61 冗談だからね
見当たらない武器が鍛錬場に置きっぱなしなのかと思い、外に出てみた。ひんやりとした空気と、しとしと降る小雨に驚いてしまう。空を見上げると、一面が灰色に霞んでいて、白い雨粒が無数に辺りに立ち込めて霧のようになっていた。予想外の天候に驚いて見上げてしまった。ぼんやりと見上げていたら、見下ろしてきた金色の瞳と目が合った。
「あ、お帰り。今日は雨だったんだ。」
「また体調を崩す。早く入れ。」
「りょーかい。」
部屋に入るとほんわか暖かい。部屋の中は空気もカラっとしてたから、雨なんて全然気が付かなかった。俺に続いて入ってきたネロが自分に〈乾燥〉をかけている。細かい水滴を纏っていた体から、水蒸気のように湯気が立ち昇って消えた。ネロの髪に手を伸ばして触ってみる。全然濡れてなくて、ドライヤーをかけたばかりのようにほんのり温かくなっている。
「〈乾燥〉って凄いね。」
「そうか?」
何でもない事のように答えたネロは、静かにソファに向かって歩いていく。ソファに畳んで置かれていたブランケットを掴んだネロが戻ってきて、俺に軽く巻き付けてくれた。俺を抱えて移動しそうな勢いのネロから離れて、自分でソファに移動しておく。ソファに腰を下ろすと、ネロも横に座ってきた。
「胡蝶と白雪がいなかった。どっかやっちゃったの?」
「少し預かっている。どこにもやってはいない。すぐ戻る。」
「そっか、良かった。あのね、昨日は薙刀も大太刀も凄く綺麗だった。見せてくれてありがと。ネロって使えない武器はあるの?」
「使えない武器。大斧が苦手、かな。大剣も。使えない事はないが。」
「へ~。じゃあ、今度それを使ってるトコロを見せてね。」
ちょっとだけ意地悪な気分になって、ニヤリと悪戯っぽい笑顔でお願いしてみた。俺と目を合わせていたネロが動きを止めてしまう。数秒間、無表情のままで瞬きもせず俺を見つめてくるネロに根負けしてしまった。
「冗談だからね。」
俺の言葉で時間が動き出した。一回、瞬きをしたネロは目を細めた後で、顔を逸らしてしまった。こんにちは~、お食事をお持ちしました~。外から聞こえてきたユリアさんの声で、ぴょんとソファから立ち上がって出迎えてみた。
俺が開けた事に驚いたのか、ユリアさんが目を丸くしている。めっちゃ可愛い。でも、ふわふわのクリーム色の髪が水気を含んでぺたんこになってしまっていた、服も濡れてて寒そう。慌ててユリアさんを家の中に招き入れてネロを振り返る。
「ネロ、ユリアさんに〈乾燥〉をお願い。このままじゃ風邪ひいちゃう。ごめんね、ユリアさん。雨って気付いてなかったから。こんな日に出前を頼んじゃって。ホントにごめん。」
ネロに〈乾燥〉を要請してみると、ソファに座ったままのネロがその場で言葉を紡いでいく。ネロの詠唱に合わせて、ユリアさんの周りに暖かい風が吹き荒れ始めた。
ちょっと風が強くないか、と思ってしまう程に風が吹き荒れている。ユリアさんの濡れてペタンとなっていた髪がフワッと風に靡いて、ふわふわになって、その後で強風でぼさぼさになっていく。
スカートとエプロンも風で捲きあがって、ちらちらと体の線が見えてしまう。目の置き場がなくて、目を逸らしていると風が止んだ。ユリアさんに目を向けると、髪も服も完璧に乾いてるっぽい。
でも、髪がぼさぼさになっていて、前髪なんて立っている。思わず手を伸ばして手櫛で整えてあげる事にした。ユリアさんの髪は、見た目通りのふんわりとした細くて柔らかい髪で触り心地がいい。
撫でるように前髪と横の髪を整えている間に、指がユリアさんの可愛い猫耳に触れてしまった。ピクリと動いた柔らかい猫耳の感触に思わず手を離してしまう。
髪を見ていた視線をユリアさんの顔に向けると、真っ赤になったユリアさんの薄緑の瞳が潤んでいる。猫耳なしだとしても抱き締めたくなる可愛さだ。ヤバい、耐えろ琥珀。そんな痴漢な真似はできない。
「ユリア、さっさと食事を。」
自分の心と戦っていると、後ろから低くて冷たい声が響いてきた。はっとしてしまった俺と、同じくはっとなったっぽいユリアさん。顔を合わせてニコっと笑顔を交わしてみる。
