52 それ、美味いな
こんにちは~。の元気な声にネロの答えを待つ時間が中断されてしまう。ユリアさんのタイミングはいつも絶妙だ。膝枕中の俺の頭をそっとソファに下ろしたネロが、ユリアさんを出迎える為に移動していった。
ネロの脇から滑り込むように入ってきたユリアさんが、寝転がったままの俺に元気よく挨拶してくれた。体調を気遣って心配してくれるユリアさんが天使に見える。
ユリアさんは今日も安定の可愛さだ。テーブルに向かったユリアさんの後ろで、ほわほわと揺れる少し短めの尻尾をぼんやりと眺めてしまう。直ぐに配膳が終わったのか、くるっと振り返ったユリアさんがこちらに歩いて来る姿が見える。
俺の傍でしゃがみ込んだユリアさんは俺の額に手を置いてくれた。ひんやりとした柔らかな手の感触と、屈んだ時にちらっとシャツの隙間から見えた胸元にドキドキする。あ、熱が上がりそう。
「やっぱり熱が高いみたいですね。今日は滋養のあるスープにしましたから、たくさん食べてゆっくり休んでくださいね。食べられるか、分からないけどゼリーも用意しました。残しちゃっても大丈夫なので、食べられるだけ食べて下さいね。じゃ、ネロさん後は宜しくお願いします。」
屈んで額に手を置いたままで、優しく話し掛けてくれるユリアさんにコクコクと頷いてみる。優しい笑顔でニコッとしてくれたユリアさんは、手を振って出て行ってしまった。ユリアさんを見送っていると、ひょいっと、ネロに抱き上げられてしまった。
椅子に運ばれて、普通に腰を下ろしたネロの膝の上に置かれていた。今日は横向きじゃなくて、ネロの膝の上で椅子に座るようなネロに背中を向ける体勢だ。背中がひんやりで気持ちいいけど、居心地は凄く悪い。
「ちょ、もう一人で食べられる。ホントに大丈夫だから。昨日も椅子に座れてたでしょ?下ろして。」
ネロの膝から下りようと踠いてみたけど、両肩から胸の前にネロの腕ががっちり固定されていて動けない。何これ、絶叫マシンのストッパーかなにかなのか。そのままネロは俺の前で両手を組んで俺の後頭部に鼻先を付けるように頭を下げたみたいだ。
・・・無視かよ。もう、投げやりになっていただきます、と手を合わせてしまった。頭の後ろでネロがフフッと笑った感じがする。ネロは気にしないようにして、目の前のスープの器の前に置かれているスプーンに手を伸ばしてみた。
俺の手がスプーンに届く前に、ネロがスプーンを摘まんでスープの器に差し込んでしまった。手の行き場を失くして、口を半開きにしてネロの行動を見守ってしまう。半開きの俺の口の中にスプーンを器用に突っ込んできたネロの手を掴んでスプーンを奪い返してみた。
取り敢えず、口の中に入れられたスープは飲み込むしかない。スープの器の中にスプーンを戻して、ネロに向かって振り返ってみる。抗議の意味を込めて、睨んでしまった俺の視線を受けてもネロは全く怯まない。
全く気にした様子もなく、テーブルの奥の方に置いてあるサンドイッチに手を伸ばしたネロが食事を開始した。心配してくれる気持ちは伝わってくるんだよ。ただ、恥ずかしいんですよ。
体調悪くてもお膝に座って食べさせて貰う状況はめっちゃ恥ずかしいの。小さなお子様になった気分になっちゃうんですよ。
飄々としているネロに根負けしてスープをちびちびと飲んでいく。ってか、このスープめっちゃ美味しい。昨日と一昨日は、あっさり味のサラサラの薄い塩味のコンソメスープで、刻んだ野菜がたくさん入った野菜スープだった。
