30 チョットネボケテ
ネロが去った後で何もやる事のない手持ち無沙汰の俺は、流しで口を漱いでから顔を洗う。〈浄化〉をネロにして貰えば良かったと思いながら寝室に移動した。
ベッドに横になってアイラさんに手渡された本を読み進める。イシュケ王国の歴史について書いてある本は程よく眠気を誘うらしく、気が付いたら朝になっていた。
欠伸をしながらリビングに移動すると、ネロはもう帰ってきていて武器の手入れをしていた。おはよう、と欠伸をかみ殺しながら挨拶をして顔を洗う。口を漱いでいる時に思い出した。
「ネロ、ごめん。〈浄化〉をお願いしていいかな。俺は昨日シャワーもあびてないし。今日から学び舎なのに臭いとか嫌だし。」
「琥珀は臭くない。いい香りがする。」
「いやいや、お願いします。」
「分かった。」
ネロが詠唱する声を聞きながら、水に包み込まれてさっぱりとする。服も綺麗になってそうだな、この感じ。続いて〈乾燥〉もして貰って準備万端、整いました。気持ち良かった。ありがとう、とネロにお礼を伝える。
頷いて寝室に入っていったネロが戻ってきて布の塊を手渡してくれた。広げてみると白いシャツとモスグリーンのズボン、ラフでシンプルで着易そうな服だった。
履物もある、と渡された。皮でできたシンプルなサンダルだ。足に直接当たる部分の内側には白い柔らかい布が厚めに張られてクッションのようになっている。大きな皮で足の甲を覆う部分と、親指を通す小さなアーチがある。
「動き易い服の方がいい、と判断した。替えの服も何着か用意してある。好きに着ればいい。」
一切の感情を込めずに淡々と話すネロに頷いて、再度お礼を伝える。ネロさんマジいい人。俺このブレザーで何日過ごしていたか。
いや、死んで復活したり、ネロに〈浄化〉をして貰ったりした後は清潔新品になってる感じはしてたけど、何日も同じ服ってきついじゃん。マントで服は隠れるけどさ、匂いとか籠りそうじゃん。マジ、嬉しいわ。
新しい服を受け取って満面の笑みを浮かべてしまった俺とは対照的に、ネロは無表情で頷いてくれた。では早速と寝室に移動して着替えさせて貰う。なんか、めっちゃぶかぶかだけどまぁいいか。でかいから、動き易いといえば動き易い。袖を適度に折り曲げて、ズボンの裾もくるくるっと巻き上げる。
着替えてリビングに戻ると、ネロは机の上に広げていた武器を片付け終わるところだった。俺が戻ったのを確認したネロは、飯に行くかと外に出ていってしまう。
俺も後を追って、のんびりとネロと並んで食事場に向かう事にする。食事場に到着して、ネロに注文をお任せした後で適当な席について待っていると、ネロが運んできてくれた。お茶を飲みながら食事の支度が整うのを待つ。
今日の朝御飯はサンドイッチだ。野菜がたっぷりにベーコンが挟んである。それと美味しそうなポタージュスープが小さな可愛い器に用意されていて美味しそう。運ばれてきたサンドイッチをちまちまと食べながら今日の日程を思い出してみた。
「あっ、アイラさんに借りた本を置いてきちゃった。」
「後で届ける。」
「てか、どれくらいに学び舎に向かえばいいんだろ?」
「朝食後で構わない、多分。」
そんな会話をしながら、美味しくサンドイッチを完食する。
「ごちちょーちゃまでした。」
ご馳走様でした、と手を合わせた直後に、後ろから聞こえてきた可愛い声に振り向いてしまった。振り返ると、金髪のふわふわが所々クルクルと巻き毛になってる可愛い幼児と目が合ってしまう。
金髪のタレ耳をぴくりと動かしながら、可愛らしい幼児が大きな青い目でこちらを見ている。何この子超かわいい、超天使。ここの子みんな可愛いけど、この子も可愛い。やばい、めっちゃ可愛いじゃん。
(ナンパ師のような感想はお止め下さい。)
スツィが的確に突っ込んでくるけど、目の前のお目目キラキラな幼児がにぱっと笑ってくれた衝撃で頭に入ってこない。
「琥珀の食事の挨拶が気になって真似をしたようだな。」
幼児から目を離せない俺にネロが補足をしてくれる声が聞こえる、が、声が頭に届かない。幼児が瞬きをした事で、漸くその呪縛から解放された。
