66 ちょっとだけ寝不足です
天井から漏れる光が明るくなって、アルさんが起き上がる振動を感じた。俺をベッドに残してアルさんが部屋の外に歩いていくのをぼーっと見守る。アルさんも歩く時に全然を立てない。スーッと流れるような体移動と姿勢が綺麗だ。
少しして、ブランケットを掛け直してくれる感覚で意識が覚醒した。ちょっとの間、寝てしまっていたようだ。俺が起きたのに気が付いたのか、アルさんがふんわりと微笑んでくれた。可愛い笑顔につられて、俺も笑顔になってしまう。
「おはようございます、アルさん。気分はどうですか?もう大丈夫?」
「おはよう、琥珀さん。昨日はごめんなさいね。ちょっと色々と思い出しちゃったみたい。歳を取ると涙脆くなって駄目ね。琥珀さんは目の下にクマができてるわね。寝れなかった?寒かったのかしら?」
「あ、寝るトコロが変わったからか。ちょっとだけ寝不足です。」
「あら。もう少し寝ててもいいわよ。ゆっくり休んで。」
「大丈夫です。起きます。」
煩悩の事を伝えられる訳もなく、差し障りのない内容でお茶を濁してみた。俺が起き上がると、アルさんが笑顔で頷いてくれる。アルさんは床に置かれていたバスケットを椅子の上に置いて、当たり前のように食事の支度を始めた。
バスケットから次々と食事を取り出したアルさんは、小さなテーブルの上に並べていってくれる。白パンと黒パン、目玉焼きとハムとグリーンサラダ、具の入っていない透明なスープと少しのフルーツ、後は桃色のゼリー。テーブルの上が食事で豪華になっていく。
あの桃色ゼリーはユリアさん特性の激甘なヤツだ。酸っぱいソースは付属してなさそう。楽しそうにテーブルの上に食事を並べていくアルさんをぼんやりと眺めていたけど、慌ててベッドから飛び降りてしまった。族長のアルさんに何用意させてるんだ、俺。
「アルさん、俺が並べますよ。座ってて下さい。」
「もう並べ終わるから、琥珀さんも座って待っててね。」
俺の言葉には全く耳を貸さずに、アルさんはニッコリと笑顔で椅子を引いて俺を座らせてくれた。宣言通り、アルさんは直ぐに食事を並べ終えてしまった。俺の前には理想的な朝食メニューが並び、アルさんの前にはフルーツとゼリーだけだ。
「お茶を用意しちゃうから、ちょっと待ってね。久しぶりにお茶なんか淹れるから、上手くできるかしら。もうちょっとコマメに自分でやらないと駄目ね。」
楽しそうに溜息を吐きながら、アルさんはお茶の支度を始めた。可愛らしいガラスのティーポットをアルさんがじっと見つめると水が溜まってく、マジックみたいだけど魔法だと思う。
下が平らになった球上のティーポットの胴体部分に、透明な水が半分ほど貯まったトコロで、アルさんがティーポットに手をかざした。水が少しだけ沸騰してくる。水が沸き立つ前に手を離して、ティーポットの蓋を開けてお茶の葉を加える。
ティーポットに蓋をした後、蓋を抑えるようにして少し蒸らしてるみたい。アルさんが蓋から手を離したら、ティーポットの中で開いていたお茶の葉が全部消えていた。
凄い、終始、滑らかで鮮やかな魔法だった。水を出すトコロから沸かすまで全部魔法でお茶の葉を加えるのは手動だけど、他の工程は全部魔法っぽかった。お茶の出がらしを消しちゃう所も魔法とか、凄すぎる。しかも、手はかざしていたけど全部無詠唱だった。
「アルさん凄い。こんな魔法は初めて見た。」
多分俺の目はきらきらとしていたと思う。だって超テンションが上がった自覚があるからね。寝不足、寝起きで少しぼーっとしていた頭がシャキッとするくらい、テンションが上がってしまった。
ネロがお茶を淹れてるのを見てた時もすげぇって思ったけどさ。アルさんのは超優雅で超丁寧でしかも無詠唱。そりゃ、テンションも上がるでしょ。
「あら、ネロはお茶も淹れないのかしら。困った子ね。」
「あ、ネロはお茶を淹れてくれるけど、アルさんのとは違った。アルさんのは凄かった。」
「そう。楽しんでくれたのなら嬉しいわ。」
テンションが上がって話す俺に、アルさんは嬉しそうな笑顔を浮かべてくれる。
「お待たせしちゃったわね。じゃあ食べましょう。」
アルさんが向かいに座って、ティーポットからお茶をガラスのカップに注いでくれた。ありがとうございます、と受け取って、いただきます、と手を合わせる。アルさんは静かに祈りを始めた。
食事前のガトの祈りって綺麗だよな、と思いながらアルさんの祈りを眺める。顔を上げたアルさんと目が合って、アルさんはにっこりと笑顔を浮かべてくれた。優しい笑顔に朝から癒されて食事を始める。
まずはグリーンサラダ、しゃきしゃきの野菜にスパイスが香る塩が振ってあって美味しい。ハムを少しナイフで切り取って口に運んでみた。塩分控えめで文句ないです。あと、炙った香ばしさがいいですね。
目玉焼きの半熟な黄身を少し破って、とろっと流れ出たトコロに白パンを小さくちぎってつけて口に放り込んでみた。うん、美味しい。幸せである。スープは薄い塩味で、ほのかに魚介系の香りがする。あっさりとしていて朝御飯に最適な味ですな。
