40 質問は以上ですか?
ネロの後を追いかけながらぼんやりと足を動かす。ネロの足音は全くしないから、俺一人で歩いてるみたいに感じる。ぼんやりとネロの背中を見ながら歩いていたらいつの間にか学び舎に到着していた。
前方で立ち止まったネロの動きに気が付いて顔を上げる。俺に向かって本を差し出してきたネロから受けって、お礼の言葉を伝えながらネロの横を通り抜けた。
「終わった頃に迎えに来る。」
低く響く声に振り返って、頷いて返す。俺の了承を確認したネロは足早に立ち去っていった。ネロを見送って、教室に足を踏み入れた。朝食時の食事場の混雑に比べて、今日の教室内には子供達の姿はまばらだ。普段は20人くらいいるのが通常だけど、今は半数以下しかいない。
「サウリ君、今日は人少なくない?」
昨日修行場に誘ってくれた前の席の男の子、サウリ君の肩を軽く叩いて聞いてみる。振り返って驚いた表情のサウリ君は大きな眼を潤ませて、疑問の表情をしているようにも見えた。
「あ、もしかして名前が間違ってたりするかな。ごめん。」
「サウリで合ってます。今日は、お父さんが帰ってきた子が多いから、お休みしてるんだと思います。多分遊び場か、修行場に行ってる子が多いんじゃないかな?当分の間はこんな感じだと思います。」
「そっか、だから少ないのか。」
瞳を潤ませながらも、必死に説明してくれたサウリ君の姿に納得してしまった。お父さんが久しぶりに帰ってきたから、一緒に過ごす為にお休みの子が多いって事なんだね。
瞳を潤ませながら耳を倒して、緊張の表情を浮かべているサウリ君を見ながら思ってしまう。それにしてもこの子は超人見知りっぽい、確実にそうだ。昨日は良く俺に声を掛けれたな。ありがと、とお礼を言いながらサウリ君の頭を撫でてみる。要件は終わったと思ったのか、サウリ君はくるっと前を向いてしまった。
この場所は学び舎という名称ではあるけど、学校みたいに義務で来る場所という訳ではないようだ。成る程成る程、と納得してネロが運んでくれた本を読み始める事にする。昨夜はこのモーティナという世界の地理を把握するだけで終わってしまった。
少ししてアイラさんが入ってきた。教室の中を見渡したアイラさんは、俺と目が合って、にっこりと笑顔を向けてくれる。ほんわか、優しい雰囲気が増して、きらきらと輝くような大人な綺麗さが前面に押し出されたような綺麗な笑顔だ。
ネロと二人で並んだ姿を思い出してしまったけど、美男美女でとてもお似合いだった。ホント、こんな綺麗な人と付き合えるとか羨まし過ぎる。心の中の劣等感を出さないように、俺も笑顔を返しておく。
クラスの子供の数が少ないだけあって、今日の騒めきはいつもより静かだ。アイラさんに挨拶を済ませた後は本に集中する。
アイラさんに貸して貰った本は、全部ぱらぱらと捲ってみた感じでは挿絵の類は全くなかった。どの本も子供向けだからか、字のサイズは大き目だけど、文字だけがびっしりと並んでいる本だった。勿論、この地理の本もだ。
土地勘は昨夜の読書で大体把握した。次の情報は、それぞれの大陸に存在している国家の紹介からその土地の人口比率や宗教観、国の特色と特産品などの紹介。概ね地理の本で国家の特色が把握できるようになってるらしい。ただ、新興国家や極小国家、他との交流を好まない地域などもあるようで全てが把握できる訳ではないようだ。
取り敢えずは、今いるイシュケ王国についてを覚えようと思う。でも、その前にっと。ぱらぱらとページを捲って、東の大陸オウリュウについてが記されているページを探してみる。
飛ばし読みをして、目当ての項目を見付けた。確かに東の大陸オウリュウは中の大陸とは気候が違うらしくて、稲作が盛んと書いてある。マジでお米があるっぽい。ホントだった。絶対にいつか行こう。決定した。ページを戻して中の大陸の項目、イシュケ王国についてのページを探して読む事にした。
本によるとイシュケ王家は中の大陸の西側の中央部に位置していて、西を海、東を高い山脈に挟まれた国らしい。又、南部から西部にかけては森林部が大部分を占めている。王国の領土の北部にある大きな湖は恵まれた漁場であるらしい。
居住している種族は凡そにはなるが人族が全体の58%程を占めていて、次にリュコス族が15%、キュプリー族が12%、ガト族が9%、ルカン族が4%、その他が2%となっている。
リュコス族は狼の亜人で、キュプリー族とルカン族は魚人らしい。キュプリー族は北の湖に、ルカン族は西の海に居住してるらしかった。ガト族で猫の亜人にも驚いたけど、魚人もいるとか。めっちゃファンタジーな世界じゃないか。
いつ読んでも、難解な模様にも見えてくる文字だけを追う作業はかなり目にクル。読み疲れた俺は顔を本から離して、目の根元を摘まんでギュッと閉じてみた。
再び目を開けると、美しい顔が間近にあってびっくりしてしまった。驚く俺と目を合わせたアイラさんは、にっこり笑いながら素通りしていく。アイラさんを目で追いかけて何となく理解した。
どうやら、巡回中に俺の前を通り掛かったアイラさんと、ドンピシャで目が合ってしまったらしい。アイラさんも音もなく歩くんだよな。あんな高いヒールを履いてるのに音もしないとか凄い。
「アイラさんちょっと質問してもいいですか?」
「はい。琥珀さん、何でも聞いて下さい。」
丁度質問があった俺はアイラさんを呼び止めてみた。通り過ぎていたアイラさんは、短いふわふわの尻尾を揺らしてこちらに歩いてきてくれる。