俺はユリアさんの食事の支度の邪魔にならないように、ソファに戻る事にした。ネロの隣にちょこんと座ってユリアさんが配膳してくれる様子を眺める。
スカートの尻尾用の隙間から飛び出ている、少し短めの尻尾が楽し気に揺れててメッチャ可愛い。ふわふわの髪の間から少しだけ顔を出している、小さめの猫耳も勿論可愛い。少し短いふわふわの尻尾と、小さ目の猫耳がユリアさんの特徴、かな。やっぱ、ユリアさんは後ろ姿も可愛い。可愛いは正義。
ネロみたいに、長い尻尾と大きな猫耳もいいけど、短くてちっちゃいのもいいよね。ってか、どのサイズも全部良さがあるんだよ。鍛冶職人のカイさんのまん丸尻尾も可愛かった。やっぱ、猫耳と尻尾は大正義で確定だよね。
俺はこの村で生活できて良かったわぁ。しみじみと思ってしまう。そうこうしているうちに、配膳も終わってユリアさんが振り返った。ネロに食後の返却を指示したユリアさんがそのまま出て行っちゃいそうになって、慌てて止めてみる。ユリアさんが不思議そうに小首を傾げる、その仕草。とても可愛いです。親指を立てたくなる。
「ネロ。傘とかないのかな。ユリアさんが帰る時にまた濡れちゃうよ。」
「『かさ』、とは?」
「えっと、濡れないようにするヤツ。」
「成る程。」
傘を知らない事実に内心ではちょっとだけ驚きながら、説明をしてみた。納得したらしいネロが詠唱を始めた。ユリアさんの周りに風の膜ができ上がっていく。
「ユリア、〈シール〉の解除はできるか?」
「マスターに頼みます。こんな大きな〈シール〉は初めて見ました。ありがとうございます~。」
「あ、ユリアさん。昨日の新作ゼリーはめっちゃ美味しかった。ネロなんてソースを掛けずに食べて動きが止まっちゃって面白かったんだよ。」
「琥珀さんのゼリーを食べてしまったと聞いたので、少しだけ意地悪をしてみました。効果があったのなら完璧です。」
ゼリーのお礼を伝えるのを忘れてた。思い出して良かった。ネロの事も話してみると、嬉しそうにユリアさんが悪戯っぽい笑顔で答えてくれた。ユリアさんの意地悪だったらしい。可愛い事をするんだなってフフっとなってしまう。
「じゃあ、完璧だね。あと、アルさんはきっとソースなしのあのゼリーが好きだと思う。今度作ってあげて下さい。」
「了解です。ネロさん、〈シール〉をありがとうです。琥珀さん、またです。」
ネロにお礼を言って俺に手を振って、ユリアさんは帰っていった。ユリアさんを見送って、テーブルに向かう。
「俺はもうずり落ちないから、ネロは向こう側で食べて。こっち側で二人だと狭いでしょ。」
「そうか。」
ネロの椅子はまだ俺の隣に置いたままなのを忘れてた。普通に隣に座ろうとしてくるネロに、もう大丈夫って事を強調してみる。椅子を移動させて向かいに座ったネロの為に、こちら側に配膳されていたネロ用の食事を運んであげる事にした。
てかネロの食事の皿、超重い。どんだけお肉を乗せてるのか。両手で持ってプルプルさせながら運んでいたら、ネロがさっと片手で受け取ってくれた。
今日のメニューは俺のは今日も食べ易い汁物のシチューだ。少し大き目の器の中のホワイトシチューに入っている具は、大きくもなく小さくもない程良い大きさの野菜と小さく刻まれた薄ピンク色のお肉だ。それと、白パンとヨーグルトっぽいデザートと、デザート用の薄い橙色の液体もあった。ネロは相変わらずの山盛りのお肉のソテーのみ。
「いただきます。」
手を合わせると、向かいに座ったネロも祈りを始めた。ネロが顔を上げたら食事の開始だ。器を手で持ってみると、熱々な感じで、バターの香りが食欲をそそる感じだ。
シチューの中の具を木のスプーン乗せて、フーフーしてから口に入れてみる。お肉とオレンジ色の野菜の欠片だったけど、メッチャ美味しい。お肉は鶏肉っぽい風味で歯応えが結構ある。野菜の方はホクホクで美味しい。
シチューのお味は、広がるミルクの風味とバターの香りに鶏肉のいい旨みが合わ去っていていいお味です。優しい風味と、優しい塩味でお腹に優しい一品ですよ。バターの風味はするけどくどくないのがいい。
白パンをちぎってシチューに浸して口に放り込んでみる。何度も言うけど、白パンの甘みにシチューの塩味が、以下略でとても美味しい。
