106 対象が変わったのかしら
先に移動してくれたネロはあっという間に族長のテントの入り口に辿りついている。入り口前で金色に光る目が俺を見つめている。俺は暑いから、ゆっくり霧の中を進む事にした。
ミスト状の水の粒子がヒンヤリして気持ちいい。〈浄化〉の水の塊も気持ちいいけど、ミストもいいよね。族長のテントに着く頃にはしっとりと濡れてしまったけど、凄く気持ちが良かった。
ネロの元に辿りつくのと同時に、ネロに優しく手を引かれてテントの中に引きずり込まれてしまった。中に入ったところにはレオさんが待機している。
にっこり笑顔で手を振ると、レオさんも一瞬だけニコっと返してくれた。横で静かに呟くネロの声が聞こえてるなと思っていたら、いつもより強めの暖かい風が吹き荒れた。
うぉぉ、髪がぼさぼさになる。びっくりして目が丸くなっちゃう。吹き荒れる風の中でレオさんと目を合わせていたら風が止んだ。絶対ぼさぼさになった。髪を整えようと頭に手を伸ばしたら、ネロも手を伸ばして優しく梳いて整えてくれた。
「ありがと、ネロ。いつもより風が強かったね。髪がやばくなった。」
「何故走らなかった。」
のんびりと〈乾燥〉をしてくれたお礼と感想を笑顔で伝えてみた。レオさんが戸惑った顔をしてるんだけど、どうしたんだろう。レオさんの表情に気を取られていたら、ネロの低い静かな声が問いかけてくる。
あ、そうだよね。ゆっくりだったせいで濡れちゃったからね。そう言いたい気持ちは良く分かるよ。でもね、俺も目覚めてしまったんですよ。
冷たい雨に濡れて歩く気持ち良さが分かる体になってしまったんです。ネロやレオさんのびしょ濡れの気分が分かっちゃったんですよ。
「暑くて霧が気持ち良かった。レオさんがいつも上半身裸な気持ちが今なら分かる。」
笑顔でレオさんを見ながら、しみじみと気持ち良さを語ってみた。視線の先のレオさんがネロに視線を向けて顔を強張らせた。
レオさんにつられてネロに目を向けてみると、いつも通りの感情のない真顔のネロがいる。レオさんに視線を戻して首を傾げたら、レオさんが顔を逸らしてしまった。
「行くぞ。」
「あ、うん。レオさんまたね。あ、今日も夜の散歩がしたいな。夜は空いてますか。」
「琥珀の誘いなら空けとくよ。夕飯の後くらいの時間だよね。」
「うん~。宜しくです。」
ネロに声を掛けられて移動しながら、思い出して立ち止まる。レオさんに振り返って今日のご予定は、っと聞いてみたらOKらしい。ちゃんと、事前確認はできた。これで問題は起こらない筈。ニッコリと頷いてネロの方に向かう。
ネロはアルさんの居室の前で俺を待っていた。走り寄る俺に合わせて、ネロがカーテンを開けてくれる。アルさんはベッドに座って書類を読んでいる最中だった。駆け足で近付くと、アルさんがにこっと笑顔で迎え入れてくれる。
「アルさん、こんにちは。今大丈夫ですか?」
「琥珀さん、こんにちは。暑くてもレオの真似をしては駄目よ。あと、体を冷やすと体調を崩すこともあるから程々にね。」
「はい。昨日はありがとうございました。もう体調は平気ですか?」
「ええ、もう全然平気よ。気がかりだったお仕事もネロが全部片付けてくれて気分爽快になったわ。ネロを連れてきてくれてありがとう。」
挨拶を交わした後で、レオさんの真似はNGですって念を押されてしまった。どうやら、さっきの会話を聞かれてしまっていたようである。恥ずかしい。
昨日はあんなに消耗しちゃって心配だったけど、もう大丈夫そうで安心した。今日のアルさんも凄く若々しくて可愛い。笑顔が凄く可愛くて、癒されます。
