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28 先程思い出した

 お茶を飲んで一息ついた後で、ネロは鍛錬場に行くらしい。疲れているなら寝ていろ、と気遣う言葉を掛けてくれるネロに、大丈夫、と返事をしてついて行く事にした。


 俺は能力的に何も鍛錬なんてできないけど、前回全く汗をかく事もなく数時間動き回っていたネロの本気の鍛錬とやらが見たくなってしまったのだ。少し族長と話をしてくる、先に行っていてくれ、と言うネロに頷いて一人で先に鍛錬場に向かう事になった。


 鍛錬場に到着して中に入ると、レオさんが前日と同じく真剣な表情で短剣を構えていた。鍛錬場の湿度は少し高い気がする。汗をかいているレオさんが、長い時間ここで運動していたらしい事が分かった。


 レオさんの醸し出す静かな迫力の中で、なるべく音を立てないように気を付けて移動する。真剣な表情のレオさんは、適当な場所で眺めている俺の存在には完全に気が付いていないっぽい。


 レオさんの気迫が一気に集中するのを肌が感じ取った。ざわっと泡立った肌に気を取られた瞬間に、前回と全く同じく、一瞬張りつめた空気が緩んだ感覚に気付く。顔をレオさんに向けると、俺に向かって凄い跳躍で一瞬で目前に移動したレオさんの姿が目に入った。


 短剣を突きつけられる。体を固くしてその瞬間を目だけが追いかけていく。レオさんの短剣が上がりきる前に、斜め後ろから飛んできた何かに短剣が弾かれた。短剣の軌道が俺の首から逸れて離れていく。


 レオさんの手には短剣が握られたままだけど、腕は弾かれた力の軌道のままに俺から離れている。短剣を弾いた何かが飛んできたと思われる方向に眼を向ける。ネロが小さな苦無のような物を構えて、レオさんを静かに見据えていた。


「あ、悪い。またやっちまった。」


「レオ、気を付けろ。気配で読め。」


 適当に謝ってくるレオさんに向けるネロの静かな言葉を聞いて、ぱちりと瞬きをしてしまった。え、何?その根性論みたいな理論は。気配で誰かなんて分かる訳なくない?レオさんの攻撃を受けるのを目前にして、固まった体のままで心の中で突っ込んでしまう。


「ごめん。気を付ける。でもネロ遅いぞ、俺は夕方から護衛なんだけど。」


「すまない。忘れていた。」


 レオさんも気配で読めに対して突っ込まないのかよ。ってかできるって事なのか、この世界ではそれが可能なのか。投げつけた苦無を拾いながら、ちっともすまないとは思ってなさそうな顔と声で謝るネロを見て、体の緊張が解けた。


「ネロはレオさんと約束してたの?」


「先程思い出した。」


 先程って、俺がネロを中断させなければ、ずっと仕事をしてたんじゃないのかな。そもそも、俺がいるから家でできる仕事をしてたって事かな。だとすると、俺が原因で忘れてた可能性しかないよね。


「レオさん、ごめんなさい。俺がネロの邪魔してたみたいです。」


「大丈夫。飯まであと1時間、ネロを借りるぞ。」


「おっけ~。見学させて貰うね。」


「琥珀、できるだけ端にいろ。絶対に内部には入ってくるな。」


「りょーかい。」


 本気のレオさんと、本気というよりはまだまだ余力のあるネロの打ち合いは、見ていて楽しかった。これがガトの戦闘かと感動で鳥肌が立ってくる。


 ネロの戦闘スタイルは本当に静かで動きも最小限。鋭く冷たい視線で見据えながら、素早い身のこなしでレオさんの短剣を捌いたネロが、すかさず足でレオさんを牽制する。畳み掛けるように短刀を繰り出し、後ろに跳んで逃げるレオさんを前に突進したネロが追いかける。


 どう見てもレオさんは全力を出し切って、猶、ネロには勝てないようだった。一人で黙々と鍛錬していたらしい時には滲むくらいだった汗が、ネロと組み始めた途端に俺の時のように滝になって流れていく。


 肩で息をするレオさんに対して、ネロは息も上がらず、汗もかいていないように見える。ひらりひらりと躱しながら、レオさんから繰り出される短剣の剣筋を見ていなす。時折短剣の剣身に自分の短刀の柄頭を当てて弾いていくネロは、表情も全く変わらず真顔で冷静。


