84 眼が覚めたか?
ネロはバスケットを一旦床に置いて、ソファに向かってしまった。ネロを目で追い掛けていたら、ネロは俺の傍に戻ってきた。そして、マントを羽織らせてくれる。優しく丁寧にボタンを留めるネロを見つめてしまった。
マントが終わったら、ネロの詠唱が始まった。さっきお願いした通りの、ぴったりとした〈シール〉だ。腕を上げると、胴と腕が適度に離れたトコロで風の膜が分離した。そして、それぞれを覆うように風の膜が閉じていく。
凄い。感動のままにネロに目を向けてみた。ネロは自分には〈シール〉をせずに、そのまま出ようとしている。ネロのズボンを掴んで止めてみた。
ネロをじっと見つめてみると、頬を緩めたネロが自分にも同じ薄い膜を張ってくれた。にっこり笑顔で正解っ、と伝えて外に出る。歩き始めると、ネロが隣に並んでくれた。ゆったりとした足取りは俺と同じ歩調だ。
「これ、凄いね。」
「そうか?」
「うん。凄い。ありがとね。」
嬉しさを伝えたくて笑顔を向けるとネロが目を細めた。最近、ネロがこんな顔をよくしてるのを見る気がする。どんな感情なんだろ。もうちょっと表情に出ればいいのに。会話は直ぐに終わって、前を向いて並んで進む。
少しだけ歩くのを速めると、ネロが少し前に出て顔を覗き込んできた。首を振って何でもないよ、って伝えてみる。俺をじっと見つめたネロは、納得したのか、頷いてくれた。ネロは視線を前に戻してゆったりと隣を進んでいる。
ネロの動きを注視しながら、歩くのをすっごいゆっくりにしてみた。ネロの歩みも遅くなる。横を見ながら、早く歩いたりゆっくり歩いたりしてたら、食事場にもう着いてた。
目の前に広がる、大きな風のテントに覆われた食事場の風景は圧巻の見応えだ。食事場の手前で風のおっきな膜を見上げて、見入ってしまう。その間にさっさとバスケットを返してきたらしいネロが戻ってきた。手には小さなバスケットを持っている。
「琥珀と共に甘味を、と思って。」
ネロの持つバスケットを見ているのに気が付いたのか、ネロが教えてくれた。一緒に、ってのが嬉しくて笑顔で頷くと、ネロがまた目を細める。嬉しい時の顔かもしれない。分からないけど、多分そうだと思いたい。
帰り道でも、また早く歩いたりゆっくり歩いたりしながら、ネロの動きを観察してみた。どれだけ移動速度を急に変えても、ネロの動きは滑らかで、ぴったり俺に合わせてくる。
ネロを見上げると、視線は真っ直ぐ前に向いている。また目を足に戻して、ぴたっと立ち止まってみた。流石に止まるのは想定していなかったらしい。ネロは俺より少し遅れて立ち止まった。
俺を覗き込んできたネロが口元を緩めた。ふわっと俺を抱き上げて、ネロが猛スピードで家に向かって走り出す。流れる景色を楽しんでいたら、直ぐに家に到着していた。
ネロは家の中で俺を下ろして、〈シール〉を解除してくれる。そして、マントも丁寧に外してくれた。ソファに向かう俺に畳んだマントを託して、ネロはお茶の準備を始めるらしい。
途中でバスケットをテーブルに置いて、流しに移動したネロの尻尾は楽し気に揺れている。お茶を淹れてる間も黒い尻尾は楽しそうだ。でも、表情は無表情だね。
ネロの観察をしていたら、ネロがカップを持って戻ってきた。カップを手渡してくれるネロにお礼を伝える。ネロは頷いて隣に腰を下ろした。そして、足を組んでリラックスした様子でお茶を飲み始める。
俺も美味しいお茶を楽しませて貰う事にする。凄く香りが良くて、渋みと苦みのバランスもいい、そして甘さもちゃんとあるお茶なんだよね。飲んでると幸せになるお茶だ。まったりした気分になって、隣に顔を向けてみた。背もたれに寄りかかってリラックスな感じのネロが目を合わせてくれる。
「遊びは楽しかったか?」
「うん。ネロはやっぱり凄いね。どんだけ移動速度を変えても、ぴったりくっついてくるんだもん。最後もめっちゃ早かった。あれは全速力なの?」
「もう少し速い、かな。」
「ほぉ。今度、それを体感したい。」
「少し揺れる。」
「うん。それでもいい。ネロの速度を体感してみたい。」