今日のスープはクラムチャウダーっぽい貝の風味がする濃厚スープだ。とろっとしたとろみのある白いスープの中に刻んだ野菜が入っている。微かに生姜のような風味がして、優しいミルクと塩味で満足感もある。野菜の中に時々貝とか、イカのような食感があるから歯応えもいい。
夢中で食べている斜め後ろでネロもサンドイッチを黙々と消費していっている。どうでもいいコトだけど、こんなに距離が近いのに咀嚼音が全くしない。凄いな。今日は昨日より更に少なくしてくれたらしいスープは無事完食できた。
「ネロもこの体勢だと食べにくいでしょ。俺も食べにくい。明日からは椅子に座ろう。」
「分かった。」
食事が終了したトコロで、ちらっと斜め後ろに視線を向けて提案してみた。今回の俺の抗議は受け取ってくれたらしく、ネロが耳元で低く一言で答えてくれた。ネロが俺の前に透明なオレンジ色のゼリーの乗ったガラスの器を置いてくれた。
「食べられるか?」
耳元で問い掛けてくる声に頷いてゼリーを眺める。〈照明〉と天井の隙間から入る陽の光を浴びてきらきらと輝いているオレンジ色のゼリーに、小さなスプーンを差し込んで持ち上げてみた。思ったより柔らかくて、液体に近いジュレのような感触だ。持ち上げると、更にキラキラと輝いてるのが綺麗。
零さないように慎重に口に運んでみる。強めの酸味に適度な甘味が合わさって、めちゃくちゃ爽やか。酸味の感じはオレンジとかレモンとか柑橘系っぽい。甘さの感じはライチのっぽい瑞々しさで、さっぱりとしている。
これは、お裾分け決定でしょ。声も掛けずに、スプーンで少し掬って、零れないように下に手を添えたままで、ネロの口元にそろそろと運んでみた。
体を捻りながらの体勢で、小さなスプーンから溢れそうな柔らかいゼリーを運ぶのは結構難しかった。無事ネロの口元まで運べた事にほっとして、食べて、ってネロを見つめてみる。首を軽く横に振って口を開いてくれないネロを睨んでしまった。
ネロの唇にスプーンを近付けたままで手を動かさないでいると、諦めたネロが少し口を開いてくれた。スプーンをネロの口の中に差し込もうと思った瞬間に、ゼリーがつるっと滑って俺の手の上に落ちてしまった。
口を少し開いたままのネロと、もう何も乗っていないスプーンを持った俺の視線が、手の上のゼリーに注がれる。口に入れる直前で失敗した自分に失望して、はーっと溜息を吐いてスプーンを引っ込める事しかできない。視線を逸らした途端に、手のひらに伝わるにゅるっとした感触にびっくりしてしまった。
視線を戻すと、ネロが俺の手の上のゼリーを舐めとっていた。慌てて手を引いて、ネロの口から手を離してしまう。ネロは満足そうな笑みを口元に浮かべて目を細めている。ネロの行動が唐突過ぎて顔が赤くなってしまった。
直ぐに、詠唱を始めたネロが俺の手を〈浄化〉してくれる。ネロの悪戯はちょっとびっくりしたから、ネロを軽く睨んでみた。でも、〈浄化〉してくれた俺は伝えたい。ありがとう、と呟いて視線を逸らしてしまった。
「それ、美味いな。」
何事もなかったように、ゼリーの感想を呟いたネロに視線を戻してみた。もう少しくれ、とネロが口を少し開いて待っているのが見える。ネロのリクエストに応えて、今度は更に慎重にスプーンに乗せたゼリーをネロの口に運んでみた。
でも、駄目だった。ゼリーはまた俺の添えてる手のひらの上に零れ落ちてしまった。溢したゼリーはまたネロによって舐めとられてしまう。そして、直ぐに〈浄化〉で綺麗にされていた。今度こそ、と途中まで同じようにゼリーをネロの口に運びかけて思い直した。