 レオさんの動きもかなり凄いけど、それを相手にしているネロも結構な運動量に見える。これを息も上がらずやってのけるとか、この人の本気ってどんなものなんだろう。


 更に言うと、ネロはレオさんの攻撃を受けるだけだ。自分からは攻撃を全くしていない。ただ、レオさんの攻撃を受け流して、弾いて、躱す。


 全くの無言で只管、二人の打ち合いというか、レオさんの素早い猛攻を、息をするのも忘れるくらいのめり込んで見入ってしまっていた。不意にレオさんから一気に体を離したネロが俺の傍に降り立った。


「1時間経過した。飯に行け。」


「もうそんな経ってたのか。ネロ、いいか、また付き合えよ。絶対だぞ。」


「今日の埋め合わせはまたする。」


「じゃぁな。」


 肩で息をしながら、上半身の衣を脱いで絞り肩に掛けたレオさんが、上半身裸のままで外に出て行ってしまった。レオさんはかなり激しい運動をした後のように見える。


 レオさんを見送った後で、隣に立っているネロを見上げる。全く疲れが見えないし息も上がっていない。ペタッとネロの胸辺りを触ってみた。ぴったりとした上衣は少しも湿ってない。心臓も全く乱れていなくて、鼓動は静かでゆっくりだ。


「ネロの本気はいつ見れるの?」


「本気か。族長を相手にした時くらい、かな。」


 口に出した疑問に少し驚いた様子のネロが少しの間を置いて答えてくれた。


「まじか。見てみたいけど、アルさんと戦ってるのは見たくないな。」


 俺の台詞を聞いたネロがふっと笑ってから、そうだな、と呟いている。


「レオは飯に行ったが、琥珀はどうする。」


「もうちょっとぶらっとこの村見たいんですけど。どうでしょう。」


「分かった。」


 鍛錬場から出ると涼しい風が吹き抜けている。気持ちいい、と眼を閉じて風を感じてから、空を見上げた。鍛錬場の中は、少し蒸していたっぽい。陽は少し傾いているけど、まだ茜も指していない。


 暗くなるのはもうちょっと先らしい。横を歩くネロが誘導するままに歩みを進める。この前に連れていってくれたニル君の工房の隣にある、同じような白地に赤の布で覆われたテントの中にネロが入っていった。


 ネロに続いて中に入ると仄かに温かく感じる明るい室内だった。室内の感じからすると刀鍛冶の工房らしい。工房の中で作業しているのは煤のような濃い灰色の斑猫だ。しゃがんだ後ろ姿だけでも分かるくらいの、かなりでかい体をしている。


 ごつかったヤミさんより更にゴツイ体格だ。ガードする為の色ガラスの嵌った金属のマスクのような物を、顔の前面に張り付けた大柄なガト族の男性がハンマーで金属を叩いて伸ばしていた。


 真剣に作業をしているようで、こちらには一切見向きもしない。明るく白い空間に火床が設置されていて、金床や何に使うのかも分からない道具が壁の少し手前の棚に掛けられている。壁側に置かれた机の上には完成品と思わしき短剣や苦無、長剣等色々な武器が並んでいる。


 室内で炉を焚いて、更に金属を叩いているのに微かに温かく、音も僅かに漏れ聞こえる程度だ。不思議に思ってきょろきょろと見渡してしまった。俺の反応が気になったのか、どうした?とネロが聞いてくれた。


「工房自体に〈遮音〉と〈遮熱〉の魔法が施されている。」


 音と熱の事を聞いてみると、ネロがさらっと回答してくれた。へぇ、と平静を装って頷いてみる。でも、内心では、えっ、魔法ってそんな事もできるの?このレベルの〈遮音〉ならご近所トラブルなんて0になるじゃん。と驚愕していた。


(魔法〈遮音〉:風属性の魔法。サポート魔法の一種。攻撃力なし。風を操り振動させる事で特定の音の波長を打ち消す。消費MPは25。効果時間は2時間。重ね掛け可能、重ね掛け後は時間が加算される。効果時間が切れるまでの間は永続する。単純なMP消費型魔法のため魔法使用によるマイナス補正はなし。ランクアップで打ち消し可能な音の波長の種類が増え、効果時間も伸びる。ランクアップにはデスボーナスが必要である。尚、デスボーナスでのランクアップはランダムであるため再度獲得できるかは死亡後にしか判明しない。)


 さらっと補足してくれる有能秘書スツィ。じゃぁ、〈遮熱〉は?