「あと、カップも長い間借りちゃってたみたいで。ありがとでした。」
「あらあら、貰ってくれても良かったのに。」
「ネロが新しいカップを用意してくれたので大丈夫です。」
「じゃあ、この部屋に琥珀さんが遊びに来てくれた時のカップにしようかしら。」
「すっごく使い易かったから、そうして貰えると嬉しいです。あと、昨日は凄い魔法使って貰っちゃってごめんなさいでした。凄い魔法って知らなくて。」
「琥珀さんが言う事ではないわね。ね、ネロ。」
俺の言葉を制してネロをちらっと見たアルさんが少し低く呟いた。アルさんの視線を辿ってネロを見ると、ネロが深々と頭を下げている姿が見える。
「傷の消去、感謝します。」
「あら、ネロにしては素直ね。いつもなら意地でもお礼なんて言わないのに。礼の言葉、受け取ります。顔を上げなさい。」
ネロが頭を下げたままで小さく呟いた言葉に、アルさんが意外って感じで目を丸くした。その後で、低く迫力のある声でネロに答えたアルさんは族長さんって感じの威厳に溢れている。
超かっこいい、こんな可愛いアルさんだけど族長さんなんだって理解できた。でも、その感動より、アルさんの前半の言葉の方が気になってしまった。
「ネロ、感謝はちゃんと毎回伝えないとダメだと思う。」
「分かった。」
アルさんの言葉を受けて、それはダメでしょって、ネロに苦言を呈してみる。ネロは俺と目を合わせて、素直に頷いて受け止めてくれたっぽい。俺とネロの短い会話を聞いていたアルさんが、嬉しそうにニコニコと笑顔を浮かべてくれた。
「折角だからお茶にしないかしら?ネロ、お茶をお願いね。」
笑顔のアルさんの指示を受けて、ネロが無言で部屋から出て行った。アルさんは広げていた書類を纏めてベッドの上の机に置くと、ベッドからぴょんと飛び下りた。やっぱり、若く見えるアルさんの綺麗な素足と綺麗な長い二本の尻尾に見惚れてしまう。
部屋の角の戸棚をごそごそと探ったアルさんが赤い色の缶を取り出した。小さなテーブルに缶を置いて蓋を開けてくれる。覗き込むとクッキーが詰まっている。
ふわっとバターのいい香りが漂って、お腹がグーッと鳴った。今日はお昼をあんまり食べてない上に運動したから、お腹が反応してしまったらしい。
お腹を押さえてアルさんに、えへっと照れ笑いをしてしまう。ニッコリ笑顔のアルさんがぎゅっと抱き締めてくれた。どん、と乱暴にお茶の入ったカップが2つ、テーブルの上に置かれた。
置いた主を辿るとネロが不機嫌そうに軽く眉を寄せていた。なんでそんな乱暴に置いたんだ、カップが割れちゃうでしょ。疑問の表情でネロを見上げていたら、耳元でアルさんがクスっと笑って俺を離してくれた。
「琥珀さん、頂きましょうか。このクッキーは甘くて美味しいわよ。ネロも食べるかしら?」
ネロを見て悪戯っぽく笑顔を浮かべるアルさんの仕草が可愛い。ネロは不満げな表情を崩さずにいる。
「あ、ごめんなさいね。琥珀さん座って。ネロは立ったままでいいわよね。」
成る程、アルさんはネロには厳しいのかもしれない。アルさんに勧められるままに椅子に座りながらネロをちらっと見上げてみる。ネロは俺をじっと見つめていた。目が合って首を傾げても、ネロは全く反応を示さずに俺を見続ける。
「あれ、ネロのお茶は?」
「私と琥珀さんのお茶会だもの。ネロの分はなくてもいいわよ。欲しいのなら私のを飲みなさい。」
にこにこと笑顔を絶やさず、ネロには厳しいアルさんの言葉には、少しだけ棘が混じってる気がする。何かあったのかな。じっとアルさんを見つめてみたら目を逸らされてしまった。
