16 よくいらっしゃいました
集落の居住空間は模様の差異とテントの規模の差異はあるけど、基本的に白い生地に赤い模様が編み込まれている布をテント状に張ったような作りになっているみたいだった。テント、と言うにはかなりしっかりした大きい家だけど見た目はテントっぽい。
集落の中心と思われる場所に、一際大きなテントが設置されている。色合いも他のとこより鮮やかな紅い色が複雑に織り込まれている布で覆われている。入り口上部の外側の部分には、赤い色の大きな宝石と透明な宝石を複数組み合わせたチャームがキラキラと輝いている。
黒猫は無言のまま、入り口の布をめくって中に入っていった。俺も慌てて後を追って中に入らせて貰う。テント内部は思ったより明るい空間だった。テント内部の入り口近くに、昨日果実を集めてくれたこげ茶の猫が立っている。ぺこっと頭を下げて挨拶をしてみた。
ぐるっと室内を見渡してみると、高い天井には明かり取りらしき透明な開口部が設置されている。更に、俺が覚えた〈照明〉よりも光量の強い光の玉が天井近くにあって、明るい光を放っている。
換気もちゃんとできるような作りになっているらしく、空気が清浄で全く籠っていない。匂いは籠っていないけど、バニラのような少し甘めの香りが漂っていてとても癒される。俺が室内を見渡している間に黒猫は入り口から更に奥の方へと、俺を振り返る事もなく進んで行っていた。
俺もゆっくり後を追って廊下を進んでいく。廊下の一番奥のカーテンの前で黒猫が立ち止まって、こちらを振り返った。俺を確認してからゆっくりとカーテンを捲って、中に促してくれる黒猫に頷いて中を覗き込んでみる。
カーテンの中、入り口の広間より更に明るい部屋の中には、一人の高齢なガト族の女性が大きなベッドに横になっていた。ソファのような形の両脇と向かって奥側にふかふかとしたクッションのような背もたれがついている大きなベッドだ。巨大なカウチと表現していいかもしれない雰囲気のベッドだ。
俺に気が付いた女性が半身を持ち上げて起き上がり、会釈をしてくれた。俺も慌てて会釈をし返す。今も綺麗という表現が良く似合う容姿だけど、かつては相当美人だっただろう事が伺える美しく凛とした高齢のガト族の女性だ。。
優し気な顔に特徴的な緑と黄金が混じり合う瞳、白い毛がメッシュのように綺麗に入っている艶のある薄桃色の髪は真っ直ぐ胸あたりまで伸びていて、前髪は眉の少し上で切り揃えられている。優しそうに微笑むこのガト族の女性がこの村の族長さんなのだろうか?黒猫を見上げて首を傾げて疑問を伝えてみた。
「族長のアルだ。」
「人の子よ。よくいらっしゃいました。」
高齢な外見とは少し違和感のある程の、澄んで優し気な美しい声で語り掛けてくる女性に視線を戻した。もう一度ぺこりとお辞儀をして返事の代わりにしてみる。
「ネロ、この方のお名前は?」
「聞いていない。」
この黒猫はネロって名前なのか、そういえば自己紹介をしてなかったな。俺、結構焦ってたんだろうな。全然礼儀正しくなかった。
「ふふっ、困った子。人の子よ、ごめんなさいね。ちょっと無愛想な所もあるけど、いい子なの。あなたの名前を教えて下さるかしら?」
「琥珀といいます。宜しくお願いします。」
「丁寧にありがとう。私はアル。一応族長みたいな事をやらせて貰ってるの。アルって呼んでね。」
自己紹介すらしてなかった、と正直焦ってしまう俺を見て、可愛らしく微笑んでくれた女性が優しく語り掛けてくれる。慌てて返事をしたら新学期の自己紹介みたいになっちゃった。
「琥珀さん。少しお話しさせて貰いたいのだけど大丈夫かしら?」
「はい。」