幼児に、ニコっと笑い返してみると、幼児はぱーっと花が咲いたように笑ってくれる。この村に滞在して、だいぶ猫耐性がついてきたと思っていたけどまだ駄目なようだ。初めてこの村に来て、猫耳だらけに興奮した時以上の衝撃がこの子にはある。
視界に入る、幼児の隣で食事をしていたお母さんらしい人も、にっこり笑顔を向けてくれている。幼児にしか目が行かなかったけどこの人も滅茶苦茶美人だ。スゴイ色気のある雰囲気に幼児と同じ金髪と少しタレ目な青い瞳。
細身の人が多い印象なガト族の中でメリハリのある体型、胸でか、腰細、お尻大きい。座った状態でもその体型が分かるって凄いよな。ぴんと尖った大きな猫耳が幼児と違うけど、顔はそっくりだ。視線をお母さんの方に向けて、お母さんにも見惚れてしまう。
「琥珀、食べ終わったなら送って行く。もういいのか?」
「あ、ごめん。行こうか。」
子供に見惚れた後でお母さんにも見惚れてしまった。でも、ネロからの声が現実に引き戻してくれた。ばいばい、と幼児に手を振ったら、ニッコリ笑顔で手を振り返してくれる。
お母さんの方にも笑顔でペコっと頭を下げてから立ち上がった。朝からいいものを見た。ほくほくしながら、学び舎への道をネロと並んで歩く。学び舎のテントの手前に到着したら、先に行ってろ、と俺に告げたネロが走り去ってしまった。
少しの間、ネロの走り去った方角を眺めて、一人で学び舎の方に向かう事にする。初めての場所って少し緊張するよね。学び舎のテントに入ると、もう大半の子供達は席に着いていた。
初めて教室に入ってきた俺に笑顔で挨拶してくれる子供達に、笑顔で挨拶を返しながらどこに座ればいいか迷ってしまう。教室を見渡して戸惑っている間にネロが本を持って戻ってきてくれた。
一気に盛り上がって騒めく子供達の声を聞きながら、どこに座ればいいのかネロに聞いてみた。どこでもいいだろう、とネロが面倒臭そうに返事を返してくれる。む、と不満顔で黙ってしまうと、ネロが空いてる席を指で示してくれた。
「終わった頃に迎えにくる。」
「あ、短いかもだけどちゃんと寝てね。」
了解、とネロの示してくれた席に向かう俺の背中に、ネロが声を掛けてきた。振り返りながら頷いて、進言する俺に頷いてネロは帰って行った。
空いていた席に座って、ネロが持ってきてくれた本を読みながらアイラさんを待つ。程なくアイラさんが来て、俺を見つけてにっこり笑顔を向けてくれた。
「今日から一緒に学ぶ琥珀さんです。皆さん、仲良くしましょうね。」
「はーい。」
元気よく返事をしてくれる子供達に向かって、立ち上がってお辞儀をする。昨日の今日でアイラさんを改めて見てみると、本当に綺麗な人だった。
クリーム色のような淡い金髪は柔らかそうで緩やかにうねっていて、薄い緑の瞳は優しそうな雰囲気を醸し出している。タレ目の目にぽてっと可愛いピンクの唇は大人っぽい。
短い尻尾はふわふわと少しウェーブのかかった柔らかそうな毛で覆われていて、ゆっくりと揺れている。アイラさんは、大人の女の人の包容力を前面に押し出したような、優しい雰囲気を纏っている。
アイラさんの登場で周りの子供達が真剣に本を読み始めた。アイラさんは時々質問する子供達にとても丁寧な指導をしている。子供の疑問もゆっくりかみ砕いて、理解できるまで付き合う姿勢は先生なんだなと改めて思う。
子供の質問の声が聞こえてきて、読書の合間にぼんやりとアイラさんと子供の遣り取りを眺めてしまった。ちらっと俺を見た後で、にっこりと微笑みを返してくれるアイラさんに慌ててネロの持ってきてくれた本に戻る。
「昨日、お姫様だっこされてましたよね。羨まし~。」
「うんうん、私もあんな風に抱っこされたいわ。」
「でも、あんな事をされたら嬉しすぎて気絶しちゃうかも。」
「ネロさんのあんな視線、初めて見ました。」
「あんな優しそうな顔もできるんですね~。」
「でも、いつもの冷たい感じもカッコいいと思うの。」
「そう、あの冷たい視線が堪らないのよね。」
「いつでも冷静沈着なのが凄くいいわ。」
「あの冷めた口調も凄くカッコいいわよね。」
「うんうん。」
「ホントね~。」
