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102 えっと、黙秘します

 抱き上げられて目を覚ます。寝惚けてぼんやりとした視線の先では、ネロが俺を見下ろして無言の威圧をしてくる。


 凄く責めてくる感じのネロの視線を受けて目を逸らしてしまった。綺麗な旋律のネロの低い声と共に、ネロを含む俺を包み込む冷たい水の刺激の後で暖かい風が吹き荒れた。


 無言のネロが俺をベッドに運んでくれて、枕を整えて転がされる。うつ伏せの姿勢で枕を抱き込んでうとうとしていたらネロが背中に跨って、温かい手のひらを背中に添わせてきた。


「おかえり、ネロ。お疲れ様でした。マッサージはいいから一緒に寝よ。」


「少しだけ揉み解す。眠ければ寝ていろ。」


 寝惚けながら、マッサージはいらないって伝えてみる。それより眠たいって。ネロは聞き入れてくれずに、ゆっくりと掌圧を掛けてくる。


 ネロの手のひらがじんわりと温かいくて気持ちいい。冷たい水で一瞬目が覚めたけど、暖かい風でうとうとしていた。


 そして、ネロが優しく背中を揉んでくれる気持ち良さで、また眠りに落ちてしまう。次に眼が覚めた時にも、まだぬくぬくと温かいベッドだった。横を見るとネロがまだ寝ている。


 ネロが寝てるのは珍しいな。ボンヤリとしたままで、暫くネロの横顔を眺めていたら、ネロが目を開けた。寝起きだからか、ネロはぼーっと天井を眺めている。


 ネロの寝起きはこんな感じなんだね。眺める俺に顔を向けたネロが一瞬嬉しそうに目を細めた。そして、無言のままで起き上がったネロは着替えて、リビングに移動していった。


 少しだけネロの寝起きの感じを楽しめて、寝起きでぼんやりしていた頭が働いてきた。少しごろごろとベッドで転がってみたけど、起きる事にした。ササっと着替えてリビングに移動する。


「おはよ、ネロはちゃんと寝られた?」


「しっかりと寝た。」


 朝の挨拶をしてみると、顔を上げたネロが静かに答えてくれた。丁度、武器の手入れを始めようと思っていたのか、テーブルの上には武器が並んでいる。ネロの向かいに座って頬杖をついて、ネロの武器のお手入れを見学する事にした。


 俺が腰を下ろして動かない姿勢を見せた事によって、ネロはお茶を淹れてくれる事にしたらしい。お茶を用意する為に席を立ったネロを目で追いかけてしまう。途中ローテーブルをちらっと見てみた。


 レオさんと食べたデザートのお皿とカップはもう片付けられていて、小さなバスケットが1つが置かれている。


「琥珀。何故、長椅子で寝ていたのかを答えてくれ。」


「ネロを待ってて、気が付いたら寝てました。」


 お茶を持って戻ってきたネロが俺の前にカップを置いてくれる。お茶を飲もうと手を伸ばしたら、ネロが静かに話しかけてきた。そうですよね、ソコが気になりますよね。俺も気が付いたら寝てたんですよ。軽く言いたかったけど、ネロは凄く静かで淡々としてるから俺も真面目に答えてみる。


「夜間はレオの家で世話になるか?」


「嫌です。」


「理由は?」


 俺の言葉を聞いて間髪を容れずにネロが提案してくれた事には、俺も即行で拒否を示してみた。ネロは少し考えて、理由を聞いてくる。でも、なんて答えたらいいんだよ。


 俺に目を向けながらネロは武器の手入れを始めた。器用に短刀から鞘を抜いて、時々武器に視線を落としながら黙々と武器を磨いていく。


 武器の手入れをしながらも俺を捉え続けるネロの瞳は真剣な光を湛えている。居心地の悪さから、ネロから目を逸らしてしまった。小さな溜息が聞こえてネロに視線を戻すと、ネロの視線は武器に固定されていた。


 理由は凄く伝えにくいんだけど、言うしかないのか。レオさんのプライベートな事だしあんまり言いたくはない。でも、ネロが心配してくれているのも分かる。少しだけオブラートに包みつつ上辺だけ伝えてみよう。


