103 大丈夫ではない
ネロの観察してくる視線に耐えながら進んで、漸く食事場に到着した。ネロが調理場に行ってる間、俺は食事場の風景を眺める。
賑やかな食事場の中で、シリアさんとヤミさんが食事をしているのが目に留まった。シリアさんが俺に気が付いて手を振ってくれた。俺も軽く手を振り返す。
前にも一緒に食事をしていたし、今回も二人で仲良く楽しそうに食事をしている。ヤミさんはかなり年配っぽく見えるし、シリアさんは二十代の真ん中くらいに見えるかな。見た目は親子に見えない事もない程に年が離れてるけど、仲がいい兄妹だ。
いつも気が付かないうちに戻ってきているネロを警戒して、チラチラと調理場に視線を向けてたおかげで、今回はネロが戻ってくる姿を目に収める事ができた。
隣に戻ったネロが並んだタイミングで、くるっと後ろを向いて歩き始める。俺の隣に並んだネロを見上げてみると、前を向いたネロは耳だけをこっちに向けていた。
「今日から体を鍛えてもいいかな?」
「長椅子で寝ていた。体調が悪化している可能性もある。」
質問してる風を装って、今日から開始だよね、ってネロに確認を取ってみる。そしたら、ネロが俺を横目でちらっと見て、揶揄うと淡々の間くらいの言葉遣いで答えてくれた。
どう聞いてもソファで寝落ちしたのを揶揄われてる。そうですね、俺が軽率だったんです。でも、体調は全然悪くないんですよ。
「えぇぇ。謝ったじゃん。ネロ、お願い。もうしないから。」
姉ちゃん直伝のオネダリ作戦しかない。叱ってるとか注意とかじゃなくて、ちょっとだけ焦らしてる感じのネロの腕に抱き着く勢いでオネダリしてみる。
俺も体を動かしたい。例え少ししか筋力が増強できなかったとしても、俺はネロやレオさんみたいにムキムキになりたいんだよ。
まぁ、二人程のムキムキのばっきばきな体になるのは無理って分かってる。それでも俺は頑張ってみたいんだよ。無言で歩くネロの腕にじゃれつきながら、じっとネロを見上げて必死にお願いアピールを続けてみた。
「軽い運動を。決して無理はするな。」
耳がぴくっと動いて、ネロが俺をちらっと見てくれた。その視線を逃さないようにニッコリしたら、ネロが折れてくれた。やった、俺の勝利である。
軽い運動しかできないから大丈夫だよ。無理なんかできないから大丈夫。俺は超貧弱ですから。ネロの考えてる以上に非力だから、大丈夫なんですよ。
「鍛錬場の端っこで筋トレでもしてるから、ネロはなんかしてて。大丈夫、絶対無理はできないから。」
「当分の間は俺が付いて体の使い方を教える。」
ニッコニコでネロに頷いて、俺のできる範囲で適当にしてますから大丈夫ですよって伝えてみる。そうしたら、なんと、ネロが付いてくれるらしい。
なんか、凄く、鬼教官っぽい物言いな気がする。筋肉ムキムキなネロのシゴキに俺は耐えられるのか。俺は緩く長くやりたいタイプなんだけど、大丈夫か?
「えっと、一人で大丈夫。だと思う。」
「大丈夫ではない。」
くっ、断定された。精一杯遠回しにネロのヘルプはいらないですって伝えてみたのに、大丈夫じゃないらしい。ってか、大丈夫じゃないのか。俺は一人じゃダメなの?