なんか、この族長さんは学校の先生みたいな雰囲気あるなぁ。落ち着いていて安心できる包容力がある、感じがする。そして優しい先生って感じ。
「ネロ、あなたは少し席を外してくれるかしら?」
「しかし、族長。」
「行きなさい。あと、琥珀さんに飲み物を。」
「了解。」
アルさんはほんわか話す人だと思ったけど、結構きつい言い方もするのね。流石族長さんである。
「ごめんなさいね、困った子ね。心配性なの。」
苦笑するアルさんはとても綺麗だった。年は召しているだろうけど、笑うと俺の母くらいにもいや、姉くらいにも感じられる不思議な雰囲気を纏っている。頷きながらアルさんが話し始めるのを待つ。
音もなくカーテンが開いて無表情のネロさんが湯気の立つ茶の入ったカップを2つベッド脇に設置されている小さなテーブルに置いて声もなく去っていった。無言過ぎて一瞬の出来事だった。
「本当に無愛想で困った子ね。お茶しかないけど大丈夫だったかしら?」
「はい。ありがとうございます。」
カップに手を伸ばし、息を吹きかけて湯気の立ち上る熱々のお茶の熱を冷ます。紅茶とも違うけど、薄茶色のいい香りのするお茶だった。猫舌の俺はそっとカップに口をつけて、息を吹きかけてからそろそろと口に含んでみる。口の中で程よい渋みと苦みと香り、その後に独特の甘みが広がって、ほぅと息を吐いてしまった。
「美味しい。」
「口に合ったようで良かったわ。」
暫し、二人とも黙り込んでお茶を楽しむ時間が続いた。久しぶりに口に含む温かい飲み物が嬉しくて、まったりとした空間が広がって目的を忘れそうになっていた。
「あの、この村に赤い毛の子っていますか?俺、その子が供えてた果物を食べちゃってたみたいで謝りたいんですけど。ついでにお礼も言いたいです。」
「赤い毛の子。昔はいたのよ?でもその前に私の話を聞いて下さるかしら?」
忘れる前に目的を、っと話し始めると、アルさんはニコっと笑顔を浮かべた。先に話があるというアルさんに、同意の意味でこくりと頷く。
「ガト族にはね、言い伝えがあるの。ガト族は昔は月に住んでいたのよ?お空に浮かぶあの深く美しい紺色の月。でも、ある時にね、このモーティナに住む人族が月に魔法をかけたの。如何なる者も住めなくなる死の土地になる魔法。ガト族が人族を忌避するのはそんな理由からかしら。それで仕方なくこのモーティナに移住してきたのよ。」
優しく微笑んだ族長さんは笑顔で話を続けていく。俺をちらりと見て、言葉を止めて小さく息を吐き出すアルさんに頷く。
「でもね、今でも月の力が私たちに干渉してくる事もあるのよ。ガト族の中には稀に遠見をしたり、予知をしたりできる子が生まれる事があるの。そして、さらに極稀に未来に干渉する子が生まれる事も。」
息を吐き出したアルさんが少し疲れてしまったのではと心配してしまった。俺の表情から心配したのに気が付いたのか、大丈夫と頷いたアルさんが話しを続てくれる。ゆっくりした口調だけど、アルさんは淀む事もなく話し続ける。
「私ね、まだ幼い少女の頃に数日間、神隠しにあったそうなのよ。私も年をとったからもう余り覚えてないのだけれど、見知らぬ土地で怖い思いをした記憶は微かに残っているのよ。それで、その見知らぬ土地で見付けた月の神様の神殿に森で取った果実をお供えして、神樹様にお水をお掛けしてお祈りしたの。おうちに帰れますようにって。4回目のお祈りで、無事に帰ってこれたのよ。」
ふふっと懐かしそうに笑うアルさんだったけど、アルさんの話を聞いて唖然と黙り込んでしまった。話は理解できる。普通に理解できるし、俺はその状況を知っている。
