27 全然特別じゃないのにね
食事場に到着すると朝御飯の時間からは少しずれているからか、食事をしている人は誰もいなかった。何が食べたいか聞かれた俺はネロにお任せする。頷いたネロは調理場に向かっていった。
食事場の脇で何やら地面に木の枝で落書きをしている幼児を眺ていると、ことっと音がした。ネロが俺のお茶をテーブルに置いてくれたらしい。ありがとう、と適温で用意してくれたお茶を一口飲ませて貰ってから、ネロに向き合う。
「ネロ。心配させちゃったのは本当に悪いと思う。でも、女性に乱暴したら駄目だと思うよ。アルさんにケガはなかったから良かったけど、あれは乱暴過ぎるでしょ。」
「ガトでは当たり前の事。あんな事でケガなどしない。それにあれは族長、確実にケガなどする訳が無い。」
「でも、俺は見てて気分が悪くなったよ?」
少しだけ諫めてみたけど、ネロは無表情に淡々と返してくる。でも、溜息交じりの俺の言葉を聞いた途端に、ネロが心配そうな顔になってしまった。
「気分が悪いのか?食事は後回しにして、寝るといい。行くぞ。」
「いや、気分が悪いって、気持ちが悪いとかそういうのじゃないから。嫌な気持ちになったって事。」
「そうか、体調が悪い訳ではないのだな?」
慌てた感じでオロオロと言葉を出すネロにふふっとなって、言葉の意味合いが違うから、と窘めてしまう。立ち上がって慌てたネロだったけど、ほっとした顔で腰を下ろした。
しかし、あれが普通の事って、分かってはいたけどガト族は相当、身体能力が高いみたいだ。アルさんは放り投げられても普通に一回転して着地してたし、普通に凄い。
あそこで遊んでいる俺とあまり変わらない、と思われる身体能力のちびちゃんも、何れはこの村の周りを自由自在に跳び回れるようになる訳ですね。いいなぁ。おまけに猫耳持ちとか羨ましい。
ほわほわと子供達で和んでいると、食事が運ばれてきた。今日の朝御飯はネロさんチョイスのピタサンドっぽいのだ。俺の皿にはたっぷりのサラダと香ばしく味付けされた鶏肉っぽいお肉が詰められているピタサンドが2切れ乗っている。ネロさんのお皿には10切れ乗ってる。結構な量だ。
「ネロは朝からその量を食べられるの?」
「これくらい普通。」
「ソデスカ。」
やっぱ、体格も凄いし、そもそも運動量が違うから、入る量も違うんだろうな。静かにお祈りをした後で黙々と綺麗に食べ進めるネロを眺めてしまう。静かに食べていたネロが視線を感じたのか俺に視線を向けてきた。
「少なめにしたが、足りないか?追加するか?」
「大丈夫です。いただきます。」
俺が食べ終わるのとほぼ同時に、ネロも食べ終わった。ご馳走様でした。と手を合わせている俺の前の空になった皿を、ネロが片付けて調理場に運んでいってくれる。
もう冷えてしまったお茶を飲みながらのんびりと食後の時間を楽しむ。戻ってきたネロがもう大丈夫か、と問い掛けてきた。コクリと頷くと、俺のカップを受け取って片付けてくれた。
では行くか、と歩き出したネロの後ろをついていく。右手側に森、左手側に広場の道を進んでいくと突き当りの村の南の端、森の手前に、一部の壁が開け放たれた横に細長いテントがあった。子供達が椅子に座って何やら本を読んでいる姿が見える。
「あ、学び舎。ホントに聞いてくれるんだ。」
無言で頷いて、そのまま中に入っていくネロをテントの手前で立ち止まって眺める。学び舎にいる、歳にして小学校低学年くらいの子供達は、突然入ってきたネロを見て小さく歓声をあげた。男の子達はテンションが上がった様子で、女の子達は頬を染めて、みんな嬉しそうにネロを見つめてる。
先生らしきガト族の女性に声を掛けているネロが、振り返って俺を示して何かを伝えているようだった。テントの手前で待っていると、女性を伴ったネロが戻ってきた。
淡い金髪のようなクリーム色のふわっとした毛並みに、薄い緑色の瞳の綺麗な女性だ。尻尾は短くてふわふわの毛で覆われていて、ぽわっとした可愛い尻尾だ。長い髪は綺麗なうねりと艶があって凄く大人っぽい。優しそうに微笑む綺麗なお姉さんがここの先生らしい。
「ここで子供達に教えている、アイラと言います。宜しくね、琥珀さん。」
そう言ってアイラさんがほっそりした右手を差し出してくれた。背は俺よりちょっと高いくらいで細身の美人猫さんだ。慌ててその右手を握り、宜しくお願いします、と答える。
「子供達は朝から昼までここで色々学んでいます。お力になれるか分からないけれど、一緒に学んでいって貰えたらと思います。知識は人を強くしますからね。今日から参加しますか?」