「レオさんの家は女の人がいるかもしれないし、邪魔するかもだもん。」


 ネロの武器を扱う手元を見ながら拗ねるように小さく呟いてみた。少しの反応を見せる事なく、ネロは淡々と武器の手入れを続ける。相槌すら打ってくれない。


「やっぱね、抜き打ちは良くないと思う。ちゃんといつ行きますよって、伝えてからの方がいいと思うんですよ。」


 ネロの手元からネロに視線を移して真剣に話してみると、ネロが俺を見てくれた。少し考えるように武器を扱う手を止めて、ネロは俺をじっと見つめてくる。ネロと目を合わせて小さく溜息を吐いてしまった。


「昨夜は何かあったのか?」


 俺の様子を見ていたネロが眉を寄せて、何が問題かの確認をしてきてしまった。そうだよね、気になりますよね。でもね、レオさんのプライベートなんです。言いたくないんです。


「えっと、黙秘します。」


「分かった。」


 答えたくないって姿勢を貫いてみると、ネロはそれ以上追及するのは止めてくれた。


「でも、レオさんはちゃんと送ってくれたし、ネロの用意してくれたデザートも食べれた。凄く美味しかった。」


「そうか。」


「お茶は失敗した。メチャクチャ不味いお茶になってしまった。」


 俺の話を聞きながら、ネロは武器に視線を戻して相槌を打ってくれる。俺はお茶も淹れられなかった事実を告白してみた。ネロは武器を拭く手を止めて顔を上げた。


「失敗?」


 少し間を空けて、相槌ではなく聞き返してきたネロに溜息交じりに頷く。そうなんですよ、お茶が不味かったんですよ。


「うん。俺が淹れたらメッチャ渋くなって凄く苦くて不味かった。で、レオさんに、俺がお茶も淹れられない事に驚いたって言われちゃった。悲しかった。」


 いつもと同じ無表情だけど、少し怒ったような雰囲気だったネロの表情がやっと和らいでくれた。叱られてる自覚があっただけに、ネロが優しい表情になってくれてほっとする。直ぐにまた真剣な顔に戻ったネロに見つめられて、俺も背筋を伸ばしてしまう。


「暖かい温度に設定しているとはいえ、長椅子でブランケットも掛けずに寝ていたらまた体調を崩す。琥珀の言う体を鍛える事もできなくなる。」


 武器の手入れの手を止めて、低い声でゆっくりと諭すように話すネロに頷く。分かってます、軽率でした。ソファで寝落ちは凄くダメでした。


「ごめんなさい。」


「分かってくれたのであれば、問題無い。」


 ネロの言う事は尤も過ぎて、謝る事しかできない。ネロは話は終わった、と武器の手入れに戻ってしまった。視線を武器に固定してしまったネロを眺める。


 ネロがこんなに怒ったのを見るのは、あのアルさんの時以来だ。アルさんの時はもうちょっと怖かったきもするけどね。


 アルさんが不可抗力とはいえ俺を害した、と怒ったのと、俺自身が自分を大事にしていない行動を、両方同列に見立てて、ネロは怒ってくれている。ネロが俺の事を本当に心配してくれてるって分かる。


 でも、怒っててもネロは優しい。ソファで寝落ちして、体が固まっていたであろう俺をマッサージしてくれて、一緒に寝てくれたんだ。


 ネロの気持ちが嬉しいのと、自分のダメダメさ加減に、小さく息を吐き出してしまった。反省をしつつ、ネロの手元を見ながらお茶を飲む。美味しい、あ、ネロのお茶の淹れ方を見てなかった。そして、俺のお茶は本当に凄く不味かったな。