「昨日の夜、この地理の本を読んでた時に、西側の海を挟んだ向こう側には、大陸があるかもしれないと書かれている箇所があったんですよ。でも、海流の関係でそこに辿り着いて戻ってきた者がいない、って書いてあったような気がするんですけど、正しいですか?」
「はい、琥珀さん。その情報に間違いはありません。各地の文献や伝承には西の大陸、もしくは島か島群の存在が示唆されています。しかし、未だ誰もその地に足を踏み入れた、という記述の類が存在していません。従って、確実に存在していると断定する事ができないのです。」
「お月さまの伝説があるんだよ。」
「ぼくはいつか海の向こうに行くんだ。」
「大きな大陸があったけど海に沈んじゃったんだよ。」
「違うよ。お空にいってお月様になったの。」
俺の質問を聞いた子供達が次々に反応してくれた。ざわざわと盛り上がった教室内だけど、もしフルメンバーだったらもっと賑やかになっていたかもしれない。西の大陸は子供達にとっては興味深い題材だ、ということは理解できた。
「今は琥珀さんの質問の時間ですから、皆さんはお言葉を慎みましょうね。」
アイラさんは優しくにっこり笑顔で子供達を宥めている。ざわざわと盛り上がっていた子供達は、それぞれの読書に戻っていって静かになった。
「今、この国についてを読んでいたのですが、西の海にはルカン族という魚人が生息している。というのも間違いではないですか?」
「はい。この国には西のルカン族と北のキュプリー族の2種族の魚人が居住しています。西のルカン族に関しては、ルカン族という種族の居住域自体は海中という事もあり、この国の正式な国民という訳ではありません。しかし、人族との交易の為に少数の者が、この王国内に居住していると言う形態をとっているようです。」
「では、魚人が魚の亜人という事で間違いはないですか?」
「ん~。魚の亜人、というと語弊を招きそうですが、概ねその認識で間違いないです。」
少し困ったように眉尻を下げたアイラさんが手を口元に持っていった。大人な印象の強い彼女だけど、仕草がとっても可愛らしい。
「概ね、というと少し違うという意味ですか?」
「厳密に言いますと、亜人というのは人族を基準として成り立っている言葉です。人族を『普通』の形態として捉えると、亜人というのは、人族に何かを足したり引いたりしてできている、という考え方です。ガト族でいうと、この耳や尻尾ですね。人族とほぼ同じ形態ですが、人族とは違うモノを人族が亜人、と呼び始めたのが起源とされています。今では自分の出自を表したり、種族の説明をする為に普通に使われている言葉ですけどね。」
言葉を止めたアイラさんは俺を見て小首を傾げた。頷いた俺が理解できた、と受け取っくれたのかアイラさんが話を続ける。
「魚人というのは、体のうち、半身もしくは大部分がそれぞれの種族の祖とされる存在の形を保っている種族です。知性があり、人族や亜人族との意思の疎通は可能ですが、居住域はほぼ水の中に限られます。勿論、例外もありますが。このことから、厳密には亜人には含まれず魚人と呼称されています。知能が高い事から、魚人を亜人として認識している人族や亜人族も少なからず存在しているようですが。」
「成る程。それで質問なんですが、魚人は海を越えてその大陸に到達する事はできないのでしょうか?」
「海の向こうは熱いんだよ。」
「違う、呪われてるの。」
「違うよ、もう沈んじゃってるからないの。」
「だから、お月さまになったんだって。」
俺の質問にアイラさんが答える前に子供達が大騒ぎで盛り上がってしまった。さっきのアイラさんの牽制で、静かに自分達の自習を始めたと思っていたんだけどね。実は俺の話に聞き耳を立てていたらしい。ぴょこぴょこと動く小さな猫耳の群れがとても可愛い。
「皆さん?」
アイラさんの声が響いた。いつもと同じ優し気なトーンなのになんかゾクっときてしまう。盛り上がって騒めく子供達のテンションが楽しそうで、教室の中を見渡していた俺はアイラさんの一言で視線をアイラさんに戻してしまった。
いつもの綺麗なアイラさんの顔なんだけど、耳が僅かに後ろに倒されて、顔はにこやかな笑顔なのに、何故か怖く感じてしまった。教室のみんなはやばいって顔をして、慌てて自分の本を広げて顔を埋めていく。
「琥珀さんの質問の答えですが。結論から言いますと、実現する事は可能なのかもしれないですが、魚人達の協力が得られない為、現実問題としては不可能となっています。少し前の時代に、この国の南部に位置する小さな国、学問の都ソピアの学者達がルカン族を始め、デルフ族、バラエナ族、エポラル族、イードゥラ族、プルモ族など名立たる海の魚人族に、西方調査の協力を依頼した事がありました。しかし、何れの魚人族も返答は『否』だったのです。どれだけの報酬を積んでも、できる限りの便宜を図っても駄目だったそうです。理由は秘匿されていて窺い知る事はできません。」
「成る程。ありがとうございました。」
「質問は以上ですか?」
「はい。」
俺の返事ににっこり笑顔で頷いたアイラさんは、また教室の巡回を始めてしまった。再び本に目を落としながらも集中力が切れて、もう内容が頭に入ってこない。今日はもうここまでかなぁ、と思いながら、ぼんやりと外に目を向けてしまった。
遠くの方に黒い影が見える。全身黒尽くめで髪も尻尾も黒いのなんて一人しかいない。見えるか分からないけど、ネロに向かって手を振ってみる。俺の態度で周りのみんなと、ついでにアイラさんも外に顔を向けてしまった。