同じような汁物系が続いているのに毎回、微妙に味が違って飽きが全くこないのが嬉しい。この村の料理人の人は凄いな。感心しながらも食べ進めていて、感じた視線に顔を上げてみる。
背もたれに寄りかかりながら、足を組んでいるネロと目が合った。テーブルの上を見るとお皿は空になっている。えっと、消えるマジックかな?さっき迄はお肉が山盛りだったよ。
まだそんなに時間が立ってない気がするんだけど、気のせいかな。視線をネロ→お皿→ネロって動かしてしまったら、ネロが面白そうに目が細めてしまった。ちょっと頬が緩んでるかな。微笑み一歩手前ってトコロか。惜しいですね。
「ちょっと食べてみる?」
提案をしてみたけど、ネロの返答を待つ気はない。白パンにシチューを浸して、零さないようにシチューの器を下に置いて身を乗り出す。ネロに手渡そうとテーブルの上に手を伸ばしてみた。
顔を寄せて、俺の手から直接食べたネロの行動に、一瞬頭が真っ白になってしまった。この人は俺に餌付けされてしまったのだろうか。
いや、確かに俺はここ数日、体調悪くてぼーっとしてたよ。ぼーっとしながら、ネロに普通に直接手から食べさせてた事もあったよ。でもね、普通に食べてくれたのは、病人相手だから断れなかったからじゃなかったのか。
この数日で警戒心ばりばりの猫が懐いてしまったって事なのだろうか。病人補正で保護対象だった結果、懐いたのかもしれない。でもな、保護されて懐くって展開はありそうだけど、逆もありえるのだろうか。
てか、護衛のトップがこんなんでいいのか?ガトのナンバー2がこんなんでいいの?俺は一応、人族で、得体の知れない召喚された人で、良く分からない人だよ。ネロはそれを知ってる筈なのに、差し出された物をひょいひょいと食べてもいいのか?
いろんな事が頭を駆け巡っていった。瞬きを何回かして、頭の中に浮かんだ考えを飛ばして、ネロをもう一回眺めてみる。目を細めている以外は、無表情で何を考えてるのか全く分からない。まぁ、いいか。白パンのお皿をネロにも届くようにテーブルの真ん中に置いて、シチューの器をその横に配置してみた。
「食べるなら一緒に食べよ。」
俺は自分の食べる分をせっせと口に運んでいく。視線は感じていたけど、食べ終わるまでは気にせず食事に集中しようと決めたんです。。そうして急いで食べていたら、白パンを食べ終わるのと同時にお腹がいっぱいになってしまった。
今日のシチューは量が多かったから結構残っちゃった。ネロに顔を向けると、言葉も出してないのに頷いてシチューの器に手を伸ばしてくれた。ネロが残りを全部食べてくれて、完食。
その後で、ネロは流しに向かいお茶を用意してくれた。お茶と一緒にヨーグルトのお皿とソースを俺の前に置いてくれる。ネロはマメに動いてくれるから、俺が動く隙がないんだよ。
自分の席に戻ったネロは、背もたれに寄りかかりながら足を組んで、お茶を飲み始めた。その恰好でお茶を飲むネロは見た目の綺麗さも相俟って非常に優雅に見える。
姿勢がいいのが優雅さの要因なのだろうか。黒い大きな猫耳も優雅さの要因な可能性も出てきた。猫耳って色んな属性があるんだろうな。
小さなスプーンを手にして、白い半液体の中に差し入れて掬ってみた。思ったよりプルプルで、弾力が結構ある。ヨーグルトだと思っていたから、その感触の違いにちょっとだけ驚いてしまった。
慎重に持ち上げて、まずはソースをかけずに口に含んでみる。杏仁豆腐のような優しい甘さが口に広がった。ソースを少しだけかけて、その部分を掬って口に入れてみる。優しい蜂蜜味の杏仁豆腐になった。美味い。
でも、これは甘さしかないからネロは無理だろうな。ちらっとネロを見ると、俺が食べる様子をぼんやりと眺めているネロの姿が目に映った。
「これは甘いけど。味見してみる?」
少し考えて、聞いてみる事にした。少しだけ眉を寄せて首を横に振るネロに、だよね、と納得してしまう。では、と蜂蜜を全部かけて心ゆくまで堪能させて貰います。
ご馳走様でした、と手を合わせるのと同時に、ネロが立ち上がって片付け開始だ。食器を全部バスケットに収納して、出て行こうとするネロの袖を引っ張って止めてみる。顔をこちらに向けてくるネロをじっと見上げてみた。




