105 もう少し、かな
お茶を飲んでまったりした時間を楽しんだ後で、柔軟運動を開始する事にした。ってか、ストレッチなら体の使い方なんて教えてくれなくても大丈夫な気がする。
当分の間、ネロは俺に付いてくれるって言ってたけど、そんな指導をする事ってあるのかな?思い浮かんだ疑問に首を傾げていると、ネロが寝室から厚めで適度な大きさのラグを運んできた。
そんなラグ、どこに仕舞ってたんだ。初めて見た。ラグをリビングの床に敷いたネロに、ここに座れと指示されて移動する。
「今からする運動は、柔軟性を高めて筋肉や関節の可動域を広げる。それと、内部の筋肉を鍛えて均衡の取れた良い体を作る。」
ネロの足元に座って見上げると、俺と目線を近付ける為か、しゃがんでくれたネロが説明を始めた。
「可動域が広がり均衡が取れていると、不慮の事態にも対処可能になる。その上で、筋肉を増強する事によって、よりしなやかな体を作る事ができる。」
ふむふむ、と頷くと少し頬を緩めてくれたネロは更に説明を続けてくれる。ネロの説明を聞いて思う。凄く、本格的だ。でも、ストレッチの重要性が理解できました。大きく頷いて理解を伝えると、ネロは目を細めて優しい顔をしてくれた。
まずは前屈をしてみろ、と指示をされる。指示に従って、足を伸ばして体を前にグイッと倒してみた。両手を足先に向かって伸ばしてみたんですけどね。えっと、全然届きません。指の先が足首にすら届かない状況です。俺はこんなに体が硬かったのかって自分でも驚く事態ですよ、ヤバいな。
これが限界なんです。体を倒したままでネロを見上げてみる。冷静に俺の行動を観察していたらしいネロが首を傾げたのが見える。体を起こした俺もつられて、どうでしょうかっと首を傾げてみた。
ネロにもう一度やってみろ、と言われて、また足先に向かって手を伸ばしてみた。今度のネロは見てるだけではなく、俺の手首を掴んで足先の方向に軽く引っ張ってくる。
痛い、けど伸びて気持ちいい痛さ具合。俺の手を引っ張るネロが、俺の表情を確認するみたいに見てくる。少し考えた様子のネロが手を離してくれた。
「それ以上は無理か?」
俺の体の硬さを目で見て確認できたからか、ネロが俺を覗き込みながら聞いてくる。その通りです、っと大きく頷いて返すしかできない。俺をじっと見つめながら、ネロが考え込んでしまった。
俺の柔軟性を鍛える為の色々を頭の中でシミュレートしていたんだと思う。黙考していたネロが俺の隣に腰を下ろしてきた。微かに笑顔かなって分かる程度だけど、ニコっとしてくれている。運動中は笑顔ってのを心がけてくれるらしい。
隣に座ったネロが行動を真似するように言ってきた。所謂、基本的な、俺でも知ってる座ってもしくは寝転がってできる柔軟運動をするらしい。
十五種類を10回ずつワンセットで連続で続けていくネロを真似していく。肩、腕、腰、腹、股関節、太もも、足と満遍なく網羅したストレッチメニューを順に行っていくネロの動きは滑らかで姿勢も凄く綺麗。
座って頭を前に倒したり、後ろに反らせたり、腕を後ろで斜めに組んだり、寝転がって片足の膝を引き寄せたり、片足だけ組んで体を捻ったり、足の裏を合わせた胡坐みたいな体勢で前屈したり、片足を伸ばして前屈したりっていう、普通の柔軟運動で分かり易くて真似し易い。
ワンセットが一通り終わったら、少しの休憩を挟んで、また同じ行動を繰り返す。5巡目が終わって少し長めの休憩を挟んでくれた。
普段動かしてない筋肉を伸ばしているからか、ネロはちらちらと俺を見ながらゆっくり進めてくれているみたいだけど、真似をしている俺は結構疲れてくる。
