31 言葉に出してから行動しろ
工房までの道をネロと並んでのんびり歩く。午後に入った日差しはぽかぽかとして気持ちがいい。
「そういえば、この地方って雨とか降らないの?ここ数日ずっといい天気な気がする。」
俺がこの世界に来てから、一回も雨を見た事がない。最初の数日は神殿に閉じ込められていたけど、小さな窓から見える外はいつも青空が広がっていた気がする。
「この地はほぼ降らない。いつもいい天気。」
「他の土地だと降るの?雪はどうなんだろ?」
「雨は降る。この国では、雪は東の山の上の方だけ。」
「へー。ここら辺って雨が降らないなら、水不足にはならないの?」
「この地は広大な森。湧き水も豊富にある。問題無い。」
「雨が降らないのに大丈夫って凄いね。」
世間話をしながらのんびり歩いていると工房に到着した。こんにちは、と声を掛けて、工房に入ると直ぐにニル君と目が合った。俺の登場に相当驚いたらしく、ニル君の綺麗な橙色の猫目の中の瞳孔がぶわっと広がるのが見える。
手に持っていた道具と彫り途中だったらしいリングを放り出したニル君が、こちらにダッシュで走ってくる。ダッシュに見えるけど、速度は遅くて動きが可愛い。パタパタ音を立てて走ってくる姿で実家の愛猫、雪丸を思い出してしまった。
ガト族の人達全員が静かに音を立てずに移動できる訳ではなさそうだ。がしっと勢いよく抱き着こうとするニル君から俺を庇ったのか、ネロがふわっと俺を持ち上げてニル君が届かない位置に下ろしてくれた。
抱き着きが失敗して、ニル君が凄く不服そうな顔をするのが見える。雪丸も、俺が立ち上がった瞬間に俺の膝に乗ろうとジャンプして、失敗してアレ~って顔した時があったな。昔を思い出しながらフフッと笑顔になってしまった。
「何をするのだネロ。」
「それは俺が言いたい。琥珀は脆い。大切に丁寧に扱え。」
抗議の声を上げるニル君と、静かに冷静に警告するネロの対比が、猫がじゃれてるみたいで中々いい構図に見える。それに、二人共、異常に容姿が整っているから見た目もいい。美少女に見えるニル君が、大人な超カッコいいネロに威嚇してるように見えて、中々に可愛い。
「脆い、脆いのか。そうか、人族だったな。悪かった。つい失念していた。」
「この前は誘ってくれたのにごめんなさい。」
「いや、大丈夫だ。それより、紋様についての続きを聞きに来たのだろう。」
ニル君は本当に悪い人ではないのだろう。ネロの言葉を受けて自分に言い聞かせるように呟いているニル君に謝罪の言葉を伝えてみる。かぶせ気味にニル君が言葉を重ねてきた。
少し困ってニル君を見つめてしまう。この前の事は全く気にしてないようにも見える。それどころか、テンション高めに好意的なニル君にちょっとびっくりしてしまった。
「ニル、商品を放り出すとはどういう事だ。納期も迫ってるんだから遊んでる暇はないんだよ、働け。」
「シリア、商品などいつでもできる。納期など関係ない。今、この場に琥珀がいるのだぞ?」
シリアさんのドスの利いた声が奥の方から飛んできたけど、必死に可愛く怒鳴り返しているニル君の姿が可愛い。必死にって感じに見えるトコロが異常に可愛く見える。猫耳が伏せられているのもポイントなのかもしれない。でも、忙しそうだな、また後で遊びに来た方が良さそうかもしれない。
「それより琥珀。話をしよう。」
そう言ってニル君が俺の左手をそっと握ってきた。俺から離れて完成した装飾品を見ていたネロが慌てて戻ってくる。さっきの会話からまさか、ニル君が俺に接触するとは思ってなかったのだと思う。それくらい慌てた感じが見える。
俺はやんわりとニル君の手に包み込まれている自分の手を引き抜いてから、どうしたものかと考えてしまった。ニル君の話を聞くのはいいけど、シリアさんの話では納期とやらが迫っているらしい。
ニル君は俺の手がいなくなった自分の右手をじっと見つめている。何かしら考え込んだ後でニル君が再度俺の左手を掴もうとしてきた。傍にいたネロがニル君の右手の手首を掴んで阻止してくれる。
ネロの制止で自分の右手は諦めたらしい。今度は左手を俺の左手に伸ばしてきたニル君だったけど、勿論ネロに止められてしまった。