不安になってネロを見上げると大きく頷かれた。マジか、そんなにダメなんだ。でも、ネロの運動なんかついて行ける気がしない。そっちの方が大丈夫じゃないんだけど。
「えっと、すっごく、できるだけ、最大限にお手柔らかにお願いします。」
「分かっている。」
なんか、もう挫折しそう。ネロが鍛錬してるのを眺めながら緩くやるつもりだったのに、ネロが付きっ切りで運動決定になっちゃった。ハードな運動確定でしょ。
もう、運動なんか止めて家で本を読んで過ごしてたくなってきた。ネロの訓練とかマジ怖い。だって、ムキムキマッチョで、鍛錬場での運動量は半端ない上に、メッチャ強いんだよ。
見上げる俺の視線が不安そうなのが分かったのか、ネロが元気づけるように頭をぽんぽんと撫でてくれた。ネロから視線を外して、いつの間にか目線が下に落ちていく。
いつものネロは優しいんだよ。でも、レオさんとかヤミさん、後は大勢の人とか子供達の相手をしていたネロはヤバかった。優しさの欠片すらなくて、冷たいくらいだった。
凍り付く様な冷たい視線のネロを傍から見てたから分かる。ネロは自分にもストイックだけど、人に対してもかなり厳しい。レオさんはネロが鍛錬の相手してくれるって喜んでたけど、俺には何がいいのか全く分からない。
傍から見てる分には、ネロの華麗な剣さばきや、流れるような体術は凄く楽しめるんだよ。でも、その冷静を通り越した冷たい視線が自分に向くって考えると超怖くない?
「琥珀、心配するな。琥珀に合わせて進める。」
優しい声で安心させるように話しかけてくれるネロに視線を戻してみた。少しだけ優しく微笑んでいるネロと目が合う。今は柔らかな雰囲気のネロだけど、信じちゃダメな気がする。きっと、訓練になったら鬼教官に豹変するタイプなんだ。俺は知ってる、あのネロを見てるからね。
ネロから顔を逸らしてまた下を見てしまう。いつの間にか家に到着していた。中に入ると直ぐに、ネロが〈シール〉を解除してくれた。
ネロにちらっと視線を向けて小さく溜息を吐いてしまう。ネロは俺のマントを外して畳んでくれたている。ソファの横に置いたネロが、最後に自分の〈シール〉を解除している。
帰宅後の全てをネロが流れるように終わらせた直後に、ユリアさんの元気な声が外から聞こえた。入り口で佇んでぼんやりネロを眺めちゃってたよ。
慌ててサンダルを脱ぎ散らかしながらソファに移動する。ネロがサンダルを揃えて、入り口を開けると、ユリアさんが飛び込んできた。
俺に向かってニッコリ手を振ってくれるユリアさんに癒されながら、俺も小さく手を振り返す。ちらっとネロに視線を向けたユリアさんは無言でテーブルの上に料理を並べていってくれた。
ユリアさんは直ぐに料理を並べ終わったらしい。ネロに食事後は宜しくです、っと伝えて、ユリアさんが出て行くのと同時に俺も席に移動する。
今日のお食事内容は、数種類のサンドイッチの大皿と、俺の前に置かれたパンケーキ。全部美味しそうだけど、今日の訓練を考えると食が進まなくなってきた。
いただきます、と手を合わせて、ネロが祈りを終えるのを待つ。ネロが顔を上げたのと同時にパンケーキに手を伸ばした。小さく切った欠片を口に入れて、もぐもぐと口を動かす。
ちまちまと食べていたら、横から手が伸びてきた。その手が蜂蜜の瓶を持ち上げて、パンケーキの上で傾けられる。視線をゆっくり動かして、手の出どころを辿るとネロが横に立っていた。
蜂蜜をかけてくれたネロをぼんやりと見上げてしまう。俺と視線を交差させながら、ネロがしゃがみ込んできた。俺より下にきた金色の瞳をじっと見つめると、俺を見上げたネロが心配そうな顔をしている事に気が付いた。
「琥珀、体調が悪いのか?」
「違うの。ネロが鬼教官になるの想像したら怖くなっただけ。」