「俺は知らない事だらけだけど、宜しくお願いします。えっと、明日からの参加でもいいですか?あと、授業で使う教科書とか余ってたら貸して欲しいのですが。」
「分かりました。では明日から。ちょっと待ってて下さいね。」
ぺこりとお辞儀をすると、アイラさんが笑顔を浮かべて頷いてくれた。テントの中に戻っていったアイラさんが数冊の本を収めた袋を片手に戻ってくる。
はい、と微笑んで手渡してくれるアイラさんにありがとう、とにっこり笑顔で袋に向かって手を伸ばす。アイラさんから受け取る直前で、俺を制して本は重いから、とネロが受け取ってしまった。
驚いた顔でネロを見つめたアイラさんだったけど、それも一瞬の事で、では、と言って教室に戻って行ってしまった。大人な落ち着いた知的な美人さんだった。そして凄く優しそうだ。先生って言葉がぴったりな雰囲気の人だった。
学び舎のテントの中では、子供達が嬉しそうにというか楽しそうにというか、きゃあきゃあ、わいわいお喋りをしながらネロに視線を集中させている。アイラさんが戻って子供達に注意をしたらしく、静かになる教室。ネロに視線を向けるとつまらなさそうに無表情で立っていた。
「子供にもモテモテだったね。」
「珍しいだけ。」
「余裕があって羨ましい。」
「今日はどうする。取り敢えず家に帰るか?」
「そだね、ちょっと疲れたかも。」
「分かった。」
疲れたという言葉に反応したのか、音もなく動いたネロがふわりと俺を横抱きにした。教室の方で歓声が上がるのが聞こえる。一瞬の事で頭がついていってないらしく、理解が及ばない。ネロに抱き上げられた事に気が付いたのは歓声の声が聞こえた後だった。
「え、ちょ。」
「少し黙っていろ。」
抗議の声を静かに遮ったネロが移動を開始した。体が浮く感覚と共に景色が後ろに流れていく。目の前のテントの手前で少し下に重力を感じると、もう体はテントを飛び越えていた。
そのまま、足場にしたテントの屋根を伝い、他の家の屋根を飛び越えて移動する事数分。気が付くともうネロの家だった。アトラクションかよ、という言葉を飲み込んだ俺を気遣うように、ネロがそっと下ろしてくれた。
「ネロさん。俺は自分で歩けるから。体調とか全然悪くないから。」
「疲れたと言った。それにこの方が早い。」
家の中に案内されて、今度こそ抗議の言葉を伝えてみたけど、さらっと躱されてしまった。いや、確かに足は遅いよ。でも、みんなの見てる前で、お姫様抱っこでイケメンに運ばれるとかどんな拷問なの。
明日から俺はあのクラスに馴染めるのかな。遠い目で明日の事を考えてしまう。心配性の対象がアルさんから俺にシフトしてしまったのか。まぁ、あれだけ微妙な衝撃で死んでたら、そりゃ心配になるか。
「そういえば、俺の貧弱体質の事はアイラさんに話したの?」
「話していない。『人族』だからガトとは違う。丁重に扱えとだけ伝えた。アイラはガトの中では丁寧。問題無いだろう。子供達もアイラの言う事は聞く。それにあそこは学び舎。遊び場や訓練所とは違う。害される心配はない。安心しろ。」
「成る程。『人族』か。子供達は知らないって言ってたもんね。だけどさ、ここで俺が『人族』の代表になっちゃうと、子供達は人族が貧弱とか弱いとかそういうイメージ持っちゃわないかな。友好的とか思われたらちょっと困らない?実際この国では人族ってちょっとアレなんでしょ?」
話しながらゆっくりと俺をソファに誘導してくれたネロが先に座らせてくれた。ネロは腰を下ろさず、流しに移動していく。お茶の用意をしてくれるネロを見ながら俺も会話を続ける。
「琥珀は特別な『人族』。他とは違うと認識させる。問題無い。」
「あー、成る程ね。全然特別じゃないのにね。」
「琥珀は特別だ。俺にとっても族長にとっても。しいてはガトにとっても。」
「アリガトウ。」
ネロの慰めの言葉を聞きながら遠い目をしてしまった。特別ってなんか凄い言葉だけど、実際はただの貧弱で虚弱な人族なんだよね。手渡してくれたお茶を飲みながら、隣に腰を下ろしたネロに視線を戻す。
「もし、不可抗力で学び舎から消えた場合も、特別な存在だからという事にしておく。問題無い。」
「成る程、特別な存在なら瞬間移動くらいお手の物ですね。」
「族長なら数人纏めて移動できる。族長が呼び寄せた事にすればよい。」
「まじか。アルさん、凄いな。」
冗談で瞬間移動って言ったのに、アルさんは本当にできるんだ。マジで凄いじゃん。アルさんを褒めると少し微妙な顔をしたネロが頷いてくれた。まだ根に持ってるのかな?
