108 美味かった
ネロが入り口を開けると、ユリアさんが滑り込んできた。いつも通りの可愛い笑顔で挨拶してくれるユリアさんにニッコリ笑顔を返す。挨拶が終わったら、ユリアさんが楽しそうにテーブルの上に食事を並べていってくれる。
今日は凄くいい匂いがする。これは、カレーっぽい。カレーだよね。絶対カレーな気がする。ユリアさんが食事を並べている間に漂ってくる香りで、お腹が盛大に主張をし始めた。食事を並べ終わったのか、ユリアさんがくるっと振り返ってニッコリしてくれた。
お腹の音、聞こえちゃいましたよね。ちょっと恥ずかしくて照れ笑いをすると、ユリアさんが大きく頷いてくれた。何かを納得してくれたらしい。メッチャ恥ずかしい。
ネロに向かって、終わったら持ってきて下さいね、と、伝えたユリアさんが手を振って出て行った。手を振ってユリアさんを見送ってからテーブルに向かう。
テーブルの上には、スープっぽいのから粘性が高いものまで、5種類のカレーっぽい大皿料理が並んでいる。それに加えて、ナンのような歪な楕円形のパンが山盛りで用意されていた。
「琥珀?」
やっぱカレーっぽい。見た目も香りも今の段階で美味しい。テーブルの上を眺めて時間の止まった俺を見ていたのか、ネロに呼ばれた。
声を掛けられた事で顔を上げて、一旦ネロと目を合わせる。そして、もう一度テーブルの上を見て、椅子に腰を下ろした。いただきます、と手を合わせてネロの祈りを待つ。手を組んで静かに俯いていたネロが顔を上げた。
目の前の食事が楽しみで待ちきれないっていう自覚はある。そして、目が合ったネロが頬を緩めたのが見えて、俺のテンションがばれたって気付いてしまった。
でも、カレーだよ、そりゃテンションは上がっても仕方ないと思うんだ。嬉しそうに頬を緩めたネロが料理を取り分けてくれる。
小皿に少量盛り付けられた、一番ドロッとしているカレー(仮)には、ほろほろになった鶏肉っぽいお肉が沢山入っている。まずは具のお肉から、スプーンに山盛りで口に運んでみた。口いっぱいに広がる、色々なスパイスと仄かな辛味。お肉は鶏肉で確定だ。
うん、これはチキンカレーだ。(仮)は外していい程に、間違いもなくチキンカレー。少しだけ味は違うけど、チキンカレーと言っていいでしょう。
そもそも、手作りカレーは、スパイスの配合次第では同じ味にはならない事も多分にある筈。だから、暫定的にカレーで間違いない。
美味し過ぎてニコニコで顔を前に向けたら、俺の食べるのを見守っていたらしいネロと目が合った。メッチャ見られていたらしい。美味しいよって頷いてみると、ナンを一枚お皿に乗せて渡してくれた。
ニコっと受け取って、少しちぎってチキンカレーを乗せて食べてみる。これは完璧だ、確実に間違いはない美味しさですよ。もっちりとしたナンの生地にちょっと辛味のあるチキンカレーがメッチャ合う。
チキンカレーを完食すると、すかさず、ネロが次のカレーをさっきより少なく取り分けてくれた。取り分けて貰ってる間に、ネロの前のお皿を見ると、ちゃんと自分も食べ進めているみたいだ。それでいて、こんなにスムーズに俺のおかわりを用意できるネロは凄い。
よそってくれた小皿を受け取りながら、お礼の言葉を伝える。ネロは嬉しそうに目を細めてくれて、ネロの雰囲気が凄く優しい。
次のカレーはチキンカレー程にはドロっとはしてないけど、適度なトロっと感がある。少量を掬って口に入れてみると、魚の風味がするカレーだ。これはあの赤身魚かもしれない。少し臭みはあるけど、でも全然いける。
スパイスの配合が違うのかチキンカレーと違う味わいだ。魚の臭みがスパイスで少し打ち消されて、フレーク状になった魚がカレーに混ぜ込まれているような感じだ。
ナンを少しちぎって、魚カレーを乗せる。口に運んでモグモグと味わってみる。チキンとは違う風味でこれまた美味しい。少しの量だったから直ぐ食べ終わった。
ネロが次はスープカレーを器によそってくれている。今回のはホントに少量だ。二口くらいの味見程度の量を入れた器を渡された。