「鬼、教官?」
眉を寄せて心配そうに質問をしてくるネロに、違うんだよって伝える。体調が悪い訳じゃなくて怖いだけなんだって、心の内を吐露してみたけど、ネロには伝わらなかった。疑問の顔をしてしまったネロの頭を撫でて、何でもないと首を振る。
「椅子に戻って。ご飯食べよ。ごめん、心配かけて。」
まだ心配そうに俺を見上げてきたネロだったけど、俺が頷くと渋々って感じで席に戻ってくれた。ネロを目で追いかけて、椅子に座った後も見ていると、ネロは俺を眺めながらではあるけど、サンドイッチをパクパクと食べ始めた。食事を中断しちゃうんじゃないかと思ったけど、ちゃんと食べてくれてホッとした。
俺もパンケーキを小さく切って、ネロが垂らしてくれた蜂蜜を付けて口に入れる。ふんわりバターと蜂蜜の幸せな味にほわっと頬が緩む。笑顔になってネロに視線を向けたら、眉を寄せて心配顔だったネロも少し表情を緩めてくれた。
ネロのあの微笑んだ柔らかい笑顔は凄く優しくて和むんだよ。でも、あの笑顔が恐怖の笑顔になるんだよ。知ってるんだから。
ネロは武器と訓練にはとても厳しい。レオさんの所で短剣を持ったって。床に落ちてたのを拾ったって。そんな話をしただけで、凍り付く様な怖い目をするくらいだもん。思い返して、小さく溜息を吐いてしまう。
サンドイッチに手を伸ばしてハムと緑の葉っぱのサンドイッチを選んでみた。ネロだと一口サイズ、俺だと四口サイズの小さいサンドイッチだ。
食べ易いサイズのサンドイッチをもそもそと食べる。美味しいけど、味を感じる余裕が余りない。パンケーキに戻ってちまちまと食べ続ける。
視線を感じて顔を上げると、ネロが食事を中断して俺をじっと見ていた。大皿のサンドイッチは残り四分の一くらいになっている。
「俺はこのパンケーキで満足。後は食べちゃって。」
まだ食べるかの疑問を伝えてきてたのか、って分かって、今ので十分ですって伝えてみる。俺の言葉に頷いたネロが食べるのを再開した。
ただし、視線は俺に注いだままだ。ネロは観察するみたいにじっと見つめてきた。俺を見つめながらも、ネロはゆっくりと食事を続けている。顔を上げた状態だと、ネロと目が合うから下を向いてパンケーキをノロノロと食べ続ける。
ぼんやりとお皿を眺めながら食べていたら、お茶のカップが置かれた。顔を向けると、ネロが自分のカップを持って椅子に戻っていくところだった。
ネロは腰を下ろすと、脚を組んでお茶を飲み始めた。観察しているらしく、視線は俺から外されない。目が合ってにこっとしてみたけど、ネロは表情一つ変えてくれなかった。
眉一つ動かさずに、無表情のネロが真っ直ぐに俺を見てくる。ネロから視線を外して、パンケーキを眺める。甘くて美味しいパンケーキだ。でも、全くといっていい程食が進まない。
今、お皿の上にあるのは蜂蜜たっぷりの甘いパンケーキ。これを残してもネロは食べられない。食べ残すのは嫌だから頑張らなきゃ。
「琥珀。」
優しい声で呼ばれて顔を上げる。テーブルに手を突いて少しだけ身を乗り出したネロが顔を寄せて口を開いている。口を半開きにしたネロの少し間抜けな顔をぼんやりと眺めてしまった。
俺と目を合わせたネロが目を細めて、首を少しだけ傾けた。ネロの行動が何を意味してるのか分からなくて、俺も首を傾げてしまう。
「一口、食わせてくれ。」
ネロを見つめて動かない俺に焦れたのか、ネロが言葉に出して強請ってきた。味見したかったって事らしい。でも、コレは蜂蜜たっぷりだよ。ネロは食べられないヤツって分かってるでしょ。
「これ、甘いよ?」
「分かっている。でも、味わってみたい。」
ネロは無理でしょって止めてみた。でも、ネロは分かっていても、尚、味見をする気らしい。なるべく蜂蜜のついていない所を選んで、ちょっとだけ切り取ってネロの口元に運んでみる。