「ネロ、自分の分も淹れてきなさい。もしくは、茶会が終わるまでこの場から離れなさい。」
コホンと咳払いをしたアルさんが、言葉を訂正するみたいにネロに話しかけた。ネロはどうするんだろうと反応を窺うと、何も言わずに出て行ってしまった。
この場から離れる選択をしたらしい。それにしても、無言で出てくってどうしたんだ。アルさんの言葉にも棘があるけど、ネロの態度にも棘がある気がする。
「ネロはアルさんの前で無口になった気がする。心配性じゃなかったのかな。」
「対象が変わったのかしら。」
ネロの後ろ姿を見送りながら、アルさんに問いかけるような形で独り言を言ってしまった。ふふっと可愛く笑った様子のアルさんに視線を戻してみる。アルさんは俺の独り言に答えてくれるみたいに小さく呟いた。
よく分からないながらも、そうなんだ、と頷いてみる。アルさんはニッコリ笑顔を浮かべてくれた。アルさん的にはネロの態度に思うトコロがあるって事みたいだ。
缶からクッキーを勧められて1つ貰う。口に入れると、香り通りのバターの風味が口いっぱいに広がる。優しい甘さで幸せな気分になっちゃう。アルさんも1つ口に入れてほわっと笑顔になった。俺と同じ気持ちを共有してくれたっぽい。ちょっと嬉しい。
アルさんが俺の斜め後ろにちらっと視線を向けた。アルさんの目線を追って振り返ってみる。視線の先には、カップを手にして壁に寄りかかり、お茶を飲むネロの姿があった。
戻ってたのか。そして、ちゃんと自分のお茶を淹れてきたのか。無言のネロは音もないから全然気が付かなかったよ。ネロは俺と目を合わせて、少しだけ頬を緩めてくれた。
う~ん、やっぱり、微妙な空気だよな。アルさんはネロに棘があるような気もするし、ネロもなんか険のある態度な気がする。どうだろう。アルさんに顔を戻してニコっとしてみると、アルさんもニッコリ返してくれた。
あ、もしかしてだけど。アルさんは凄い魔法を使ってくれたのに、ネロがこんな態度だからかな。アルさんは凄く優しい人だけど、ネロがなんか刺々しいからアルさんも少しムっとしちゃってるのかもしれない。知らなかったとはいえ、俺のせいかもしれない。
「アルさん、ホントにもう大丈夫?体は辛くない?ホントにごめんなさい。俺は凄い魔法って知らなくて、回復魔法なら簡単なのかなって思い込んでた。」
「問題ないわ。一晩ぐっすり寝れば回復するもの。それに、琥珀さんの想いには最大限、応えてあげたいの。あと、久しぶりに使う魔法の腕が鈍ってない事も確認できて良かったわ。ネロは少し、痛かったかしら。」
俺のせいで二人が険悪なのかなって思い至って謝ってしまう。アルさんがフワッと微笑んで首を振ってくれた。ネロに向かって、フフっと笑顔を浮かべるアルさんの表情はやっぱり少し棘がある感じがして少し怖い。
振り返ってみたら、ネロは視線を俺に固定したままで茶を飲んでる。アルさんの話は完全に無視する姿勢だ。ん~、なんでそんな態度なんだ。
「ネロはなんでそんなに離れてるの。近くに来ないの?」
「ここでいい。」
「そうなんだ。じゃぁいいや。」
「琥珀さん、クッキーをもっといかが?」
勧められるままにもう1つ貰おうかなっと手を伸ばす。一口大で食べ易い大きさのクッキーを口に放り込むと幸せの味だ。ほわっと頬が緩んでしまったところで、アルさんも口に入れて同じようにほわっと笑顔になってくれた。お茶を一口飲んで、ネロの方を向く。
「ネロもクッキーを食べれたら、お茶会を楽しめたのにね。」
「二人で楽しめばいい。」
「うん。あ、アルさん。この前、海の魚を取り寄せてくれてありがとうございました。美味しかったです。」