「ネロは前屈ってどれくらいできるの?」
休憩を長引かせたくて、ネロに話しかけてみた。長引かせたいのもあったけど、ネロはどれくらいできるのか気になるじゃん。現職で、しかも護衛さんのトップのネロの体の柔らかさってどんな感じなのか、凄く気になるのは仕方ないよね。
隣に座ったネロが足を前に揃えて伸ばして上半身を倒してくれた。ペタンと体が二つに折り畳まれた。言葉通りに二つに折り畳まれて胸が膝についてる。メチャクチャ柔らかいじゃないですか。
「マジか、凄い。じゃぁ、足を開いての前屈は?」
足を180度開いて、のびーっと腕を前に伸ばしたネロが床に上半身を倒していく。腰から胸、伸ばした手のひらまで綺麗にペタッと床についている。
体を起き上がらせたネロが、ポカンと口を開けたままの俺を見てクスリと笑った。えっと、体操選手かな?ヤバい柔軟性でしょ。凄過ぎる、これはヤバい。
「凄いね。」
少しの間を置いて絞り出すように言葉がやっと出た。俺は無理だ、ここまではどう考えても辿りつけないと思う。ネロが頭を撫でてくれる。優しい表情のネロに癒される。
このままお茶を飲んでまったりしたい、と思った直後に、再開しよう、と無慈悲な宣告をされてしまった。結構、今の段階で疲れ果ててますよ。寧ろ、長めの休憩を挟んだ事により動きたくなくなった。
「結構ね、疲れた。」
一応、ネロにちゃんと伝えておく事にした。俺の体の限界をネロは知っておいた方がいいでしょう。倒れる程ハードなのはイヤなんです。緩くやりたいんです。
「次、立っての柔軟を少しやって今日は終わろう。」
「了解。」
ヘロヘロな俺の訴えを聞いたネロは少し考え込んでくれた。そして、優しく提案をしてくれる。それを了承して運動再開だ。
次は立ち上がって、ネロが体を動かすのを真似していく。これも十五種類、腕を回したり、腰を回したり、前屈したり、身体を横に倒したり、アキレス腱伸ばしをしたり。
こっちも良く知ってる柔軟方法が多い。10回ずつのワンセットを3巡くらい消化したところでギブです。座り込んでネロを見上げて、もう無理って目で訴えてみる。
「ネロ、今日はギブ。ちょっと、無理。今までの不養生がたたって、体が動かない。」
ネロを見上げてギブを宣言をしたところで、ネロは優しく頷いてくれた。へたり込んでいると、ネロが長めの〈浄化〉と短く少し強めの風で〈乾燥〉をしてくれた。〈浄化〉の水が冷たくてめっちゃ気持ち良かった。そう、冷たさが気持ちいい程に汗だくになってた。
ってか、ストレッチでこんなに汗をかく事あるのっていうくらいハードに感じた。ふらふらの俺を抱き上げたネロがソファに運んで寝かせてくれた。
離れていくネロを目で追いかけると、ラグをくるくるっと巻き上げて寝室に運んでいく姿が見える。戻ってきたネロが床に座って俺を覗き込んできた。
「琥珀には少しキツイ運動だったか。無理をさせてしまった。」
心配そうな表情のネロが俺の前髪を整えるように指を滑らせて撫でてくれる。ホントに、あの泣く程の危惧は何だったんだってくらい、ネロの物腰からは優しさが溢れている。
「大丈夫。ちょっとハードだっただけ。因みに、ネロ的には後どれくらいで完了予定だったの?」
「立っての柔軟を後五巡繰り返す。その後に、座っての柔軟を二巡繰り返して終わり。」
心配顔のネロを安心させようと笑顔で平気だよって伝えた後で、途中で終えてしまった今日の柔軟の残りを聞いてみた。ネロの返してくれた内容を聞いて、先は長かったと思い知らされる。
「うわぁ、結構ハードなんだね。座って柔軟からの、次に立ってやるのがきつい。座っての時点でもうばててた。」