「お茶ね。超苦くて、超渋かった。」


「そうか。」


 無言で武器の手入れを進めていくネロを見ながら、沈黙に耐えられなくなって、お茶が不味かったって呟いてみた。ネロは静かに相槌を打ってくれた。


「あんな不味いお茶を淹れられるのは、ある意味才能だと思うんだ。」


「成る程?」


「今度、ネロにも淹れてあげるね。」


「楽しみに待ってる。」


 武器を見つめるネロは適当に相槌を打ってる感じに見える。それならっと、悪戯っぽく提案をしてみたら思いがけない答えが返ってきた。ちゃんとしっかり聞いていたらしい。


 ネロの視線は武器に落とされたままだけど、口の端が少しだけ上がってる。嬉しそうにも見えるネロの表情だけど、苦くて渋いのに嬉しいのかな。ネロが飲むのであれば、美味しいのを淹れてあげたい。


 そして、今日の夜はちゃんとベッドへ行って寝よう。寝落ちしそうならブランケットだけでも絶対掛けよう。


「ネロ。」


 静かに黙々と武器の手入れを続けるネロに呼びかけてみる。手を止めたネロが顔を上げてくれた。俺を見つめるネロの視線はもう、怒った感じはない。凄く静かで全く感情が読み取れない。


「怒った?」


「怒ってはない。」


 武器のお手入れの邪魔を中断させてまでの質問じゃないのに、ネロは優しく答えてくれた。目を優しく細めてくれたネロからは、怒ってる感じは全然ない。


「そっか。」


「怒ってはないが、心配になった。」


「ごめんなさい。」


「問題無い。」


 でも、心配させちゃったってのは凄く伝わって、頭を下げて謝る。顔を上げると、ネロは優しく微笑んでいつもの言葉を返してくれた。


 短刀の手入れを済ませて、素早く腰に収めたネロが立ち上がった。ネロを目で追いかけると、ローテーブルの上に置かれた薄めの本を持ち上げている。その本を手に戻ってきたネロは俺に手渡してきた。


 疑問に思いながら受け取った本をペラペラと捲ってみる。肌色多めでセクシーなお姉さんの挿絵で埋まっている本だった。パタンと閉じてネロを見上げる。


「これ何。」


「レオに渡された。琥珀の好みそうなモノ、と。昨日渡し忘れた、と言っていた。」


 動揺を悟られないように、極力平静を装ってこの本は何だと聞いてみる。俺を見下ろしたネロは、俺に負けず劣らず平静の上をいく涼しい顔で淡々と答えてくれた。


「これ見た?」


 ネロのこの反応は、この本の中身を分かってない筈。淡い期待を胸に、平静さを装って聞いてみる。期待を打ち砕くように、ネロが頷いて返してきた。ネロの反応を見て顔を覆ってしまう。


 レオさんはデリカシーがないのか。こんな際どくて、言ってしまえばエロさしかない本を人伝に渡してくるとか何考えてるんだ。


 まぁ、男同士で、尚且つ、ネロは大人だ。これくらいの挿絵を見てもなんとも思わないだろう。でも、受け取る俺は凄く恥ずかしい。


「えっと、レオさんは一体何のつもりでこんな本を俺に渡そうと思ったの。」


「琥珀がルナールとニュクトを気に入っていた、と。後、服が気に入っていた、と言っていた。」


「ニュクトって。」


 もう一度本を開く、パラパラとページを捲ると見付かった。こげ茶色の小さな三角の耳に大きなタレ目、丸いフォルムのふんわり尻尾、狸(仮)の亜人の事かな。


 ページを開いてネロに見せて、この子の事?って指差してみた。本に目を向けたネロが頷いてくれる。ネロの反応で、もう一度、本の挿絵をじっくりと見てみた。


 ぱらぱらと本を捲っていくと、狐っ子と狸っ子のみが描かれている。で、全ての衣装が浴衣だ。確かに、俺の気に入った服である。


 但し、全部の挿絵がもれなくセクシーポーズで、着崩しまくりのはだけまくり。成る程。静かに本を閉じる。顔を上げると、ネロは俺を眺めていた。俺がじっくりと読んでいたのを観察していたらしい。


 ネロの視線を受けて非常に恥ずかしくなってきた。恥ずかしさを隠して、目を逸らして少し考えを纏めてみる。ネロはこの本を見たって言ってた。俺がじっくり読んでた恥ずかしさを軽減させる為に、ネロも巻き込んでみよう。


