58 いってらっしゃい、またね
夢も見ない深い眠りだった。目を覚ました時にもネロは傍にいてくれた。ネロの表情には感情は浮かんでない。でも、金色の瞳の中には優しさが見える気がした。
「おはよ。また寝ちゃってた。」
「気分はどうだ?」
「大丈夫。もう一度、胡蝶と白雪と合わせて。」
今回のネロは俺の言葉に対して、即、否定をしてこない。俺の目を見て頷いてくれたネロは、あの子達の事が分かってくれたっぽい。
「その前に薬を。運ぶぞ?」
返事も聞かずに抱き上げてくれたネロが、リビングに移動してソファに座らせてくれた。お茶を用意したネロは一緒に薬の包みも渡してくれる。苦い薬を一気に口に入れてお茶で流し込む。
ネロを見上げて頷いたら、武器の保管庫から2つガラスのケースを持って戻ってきてくれた。床の上に並べた二振の美しい紅い武器。ネロがガラスの蓋を同時に開けてくれる。紅い光の玉はそれぞれの武器の上で佇んだままで近付いてきてくれない。
「胡蝶、白雪。おいで。」
呼び掛けてみても、紅い光達は首を振るみたいにフルフルと小さく揺れる軌道を描くだけだ。二人は俺の傍に来てくれない。二人の反応が拒否してるみたいで悲しくなってしまった。
「俺の事は嫌いになっちゃった?」
更に大きく揺れて、否定を示してくれる2つの紅い光の玉を見つめてしまう。胡蝶も白雪もあの可愛い声で何も喋り掛けてくれない。俺の名前も呼んでくれない。
『琥珀、解き放って私たちの魂を。』
『琥珀、繋ぎ留めて僕たちの魄を。』
悲しくなって俯きそうになってしまった。それでも二人から目を離さずに見つめてみる。漸く震えるような綺麗な声で、二人が語り掛けてくれた。決意を言葉に出した二人の心が凄く伝わってくる。
「うん。白雪の想いと胡蝶の気持ち。大切にしたい。」
二人の想いを受け入れて、泣きそうになりながらも思いを伝えてみた。俺の言葉を聞いて、耐えていた体を解放するように、俺の所に飛んできてくれた2つの紅い光の玉を抱き締めてしまう。
もう腕を離したくない。二人をこのまま、ここに閉じ込めておきたい。そんな気持ちを必死に抑える。腕を開くと、二人が俺の顔にすり寄るようにふわふわと浮かんでくれた。紅い光達をそれぞれの手で抱えて、少しの間、また閉じ込めてしまう。
「胡蝶、白雪。ありがとね。待ってるから、必ず帰ってきてね。」
『兎霞・胡蝶は琥珀の導きを頼りに必ず帰る。兎霞の名は琥珀に委ねる。』
『烏隠・白雪は琥珀の光を頼りに必ず還る。烏隠の名は琥珀に託する。』
2つの紅い光が収束して右手の人差し指に集まっていく。光が収まると、美しい指輪が人差し指に嵌まっていた。深紅の七宝焼きのような光沢のある輪に、白銀の雪の結晶とそれに止まる白銀の蝶が装飾されている美しい指輪だ。
『琥珀、僕たちが戻るまでその導きを離さないで。』
『琥珀、私たちが戻るまでその光を離さないで。』
「うん。戻って来るまで絶対に離さない。いってらっしゃい、またね。」
光が消えていく感覚を見送る。完全に気配がなくなってからもう一度、指輪に目を落としてみた。胡蝶と白雪を模した美しい指輪が俺の指にいる。スツィ、本当に綺麗な指輪だね。
(アイテム【兎霞の導き 烏隠の光】:精神力+100 魅力+100 火耐性+100 水耐性+100 風耐性+100 光耐性+100 闇耐性+100 幻耐性+100 美しい、いい指輪ですね。)
うん。スツィありがとう。いい指輪だね。今はもうここにいないのに、それでも俺を守ってくれてる。胡蝶、白雪、ありがとう。つるっとした表面の指輪を撫でてみる。
少しの間、指輪を撫でていたけど、顔を上げてネロを探してしまった。壁に寄り掛かって腕を組み、黙って見守っていてくれたネロの姿を見付けてほっとしてしまう。