「先に座った状態で筋肉を伸ばしつつ体を温めて、温まったところで立って柔軟する事が重要。変えるとなると、どうするか。」
「いや、ただの感想だから変えなくて平気。どっちにしてもネロの動きには、どう頑張ってもまだついて行けないって事だよ。きつかった。」
体を起こして隣をぽんぽんとしてみたら、ネロが隣に腰を下ろしてくれた。ネロがソファに座ってくれたところで、もう一度寝転がってネロの太腿に頭を乗せて見上げる。
ネロは優しく目を細めて、俺の髪を梳くように指を滑らしてくれる。優しく頭をマッサージしてくれるようなネロの指の刺激が気持ちいい。
あー、このまま寝ちゃいたいくらい疲れた。久しぶりの運動とはいえ、ストレッチでこんなに疲れてたら、筋トレってどうなるんだろ。ってか、余りにも疲れすぎて、枕が欲しいってネロを枕にしてしまった。
そして、ネロは普通に全く気にせず枕になってくれた上に、頭のマッサージまでしてくれてる。俺は甘え過ぎだろ。でも、それが当たり前で全然問題ないよって感じで接してくれるネロに感謝だ。
少しだけネロに甘え過ぎてる感に気が付いちゃったけど、それは胸の奥にしまっておく。今の感じが凄く心地いいから、ちょっとの間このままでいたくなっちゃったんだもん。
「ホントはね、適当に筋トレしながら、ネロが鍛錬してるのを見てたかったんだ。」
「そうか。」
「ネロが武器を使ってるのは凄くカッコいいんだよね。それを見て、俺も使ってみたいと思った。今のままだと使えないだろうけどね。」
「琥珀が望むのであれば武器を用意する。先程買った本の中には軽い武器もある。」
ネロに膝枕をしてもらいながら、世間話をしてみる事にした。まぁ、疲れ過ぎていて起き上がりたくないってのが本心である。
ネロの優しい眼差しと、俺の髪に滑らすネロの指で凄くリラックスできる。だから、このまま寝転がって話をしてたいってのも事実ではある。
ネロのあの鍛錬場での武器を使っていた姿がホント綺麗でカッコいいのは事実で、俺も武器を使ってみたいって思ったのもホントだよ。
でも、世間話程度の俺の話に乗っかって、優しい笑顔と優しい声であの本に載ってる武器を買ってくれるって言うネロはどうかと思います。
だって、俺は知ってしまってるんだよ、あの本の中の武器の価格を。そして、ネロのこの微笑んでる笑顔からは全くと言っていい程に冗談の欠片すら感じられないのが怖い。メッチャ本心で言ってそう。
「ちょ、さっきあの本をぱらっとみたけど、0の数がえぐかったよ。超高い武器じゃん。」
「価格は左程問題では無い。問題なのは、琥珀に合う武器があるかどうか。」
慌ててネロの考えに待ったを掛けてみる。ネロ的にはお金の問題は全くないらしく、俺に合う武器が見付かるかの方が問題って。
それは回り回って俺に帰ってくる借金だからね。こんな優しい目をして、ほんわか雰囲気で優しく俺の髪を撫でてくれるネロは凄く穏やかなのに、お金に無関心だ。悲しい。
欲しいモノあるんだ。あ、丁度いいところにカタログがあるじゃん。そこから選んだらいいんじゃない?的雰囲気なんですけど。もし俺に合うモノが見つかったら、あんな高い武器でも平気で買ってくれそうなネロは、ホントにお金に無頓着なのかもしれない。
「価格は問題ないって。大問題でしょ。俺は返せないからいらない。」
「そうか。」
真面目な顔でネロにホントにいらないからね、って強調してちゃんと伝える。ネロは優しく相槌を打ってくれた。多分だけど、ちゃんと伝わってくれてる筈。