にこにこで背もたれに寄りかかると、ネロが後ろから腕を回して髪を整えてくれる。温かくて長い指に髪を梳かれると気持ちがいい。リラクゼーションだね。ふーっと息を吐きながら上を見上げる。うとうとしてくるけど、デザートを食べてから寝たい。
でも、うとうとしてくる。俯いていく顔をなんとか持ち上げて、ネロの尻尾に目を向けてみた。ネロの尻尾は先端だけがパタパタ可愛く動いてる。
ネロの髪を撫でる手がなくなったら、うとうとも遠ざかってくれた。でも尻尾の動きを見てるとまた眠気が押し寄せてくる。アレは見ちゃ駄目な尻尾だ。目を閉じて、誘惑を振り払い、前を向く事にした。
「デザートを食べよ。俺はこのままだと寝ちゃいそう。」
「分かった。」
立ち上がったネロが手を差し出してきた。お茶を淹れ直してくれるらしい、その手を掴んで立ち上がってから、お茶のカップを手渡す。先にテーブルに移動して、椅子に腰を下ろした。
ぐでっとテーブルに手を伸ばして、それを枕にして頭を乗せて待たせて貰う。クスッと笑い声が聞こえて目を向けると、ネロがお茶を持って立っていた。
差し出されたカップを受け取って、お茶を口に含んでみる。いつもより熱く感じる温度だ。でも火傷しない絶妙な熱さ。一気に目が覚めた感じがする。
「今日のは熱いね。」
「眼が覚めたか?」
いつもの温度と違うのが意外で、ポツリと呟いてしまった。ネロはケーキのお皿の〈シール〉を解除しながら、しれっと答えてきた。敢えての熱いお茶だったらしい。
ネロはケーキを俺の前に置いて、自分の前にもガラスの器を置いている。ミニバスケットから取り出したのは、ガラスの器に入った少し白く濁った半透明のゼリーだ。見た目でも分る、酸っぱいヤツ。
いただきます、と手を合わせて、スフレケーキの端っこを切り取って口に入れてみた。口の中でほわっと広がる甘さと、しゅっと溶けていく感覚が凄く美味しい。
ミルクと蜂蜜とバターのいい香りがする。少し切り取ってネロに差し出すと、ネロは渋い顔で首を振った上に、ゼリーのスプーンを差し出してきた。俺も眉を寄せて首を振り返してしまう。頬を緩めたネロはそのまま自分で咥えて食べてくれた。
ゆっくりと味わいながらケーキを食べる俺の横で、ネロはゼリーをサクっと食べ終えていた。ネロはどうやらお疲れモードらしい。俺を待つ間に、テーブルに腕を伸ばして、腕を枕にして頭を乗せて俺を見上げてくる。
甘える猫のような動作が可愛く見える。思わず手を伸ばして髪を撫でると、ネロは猫みたいに目を細めてくれた。やっぱり目を細めるのは嬉しい時っぽい。少しだけど、表情の変化の少ないネロを理解できて良かった。
目の前の大きな黒猫を撫でながら、甘いスイーツを食す。幸せの極みだ。美味しい時間だけど、ゆっくり食べても終わりは来るものだ。名残惜しく最後の一口を食べて終了。ご馳走様でした。
食べ終わったら、ソファに戻るか、ベッドに行くかで迷ってしまった。お腹に物を入れたからか、熱いお茶のおかげかさっきまでの眠気は去ってくれた。
でもソファでまったりしてたら眠くなる気しかしない。う~ん、まぁ、顔を洗うか。顔を洗って口を漱ぐ。タオルは、っと思う前にソファに座ったネロが〈乾燥〉をしてくれた。
「魔法って近付いてなくてもできるんだ。」
驚いて率直な感想が口から飛び出てしまった。頷くネロに誘われるように、ネロの隣に腰を下ろしてネロを見つめる。
「知らなかった。本当に俺は知らない事だらけだね。ヤバ過ぎな気がしてきた。」
「学んでいけばいい。」
「ホントそうだね。」
ふーっと息を吐き出して、ソファに寄りかかると、肩に腕を回したネロがまた髪を梳いてくれる。それをされると眠くなっちゃうんだよ。でも、もう寝ても大丈夫かな。心残りのケーキは堪能してるからね。
うとうとしてくる眠気に、もう逆らう必要はないって思ってしまった。温かいネロの手が気持ちいい。そのままスッと眠りに入ってしまったらしい。
目を開けるとベッドの中で、隣にネロはいない。ネロはもう起きているみたいだ。天井から見える空は薄曇りだけど、もう朝になってるのが分かる。ソファで寝ちゃったっぽいけど、ネロは運んでくれたんだ。