「ネロ、今直ぐ神樹の所に連れてって欲しい。」
「体調が戻ってからでは駄目なのか?」
目が合って、一瞬驚いたように止まったネロにお願いをしてみた。俺をじっと見つめていたネロが少しの間を置いて答えてくれた。
「今行きたい。ごめん。」
「謝るな。なるべくゆっくり行く。水差しはどうする。」
「持ってく。」
「そうか。少し待て。」
俺の無理なお願いをネロは聞いてくれるみたいだ。了承はしてくれたけど、先に武器を片付けるらしい。床に置かれたままの二振の武器が収められたガラスのケースを、丁寧に仕舞っているネロの姿を見守る。
凄く丁寧で丁重な扱いだ。ネロの心遣いが嬉しい。って言っても、ネロは武器の扱いはいつも丁寧だった。ネロに使って貰う武器達は幸せなんだろうな。胡蝶と白雪みたいに心がある子も、ない子もきっと幸せなんだと思う。
如雨露を取り出すネロをぼんやりと眺めてしまった。傍に来たネロが俺の体にブランケットを巻き付けてくる。俺を抱き上げたネロは俺を右の腕の上に座らせてくれた。不安定にならないように、背中に腕を回して左手で支えてくれる。
ネロの肩に手を添えて自分でも体を固定してみた。座った姿勢のままで、入り口まで移動したネロがサンダルを履かせてくれる。履かせてくれる間、背中から支えの腕が離れてしまった事で、体勢が不安定になってしまった。
ネロの肩に強く掴まってもネロは全然気にした様子もない。ただ、心配だったのか一瞬見上げてきた金色の瞳は、やっぱり心配そうな光を湛えていた。見つめ合ったのは一瞬で、器用にサンダルを履かせてくれたネロがまた背中を抱えてくれる。
久しぶりに出た外はいい天気で陽の光が眩しい。ネロの肩に腕を回して体を固定しながら、空を見上げていると体が浮いた。フワッとした浮遊感は一瞬で、後は振動も揺れも何も感じない。風の動きだけを少し感じる程度だ。
「籠じゃないの?」
「この方が安定する。振動も少ない。」
「そっか。ありがとね。」
俺を抱っこしたままで向かうらしいネロに驚いて質問してしまった。ネロは前方に視線を向けたままで答えてくれる。納得してお礼を言ったら、頷いてくれた。ネロのぴんと伸びた耳をぼんやりと眺めてしまう。
警戒しているのか、時々動かしている黒い猫耳を見ていると到着していた。いつもより長い時間をかけて移動していた気がする。そっと下ろしてくれたネロが、俺がしっかり立ったのを確認して、ブランケットを解いてくれた。手渡された如雨露を受け取ってネロを見上げる。
「ちょっと行ってくるね。ありがと。」
言葉を掛けて、頷いてくれたネロに笑顔でもう一度お礼を伝えてみた。ゆっくりと転ばないように慎重に根っこの橋に向かう。橋を渡る時に、一筋の根が腰の高さに伸ばされて、手すりのようになってくれた。
根っこを掴んでみた。俺の歩調に合わせて、根っこもゆっくりと移動してくれる。神樹も俺の体調を心配してくれてるらしい。神樹にはホントお世話になり過ぎだ。お礼の言葉を言っても言い足りない程にお世話になっちゃってる。
橋を渡り終わって、神樹の前に立って幹に手を当ててみた。上を見上げてお礼の言葉を伝える。胡蝶と白雪をお願いね、と呟いてみると、神樹が上空の葉を揺らして応えてくれた。
言葉は分からないけど、俺の気持ちは伝わってくれてる、かな。さわさわと語り掛けてくる葉擦れの音を楽しませて貰った。その後で、ゆっくりと池に向い如雨露に水を汲む事にする。
水面は凪いで波一つなく、水面に空の青さを綺麗に映していた。屈んで水を掬う時に、少しの違和感を感じて水面を眺めてしまう。少しやつれた俺の顔が鏡のような水面に映し出されていた。
