた。

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