それにしても、ネロが寝てる姿なんて数える程しか見ていない。ちゃんと寝てるのかなって心配になってきちゃう。でも、多分、そこら辺はしっかりしてるでしょう。
起き上がって伸びをしてから、箪笥から服を取り出して着替える。リビングに出ると床の上に武器が広げられていた。ネロが一つ一つの武器を丁寧に確認しながら保管庫に収めていく。
食器をバスケットに入れていた時とは比べ物にならないくらい丁寧な作業。武器を確認したくて、ネロは早起きをした可能性もある、かな。俺をちらっと見たけど、黙々と作業に戻るネロに近付いてみる。
ネロの傍に座って、足元の武器を覗き込んでみた。足元にあるのは少し派手な装飾の片手剣だ。手は出さないけど覗き込んでいると、ネロがしゃがみ込んで足元の武器を拾い上げた。そして、鞘から抜いて剣身を見せてくれる。
刀とは違う、刃紋の浮かばないシンプルな剣身であんまり惹かれない。ネロに目を向けて頷くと、ネロも自分で確認して、鞘に納めて保管庫に仕舞ってしまった。その後で、残りの出ている武器を全部纏めて適当に引き出しに入れていく。
「もしかして邪魔しちゃったかな。」
「いや、確認を始めると際限がなくなる。丁度良かった。」
成る程な~、と思いながら立ち上がって、新しい大きな武器の保管庫を眺める。容量は確実に今までの二倍以上はあると思う程に、非常に大きい。保管庫の天辺は俺が手を伸ばしても届かないくらいデカイ。
胡蝶と白雪が入ってるケースは、つま先立ちでぎりぎり触れるくらいの所にある。その下にガラスのケースが並び、少し間を開けて引き出しが6段、両脇には立てて収納する為の武器を支える腕みたいなでっぱりが並んでいる。
立てかけられた武器の一本を見て思い出した。この白くて金色の紋様のランス、俺がダウンしたから見られなかったヤツだ。これを華麗に扱うネロを見てみたい。
でもあれだ、今はネロは怪我で大変だからね。ネロが回復したら見せて貰う事にしようかな。武器を仕舞い終わったネロは保管庫の中を観察している俺から離れていった。
ネロを目で追ってみると、お茶の用意をしてくれるみたいだ。また保管庫の中に目を戻して、上を見上げる。綺麗なケースの端っこだけは見えるけど、中は見えない。綺麗な紅い武器達の姿はこのままじゃ見えないみたいだ。
小さく溜息を吐いて、保管庫の扉に手を伸ばして閉める事にした。扉に手を置くと、後ろから延びてきた手が扉に添えられて閉めてくれた。見上げると、優しく細められた金色の瞳が見える。振り返ると、お茶はもうテーブルの上にあった。ネロに手を引かれて、テーブルに向い椅子に腰を下ろす。
「琥珀。今夜から少しの間、夜間は仕事で出る。朝方には戻る。だが、帰宅が遅くなる日もないとはいえない。一人で問題ないか?」
隣に座ったネロが背もたれに寄りかかりながら、俺がお茶を飲むのを眺めてくる。目を細めるネロを見ながら、ゆっくりお茶を楽しんでいたら、ネロがゆっくりとした口調で仕事の事を話し始めた。
「夜間の護衛なの?」
「そんな所だ。」
「了解。一人で大丈夫。多分。」
そっか~、夜は一人か。でも、遠くに行く訳じゃないし、この家から移動しろとも言われなかった。だから平気だよね。何となく自分の中で納得していたら、ネロが立ち上がった。
ネロを目で追って首を傾げると、小さなバスケットを手に持ったネロが、今日はどうする?と目で問いかけてくる。ご飯の時間か、っと笑顔で頷いて俺も立ち上がる。
マントを持ってきて羽織って、ネロの傍に戻ってみる。待っていたネロが薄い膜の〈シール〉を俺にかけてくれた。そして、ちゃんと自分にもしてくれた。ありがと、と笑顔でお礼を伝えて外に出る。
「あ、今日も雨だから〈シール〉か。」
「当分の間は雨、多分。」
空を見上げて呟くと、静かな口調のネロが言葉を返してくれた。なんか、気候変動でもあったのかな。ここら辺では雨は珍しいって言ってたような気がするんだけど。のんびり歩く食事場までの散歩道、空を見上げて歩く俺の横をネロが寄り添うように同じ歩調で歩いてくれる。