口を動かして味わうネロの表情に変化はない。いつも通りの無表情のままで、美味しいとも不味いとも全く分からない、完璧なポーカーフェイスだ。
「どう?」
「甘い。」
恐る恐る、味の感想を聞いてみる。お茶を飲んで一息吐いたネロがさらっと答えてくれた。今更ながら、少しだけ眉を顰めているネロが面白くて、ふふっとなってしまう。
「甘いのになんで食べてみようと思ったの。」
「琥珀の食が進んでいなかった。甘くない、可能性もあるのかと。」
後引く甘さがきつそうなネロに疑問を投げかけて、返ってきたネロの言い分にまた笑ってしまった。もういい?と聞いたら、ネロが頷いてくれる。
最後までゆっくり食べてご馳走様。さっきまで食欲がなかったのに、ネロの行動が面白くて笑ったら、不思議と全部食べる事ができた。
お茶を飲みながらネロの様子を窺ってみる。苦手な甘いモノを食べてくれて、さらっと俺を笑顔にしてくれた。その後は何事もなかったように、普通に片付けをしてくれるネロは大人だなと思う。俺の落ち込んだ反応を見て俺を元気づけてくれたんだろうな。
「ネロ、ありがと。」
魔法を使っているネロをぼんやりと眺めながら、お礼の言葉を漏らしていた。ネロは頬を緩めて頷いてくれる。柔らかなネロの表情を受けて、ほんわか気分でネロを眺めていると片付けが終わっていた。
食器を詰めたバスケットをテーブルの脇に置いたネロが椅子に座り、俺を正面から見つめてくる。真剣な光を湛えるネロの瞳に、何か話す事があると気付いて、俺も聞く姿勢を整えてみた。
「琥珀。レオから報告を受けたのだが。〈根性〉を使用したというのは本当か?」
真面目な口調で、レオさん経由の情報と断りをいれてくれながらも、ネロが俺の使った魔法について聞いてくる。本当です、と頷く事で肯定を伝えてみた。ネロは懐疑的な情報だと思っていたっぽい。俺の頷きでネロが少しだけ目を丸くした。
「族長の時も〈根性〉か?」
即座に次の質問をしてくるネロに対して、更に頷いて返す。確かにネロには言ってなかった。言っても良かったけど、色々と隠した方がいい事もあるってネロ自身に言われてたから、敢えて言わなかった。でも、知られたなら別に隠し続ける事ではない。
「レオさんが俺を乱暴に担ぎ上げようとしたから咄嗟に発動した。もし、なかったらずっと隠してたかもしれない。ごめんなさい。」
「問題無い。レオは護衛で口は固い。俺には報告の義務があるからと話した事。レオには秘匿しろと命じておいた。族長は〈感知〉をして知っている。今、承知しているのはレオと族長と俺だけ、それ以外に漏れる心配はない。隠すつもりだったのであれば、すまなかった。」
「違うの。ネロが変なのは隠せって言ったから。俺にはこの魔法が凄いのかどうかも分らなかったから、ネロに伝えていいのか分らなかった。だから言わなかった。それ以前に魔法の発動もアルさんの時しかなかったから、言えなかったのもある。」
「成る程。琥珀が伝えない選択をしたのは正しい。自分の所持魔法やスキルを他人に明かさないのは当たり前の事。ただ、〈根性〉を所持しているのであれば、鍛錬の時は発動させたほうがいい。不測の事態が起こる事もありえる。」
別に〈根性〉を発動させる事自体は問題ないよ。でも、不測の事態って何。何かが起こるの?超危険な事になるから〈根性〉が必要って事なのかな。マジで怖いんですけど。
「何かが起こるって事?」
「そうではない。もしもの話。」
「もしもがあるって事なんだ。」
「何も起こらない。」
俺の疑問に淡々と答えてくるネロを見て思う。やっぱ、鬼教官だ。軍曹だよ、さー、いえっさー。しか言っちゃダメなヤツになるんだ。超怖い。強めの断定の言葉で締め括ったネロが鬼教官にしか見えない。涙目になってしまったら、目を合わせていたネロが動きを止めた。