両脇からストッパーみたいに固定しているネロの片腕を挙げて、ネロの膝の上で横向きに座り直してみる。ガラスの器を手で持って、ネロの顔の前まで持っていき、スプーンの移動は最小限にした。これで完璧である。これなら零す可能性は少ないし、落としても器。
ふふん、とどや顔をしてみせると、金色の瞳の中の瞳孔がぶわっと広がった。瞳孔は直ぐにシュッと細長く戻っちゃったんだけどね。驚かせる事ができたって事は、流石のネロも盲点だったようである。俺の勝利。
ニコニコといい気分になりながら、ネロの口にゼリーを運んでいく。気が付いたら、ゼリーはなくなっていた。・・・俺、一口しか食べてない。
「ゼリーなくなっちゃった。俺は一口しか食べられなかった。」
「またユリアに用意させる。」
苦笑したネロが慰めるように俺の頭を撫でながら答えてくれた言葉に驚いてしまった。
「もしかしてユリアさんが作ったの?」
「そうだ。」
「今までのケーキとかもユリアさんが作ってたの?」
質問を重ねても、全てに頷いて返すネロを見つめてしまう。デザートも料理人の人が作ってるんだと思ってた。それくらい、料理のクオリティもケーキのクオリティも凄いモノがあった。
「お菓子は全部ユリアさんが作ってるの?」
「基本的には。子供達以外は族長くらいしか食べてくれなくてつまらない、と言っていた。琥珀が美味そうに食していると伝えたら、喜んでいた。」
「まじか。あんな可愛くて、お菓子作りが趣味とか。可愛過ぎるじゃないか。」
「そうか。」
テンションが上がってユリアさんを褒めまくってしまった。ネロは興味なさそうに適当に相槌を打っている。どうでもよさそうに返してくるネロを睨んでしまった。
ネロはなんでいつもこんなに冷めた反応なんだろ。あんなに可愛いユリアさんでテンションが上がらないとか、いつ上げていくんだよ。
「でも、ネロがあんなにゼリーを好きと思わなかった。俺ももっと食べたかった。」
残念だ、と頭を垂れてしまうと、ネロが優しく頭を撫でてくれた。多分だけど、慰めてくれてるのかな。考えている間に俺を持ち上げたネロが立ち上がった。
ソファに俺を座らせて、お茶を用意して手渡してくれる。その後で片付けを始めたネロをお茶を飲みながら眺める。
食器を収納し終わったバスケットを持ったネロが、一旦俺に視線を向けてきた。大丈夫って意味で頷いてみる俺の反応で安心したのか、ネロはあっさりと外に出て行ってしまった。
ふーっと息を吐き出しながら、背もたれに寄り掛かって天井を見上げてしまう。ゼリーが食べれなかった悲しみを吹き飛ばすように、更にもう一回小さな溜息を吐いてしまった。
そのまま横になって、ローテーブルの上に置いていた本を手を伸ばす。読もうかな、とぱらぱらとページを捲ってみたけど、今日は駄目だ。全く集中ができない。本に目を向けながらも、ころころとうつ伏せになったり、仰向けになったりしながら、寝やすい体勢を模索してみる。
丁度うつ伏せになったタイミングでネロが帰ってきた。手には小さなバスケットを持っている。俺の興味は全てミニバスケットに集中してしまった。そこに釘付けになりながら、お帰りっと声を掛けていた。
ミニバスケットを持つ手に俺の視線が集中してるのが分かったらしい。ミニバスケットを上、下と動かすネロの手の動きを目が追ってしまう。途中で揶揄われている事に気が付いて、ネロに視線を移してむっとしてしまった。
頬を緩めたネロが近付いてくる。近くでしゃがみ込んだネロがミニバスケットを開けて中を見せてくれた。中に入っていたのは予想通りのゼリーちゃん。それも大きなガラスの器に1つと、さっきの器くらいの小さなのが1つ。