ちらっとアルさんに視線を向けると、ちまちまとフルーツを食べていた。酸っぱかったのか、アルさんが少しだけ顔を顰めてしまう。耳が後ろにきゅっと反ったアルさんはメチャクチャ可愛い。
口直しのように桃色のゼリーをちょびっとだけ口に含んだアルさんは、ふわっと笑顔を浮かべた。そして、またフルーツを小さく切り取って口に運んでいく。フルーツの酸っぱさでまた顔を顰めて、ゼリーを口に入れてほっと笑顔になっている。
え、何。この可愛い生き物は、本当にお婆ちゃんなのかな。高齢な方で間違いないのかな。お年寄りって事で正しいのかな。どう見ても、俺と同年代の子にしか見えないんだけど。何これ。
あれか、猫耳からくる補正で頭が猫って変換して、全部が可愛く見えるヤツだ。多分そうだよね、めっちゃ可愛いんだけど。どうしよう、お持ち帰りしてもいいかな?いいよね。
(琥珀様がお持ち帰りされている最中です。)
う、そうであった。そうであったね、スツィ。君は正しい。
(はい。)
俺の視線を感じたからか、ふっと顔を上げたアルさんと目が合った。にこっと微笑んでくれるアルさんは、今見ていた食事をする姿とは違って落ち着いた大人の女性だ。さっきのは目の錯覚だった可能性が高くなったね。
「お口に合わなかったかしら、別のモノを用意する?」
「いえ。美味しいです。大丈夫です。あ、あと、俺はデザートはフルーツだけで大丈夫です。良かったら俺のゼリーもアルさんが食べちゃって下さい。」
ゼリーを食べる時のあのアルさんの幸せそうな顔を見たかったのと、酸っぱいソースをかけなければ多分完食できないであろう甘さのゼリー。2つを天秤にかけると自ずと答えは導き出される。ええ、片側にしか乗りませんよね、答えは1つ。
俺の言葉で、ぱーっと笑顔になってくれたアルさんにまた癒されてしまった。俺の側に置かれたゼリーをアルさんの食べ途中のゼリーの横に移動させておく。アルさんの視線がゼリーに釘付けになってて可愛い。
ゼリーも渡せたところで、自分の食事を再開する事にした。黙々と食べ進めて、フルーツも食べ切って、無事完食。ご馳走様でした。お茶を頂きながら、アルさんの食事風景を眺めさせて貰う。
今日のフルーツは白っぽい半透明の柑橘だった。俺はそんなに酸っぱ過ぎずに食べられたけど、アルさんにとっては酸っぱいっぽい。
俺のゼリーの出現により、アルさんはフルーツを更に小さく切って食べるようにしたらしい。俺が見始めた時には、アルさんのゼリーは空になって、俺の譲ったゼリーも半分くらいになっている。一方のフルーツのお皿はまだ半分以上残っている。
耳を後ろに倒したままで、アルさんが目を瞑って大きなフルーツの欠片を切らずに口に入れる。顔を顰めながら咀嚼して、こくんと飲み込んだ。ちょびっとだけゼリーをスプーンの先に乗せて、舐めるようにゆっくりと味わっている。
舌先が名残惜し気にスプーンを舐めとっている。甘さが嬉しかったのか、耳がぴんと立ったのが可愛い。ふわっと笑顔になった後は、真剣な表情でフルーツのお皿を睨みつけた。
ゼリーとフルーツの配分を計算していたのか、アルさんの中で答えが導き出されたらしい。またフルーツを切らずに一欠片を口に放り込んで口を動かしている。耳がきゅっと後ろに倒されてしまった。
目を瞑ってこくんと飲み込んで、少しだけゼリーを口に入れて笑顔になる。また、睨むようにフルーツのお皿を見つめる。見てて飽きない、めっちゃ可愛い行動のループだ。
ってか、このフルーツを食べる時の真剣な表情は見た事ある気がする。最近誰かも同じような顔をしてたような。この桃色のゼリーで連想される気もするんだよ。
あ、そうか。ネロだ。あの時、桃色のゼリーの最後の一口だけソースがかかってない所を食べようとした時に、アルさんみたいな真剣な顔をしてた。ガトの人はみんな、苦手なのを食べる時にはこんな気合いを入れて食べるモノなのか。
アルさんは、なんとか計算通りに、最後の一口をゼリーで終わらせる事ができたらしい。ほんわか笑顔になったアルさんが顔を上げて嬉しそうな笑顔を浮かべてくれた。
「アルさん、一晩泊めてくれてありがとうございました。でも、やっぱりネロの家に戻りたいです。心配なら、誰か他の男の人の家に泊めて欲しいんですが、ダメでしょうか?」
アルさんの食事が終わったという事で、アルさんに絶対に引けない提案をしてみた。だって、もう無理。また今夜も煩悩と戦うなんて無理過ぎる。公式なんてもう思い出せない。そんな事を考えているとは表情に出さずに、にこやかな笑顔で首を傾げてみた。
「そうね。私の所だと寝不足になっちゃうなら仕方ないわよね。でも、ネロの所は駄目よ。琥珀さんは病み上がりだから、一人にしちゃうの怖いわ。どうしようかしら。」
「あ、レオさんとか駄目ですかね?」
取り敢えず、アルさん以外なら誰でもいい。泊まらせてくれれば誰でもいいんです。で、浮かんだのが昨日の夜に護衛をしていたレオさん。
レオさんなら男だし、泊まらせてくれさえすればソファでいい。なんなら床でもいい。寝心地とか二の次なんだよ。今夜もここに泊まってアルさんの隣で寝る、という嬉しい拷問からは何としても逃げたいんです。