あぁ、やっぱ疚しい事があるから固まるんだ。さっきまでの優しい笑顔は、鍛錬の前の静けさ的なヤツなんだ。鍛錬になったら厳しいシゴキが待ってるんだ。
ネロの鍛錬とか、ヤバい。俺は死ぬかもしれない。〈根性〉で生き残れそうだけど。更には死んだとしても直ぐ復活するけど。怖いものは怖いんだよ。こんな優しいネロが豹変したら怖いじゃん。
「琥珀。何を想像しているか分からないが、きつい事はしない。安心しろ。」
宥めるような優しいネロの言葉にプレッシャーを感じて、更に涙目が加速してしまう。怯える俺の反応で、ネロが困った顔をしてしまった。困ったのはこっちの方なんだよ。困った上に怖いんだよ。
「琥珀。今日は止めておくか?」
「止めたら一人で筋トレしていい?」
「それは駄目だ。」
凄く困ったらしく、ネロが優しく今日は止めておこうって聞いてくれた。ほっとしてそれなら一人がいいって伝えてみる。それなのに、キツイ物言いでネロが拒否を示してきた。鋭い視線を受けて、ついに涙腺が崩壊してしまう。
俺の涙が流れ落ちるのと同時に、ネロが立ち上がって俺の傍に移動してきた。屈み込んだネロが威圧しないようにか、俺と目線の高さを合わせて見つめてくる。ネロの手は俺の髪を梳くように撫でてくれる。
「琥珀、体を動かす事が怖いのか?」
「違う、それを手伝ってくれるネロが怖い。」
「俺?」
優しく穏やかな声で聞いてくれるネロに首を振る。鍛錬が怖いんじゃなくて、ネロが怖いんです。気持ちが素直に言葉に出てしまった。俺の返答を聞いて、ネロは驚いたらしい。呆然と呟きながら首を傾げるネロに、そうなんですって大きく頷いてみる。
「だって、ネロは鍛錬の時、超怖いんだもん。冷たい目をしてるし、キツイ顔付きだった。子供達相手の時もそうだったし。レオさんとかヤミさんの時も超怖かった。あとは武器の試し切りの時も、みんなに囲まれても淡々としてたし。冷たくて怖い感じだった。」
「俺はそんな顔をしてたのか?」
「うん。いつものネロと全然違った。」
俺が話し始めるのをじっと待ってくれるネロに、心の叫びを声に出して全部伝えてみた。ネロは俺の話を聞いて、驚いた顔のままで小さく呟いた。キツイ顔付きと冷たい目だった自覚はなかったらしい。
「琥珀の手伝いの最中にそんな顔はしない。」
そして、俺の運動中にはそんな怖い顔はしないって断定してくれた。そこまで言ってくれるなら、もう一声、笑顔になって欲しいよね。できるかな。
「じゃあね。笑顔でいける?」
「笑顔?」
「うん。ニコって。やってみて?」
少し気が楽になってネロに提案をしてみたら、ネロは困惑の表情になってしまった。でも、ネロに笑顔になってって強要を続けてみる。
俺の望みに応えたネロは唇の端を上げて笑みを浮かべてくれた。凄く凶悪な笑顔だ。引きつっているみたいで全く癒される笑顔じゃない。そもそも、目が笑ってない。
「ネロ。顔が怖い。」
「余り使わない筋肉。仕方がない。」
「でも、優しく笑ってくれる時もあるじゃん。」
「あるか?」
「うん。見惚れるくらい、いい笑顔。」
「そうか。」
思わず突っ込んでしまったら、極悪な笑顔を解除したネロがしょうがないだろって溜息を吐いた。その凶悪なのじゃなくて、優しい笑顔がいいんだよ。時々してくれるじゃん。でも、ネロは自覚なく優しくていい笑顔になってたらしい。
ネロの凶悪だったけど笑顔を見た事で涙が止まってくれた。笑顔になった俺を見つめるネロは、俺がさっき望んだ優しい笑顔になってる。
できるじゃん、って思ったけど、ネロは自覚なく笑顔になってるのかもしれない。指摘したら笑顔がなくなりそうで、そっとしておく事にした。
