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24 悪い、敵かと思ってつい

 アルさんの申し出はとても在り難かった。俺にはスツィがいる。確かに、何かに対して疑問を持つとスツィが的確に答えてくれる。ただ、それは『何か』に疑問を持った時だ。『何か』すら分からない状況では答えを得る事ができないという融通の利かなさもある。


 この世界を知らない俺にとっては疑問を持つ事すらできない、所謂何が分からないのかが分からない数学の問題みたいなものだ。基礎の知識すら入っていない状態って事だよね。基礎がなかったら応用も無理だよね。その基礎、この世界の情報をこの村で学ぶ事ができるならその方が確実にいい筈。この世界で生きていく為には必要な事な気がする。


「もし、邪魔じゃないのならお世話になって少し学びたいです。宜しくお願いします!」


 アルさんの聖人的な提案を飲ませて貰う事にした俺にアルさんは笑顔で頷いてくれた。


「良かったわ。またいつでもここに遊びに来てね。私に教えられる事は少ないけれど努力はするわ。勿論ただの話し相手も大歓迎よ。」


 そう言いながらアルさんはベッドによじ登って、足元にブランケットを掛けてしまった。サイドの背もたれに寄り掛かったアルさんの様子は、少し疲れて少し老けて見える。いや、老けて見えるってか年相応に戻ったと言うべきか。


「ごめんなさいね。少し疲れが来ちゃったのかしら。はしゃぎ過ぎちゃったのね。ホント年は取りたくないモノね。少しだけ休ませて貰うわね。」


「俺こそごめんなさい。長々とお邪魔しました。もう帰ります。タオルありがとう。」


 悲しそうに謝ってくるアルさんに首を振って、タオルを机の上に置く。また来てね、と小さく呟いたアルさんにうんっ、と大きく頷いてアルさんの居室から退出させて貰った。そのまま廊下を突っ切って、護衛さんのいない入り口から外に出る。もう陽は真上に来ていた。思ったより長い時間、アルさんと話をしていたようだった。


 マヌさんはアルさんが指示した通り、入り口から移動してしまったようだ。どうしたものかと迷ったけど、マヌさんを探す事にする。アルさんが休むならちゃんと護衛の人が護衛しなきゃ危険かもしれないからね。取り敢えず自分が知っている所、食事場と鍛錬場を見に行く事に決めた。


 食事場は少し距離があるから、近場の鍛錬場に先に見に行く事にする。族長のテントのすぐ脇、正面から見て左隣に族長のテントを5倍したより大きな背の高いテントが併設するようにして建っている。鍛錬場の中を覗くとマヌさんの姿はなかった。


 代わりに一番最初に果実を集めてくれたこげ茶猫が、短剣を構えて鍛錬しているのが見えた。ネロよりは少しだけ小柄に見えるけど、細く均整の取れた柔靭そうないい身体をしている。


 こげ茶色のしなやかな細くて長い尻尾は、集中したように真っ直ぐに伸びて一切動かない。同色の短髪から飛び出た少し大きな猫耳は、少しだけ後ろに向けられ集中している様子を表している。


 静かに集中しているこげ茶猫の姿の余りの綺麗さに、音を立てないように気を付けて中に入って鍛錬している様子を眺めてしまった。鍛錬場の中に入り込んで、こげ茶猫を見始めても集中した様子で一切動かない。


 空気が凍り付いたような気迫だけが伝わってくる。一瞬張りつめた空気が緩んだと思った次の瞬間、こちらの方に凄い跳躍をして移動してきたこげ茶猫が、ナイフを俺の喉元寸前で止めた。


 きらきらした澄んだ深い緑の眼が俺を睨み、猫目の瞳孔は開いている。息を止めて睨まれる事数秒、こげ茶猫の瞳孔が細くなって喉元のナイフが下げられた。ナイフが退けられても、俺は息を詰めて動く事ができない。


「悪い、敵かと思ってつい。」


 眼を逸らして、ぶっきら棒に謝ってきたこげ茶猫の変化で、漸く息を吐き出して力が抜ける。マジで殺されるかと思うくらい怖い気迫だった。多分、俺が一人で集中してた鍛錬を邪魔してしまったからだろう。