「琥珀のを食べてしまったと伝えたら、怒られた。栄養があるモノだから、ちゃんと琥珀に食べさせろと持たされた。俺も食べると言ったら、睨まれて少しだけ分けてくれた。」
疑問の視線でネロを見ると教えてくれた。ネロの言い方で、ユリアさんの怒った顔と口調を想像してしまってクスッと笑ってしまう。
「ホント、ユリアさんはネロにもちゃんと意見ができるんだね。みんなはネロに対してなんかこう、なんていうんだろ。」
言い掛けて、言葉を選んで言い淀んでしまった。苦笑したネロが頷いてくれる。
「ユリアと琥珀だけは最初から態度が変わらない。族長もそうだが、あれは特殊。」
「俺?態度に出さなかっただけで、最初はめっちゃ怖かったよ。超緊張したし。で、今はネロは優しいから、かなり我儘になってるかも。ごめん。」
「そうか。」
「でも、みんなは怖がってるっていうより、尊敬とか大好きって感じに見える。」
「そうか。」
俺に対してのそうか、とみんなに対してのそうか。同じ言葉なのに、なんかニュアンスが違う感じがした。基本、無表情が言葉にも出てるネロだから、気のせいだと思うけどね。
「今、食べるか?」
「ん~。なんか食事は終了したって感じだから、3時のおやつにしよう。」
「分かった。」
バスケットの蓋を閉じて、〈シール〉の魔法をバスケット全体にかけるネロを横になって眺める。バスケットは一旦テーブルの上で保管らしい。おやつの時間が待ち遠しいですね。
ネロがソファの前で跪いて覗き込んできた。ん?と見上げると、寝るか?と聞いてくれた。コクっと頷くと、寝転がったままの俺をネロが苦もなくひょいっと持ち上げてくれた。
サラッと持ち上げて表情一つ変えないネロに驚いてしまう。てか、何度も言うけど、めっちゃ力持ちだよね。体勢的には腕の力だけで持ち上げてるっぽく見えたよ。
腕は細く見えるのにどうなってるの。運ばれながら、俺を抱える腕に手を伸ばして触ってみた。めっちゃ硬い。で、筋肉がムキムキで、全然細くはなかった。実はめっちゃがっしりしてた。長いから細く見えてただけっぽい。全部筋肉っぽい。
自分の腕を触ってみる。筋肉はあると思いたいけど、少しフニフニしている。ネロと比べて、自分の余りの貧弱さに悲観している間にベッドに寝かされていた。ネロがブランケットをきっちり二枚掛けてくれた。じーっと見つめる俺の横に座ったネロが額に手を置いてくれる。
「ネロは何日護衛から外れてるの?」
「三日目。」
ネロはずっと俺と一緒にいてくれてるって事に気が付いて質問してみた。サラッと答えてくるネロはそれが何かって態度だ。3日も護衛さんの仕事から外れて大丈夫なのかな。
「そんなにサボって大丈夫なの?」
「さぼりではない。看病の為の休暇。」
質問を重ねて聞いてみると、ネロが目を細めて正論っぽい事を言ってきた。うん、行ってる事は何となく正論っぽく聞こえるんだけどね。俺は看病が必要なほど衰弱してないじゃん。
「へー。」
「族長も琥珀が良くなる事を願ってる。問題無い。」
じっとネロの瞳を見ていると、小さく溜息をついたネロが更に付け加えている。
「そっか。アルさんがいいって言ってるなら大丈夫だね。眠いんだけど、寝過ぎて眠れない。何かお話して。あの子達の話とか聞きたいな。」
眠れない事を理由にネロに強請ってみる。俺のお願いに対して、ネロは凄く渋い顔をしてしまった。ニコっと笑顔で、聞きたいなって姿勢を崩さず逃げ道を塞いでみる。ネロは優しいから、これで話に付き合ってくれる筈だよね。