なんでそんな少ないの、って疑問を浮かべながら受け取って、口に入れた瞬間に理解した。あぁ、成る程。これは、辛い。非常に辛い。少ない量で正解。
一口目の味はですよ、口に入れた瞬間は美味しかった。海鮮系の凄くいい風味がした気がする。でも、辛さで舌がおかしくなって味が分からなくなった。
一旦、ナンを食べる事にしよう。ナン単品は、少しだけ塩味でバターの風味が美味しい。モチモチしてるけどふんわりしてる不思議な感じだ。
ナンで口が落ち着いた感じがある。なんとかよそってくれたもう一口を食べきる。もう一口ナンを食べたけど、まだ口が辛い。めっちゃ汗が出る。
「これ辛かった。汗が止まらなくなっちゃった。」
「やはり、琥珀には少し辛かったか。」
「うん、味見程度の量にしてくれて良かった。普通に取り分けて貰ってたら食べきれなかった可能性しかない。二口でこの汗だよ?ネロは平気?」
頑張って食べたものの、汗だくになってしまってネロに辛すぎって愚痴ってみる。ネロは目を細めて楽しそうに次のカレーを取り分けてくれながら、宥めてくれた。
「ああ、美味い。」
こんな辛いのでもネロはイケるのかなって思ったけど、美味しいんだね。激辛もイケちゃうネロは舌も高性能かもしれない。
「じゃあ、それはネロの担当で。」
俺はもう無理、ネロが楽しんでください。ネロが次に渡してくれた、スープと言うには少しとろみのあるカレーをスプーンでかき混ぜながら、激辛スープカレーは拒否してみた。ネロは目を細めて頷いてくれる。袖で汗を拭いて、次なるカレーに挑む事にした。
これは野菜カレーかな。煮込まれてはいるけど、形を保ったままの大きくカットされた野菜がゴロゴロと入っているカレーだ。さっきの辛いのが舌に残っているから、少量を口に運んでみる。
野菜の甘みなのか、甘口なカレーの味だ。舌の麻痺が解除されていく感じがする。微かに酸味があって、甘味も強いカレーで美味しい。これは、ナンとは合わせずに単品で楽しむ事にした。甘口カレーで舌も落ち着いてきた。でも、汗が止まらない。
最後のカレーは魚カレーと同じくらいのトロっと感がある。スプーンでかき混ぜて、食べてみるといい歯ごたえの具がいた。柔らかくなってるのにクニュッと独特の食感の具を噛み締めて味わう。もう一口、口に入れて確認する。
これはタコだね。タコじゃなくて、カナロアってモンスターだと思われる。カレーにしても美味しいとかヤバい。煮込んでも柔らかくなって、更に独特の食感になってて美味し過ぎる。
ナンに乗せてゆっくり味わいながら、顔を上げてネロの食事風景を眺めてみる。食事風景じゃなかった。ネロは食べる手を止めて、俺の食べる様子を楽しそうに見守っている。
テーブルに目を向けると、チキンカレーと最後のカナロアカレーだけを残して他は綺麗に完食していた。俺のおかわり待ちの間、見守りモードに入っていたらしい。
もう少し下さい、ってチキンカレーの取り皿をネロに渡してみる。ネロは頷いて、楽しそうに取り分けてくれた。食べ途中だけどカナロアカレーも少しだけ追加して貰って、ナンをもう一枚貰う。
「多分これで一杯。ってか、美味し過ぎて言葉を忘れてた。待たせちゃってごめん。」
「今日の料理は気に入ったか?」
「うん、美味しい。今日の料理は大好きな味。激辛以外は超美味しかった。」
「そうか。」
俺がまだ食べるであろうモノだけを残して待っていてくれたネロに軽く謝ってしまう。ネロは嬉しそうに、美味しかったか聞いてくれて、俺も笑顔で頷く。ただし、激辛は除く。そこを強調してみたら、ネロは優しく目を細めて相槌を打ってくれた。
そうなんです、激辛は無理です。大きく頷いて食事を再開する。チキンカレーは最初に口に入れた感動はそのままで、一通り食べた後に再会してもまだ美味しい。ナンに乗せて齧り付くと口の中に広がるチキンの風味とカレーの旨みがもう、間違いないヤバさ。
チキンカレーはナンに乗せて美味しく完食。カナロアカレーは単品でちまちま食べる。この歯ごたえが堪らないんだよね。もきゅ、もきゅっと歯にあたる具の食感が気持ちいい。