 そうと決まればっと顔を上げる。静かに、そして冷静に俺を眺めるネロをじっと見つめてみた。ネロは片眉を上げて疑問の表情になっている。ニコッとするとネロが戸惑った表情になってしまった。


「因みに、ネロの好みの子は。」


「いない。」 


「ネロの好きな服は。」


 ネロを巻き込む質問をしてみたら、即答でいないと答えられてしまった。巻き込み失敗、悲しい。でも、俺は諦めない。まだ行ける。もう1つ質問をぶつけると、ネロが考え込んでしまった。そうだね、実物を見たらいいよ。考えるネロに本を手渡してみる。


 ぱらぱらと本を捲るネロは、恥ずかしさの欠片すらなく全くの無表情で本を見ている。何の反応もない。眉もピクリとも動かなくて、全くの感情の揺らぎすら感じられない。凄くセクシーな本だというのに、凄い。これが大人というモノなのか。


 ネロの圧倒的大人感を、ほうほう、と頷いて眺めてしまう。ちらっと俺に目を向けてきたネロがページを開いて示してくれた。


 ネロの提示したページを覗き込んでみた。少しだけ色を抜いた感じの明るめのこげ茶色の浴衣と、光沢のある赤の強い茶色の帯。


 何というか、凄く渋い色の組み合わせ。言葉を変えると凄く地味。でも、大人っぽいネロはこんな感じが好きらしい。派手派手な色より落ち着いた感じが好きなんだね。


 ネロを見上げて頷くと、頷き返してくれた。もう一度、ネロの気に入った挿絵の細部を見てみる事にする。


 浴衣だけ見ると地味に見えるのは事実だ。でも、渋い色合いの褪せたようなこげ茶色の浴衣は視点を変えると良さが分かる。白い肌のルナールのお姉さんを凄く大人っぽく、そして艶っぽく見せてくれる感じがする。


 濃い茶色の髪と大きな狐耳に、ふさっとして先がしゅっと細くなっている同色の尻尾が凄く綺麗。寝転がって膝を立て、足先は開いて膝を閉じている体勢は凄く蠱惑的。


 流し目でこちらを見つめてくる切れ長の大きな空色の目と、薄ピンク色の艶のある口元は大人っぽくて凄くセクシーだ。結論からいうと、この挿絵の浴衣もルナールのお姉さんも超綺麗。


「ネロは結構地味な感じが好きなんだ。でも、このお姉さんが着ると綺麗だね。顔も超綺麗。ネロと比べるとそうでもないかもだけど。」


 笑顔で感想を伝えてみたら、ネロが本をパタンと閉じてしまった。そうなんだよ、もう何日も一緒に暮らしてるから、近くで見過ぎて忘れてた。でも、この本の中のお姉さんの誰もかなわない美貌がネロにはあるのだった。


 系統は違うけど、圧倒的美貌のネロに、本に描かれてるお姉さんが負けてる事実が凄い。まぁ、それはどうでもいいか、それにしても浴衣か。いいな。浴衣が可愛過ぎる。


「琥珀の好みか?」


「えっとね、多分ネロの考えてる好みとは違うかも。服がいいなって。後ね、尻尾。と、耳。」


 ネロが俺をじっと見つめて、静かに聞いてくる。なんでこんな昼間から自分の性癖を暴露しなきゃいけないんだ、という羞恥心で顔が赤くなっていくのが自分でも分かった。


 でも、目を逸らしたらなんか負けな気がして、ネロの視線を真っ向で受けてネロの瞳を見続ける。視線を合わせる先でネロの瞳孔が開いた。何かに驚いたのか、と首を捻るとネロが目を逸らしてしまう。


「その本は返します。俺は別にそんなのいらないし。でも、あの子がニュクト族って分かって嬉しかった。レオさんは知らないって言ってたから。ルナールとニュクトか、凄く可愛いね。」