集中して読んでいると、つんつんと斜め前の女の子が俺の腕を突いてきた。顔を上げると、俺の周りの女の子達がわっと小声で話し掛けてくる。アイラさんの眼を盗んでわいきゃいとネロのかっこよさと魅力を語り出す女の子達。
子供すらも魅了するとはネロ凄いな、女の子達の勢いに飲まれてしまった。ぼんやりと子供達が盛り上がって喋っているのを聞いていたら、秘密を教えてあげる、と隣の席の子に囁かれた。耳に口を寄せてくる幼女に顔を寄せてみる。
「あのね、アイラ先生はネロさんと昔お付き合いをしてたってママが言ってたの。アイラ先生はネロさんを追いかけてこの村に来て先生になったんだって。アイラ先生は綺麗で、ネロさんはかっこよくて凄くお似合いね。私も大きくなったらネロさんがいいな。」
楽しそうに、でも羨ましそうに話し切って頬を染めた女の子の話の内容にびっくりして、ガタっと立ち上がってしまった。知り合いの恋バナをここで聞くとか思わなかった。しかも、相手はここにいる。突然立ち上がった俺に驚いたのか、アイラさんが綺麗な薄緑の瞳で見つめてくる。
「何か質問かしら?琥珀さん」
美しい顔でにっこり問い掛けてくるアイラさんをじっと見つめてしまう。マジで、こんな綺麗な人が元カノとか。確かに、昨日並んでたネロとアイラさんの姿は非常にお似合いの美男美女だった。
「イエ、ナンデモアリマセン。チョットネボケテ。」
「初日ですものね。少し疲れちゃったのかしら?お迎え呼んだ方がいい?」
片言で返してしまう俺に、心配そうに眉を寄せたアイラさんは、子供に対するようにゆっくり優しく聞いてくれる。恥ずかしくて、いいえ、と首を横に振って返してしまった。
首を傾げたアイラさんは、そう。と呟いてまた静かに席を巡回し始めた。ってか、アイラさんが元カノかよ。めっちゃ美人なんだけど。羨ましい。その後は、本に集中しようとしても中々本の内容が頭に入ってこない。
そんな感じで一日目の学び舎は終わった。昼前に迎えにきてくれたネロと並んで食事場に向かい軽食を済ませた。因みに今日の昼飯はペンネのようなパスタのようなものだった。バター風味で細かく刻んだ野菜が沢山入っていて薄い塩味の絶品だった。甘い芋のポタージュスープとの相性もばっちりでお昼の食事も大満足だ。
食後はそのまま家に帰り、リビングでネロが入れてくれたお茶を飲んでのんびりする。のんびりはするけどね、今日聞いた話を蒸し返すみたいだけど、とっても気になっていた事を聞きたくて仕方がないんですよ。人の恋バナってテンション上がるよね。超気になるよね、聞いちゃってもいいよね。
「そういえば。クラスの子が言ってたけど、アイラさんてネロの元カノだったんだ。」
「昔、関係を持ったが今は交流は無い。」
え、何ソレ。めっちゃクールだな。偶然を装ってさらっと聞いてみたら、ネロもさらっと答えてくれた。淡々としてて何の感情も込められていない上に、興味もなさそうな言い方じゃん。
「アイラさんは優しそうだし、美人なのになんで別れたん?」
「アイラは繊細過ぎた。俺には合わなかった。」
成る程?分からんけどフィーリングが合わなかったって事かな。ふむふむ、と頷く俺を見て話しは終わりか、と目で問い掛けてくるネロに撃沈してしまった。
無言のネロがもう終わりって目で伝えてきて、恋バナは一瞬で終わってしまった。オワリデス、と頷くしかできない俺を見ていたネロがふいっと目を逸らしてしまう。
過去の詮索は止めろって事か。確かにテンションが上がり過ぎでした、ごめんなさい。ふーっと息を吐き出してテーブルに突っ伏してしまう。疲れたのか聞いてくるネロに顔を上げずに首を横に振って返す。
「ニルが琥珀に会いたがっていた。行くか?」
顔を上げてると、ネロは困った顔をしていた。無表情な人だと思ったけど、困った時はそんな顔なんだね。そんな感想を抱きながら、行く~、と答える。前は急いでたとはいえ、ニル君を凄くしょんぼりさせちゃったし、アクセサリーも、もっと見てみたい。
寝室に移動して、置き去りにしていて今日は着て行かなかったマントを羽織り、リビングに戻る。準備できました、とネロを見たら頷いて入り口を開けてくれた。