無言で両手を合わせて(ネロがニル君の手首を掴み)向かい合って、見つめ合う(睨み合う)ニル君とネロの光景をぼんやりと眺める。何をやっているんだこの人達は、そんな感想しか出てこない。
暫し見つめ合う、潤んだ瞳で見上げる美少女風なニル君と、無言の迫力で見下ろす超イケメンなネロ。規格外の綺麗さを誇る猫達が2人の空間を作り上げてる、感じが凄いんですけど。
「・・・ネロ、邪魔をするな。」
「どういう事だ。」
「僕は琥珀に用がある。邪魔をするな。」
「琥珀は丁重に扱えと先程言ったばかりだ。」
「僕も琥珀を害する気は元よりない。少し、琥珀の指輪を見させて貰いたいだけだ。」
「言葉に出してから行動しろ。」
静かな言い合いの後で漸くネロがニル君から両手を離してくれた。息のかかる距離でのイケメン二人の攻防は終わったらしい。きっと姉ちゃんならきゃいきゃい言って喜んでた可能性しかない、と思われる。遠い目をして昔を思い出し、首を振って散らす。
「指輪?」
「琥珀の左手に嵌められている指輪を見たい。素晴らしい技術の集大成だ、その指輪は。その技術を間近で見たい、確認したい。」
ニル君が零した単語に疑問を投げかけると、直ぐにニル君から応答があった。俺の左手を握ったのはそういう事だったのか。先に言ってくれればいいのに。なんか言葉が足りないよな、この残念な美猫ちゃんは。
てか、この指輪はそんな大層な物だったのか?疑問しか浮かばないけど、必死に真っ直ぐに俺を見つめてくる橙色の猫目を見てニル君の真剣さが伝わってきた。ふっと小さく溜息を吐いて、はいっと左手を上げてニル君の目の前に掲げてみる。
「シリアさんが困ってるから、見終わったらちゃんと仕事戻ってね。」
ニル君は俺の掛ける言葉なんて聞こえてないみたいに、熱心に指輪を見始めた。息の当たる距離まで近づいたニル君の荒い鼻息が手のひらにあたって少しくすぐったい。
きらきらとした目が嬉しさを物語っているニル君が、楽しそうに色々な角度から指輪を観察していく。途中で手を返して、指を広げてと注文を付けながらも、ニル君は相当長い時間をかけて指輪を確認しているみたいだった。
いい加減腕が疲れてきた頃に、ニル君は大きく息を吐き出した。満足したのか漸く指輪から目を離したニル君が俺を見つめてくる。
建物上部にある光の入る窓からの陽の光を浴びたニル君の両目は輝いていて、尻尾の毛は逆立っている。差し出している俺の左手をそっと両手で大事そうに抱えたニル君が、輝く瞳で感動を表したように目を細めた。
「琥珀、今日のこの時間、僅かな時間でもいいから、この指輪を見させて貰えないだろうか。」
じっと見つめられた後でゆっくりと話しかけてくるニル君に、もう見せたじゃん?と首を傾げてしまった。俺を見つめるニル君の目が更に輝くのを見ながら答えを待つ。
「指輪を外して貰って直に見たい。絶対に壊す事はしないし、大事に扱う。」
あ、そういうことね。納得した俺は手を引き抜いて、指輪を外してニル君の手の中に置いてみた。指輪をホントに大事そうに宝物のように持ったニル君は、少しの間、感動したように手の上の指輪を眺めていた。
その後で上から見たり、下から見たり、光に透かしたりして観察を始めたニル君の姿は本当に楽しそうだ。そんなに大層な物かねぇ、と考えながら、ぼーっとその姿を眺めていたら、ニル君の行動が少し変わった。
指輪を色々な角度で確認していたニル君だったけど、動きがピタッと止まって一点を集中して見始める。指輪の内側に彫ってある文字の確認をしているみたいだ。結構な時間、その文字列を眺めていたニル君だったけど、何を思ったのか徐に指輪を自分の指に嵌めようとする姿が目に入った。
指輪を嵌めたら婚約成立、性別、種族は問わない。スツィに聞いた説明文が頭を過る。ぶわっと体中の毛が逆立つ感覚に突き動かされて、駄目、っと短く叫ぶように声を掛けながら、慌てて取り返えそうと体が動いていた。
ニル君の細く綺麗な指に指輪が到達する直前に、ばちっと閃光が走った。指輪はニル君から逃げるようにフワッと浮かび上がって、俺の手の中に戻ってきた。呆然とした顔のニル君が指輪を目で追っているのが見える。
ゆっくり視線を移すと、隣でネロも驚いているのが見えた。俺も驚いた。視界の端で、シリアさんも何が起こった?という顔でこちらを見ているのが確認できた。ホントに、今何が起こったんだ?