顔は俺で間違いない、違いがあるとすれば色だ。モーティナの月の光を霞ませて何層にも重ねたような深く透き通った紺色の瞳と、陽の光を雲で隠した時に差す光の筋ような輝く白金色の髪の、俺の姿が目に映る。
俺の顔をした他の人がいるのかと、顔を上げて後ろを見てしまった。勿論いる訳もなく、もう一度水面をに目を戻してみる。色の違う俺と目が合ってしまった。自分の顔を触ってみると、水面の中の俺も顔を触っている。
日本人にしては少し色素が薄いけど、俺は明るい栗色の髪と赤が強い栗色の瞳の色だった筈、だよね。母から受け継いだ栗色は、母に似た容姿の俺によく合ってたと自分でも思う。違う色の自分を見つめながら考え込んでしまった。
少し考えてみたけど、いつまで眺めても色は変わらない。まぁ、いいか。今はそんなの問題じゃない。如雨露に水を汲んで、神樹の根にぐるっと一周ゆっくり時間をかけて水を注いで回る。
ふわふわと周りを漂う薄緑色の光の玉が、今日は異常に少ない。十にも満たない。光の玉は俺の傍に寄ってきて、ゆっくり漂った後で消えていってしまった。
樹の子供達が少ない事と、その子供達の元気のなさが気になって眉を寄せてしまう。異常な事態に動きを止めて考え込んでみる。不意に、空気が俺を慰めるように撫でてくれた気がした。
上を見上げて絶句してしまう。さっき、神殿の向かい側の池の向こうから見えた景色は、全然普通で、いつも通りだった。蒼々とした葉っぱが生い茂った立派な神樹の姿が見えていた。
今、目に映るのは、満開の白い花と薄紅色の花の群れ。まるで日本の春の景色のような、桜の花が咲き乱れる美しい光景。俺を慰めてくれるように、花びらがひらひらと舞い散る光景に目が奪われてしまう。
もう一度、ありがとう、と樹の幹を撫でてみる。返事をしてくれるみたいに、更に花びらが舞い落ちてきた。胡蝶と白雪をお願いね。小さく呟いてみる。
花びらに混じって、薄緑色の光の玉が少しだけど出てきてくれた。分かったよって言ってくれるみたいに、樹の子供達が明滅を繰り返してくれる。ちょっとの間、花見を楽しませて貰った。
根っこの橋を渡って、ネロの元に戻り振り返って中州に目を向けてみる。桜の古木のような威風堂々たる大木に、満開の白い花と薄紅の花が咲き乱れている。凪いだ水面にも、同じ立派な大木が映し鏡で花びらを舞い散らせている。
「綺麗だね。故郷の風景に似てるんだ。」
ネロに伝えようと、呟いた声が震えてしまう。何も言わずに頭を撫でてくれるネロの手のひらが優しく感じる。ネロの優しさと、神樹の優しさ、白雪と胡蝶の優しさや、樹の子供達の優しさ。全部が伝わって涙が零れ落ちてしまった。
暫くの間、ネロは何も言わずに、俺の後ろで一緒に神樹を見ていてくれたんだと思う。時間が少し経過して、瞬きを数度して顔を覆い涙を顔から拭い去ってみた。
再度顔を上げた時には、葉っぱの生い茂る綺麗な緑しか見えなくなっていた。あれ程舞い散っていた花びらは跡形もない。水面や地面に落ちた花びらも痕跡すらない。
「ネロ。俺は幻でも見てたのかな?」
「俺にも見えていた。美しい花の咲き乱れる光景。初めて見る景色。」
「うん。綺麗な花の風景だったね。良かった、一瞬、俺だけに見えた幻覚だと思っちゃった。」
「幻覚ではない。もういいか?」
冷静に俺の言葉を否定してくれたネロにフフっとなって了承の意味で頷いてみる。俺の手から如雨露を抜き取ったネロは、ブランケットを巻き付けてくれた。
来た時と同じように、座った姿勢のままで俺を抱き上げたネロは何の振動も衝撃も、風の動きすら感じさせずに移動していく。ネロの腕の中で後方に消えていく神樹の姿をずっと見つめてしまった。見えなくなっても、存在を感じる気がして後方をずっと見つめてしまう。