(魔法〈遮熱〉:光属性の魔法。サポート魔法の一種。攻撃力なし。光を操り熱の波長を反射、拡散、放熱させる事で温度上昇を抑える。消費MPは30。効果時間は2時間。重ね掛け可能、重ね掛け後は時間が加算される。効果時間が切れるまでの間は永続する。単純なMP消費型魔法のため魔法使用によるマイナス補正はなし。ランクアップで抑えられる温度の幅が広がり、効果時間も伸びる。ランクアップにはデスボーナスが必要である。尚、デスボーナスでのランクアップはランダムであるため再度獲得出来るかは死亡後にしか判明しない。)


 クーラーいらずで夏も快適じゃないか。魔法万能かよ。両方とも良さそうな魔法じゃん。俺もいつか覚えれるようになるのかね。


(理論上、琥珀様は全ての英知を手に入れる事が可能です。従って『いつか』は獲得する事が可能、と思われます。)


 へぃへぃ。死ねばDBデスボーナスだもんね。ランダムで何でも手に入る可能性か。


(はい。)


「何か欲しい物があったのか?」


「え、あ、いや。俺は武器なんて使えないから。かっこいいなって思っただけ。」


 机の上を見て黙って考え込んでいる俺を見ていたネロは、俺が武器でも欲しいと思ったらしい。咄嗟に誤魔化した俺に、ないない尽くしの俺を思い出したのかネロが少し困った顔になってしまった。


「この武器達はこの後、隣の工房に運んでニルが紋様を刻む。それで完成になる。」


「ニル君はちょっと変わってるけど、装備品に追加効果を付けられるとか凄いよね。模様もかっこいいし。水と火の効果は付けられるって言ってたよね、確か。記憶が確かなら。」


「ニルは変わっているが、紋様を刻む細工士としてはこの大陸でも十指に入る。人族の細工士ですら一目を置く存在。替えがきかない有能な者。」


 余り他人には興味が無さそうなネロにしてはえらいべた褒めである。でも、見知った情報を統合すると、亜人でありながら人族に尊敬されているらしいニル君は純粋に凄いと思う。


 紋様に対しての愛情のベクトルが間違った方に行ってる気もするけど、それがニル君の個性であってそれがあるから彼の技術があるのだろう。本当にニル君はスゴイって事だろうな。


 ネロと少し話をしていたら、鍛冶職人の灰斑マッチョ猫さんが金属を打ち終えたらしい。顔を上げた灰斑猫さんが、ネロを見付ける。顔を覆っていたマスクを上げて、空色の優しい目でネロを見た灰斑猫さんが嬉しそうに立ち上がった。


「ネロじゃないか。久しぶりだな、ついに俺の娘と番う気になったか。祝杯をあげなきゃな。」


「冗談はよしてくれ、カイ。短刀の修復の依頼だ。」


 カイと呼ばれた灰斑猫さんはやっぱりか、と呟いてネロの差し出した短刀を受け取った。背の高さはネロよりも大きくて、がっしりとした腕には何本かの傷跡が残っている。尻尾は短く丸まっているようで本当に熊にしかみえない。


 同じ猫の亜人なのだろうか、それとも他の亜人種の人がこのガトの村で職人をしているのか。でもな、耳を見る限りは猫耳なんだよ。ガトの人で正しいのかな。体格と尻尾はクマさんだよ。


「鍛冶職人のカイ。こう見えてもちゃんとガトだ、熊などではない。」


 俺が疑問に思っている事に気付いたのかネロが直ぐに説明をしてくれる。考えていた事を的確にピンポイントで答えられて、俺の心が読めるのかと驚愕してしまう。


「お前の考えが読める訳ではない。カイを見た多くの者が熊の亜人と誤解するから先に弁明する事にしている。」


「はは。確かに熊に間違えられる事も多いかもしれないな。この尻尾のせいかもな。」


 カイさんがぴょこぴょこと可愛くしっぽを振って、豪快に笑った。いや、そこじゃないから。体格だから。いや、尻尾もあっての熊っぽいだけど、最初はそこじゃない。心の中で盛大に突っ込んでしまう。でも、あの尻尾の動きは凄く可愛い。


「えっと、ネロのとこでお世話になってる琥珀と言います。宜しくお願いします。」


「宜しくな、琥珀。しかし、これが噂の琥珀か。成る程、成る程。ニルが執着するくらいだから見込みがありそうだ。」


「行くぞ、琥珀。」


 第一印象は以下略。で、猫を被って精一杯丁寧に挨拶をしてみた。うんうん、と頷きながら、俺を上から下まで観察するように眺めてきたカイさんを放置して、ネロがテントから出て行ってしまう。


 用事が済んだからもういいらしい。カイさんにお辞儀をして手を振って、テントの外に滑り出る。空はほんのり茜色に染まり始めていた。陽が落ちたのを確認して時間の経過を覚えたからか、ぐーっとお腹が鳴った。飯にするかと有無を言わせず食事場に向けて歩き出したネロに続いて歩き始める。

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