ネロは俺達の傍には絶対近寄らないって態度が頑なだからもういいか。アルさんにちゃんと感謝の言葉を伝えてなかった事を思い出して、先日のお魚のお礼を口に出してみる。
「あらあら、私も食べた事のない料理を食べる事ができて楽しめたわ。こちらこそありがとう、凄く美味しかった。」
「えっと、美味しいお料理はマスターさんのおかげです。俺は何もしてないです。」
アルさんはニコニコと反対にお礼を返してくれた。美味しい料理はマスターさんのおかげですって慌てて首を振る。それでも嬉しそうな笑顔のアルさんは凄く可愛い。お互いにお礼を伝え終わって、クッキーを二人で1つずつ摘まんでお茶を楽しむ。
「アルさんは魔法が得意なんですか?」
「そうね、得意と言えば得意かしら。色々と覚えてるわよ。でも、使い物にならないモノも沢山あるのが難点ね。」
お礼を伝え終わって、和やかな雰囲気の中で一番素朴な疑問を聞いてみた。アルさんはやっぱり魔法が得意みたいだ。凄いな。使い物にならない魔法ってどんな魔法なんだろう、そっちも気になる。
そして、一番気になるのは強さかな。ネロ曰く、アルさんは強いらしい。でも、こんなに可愛くて華奢なのに、そんな風には全然見えないかもしれない。
「戦闘も強いってネロが言ってました。本当ですか?」
「そうね、ネロよりは強いかもしれないわね。」
「俺はめっちゃ弱いから羨ましい。でも、今日から鍛え始めたんだ。」
「琥珀さんの良さは強さの中にあるモノではないわ。それに、強いだけだと、その考えに引き摺られてしまっていい事だけじゃないのよ。でも、鍛えた分だけ強くなる。例え、体が成長しなくても心が強くなる。」
「でも、外には強いモンスターとか魔物が沢山いるんでしょ?」
「そうね、それが問題なのよ。」
「族長。」
何故かネロが会話に入ってきた。何か言うのかな、と振り返ってみる。ネロは視線は俺に向けたままで、それ以上は何も言う気はなさそうだ。
顔を戻すと、アルさんはちらっとネロを見た後でクッキーを勧めてくれた。1つ貰って口に入れると、アルさんも1つ頬張る。その食べた後のアルさんのホワっとした表情が可愛い。
「凄く強い魔物とかは人里にはそこまで近寄らない。避ける手段もあるわよ。」
「そうなんだ。本とか読んでたら、情報が載ってるのかな。」
「そうね。生態が解明されているモノは載っているわね。後は、自分で外に出て自分の経験として覚えていく事になるわ。それも、楽しいモノよ。」
ネロが何も言ってこないからか、アルさんはネロを無視したように話を続けていく。避ける手段か、そうだね。戦う能力も力もないなら避けるしかない。アルさん曰く、経験で覚えていくのは楽しいらしい。俺だと楽しむ前に終わる可能性しかないんだけど、俺でも楽しめるのかな。
「そっか。俺もいつかできるかな、そんな事。」
「ええ。とっても楽しいわよ。外の世界は。」
小さく呟いてしまったら、アルさんが楽しそうに答えてくれた。アルさんが言葉を出した瞬間に、背後からゾクっと寒気を感じる何かを感じた。寒気と怖さで鳥肌が立ってしまう。思わず振り返ってみた。ネロと目が合った途端に寒気が消えた。
寒気、というか気迫、だったのかな。気迫ってこんなに肌で感じるモノなのか。それに、一瞬だけど、ネロが凄い怖い顔してた気がする。
俺を真顔で眺めているネロをじっと見つめてみた。今、何かあってそんな反応したの?ネロに目で問いかけてみたけど、何の反応も返してくれない。ネロに目で問いかけるのは諦めて、アルさんに顔を戻してみた。