寂しい気持ちで最後の一口を飲み込んでご馳走様。食事の終了と同時に、優しく見守ってくれていたネロがお茶の用意を始めてくれた。
「野菜のって甘めだったけど、ネロは苦手じゃなかったの?」
「辛いのを混ぜて食べた。丁度良くなる。」
「おぉ、その手があったか。俺も混ぜたのを食べてみれば良かった。」
お茶を淹れてくれるネロに話し掛けてみる。ネロはお茶を淹れる手を止めて、嬉しそうに目を細めて答えてくれた。嬉しそうに揺れているネロの尻尾を見ながら、俺もそうすれば良かったと納得してしまう。
ネロが俺の前にお茶を置いてくれる。そして、テーブルの端に置いてあった小さなドーナツの乗ったお皿も俺の前に移動してくれた。カレーに気を取られ過ぎて全然気付いてなかった。デザートもあったんだ。
「あの辛いスープのって具はなんだったの?俺はスープでギブだったから具を見てなかった。」
「唐辛子とラングスト。」
「ラングストって何だろ?初めて聞く名前。」
「海洋モンスターの幼生、と聞いた。」
「ほぉ。それも今度食べてみたい。カナロアが美味しかったから、それも美味しそう。」
ドーナツのお皿をじっと見つめたままで会話をしていたら、クスッと笑う声が聞こえた。顔を上げると、向かいに座っているネロが嬉しそうに目を細めている。微笑みを浮かべているネロは、いつも通りの安定の綺麗さに加えて、何かキラキラして見える。
ゆったりと座って足を組んでるんだけど、脚がメッチャ長い。羨ましい。そして、優雅にお茶を飲んでる姿も眩しく見える程に綺麗。俺を眺めている眼差しは優しいような気もする。
「腹が一杯で食べられないか?」
「違う、小さくて可愛いと思って。」
「子供達が食べ易い大きさにした、と言っていた。」
「そうなんだ。気遣いのできるユリアさんは可愛いね。」
ニコっとしてみたら、ネロが目を逸らしてしまった。視線をお皿に戻してみる。小さなドーナツが4個、お皿の上に可愛く鎮座している。
白く溶けた砂糖がコーティングされているのと、赤い果実のタレでコーティングされているの、薄茶色のタレでコーティングされているのと、何もコーティングがないの。4種類の味が違うドーナツらしい。
「ネロのデザートはないのか。」
「俺が食べられるモノはない、と。」
「そっか。じゃぁ、俺のを一口あげるね。」
お皿を見つめたままで呟くと、今日はネロのはないらしい。それは残念。じゃぁ、って顔を上げてにっこり笑顔で意地悪を言ってみた。ネロが嬉しそうに目を細めて微笑んでくれる。
あれ、意地悪で言ったのに全然効いてない。ネロは甘いのは苦手だよね。でも、なんか、ネロの笑顔が綺麗というよりは可愛く感じる気がする。
「じゃあ、頂きます。」
手掴みでコーティングなしのプレーンなドーナツをぱくっと半分食べてみる。微かに蜂蜜風味の甘さ控えめな味で美味しい。ネロの淹れてくれたお茶を一口飲んで、残り半分を口に入れる。お茶の香りと優しい甘さが合わさってまったり美味しい。
次は、薄茶色のにしよう。持ち上げるとトロっとしたタレが滴った。零さないようにお皿の上に顔を近付けて半分齧ってみる。口に広がるのはお茶のいい香り。お茶の風味のタレだった。
甘いお茶も美味しいって事が判明しました。でも、ネロの淹れてくれるお茶と風味が違う。お茶にも色々種類があるのかもしれないね。
美味しいスイーツを食べて、自然と笑顔になる自分が止められない。顔を上げると、ネロが興味深そうに俺の手元を見ていた。初めて見るスイーツだったのかな、気になってそうだね。
「これ、お茶の香りがして美味しい。甘いけど、ネロもちょっとだけ味見する?」
「いや、いい。」
「そう?」
興味深々なネロに味見を提案してみたら、即、拒否をされてしまったでゴザル。まぁいいか。ネロはそう言うと思ってましたよ。
残り半分をタレを零さないように口の中に放り込む。モグモグと口を動かして味わった後で、指についたタレを舐めとる。行儀が悪いけど仕方がない。次の味と混ざっちゃうかもしれないし、仕方がないんです。