「こちらこそ鍛錬の邪魔をしてごめんなさい。あと、果実を集めてくれてありがとうでした。美味しかったです。」


 俺の言葉を聞いて、すごい勢いで俺を見つめてくるこげ茶猫の反応にびくっとなってしまった。こげ茶猫の反応の意味が分からなくて、途惑った俺を見ているこげ茶猫は凄い驚いた顔をしていて、俺も驚いてしまった。


「人族がガトに謝ったり礼を言ったりする事なんてあるんだな。」


 じっと俺を見つめた状態で、ぽつりと呟いたこげ茶猫に首を傾げてしまった。この世界の人族ってそんなに礼儀がなってないのか?この人の反応を見る限り、かなりヤバいよね。


(人族:モーティナに於いて最大の勢力を誇る種族。それぞれの地域で肌の色、瞳の色の傾向が若干異なる。モーティナの多くの地域に於いて独自の国家を築いて主権力を握る事が多い。相対的に亜人種と敵対し亜人種を差別する事例が多いが、亜人種の勢力が強い地域では小さな集落を形成し亜人種と友好的な関係を築いている事例もある。イシュケ王国に於いては人族は亜人種を蔑む傾向にある。)


 成る程、それは納得の反応だな。これは。人族の方から喧嘩売ってる感じな訳か。人族に見える、ってか、多分この世界では人族の俺を受け入れてくれているネロとアルさんに感謝だね。ネロとアルさんみたいに最初から受け入れて貰うのは難しいのかもしれないね。


 本来の目的を思い出して、武器を収めてくれて、話を聞けそうなこの目の前の人に聞いてみる事にしよう。多分、この人も族長の護衛さんだと思う。最初にネロと一緒に来た一人だし、多分そう。護衛さんだったら、マヌさんの居場所も知ってる気がする。


「あの、マヌさんてどこにいるか分かりますか?」


「マヌ?今の時間は族長の護衛だろ。」


「俺とアルさんの話の間、席を外して貰ってたんです。話が終わったから声を掛けようと思ったんですが、どこにいるか分かんなくて。」


「じゃ、俺が代理で護衛しとくわ。もうすぐ俺の交代だし。マヌがどこにいるかは分からねぇから見付けたら伝えといて。」


 マヌさんの居場所は分からなかったけど、この人が代わりに行ってくれるらしくて安心だ。アルさんは休むって言ってたし、護衛の人は必須だと思うから。良かった。


「了解です。ありがとうございます、えっと。」


「レオ、俺の名前な。また会う事があるかは分からんけど宜しくな。」


 名前が分からなくて戸惑ってしまった俺に、こげ茶猫は苦笑いを浮かべながら教えてくれた。


「ありがとう、レオさん。俺は琥珀と言います。宜しくお願いします。」


 ぺこりと頭を下げる俺の傍を、軽く頷きながら音もなく静かに通り過ぎていったレオさんはそのまま外に出て行ってしまった。ガト族の人ってホント移動が静かだよな、忍んで歩いてるって表現が良く似合う。


 雪丸はペタペタ、トテトテ音を立てて歩いてて全く忍べなかったのにな。実家の愛猫を頭に思い描く。うちの雪丸が猫として駄目なのか、ガト族が猫より上位な存在なのか。疑問は尽きない。


 よし、じゃあ、次は食事場にマヌさんを探しに行くかぁ。もう急がなくて良くなって、安心して鍛錬場を出る。外はここ数日と変わらずいいお天気で、ぽかぽかとしたいい気候だ。


 散歩するようにゆっくりと食事場の方に向かって歩いていると、不意に横から声を掛けられた。声の方向に視線を向けると、あの工房で熱弁を振っていた茶虎のニルさんが俺に向かって満面の笑みを浮かべていた。