ってか、あのエグイ数の0が並ぶ武器を、普通に買ってくれそうな雰囲気を醸し出すネロは大金持ちなのかもしれない。それか、0が多いだけで別にそんな高価じゃないのかな。いや、流石に高価じゃないって事はないよね。
この、モーティナって世界の経済の回り方が全く分からない。社会の経済活動でお金が循環してっていう地球の常識は通用しない世界なんだろうな。
所謂、魔法のあるファンタジーでモンスターや魔物もいるこの世界ではお金の回り方は全然違うのかもね。ってか、確実に地球とは異なってそうではある。
でもな、各国が統治する地域がはっきりしてるんだよ。この村みたいにしっかりとしたコミュニティーが成立してるし、お店っていう流通の拠点が存在してる。
貨幣や流通もちゃんとある。って事は、それなりにしっかりとした経済活動が行われてるのは事実なんだよね。普通に戦闘したりってのが身近な事なら、お金を稼ぐ手段も多いって事なのかな。
まぁ、何れにしても、多分だけどネロがお金持ちってのは間違いないだろうな。ネロはガトっていう種族の族長のアルさんに次ぐ地位にいる人みたいだから、少なくとも極貧ではない筈。
俺の面倒もみてくれてるし、言えば直ぐに色々用意してくれる。あとは、お金に無頓着な姿勢からもお金持ち感が満載っぽく見える。
「明日からは今日の柔軟運動を一人ですればいいのかな。大体覚えたよ?」
「いや、当分は隣で共に鍛える。」
「ネロの鍛錬にならないじゃん。鍛えるって、ネロだと何の効果もないでしょ。」
「基礎はいつやっても身体に還ってくる。」
なんだ、その恰好良い台詞は。俺一人で平気って遠回しに言ってみたのに、サラッとスマートに一緒にやりますよって言われてしまった。多分説得は無理そうだな。
ってか、回数がえぐいよ。10回ずつとはいえ柔軟運動が一五種類もあって、それを座って五巡、立って八巡、また座って二巡繰り返すって、いきなりハード過ぎる。
「因みになんだけど、この柔軟運動はどれくらいで完了して次のステップに進むの?」
「一種につき30回まで増やす。そこまで進めたら、様子を見ながらそれに合わせて筋力増強を始める、かな。」
「うぁ、数を聞いてただけで怖いわ。既に止めたくなってきた。」
ネロの今後の運動メニューを聞いて眉を寄せてしまった。やっぱハードだ。普通に体を動かすのが得意な人からはハードとは思えないのかもだけど、今の俺からは凄くハードに聞こえる。
「琥珀に合わせて調整する。明日は座っての運動と立っての運動を共に一五種を三巡ずつにする。最後に座って一巡。今日の運動とほぼ同じ程度。今回は琥珀の体力を想定していなかった、すまない。」
優しく髪を撫でてくれるネロが俺に合わせたプランを提案してくれた。ってか、どう見ても、どう聞いてもネロは優しい。それは間違いない。
「ネロはめっちゃ優しいね。俺はなんであんな怖かったんだろ。」
「分からない。」
今の俺からしても分らない当時の精神状態への疑問を口に出してみたら、ネロが困ったように少し眉を寄せて答えてくれた。ですよね、って俺も眉を寄せてみる。ネロの指が俺の眉間に伸びてきて、眉の間を撫でてからまた髪に戻っていった。
「だよね、俺も分かんない。今日ので俺も少しは柔らかくなったかな?」
「もう少し、かな。」
「ネロの少し、は。アレだよね。大分ってことよね。」
眉を寄せてたのを解除して、今日の運動で俺も少しは成長できたか聞いてみる。ネロが優しく目を細めて、凄く遠回しにまだまだですって答えてくれた。
でもね、ネロの使う『少し』って俺は知ってるんだよ、優しい言葉だけど、言葉の正反対の意味で使ってるのは確実だよね。まだまだ先は長いって事だよね。分かります。