アルさんは平然とニコニコしながらクッキーを食べている。俺の勘違いだったのかな、ってくらいアルさんは平気な顔をしている。
アルさんがまたクッキーを勧めてくれた。1つ貰って、もぐもぐと味わう。あれ、何の話をしてたんだったっけ。クッキーでホワっとなったら、直前の会話を忘れてしまった。
「琥珀さん、ごめんなさい。そろそろ仕事に戻らないと。それに、ネロが睨んできて怖いから今日はお開きにしましょう。」
クッキーを食べてお茶を飲んだアルさんは伸びをしてベッドによじ登ってしまう。どうやらお茶会はお開きみたいだ。アルさんの言葉に驚いて、ネロに振り返ってみる。
「えっ、睨んでたの?」
視線の先にいるネロは相変わらずの無表情だ。俺が振り向いた時はずっと俺を見てるから睨んでたのは全然気が付かなかった。思わず質問してしまった俺の問いには答えずに、ネロは部屋から出て行ってしまった。
「アルさん、ごめんなさい。なんか微妙な空気になっちゃった。」
「問題ないわ。それに、あの子にお礼を言われたのは本当に久しぶり。ありがとう、琥珀さん。」
「なんでアルさんがお礼を言うの。俺がお礼を言うのもそうだけど、ネロがお礼を言うのは当たり前だよ。俺が無理遣り連れてきちゃったけど、アルさんに治して貰ったんだからね。ホントにありがとうでした。」
「そうね、でも、ありがとう。」
「あ、片付け。ネロにお願いしてくる。待っててね。」
「大丈夫。クッキーを摘みながらお仕事するから、そのまま置いていてくれて構わないわ。」
「そっか。お礼を言いに来たのに、お菓子をご馳走になっちゃってご馳走様でした。」
「ええ。また、いつでも遊びに来てね。待ってるわ。」
「じゃあ、アルさんまた。」
手を振ってアルさんの部屋から出る。廊下の先、入り口の前でレオさんが強張った表情をしている。あれ、ネロがいない。先に帰っちゃったのかな。入り口まで駆け足で移動して外を覗いてみると、ネロは先に外に出て待ってくれていた。
「ネロ、どうしたの。」
「なんでもない。」
「あ、ちょっと待ってね。レオさん、今日の夜遊びに行くから、宜しくです。また後でね。」
無言で立ち尽くすネロに疑問を投げ掛けても、なんでもないと返されてしまった。ネロの態度は気になるけど、一旦レオさんに、夜の事を宜しくねって伝える。
強張ったままで頷いてくれたレオさんに笑顔で手を振って外に出る。外に足を踏み出した瞬間にふわっと体が浮いていた。間髪を容れずに、ネロが横抱きにしたらしい。
「うわ、びっくりした。何。」
俺の抗議の声なんか聞いていないって感じで、瞬間移動のような速度で家に運ばれていた。家に入ってから下ろしてくれたネロをじっと見つめてみる。
ネロは一言も喋らない。動こうとしないネロに靴を脱いで貰って、黙って俯くネロの手を掴んでソファに移動する。そして、ソファに押し込む感じで座らせる。ネロの前で膝立ちになって、金色の瞳を見上げる。
「今回は全く濡れなかった。ありがと。」
抱っこでダッシュしてくれたネロのおかげで一切濡れなかった事に対してお礼を伝えてみた。金色の瞳が瞬く。ネロは優しく俺の髪を掻き上げて目を細めてくれた。
「アルさんと何かあったの?」
「何もない。」
「ホント?」
「ああ。」
ネロと目を合わせて、優しく聞いてみる。ネロは静かに淡々と答えてくれた。再度確認をしても、全く同じだ。目を逸らす事もなく淡々としている。
「じゃぁいいや。ちゃんとお礼を言えたね。偉い。」
ネロの頭をわしゃわしゃと撫でてあげた。その後で、ネロの乱れた髪を整えていると、ふわっと抱き締められた。なんだ、何か不安な事でもあるのか?