「疲れたのなら少し寝るか?」
「大丈夫。それよりこの本を読もうかな。少し予習しよっかなと。」
「分かった。俺も少し仕事をするが構わないか?何か問題があれば声を掛けてくれ。」
「りょーかい。」
会話は終了して、俺はこのままソファで、ネロはテーブルと椅子でそれぞれの作業を始める事になった。部屋の中はペラペラと紙の捲れる音と、時々さらさらと何かを書きつけている音だけになる。
最初は大人しくソファに座りながら読んでいた俺だったけど、時間が経つに従って次第に体がずり落ちていく。何度も読書に向いた体勢を模索して色々動いた結果、結局ソファの上で腹這いになって読む事にした。
この方が捗る。行儀が悪いけど、俺は読書って元々得意じゃないし!漫画くらいしか読まなかったし。漫画はこの体勢で読むに限るし!足を膝で折って、中空でぶらぶらさせて、誰にともなく言い訳らしき言葉を心で呟きながら本を只管読んでいく。
静かな空間の中で読書に集中し始めてから結構な時間が経った。〈翻訳〉のスキルのおかげで書いてある内容は理解できる。ただ、目で読み取っている文字は、目で見ている通りの異国の全く見た事のない呪文のような文字だ。違和感が拭えない。あ、そういえば、〈翻訳〉って文字は読めるし会話もできるけど、書く文字も変換されるのかな。
(されません。琥珀様のお書きになる文字は『ニホンゴ』です。)
「琥珀、どうした?」
まじか。頭を抱えてしまった俺の姿を捉えたのか、ネロの低い声が聞こえた。顔を向けると、ネロが心配そうな顔をしてこっちを見ている。がばっと起き上がってネロを見つめる。
「ネロさん。俺。」
もはや涙目と涙声になってしまっているのを自覚しながら声を振り絞る。続きを待つように黙って見つめてくるネロに恐る恐る伝える事にする。
「俺、字が書けないんだった。」
「・・・そうか。」
何を言っているのだと言いたげなネロの表情を見ながら続ける。
「学び舎って事は文字を書いたり、書いたり、書いたりするよね?俺は書けない。」
「・・・」
「文字が書けないのに何でこんなとこに来てるの、この子ってなるじゃん。」
「・・・」
「うわ、こんな年上のお兄ちゃんなのに字も掛けないとかオワッテルってなるじゃん。」
「・・・琥珀。」
暫く黙って聞いていたネロが低い声で俺を遮ってきた。
「琥珀の言う学び舎がどのようなものを指しているかは分からない。だが、あの場所は書を読み、疑問があればアイラに問う場所。文字を学びたいのであれば、別の場所を紹介する。」
少し涙目で見つめる俺と目を合わせたネロが、ゆっくりと言い聞かせるように語り掛けてくる。ネロの説明が頭に到達して瞬きをしてしまう。
「・・・え、まじで?読み書きそろばんじゃないの?学び舎って。」
「『ヨミカキソロバン』が良く分からないが、あの場所は世界の理を学ぶ場。世界の成り立ち、過去の成り立ち、外の世界について、学ぶ場。」
「あ、歴史とか地理とか社会系か。納得。で、基本的には本を読んで分からなければ聞く、と。」
「その認識で間違いない。」
「良かった。まさか俺は字が書けないとか思わなかった。びびった。」
ネロの説明を聞いて安堵してしまった。文字を書く必要はなかったんだ。一応は良かった。
「少し休憩するか?茶を淹れ直そう。」
「あ、はい。お願いします。」
俺の返答に頷いたネロが頷いて、何か書き物をしていたらしい書類を纏めて棚に片付けてしまった。流しに向かいお茶の用意をしてくれるネロを見て思う。テンパってスツィに話すみたいにネロと話してた。馴れ馴れし過ぎると思われたら駄目だから気を付けよう、と心の中で決心する。
しかし、この前にデスクワーク系してた時も思ったけど、ネロって強いだけじゃなくて頭もいい系なのかな。族長の仕事の補佐って言ってたし。アルさんはガトのトップって言ってたよね、確か。
護衛さんの仕事の範疇じゃなさそうだし、アルさんの片腕的なモノなのかもしれない。ほんと、ネロって何1つ欠点のない凄いパーフェクトな人なんだな。
考え込んでいた俺に、ネロがいつも通りのドンピシャな温度のお茶を運んできてくれた。ネロのカップからは湯気が立っている。猫舌ですらなかったもんな。本当に完璧超人だ。
「仕事は大丈夫かな。中断させちゃった?」
「もう終わるところだった。問題無い。琥珀は文字が書けないと言っていたが、読む事はできるのか?熱心に読んでいたようだが。」
「読めるっていうか、理解できる。かな。」
疑問の表情を浮かべるネロに、俺も良く分からないと付け足しておく。実際問題、理屈が分かってないのは確かだし。ホント、分からない事だらけだ。俺、こんなんで学び舎でやっていけるのか?