「一番最後にお供えした時にね、お月さまの紋章を持った男の人が私のお供え物を頂いていたの。人族だったけど、優しい目をしていたのよ。でも私、もうびっくりしてその場から逃げ出してしまったのだけど。無我夢中で走っているとおうちに帰れたのよ。あれは月の神様だったのかしらね。」
こちらを見ながら穏やかな笑顔を浮かべる高齢の猫耳の女性を唖然としたまま見つめてしまう。アルさんの話を総合すると、1つの結論しか見えてこないんだけど。でも、余りにも突拍子がない、これは言葉に出して聞いてもいいのかな。
「・・・要するに、あの時の赤い毛の子はあなただったと?」
「そういう事になるのかしら。不思議な話でしょ。私ね、本当はもっと西の方の地域の出身なのよ?でも、無事に返してくれたお礼を言わなきゃって一生懸命月の神殿を探したのよ?大変だったんだから。何十年も探してやっと見つけたのよ。」
少しの間を置いて、掠れる声で漸く絞り出すように問い掛ける事ができた。アルさんは普通に俺の質問に肯定の意を返してくる。あの、予想以上に壮大な話だったのですが。スツィ、あの神殿は月の神殿って言うんだってよ。あの古木も神樹だったよ!神樹って神の樹だよ。ご神木だよ!
(月の神殿:ガト族が独自の宗教観で奉る最古の月の神殿。遥か昔に建立されたため、大部分が朽ち果てている。尚、イシュケ王国ではイシュケの原初の神殿と呼ばれる。神樹:樹齢千年を遥かに超える大木。品種は不明。ガト族の言い伝えでは月に枝を伸ばし、この地モーティナにガト族を導いたとされる。)
おぉ、知ってたのか。流石です。
「その節は知らなかったとはいえ、お供えものを盗むという暴挙に出てすいませんでした。そして、美味しかったです、ありがとう。」
目の前のアルさんがあの子って事ならちゃんとお詫びとお礼を伝えなきゃだ。深々と頭を下げる。顔を上げると、にこにこと微笑んだアルさんが頷いてくれた。
「信じてくれるのね。ありがとう。」
この世界って何でもありなのかと思ってたけど、この話はいくらなんでも荒唐無稽に聞こえる話だったようだ。でもそんな事は関係ない、この族長が誰かを、若しくは何かを隠すために嘘をついていたとしても、或いは真実を話してくれていたとしても、俺が詫びと礼を伝えたという事実があればいい。目的達成!さて次はどうするかぁ、何すればいいんだろうね。
「琥珀さん、お腹は空いてない?少しこの村に滞在してはいかがかしら?」
「・・・ありがとうございます!めっちゃお腹空いてます!」
アルさんのありがた過ぎる申し出に二つ返事で答えてしまった。この世界に来て初めての果物以外の食べ物に心が躍ってしまう、お肉あるといいなぁ。心がお肉に染まっていく。タンパク質食いてぇ。に゛く゛ぅぅぅ!って叫ぶ気持ち、少し分かるような気がする。
「ネロ、琥珀さんに食事を。私は少し休みます。後の事は頼みますね。」
「了解。人の子よ、ついて来い。」
お肉に心を奪われている間に戻ってきたらしいネロさんに、アルさんが俺を託す。音もなく俺の背後に立っていたネロさんに少しびくっとなってしまった。
「ネロ、琥珀さんとお呼びしなさい。」
「・・・琥珀、ついてこい。」
「はーい。」
やっぱ、アルさんは学校の先生だな。この窘めるというか諭す感じの雰囲気は確実にそんな感じだ。そう考えながらカーテンを抜けて廊下に出ていくネロさんを目で追いかける。
「アルさん、ありがとうございました。またです。」
ぺこりと頭を下げて、部屋の仕切りにカーテンに足を向けた。
「琥珀さん、私からも、ありがとう。」
アルさんに振り向いて会釈をして、既に廊下の先に移動していたネロさんを早足で追いかける。