次はどっちにしよう。悩んだけど、普通の砂糖のコーティングのにする。うん、安定の美味しさ。何もないプレーンなドーナツも美味しかったけど、こう、がっつり甘いのもやっぱりいい。お茶を飲んで少し休憩。
「今日は運動をしたからか、お昼があんま食べられなかったからか、夕ご飯も結構食べたのに全然食べられる。そして、メッチャ美味しい。」
カレーからドーナツまで全てが美味し過ぎた。食べ過ぎな程食べてるのに、最後の一個も全然余裕な感じがする。笑顔でネロに伝えると、ネロも嬉しそうに頷いてくれた。
「ネロは小さい時から甘いのは食べなかったの?」
「辛いモノは好んだが、甘いモノを好んだ記憶はない。」
「小さい頃から辛いのを食べれたの?」
「ああ。」
お茶を飲みながらまったりと会話を楽しむ。ネロもリラックスした感じで優しく微笑みながら話してくれる。居心地のいい空間で、居心地のいい我が家って感じだ。俺の居場所はここって感じる、心が安らぐ場所。
「そっか。小さな頃から鍛えられての、その舌な訳ですね。俺も少しずつ辛いのを食べればその内、激辛も攻略できるかな?」
「無理をして食べる事はない。好みの物を食べればいい。」
「だって、折角なんだから、色々と楽しみたいじゃん?」
俺もいつかは辛い物を楽しめるのだろうか。ネロは頬を緩めて優しく、無理をしなくていいって言ってくれる。でもね、折角の異世界だよ。折角の新体験だよ。色々楽しみたいもん。
「そうか。では、少しだけ辛味が強い料理を試すか?」
「うん。今日の俺が好きだったのくらいの辛さで。」
「成る程。」
会話がひと段落したところで、最後のドーナツに目を向ける。赤い果実のタレがかかっていて美味しそう。ドーナツを持ち上げると、お茶のタレと同じでとろっと垂れてくる。
顔を近付けて半分食べて、驚いてしまった。少し甘いけど、かなり酸っぱい。問題なく美味しいけど、メッチャ酸っぱい。
顔を上げて、訴えるようにじっとネロを見つめてみる。首を傾げて疑問を伝えてくるネロを手招きで呼んでみた。
こっちに来てしゃがんでくれたネロの口元にドーナツを近付けてみる。少し戸惑った感じの顔をしたネロだったけど、素直に口を開けてくれた。
タレを零さないように注意しながら、そっとネロの口の中に押し込んでみた。ネロの舌が俺の指を絡めるように舐めてきた。にゅるっと巻き付いた舌の感触に驚いて、思わず手を引いてしまう。
味わう様に咀嚼するネロを軽く睨んでみると、ネロが目を細めた。俺を見上げながら味わって食べていたネロがコクンと飲み込んだ。ネロの唇が動き、小さく言葉が紡がれる。俺の左手に水の感触が集まってくる。
「ありがと。でも、俺の指まで食べる事ないじゃん。」
「美味かった。」
俺の指を舐めた事なんて全然気にもとめず、舐めた指をさらっと〈浄化〉してくれたネロにお礼を伝えてから、文句も一緒に言ってみる。ネロは俺の文句に対しても凄く嬉しそうな笑顔で一言、美味しさを伝えてくれた。
まぁね、指にタレが付いたのを舐め取ってくれただけだよね。それより、あの酸っぱさ的に、あの赤いのはネロ専用ドーナツだった気がするんだよ。
「ユリアさんはネロの分も用意してくれてたみたい。気付かずに半分食べちゃった。ごめんね。」
「琥珀も味わう事ができた。充分だ。」
「そっか。でも、驚くほど美味しかった、また食べたいね。」
ネロは満足したのか、席に戻ってゆったりとお茶を楽しみ始めた。俺もお茶を飲みながらネロを眺める。ドーナツは美味しかった。カレーも美味しかった。満足だ。
俺の満足感が伝わったのか、ネロも優しく微笑んで俺を見つめてくる。まったりしてた時間も直ぐに終わって、お茶を飲み終わったネロが片付けを始めてしまった。
テーブルの上を片付け終わって、今日の換気は長時間念入りにしている。ネロの詠唱で風が上部に向かって動く中、カレーの美味しい匂いが薄れていくのが少し寂しい、と思ってしまった。