「琥珀ではないか。今は暇か?」


「あ、こんにちは。あの、ニル君ってお呼びしてもいいですか?」


 この茶虎ちゃんは多分年上だとは思う。でも、どちらかというと美少年と言うより美少女に見える程の驚くほど端正な見た目と、俺より少しだけ背が高いけど華奢な線の細さでかなり幼く見えるんだよ。笑顔を浮かべると更に幼く見えて、さん付けで呼ぶより、君で呼びたい気分になってしまう。


「名など好きなように呼べばいい。この前伝えきれなかった紋様について今語ろう。」


 矢継ぎ早に話し掛けてくるニル君の勢いに少し気圧されながら、マヌさんを探し中、と伝える。


「マヌなどどうでもよい。それより、僕の工房に行くぞ。」


 言葉の終わりと同時に、手を伸ばしてきたニル君に強引に腕を引かれそうになってしまった。あの時のネロに強引に引っ張られた事を思い出し慌てて躱す。俺の行動で、ニル君が不思議そうな顔をして首を傾げた。


「何をしている。」


 聞き覚えのある低い声が響いて、振り返るとネロが立っていた。素早くニル君と俺の間に移動したネロがニル君を見下ろしている。


「ネロ邪魔をするな。琥珀は僕の理論を理解できる存在なのだ。貴重な存在なんだ。」


「琥珀が望んでいるのなら構わない。だが、無理強いをするな。」


「琥珀は僕を望んでいる筈だ。なぁ琥珀。」


 少しだけ威圧するように見下ろすネロには一切目もくれず、ネロを押しのけてキラキラした橙色の瞳で俺を見つめるニル君に少し気圧されてしまう。でも、今は他に用事があるんだよ、ごめんね。


「えっと、今はマヌさんを探さなきゃなのでごめんなさい。また後で。」


「・・・そうか。では待っている。いつでも来てくれ。」


 がっくりと肩を落としたニル君はちょっと可哀想だったけど、今はその時じゃない。ニル君に手を振って別れて、合流したネロと連れ立って食事場に向かう。


「マヌを探していると言ったか?族長の警護ではなかったのか。」


「あ、俺との話の間、席を外せってアルさんが言って、マヌさんは追い出されちゃったんだよね。終わったから迎えに行こうかと思ったんだけど、どこにいるのか分からなくて探し中だった。で、さっきレオさんが代わりに早めに護衛に入ってくれるって言ってくれた。で、それを伝える為に引き続き探し中なの。ネロはしっかり寝れた?」


「ああ。寝た。」


「良かった。眠くなくてもちゃんと睡眠は取らないと駄目だよ?」


「分かった。」


 食事場に到着した俺達だったけど、やっぱりマヌさんはいない。まぁ、村の中は広そうだからピンポイントでここにいる可能性は低いよね。


「何か食べながら待っていろ。食べたい物はあるか?」 


「大丈夫。待ってる。」


「そうか、少し席を外す。ここで待ってろ。いいな?」


 どうしようかと途方に暮れてしまった俺を見たネロが代わりに探してくれるらしい。ここで待てと言い残したネロは凄い勢いで走り出した後で、跳躍して誰かの家らしきテントの上に飛び乗った。そのまま奥の方へ姿を消していってしまった。


 うぉ、凄いな。と改めてガトの、というかネロの運動能力の高さを実感してしまった。ネロに言われた通り、食事場の椅子に座って待つ事にする。調理場から漂ってくる肉を焼くいい匂いにお腹が鳴った。アルさんの所で朝御飯食べたけど、もうお昼時らしい。


 食事場の席もちらほらと埋まり始め、食事をしない俺が席を占領しているのも悪いな、と席から移動する事にした。ここで待ってると言った手前あまり離れるのも良くない。端の方の木の根元に腰を下ろして空を見上げる。


 この世界の時間は凄くゆったり流れている気がする。体力も数値通りにホントないみたいで気を抜くとすぐ眠気がくる。少しだけ離れた所に見える食事場で、賑やかに集団で或いは一人で黙々と食事をするガト族の人達。この世界で初めて出会った人達がいい人達で良かった。俺を受け入れてくれて良かった。そんなことを考えていたら、また寝ちゃったらしい。

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