「琥珀、疲れているのであれば少し揉み解そう。寝室に移動できるか?」
「甘えてもいいんだよね。」
少しの間優しく髪を撫でて、和やかなネロだったけど、俺が寝転んで動かないからかマッサージを提案してくれた。にっこり笑顔でネロを見上げて甘えてみる。
ネロは嬉しそうに目を細めて頷いてくれた。絶賛膝枕中の俺の頭を優しく持ち上げてネロが移動していく。俺の脇で屈みこんだネロは、寝転がる俺の背中と太腿の下に手を差し入れてきた。そして、そのままひょいっと抱き上げて、寝室に運んでくれる。
甘えてみたらホントに運んでくれたでゴザル。あぁ、俺がダメ人間になっていく気がする。ベッドにそっと下ろしてくれたネロが、うつ伏せになれ、と指示する通りに転がって、枕を抱き込んでうつ伏せになる。
俺の上に跨ったネロは俺の背中に手を押し当ててきた。肩から腰をゆっくりと手のひらを押し当てるように揉んでくれて、腕や太腿を持ち上げたり揉んだりして揉み解してくれる。
めっちゃ気持ちよくてうとうとしてくる。ベッドが揺れて、温かい体温が離れた感覚で眼が覚める。目を開けるとネロが寝室から出て行くところだった。
寝室から出る前に俺をちらっと見たけど、ネロは声を掛けずにそのまま出て行ってしまった。俺も起き上がってリビングに出る。ネロはお茶を用意している最中だった。
「少し寝ていればいい。」
「いや、また夜にソファで寝落ちしそうだから寝ない。マッサージありがと。何か体が軽くなった気がする。」
ソファに座るとネロがお茶を運んでローテーブルに置いてくれた。ネロはソファに座らず、椅子を運んできて座り、足を組んでお茶を飲みながら俺を見つめてくる。何か言いたげなネロに首を傾げて先を促してみた。
「無理をさせ過ぎた。すまない。」
「俺もごめんなさい、ネロが折角考えてくれたメニューの半分くらいしか消化できなかった。でも、毎日続けてたら体が慣れてくるかな。」
「多分。」
言いたかったことは謝罪だったらしい。でも、ネロが謝罪する事なんて何もない。俺の能力が圧倒的に劣ってただけだからね。ネロの想定の遥か下だっただけなんだよ。
「ネロが元気になったらあのランスを使ってるとこ見せて欲しかったけど。俺のこの感じでは運動後は見に行くの無理だ。当分はお預けだね。」
「琥珀が回復したのであれば、後で行くか?」
「ネロは全く消耗してない?」
どう見ても全く消耗してなさそうなネロだけど、一応聞いてみたら頷かれた。ですよね、俺の枕になって、ベッドに運んでくれて、マッサージまでしてくれるネロは全然平気そうですよね。
「マジか。その体力の十分の一でもいいから欲しい。あと、回復してないから多分無理。」
パタンと大袈裟にソファに倒れ込んでネロを見上げる。目を細めたネロがお茶を一口飲んで、柔らかく微笑んでくれた。何という慈愛の眼差し、優しさが溢れている。
「あ、ネロ。さっき〈浄化〉してくれたけど、汗が全然引いてなかった。マッサージの時、汗臭くなかった?」
「いや、いい香り。」
「いい匂いではないと思う。もう一回〈浄化〉して下さい。なんかぺたぺたする。」
俺が立ち上がると椅子に座ったままでネロが手を差し出してきた。よく分からないながらも、ネロの手を掴んでみると、ネロが俺の手を引いて引き寄せてくる。
ネロの近くに寄ってみたら、詠唱してくれるネロの綺麗な旋律と共に、気持ちい水の感触に包まれる。暖かい風が吹き荒れた後は、さっぱりした。