涙が止まった俺の目元を大きな手が塞いできた。低く紡がれる綺麗な旋律が聞こえてきた。ネロの声に合わせて、冷たい水の感覚が目元を覆っていく。ヒンヤリと冷たくて、火照った目元が気持ちいい。その後で、ネロの声に合わせて暖かい風がふわっと包んでくれた。
「〈根性〉は発動させなくていい。」
「ホント?」
「ああ。危険な事はしない。」
「ネロも怖くならない?」
「ならない、約束する。」
俺の目元から手を離して、ネロがゆっくりと言い聞かせてくれた。俺の目を見ながら落ち着いて話すネロは優しい目をしている。心配で聞き返してしまうと、ネロは優しく同意を繰り返してくれる。優しく微笑んでくれるネロの姿で、漸く安心できた。良かった、約束を取り付ける事ができた。
「ネロがレオさんの相手をしてたのとか、沢山の人をあっさり倒しちゃうのとか。傍から見てるのは楽しめたんだよ。カッコいいと思うし、流石ネロって思った。でも、それが自分に向くって考えたら、怖くなった。ごめんなさい。」
「問題無い。人と組んで、武器を手にして鍛錬をする時はお互いに真剣になる。少し鋭い目付きをする時もあったかもしれない。」
「時々する鋭くて冷たい目もカッコいいんだけどね。優しい顔もしてくれたらいいね。」
「意識してそれをすると固まる。」
「じゃあ、あれだ。レオさんと同じで訓練、的な?」
「そうだな。レオに課すなら自分にも課さなければな。」
優しい笑顔を意識すると固まるって、ネロはちょっと面白い。まぁ、それなら訓練あるのみかな。冗談でレオさんの名前を出してみたら、ネロが大きく頷いてしまった。
ネロは自分にも試練を課すらしい。流石ネロだ、ストイック過ぎる。少しの間、ネロは俺を安心させるように、視線を合わせて優しく髪を梳いていてくれていた。俺が落ち着いたと判断したのか、ネロが立ち上がった。
「行くか。食事場に返して、本屋で買い物。その後は家に戻り、運動開始。。」
「家なの?鍛錬場じゃなくて?」
「琥珀は体が硬い。まずは家でやる。」
この後の予定を教えてくれたネロに首を傾げてしまう。鍛錬場で体を動かすと思ってたのに違うんだ。家でネロが教えてくれるって、凄く簡単な運動って事かな。更に気が楽になってきた。
「家でできる程度の優しい運動って事か、成る程ね。」
「体の柔軟性を上げる。」
ふむふむと納得していたら、続くネロの言葉を聞いて動きが止まってしまった。柔軟性を上げるって、要するにストレッチ、だよね。えっと、今日の運動はストレッチなんですか。ってか、俺はストレッチで半泣きになってたって事なのかよ。超恥ずかしくないか?
「だから言っただろう。琥珀に合わせて進める、と。それに、琥珀の回避の鍛錬で相手をした事はある。怖がる必要はないと思うのだが。」
驚き過ぎて呆然となってしまった。片眉を上げたネロが少し笑いを含ませながら話を続けている。そうだったね、ネロには一回、運動に付き合って貰った事があったのを忘れてた。
そして、その片眉を上げての、口の端も上げた笑顔は見惚れる程カッコいいです。角度的に悪役に見えない事もないけど、圧倒的なカッコ良さです。ネロがいい笑顔過ぎて見惚れる程だけど、凄く恥ずかしい事に気が付いてしまったんです。
恥ずかしくて下を向いてしまったら、ふっと笑ったネロが頭を撫でて離れていった。マントを取りに行ってくれるらしい。
優しいネロの対応に感謝しながら立ち上がると、ネロがマントを丁寧に羽織らせてくれた。何という大人感。圧倒的な包容力に満ち溢れてる。
駄々をこねた上に泣きべそまでかいたのに。全部に付き合って根気よく相手してくれたネロは本当に大人だ。いつの間にか〈シール〉までしてくれて、先に外に出ていたネロに呼ばれる。