って、俺じゃないんだから、不安だからって抱き着いたりしないか。取り敢えず、落ち着くまでネロの背中をゆっくり撫でる事にした。少しして落ち着いたらしいネロが解放してくれたから隣に腰を下ろす。
「何かあったの?」
「何もない。」
一応、再度同じ質問をしてみたけど、返ってきた答えはさっきと同じ。何もないって事はないだろうけど言いたくないのに無理に聞き出す事はない。
「そう。言いたくないならいいよ。俺でも話を聞くくらいならできるから、話したくなったら言ってね。あ、聞くだけだからね。解決とかはできないから、そこのところは宜しく。」
「そうだな。」
俺でも愚痴は聞けるからね、話したかったら言ってね。明るく伝えると、ネロは優しく微笑んで相槌を打ってくれる。その後で、ネロは背もたれに寄りかかって、ぼんやりと虚空を見つめてしまった。
まぁ、何か色々とあったのかもしれない。今はそっとしておこう。立ち上がって、テーブルの上の本を取りに行こうとしたら、ネロに片腕を掴まれた。
ネロを見下ろすと、視線は合わせてくれない。ん~、何かが不安って感じが伝わってくるけど、どうしたもんかな。
「本を取ってくるだけだから、離して。」
屈んでネロを覗き込みながらお願いをしてみる。ネロはぱっと手を離してくれた。ありがとって意味でネロの頭を撫でてあげる。テーブルに移動して、適当に武器の本を一冊選んでみた。かなり重い本を抱きかかえてソファの前まで移動し、ローテーブルに置く。
その後で戸棚に向い、俺の新しいカップとネロのカップを取り出した。カップにお水を入れて慎重に運んでネロの前に置く。もう一度戸棚に戻って、ティーストレーナーと小皿を探してローテーブルまで運ぶ。最後にお茶の瓶も取り出して、これもローテーブルまで運んだ。
ローテーブルにお茶に関わる全てを運んで床に座ると、ネロが既にお湯を沸かしてくれていた。ティーストレーナーの蓋を開けて、瓶から木の匙でお茶の葉を掬って慎重に詰め込む。やっぱり少し零しちゃったけど、昨日程ではない。
慎重にティーストレーナーの蓋を閉めて、お湯の中に沈める。抽出具合をじっと注視してみたけど、ネロのカップは黒くて色が分かりにくかった。
昨日は長過ぎたんだよね。色は分からないけど、これくらいでいい筈。俺時間で大丈夫と思うトコロで茶葉を引き上げて自分のカップに沈める。そして、ネロにカップを手渡してみた。ネロは受け取って一口飲んでくれた。表情は全く変わらない。
「どう?」
「美味い。」
「ホント?」
「ああ。」
ドキドキしながら味の感想を聞いてみたら、美味しいらしい。やった、俺はお茶を極められたのかもしれない。自分のカップからも茶葉を取り出して、小皿に置いて一口飲んでみる。ごくりと飲んで止まってしまった。
めっちゃ、苦くて渋いそして香りが零。完全な無臭で、ただの苦くて渋い味の飲み物だよ。普通に不味い。なんでだ、ネロのは奇跡的に上手く淹れられたって事なのか。
無言で自分のカップを置いて、ネロのカップを見つめる。カップを手放さずにネロがゆっくり味わうように飲み進めている。俺を見つめるネロの目は嬉しそうに細められている。見ようによっては美味しそうに見えない事もない。
「ネロのは美味しいの?」
「美味い。」
「一口飲んでいい?」
恐る恐る聞いてみる。ネロは一言、淡々と返してくれた。そして、幸せそうに目を細める。うん、美味しそうに見えてくる。確認の為に、俺が手を伸ばしてもネロは渡してくれない。
ネロをじっと見つめてみる。俺を見下ろしたまま、ネロがコクリと飲んだ。頬が緩んでリラックスの表情だ、ホントに美味しいのかな。立ち上がってネロの隣に移動する。
ネロは俺を目で追って幸せそうにお茶を飲んでる。無理遣りカップを奪って一口飲んでみた。あ、成る程ね。うん。めっちゃ不味いね。
「不味いじゃん。なんでこんなのを普通に飲んでるの。悩み過ぎて味が分からなくなっちゃったの?」
「味は分かる。俺には美味く感じる。」