これに慣れちゃうともうシャワーとか面倒臭いものでしかなくなる、かもしれない。魔法って凄い。ありがとう、と笑顔で伝えてソファに戻ってお茶を頂く。いつ飲んでも美味しいお茶で、自然と笑顔になる。
「シャツとズボンじゃなくて運動着があったらいいと思った。」
「そうだな。用意しておく。」
何となく、あんな汗びっしょりになるならって思って呟いた事に、ネロが直ぐ反応してくれた。用意してくれるって即答だけど、運動着なんて物があるのか。
子供達の訓練の感じを見てたら、運動なんて枠を超えた運動だった気がする。運動着なんて概念はなさそうだと思ってた。あ、でも。学び舎があるくらいだし、体操服的なのがあるって事か。ん?でも、学び舎に体育なんてなかった、どういう事だ。
「運動着とか普通に売ってたりするの?」
「動きやすい服と言う意味だろう?」
身を乗り出してネロに質問をしてみると、ネロが不思議そうな顔で返してくれた。それを聞いて成る程っと納得できた。言葉の意味合いで理解して答えてくれただけか。それにしても、ネロは俺の欲しいって言ったら全部用意してくれそうな感じすらある。
「うん。そう。ネロは何でも用意できるんだね。凄い。」
「可能な限りは手を尽くす。」
「でもありがと。あ、アルさんの所にカップを返しに行く?あと、治して貰ったお礼を言わなきゃだよね。」
アルさんに会いたいのと、昨日あんなに消耗させてしまってもう大丈夫か気になるのと、カップを返してお礼を伝えたいので、アルさんのトコ行こって提案してみた。ネロは嫌そうに眉を寄せてしまう。行きたくないってのがネロの表情から凄く伝わってきた。
「なんでそんな反応になったの。あんなに優しくて可愛いのに。」
「一言では語れない。」
「別に一言じゃなくていいよ。さあ、どうぞ。」
さぁ言ってみろ、っと大きく頷いてあげる。呆気にとられたネロの表情がちょっと面白い。にっこり笑顔の俺から目を逸らしたネロは言いたくないらしい。
「冗談だよ、個人対個人だから色々あるよね。突っ込んで聞き過ぎた。ごめんなさい。」
「言いたくない訳ではない。本当に長い話になる。」
「うん、時間がある時にゆっくり聞いてあげるね。取り敢えずは、カップを返しに行ってお礼を言おう。」
「そうだな。」
立ち上がった俺に連れ立つように、ネロも立ち上がって支度をしてくれる。今飲んでいたカップを綺麗にしてから戸棚に収めて、今まで使っていた白い花模様が浮き出たカップを取り出す。
移動させていた椅子を戻したついでに、ネロがマントを掴んで俺の傍に寄ってきた。もう1つの椅子の背もたれにマントを掛けたままだったのを忘れてた。いつもは畳んで置いておくんだけど、面倒くさくて放置しちゃってた。
「暑いからこのままでいい。ダッシュで行こう。ネロは本気ダッシュね。俺の後ついてくるのじゃだめだから。」
マントを羽織らせてくれようとするネロを止めて、このままでいいよって伝える。ついでに走って行こうって言ってみたら、ネロは頷いてくれた。
ネロがゆっくりと靴を履いて入り口を開けてくれた。ネロが手に持っているカップは、確かによく見ると女の人のっぽい。全然気が付かなかった。そして、容量がこのカップと新しいカップとでは倍も違う事にも気が付いた。
でも、使い易いカップだった。ネロの手の中に納まっているカップを撫でて、心の中でお礼を伝える。今までありがとね。ネロを見上げて頷くと、ネロは先に外に出てしまった。そして、外側で入り口を開けて待っていてくれる。
「先行って。俺は追いかけるから。」
外は真っ白な濃い霧で、ぎりぎり族長のテントの入り口が見えるくらいの霞み具合。頷いたネロが先に走り出した。