(琥珀様のご意思に反して指輪を装着しようとした為、防衛機能が発動致しました。)
ぼんやりと思った疑問にならない疑問に、冷静に答えてくれたスツィの言葉で更なる疑問が出てくる。だって、売り払ったら誰かに装着された時点で婚約成立って言ってなかった?動揺から矢継ぎ早に質問を重ねてしまう。
(はい。売却は任意での婚約の履行を破棄すると見做され、不特定の何れかに装着された時点で婚約が成立致します。ご自身で保管、装備して頂く限りは琥珀様のご意思が尊重されます。)
今の状態だと俺の意思が尊重されて、結婚したくない人の指には嵌まらないって事?
(はい。)
良かったぁ。指輪を握りしめてへなへなと座り込んでしまった俺を、ネロがすかさず横抱きにして持ち上げた。ネロが心配そうに覗き込んでいるのが見える。
「ニル、お前はもう琥珀に近付くな。」
低い声で冷たく言い放ったネロが俺を抱えたままテントを走り出た。ニル君は呆然と固まったままで動かない。シリアさんも同じく呆然とこちらを見つめたままだった。
テントを出ると一気に駆け出したネロがそのまま一息に家へと移動を開始する。景色が後ろに流れるのと頬にあたる風を感じながら、精神的に疲れた俺は言葉もなく力の抜けた体でネロの腕の中に納まっていた。
死ぬ時は少しの痛みと共に、いつも一瞬であの神殿に飛ぶのに、精神的苦痛を受けた後はこんなにも疲れるのか。どんどんと力が抜けていく。俺の脱力状態に呼応するようにネロの駆ける速度も速くなっていく気がした。
家に入ると寝室に直行したネロが俺をベッドに置いた。マントを優しく外してくれるネロの為すがままで身を任せる。でも、家に帰った事で安心したのか、極限の緊張状態から解放されたからか、いきなり体と手が震えだしてしまった。
震える自分で我に返って、握り締めたままの指輪を見る。震える手で指輪を自分の左手の薬指に嵌めようとするけど、手が震えて中々指に嵌めれない。見兼ねたのか、ネロが指輪に手を伸ばしてくるのが目に映った。
「触らないで。」
ネロから伸ばされる指先を見て、思わず小さな声で叫んでしまった。もう何日も過ごしているとはいえ、知らない世界でいきなり結婚させられそうになった危機に直面した俺は、防衛本能が先行してしまっていたらしい。
スツィの説明を聞いて頭で納得していた筈なのに、指輪を取られると勘違いして拒絶の言葉を吐き出してしまった。冷静に考えると、指輪を装備しようとしてできない俺の補助をしてくれるって分かるのに、その瞬間は警戒マックスで心が拒否してしまっていた。
俺の叫びを聞いたネロはピタリと動きを止めた。少しの後でブランケットを俺の膝にそっと掛けてくれたネロが、部屋を出て行ってしまった。
ネロが居なくなって一人になった寝室で、深呼吸を繰り返しながら手の震えを止めようと頑張る。すー、はー、すー、はー。俺の息の音が部屋に響く。
鼻腔に入ってくるのは微かに漂う爽やかで甘い香り、気分が落ち着く香りの中で少しずつ沈静していく。手と体の震えも収まってきた。指輪を指に通してから、両手を握りしめて目を閉じて深い溜息を吐き出す。