余りに不味すぎて動きが止まっちゃったよ。ネロに勢いよく疑問をぶつけてみてみると、ネロは嬉しそうに目を細めて、優しい口調で言葉を返してくれた。
「えっと、ネロは苦くて渋い味も好きなの?」
「余り好みではない。」
疑問符を浮かべまくる俺の頭を撫でて、ネロは幸せそうに答えてくれる。そして、カップをそっと奪い返したネロは中身をゆっくりと味わいながら飲み切ってくれた。
とても優雅で落ち着いた雰囲気に圧倒されてしまう。カップが空になるまでネロのお茶を飲む姿をぼーっと見守ってしまった。飲み終わったネロは美味しかったって感じで嬉しそうに目を細めてくれた。
お茶を飲み終えたネロが優しく髪を撫でてくれる。その後で、カップを2つ持ったネロが流しに移動していった。ネロを目で追いかけていると、俺のカップの中身を流しに捨てて〈浄化〉と〈乾燥〉をしている。ネロの詠唱をする声がメッチャ綺麗。
カップにお水を入れて戻ってきたネロは、ソファに座ってお湯を沸かし始めた。さっき俺が使っていたティーストレーナーを開いて〈乾燥〉をしている。
完璧に乾いた出がらしの茶葉を手の上に取り出して、短く言葉を紡ぎ、さっと燃やしてしまった。ぼわっと一瞬燃えあがった火に少しだけテンションが上がってしまう。
茶葉の瓶を開けて、ネロの綺麗な指先が木の匙を摘まんだ。お茶の葉っぱを少量掬ってティーストレーナーに詰め込んでいる。零す事もなく、詰込みが完了した。ネロの指には木の匙もティーストレーナーも小さく見えるのに零してない。流石ネロ、凄いな。
ネロは茶葉を直ぐお湯の中に沈めないみたいだ。カップから立ち上る湯気の中でティーストレーナーを少し揺らしている。そして、軽くお湯に沈めて直ぐに取り出した。次に俺のカップに沈めて、直ぐに取り出す。
もう一度、自分のカップに沈めて、さっきより少しだけ長く浸けてから取り出して俺のカップでも同じ行動。何回か同じ作業を繰り返している。ネロのお茶を淹れる所作は優雅だ。お茶を淹れる横顔も超綺麗。ティーストレーナーを摘まんでいる手先も超綺麗。
上品で洗練された所作でお茶を淹れるネロを眺めていると、ちらっと俺を見たネロがカップを差し出してくれた。適温のお茶を一口飲んでみる。美味しさで、目が丸くなってしまった。
いつもより風味が増していて美味しい。渋さもあるけどこれは必須な渋さ。香りが特筆する程めっちゃいい。苦みも程良くて、甘さもちゃんとある。さっき自分で淹れたお茶を飲んだ後だから、余計美味しく感じるのかもしれない。でも、これは間違いなく美味しいお茶。
「いつもより美味しい。そして、さっきの俺が淹れたのはやっぱヤバかったね。」
「琥珀が淹れてくれた茶も美味かった。」
あ、分かった。あれだ、初めての料理は不味くても褒めてくれる的なヤツだ。でも、あそこまで不味いお茶を優雅に飲み切るとかネロは凄い。しかも、眉一つ動かさずにやってのけた。落ち込んでるっぽかったのにネロは優しい。でも、少しだけ元気が出たみたいで良かった。
「ありがと。でも、これからもネロに淹れて貰った方が美味しいのが分かってしまった。俺のお茶はもう駄目だ。」
ネロのお茶がやっぱいいねって笑顔で伝えると、ネロが考え込んでしまった。多分だけど、俺のお茶が不味いとは口に出したくなくて、フォローする言葉を考えてくれている気がする。
「考え込まないでも分かる、答えは1つでしょ。俺のお茶を飲んで貰うってのは達成したからもういいです。これからもお茶はネロが淹れて下さい。」
大袈裟に懇願いしてみた。ネロは苦笑しながら頷いてくれた。ってか、考え込む余地はないでしょうって思っちゃう。ネロは優しいから俺を傷つける言葉を言えないんだろうな。
「じゃぁ、お茶を飲みながら本を一緒に読もう。ってかね、ネロの武器の本は重過ぎる。後、金属が手に刺さりそうで怖かった。」
お茶の話は終り。本を読もうっと誘ってみる。頷いたネロが本を持ち上げて太腿に置いてくれた。ネロの太腿に置かれた本を覗き込むと、ネロがゆっくりとページを捲ってくれる。