「そうか。」


「あ、でも、ネロが欲しいならどうぞ。譲るよ。」


「いらない。」


「ですよね。ところで、ニュクト族って何の亜人か知ってる?」


「確か、東の大陸の中の一部に居住する固有種。詳細は分からない。琥珀の買った本に記されている、多分。」


「あ~、そうだね。きっとそうだ。後で見てみる。」


 やっぱり、東の大陸なのか、俺の興味はもう東の大陸に固定されてしまった。絶対にいつか行こう。それにしても、浴衣、いいな。女の子用のだけど色が結構あった。


 挿絵だから実際とは違うかもだけどね。まぁ、自分で着るとすれば無難に黒とか紺とか灰色になるんだろうな。あ~、一着欲しいな。幾らくらいの値段なんだろうな。


「ねぇ、ネロ。」


 俺がアレコレと想像を巡らしている間に、ネロは本を片付けてくれたらしい。向かいに戻ってきて腰を下ろしたネロに視線を向ける。俺の呼びかけを受けてネロが首を傾げてくれた。


「あの服って高いのかな。」


「琥珀が今着ている服よりは高価だった。もう何年も前の事だから、今の価格は分からない。」


 服の価格が気になって聞いてみる。ネロの情報では結構前の事らしいけど、そう大幅には価格なんて変わらないでしょ。そうか、普通の洋服よりは高いんだ。


 まぁ、そうだよね。絹でできた浴衣なんて、高くて当然って感じもする。しかも、モンスターから生み出された絹っぽいのだからね、付加価値が凄いのかもしれない。絹以外の浴衣もあるのかな、気になりますね。


「そうなんだ。お金って国によって違うよね?」


「ああ、違う。」


 一番素朴な疑問を問いかけてみたら、やっぱり国によってお金は違うらしい。そうだよね、全世界共通の通貨なんてシステムがある訳がない。


 そこはちゃんと想定の範囲内ですよ。問題は、ですね。物価的なところなんだよ。ヤバい物価ならどれだけ頑張っても服一着すら買えない事態になると思うんだ。そこ重要だよね。


「東の大陸って物価は高い?」


 俺の疑問に、ネロが考え込んでしまった。物価を聞いたはいいけど、俺はこの国の物価すら知らなかった。盲点だった。アイラさんに借りた本の中に経済的なのはなかったな。  


 地理の本とかに物価の事書いてあったりするのかな。俺は俺で考え込んでしまったけど、結論が出ないままに顔を上げたら、ネロはまだ考え込んでいた。


「ネロさん。後で本屋さんに行ってもう一冊だけ買って貰ってもいいでしょうか。今回は安いのにするのでお願いします。」


「分かった。先に食事だ。琥珀も行くか?」


「うん。」


 居住まいを正して、礼儀正しくもう一冊だけ本をオネダリをしてみる。ネロが目を細めた。真顔に近いけど、凄く嬉しそうな表情に見える。本を獲得する為の交渉はあっさりと受け入れられた。ネロさんマジ太っ腹。嬉しくて笑顔になると、ネロも頬を緩めてくれた。


 ご飯の注文に行くよって事なので、元気よく頷いてマントを羽織って準備万端。マントからレオさん経由の女の人のフローラルな香りがする。凄くいい匂いに包まれて笑顔でネロに近付くと、ネロの片眉が上がった。


 ネロの反応が気になって、どうしたの、って首を傾げてしまう。ネロが静かに詠唱を始めた。低く紡がれる声が耳に心地いい。


 聞きなれた詠唱の旋律に合わせて空気の膜が俺の周りに、と思ったら冷たい水に包み込まれて驚いてしまった。直ぐに水は霧散して暖かい風が俺を取り巻いて濡れた所が乾いていく。


「寝起きに問答無用で〈浄化〉をされた記憶があるのですが。」


「記憶に間違いはない。」


 風が止んで、俺の髪に指を滑らせて、優しく梳いてくれるネロに不満を伝える。ネロは優しい指使いと、優しい眼差しと、優しい微笑みで、言葉遣いだけは冷静に淡々と答えてくれる。違うよ、なんでまたしたのって聞いてるの。そして、なんでそんなに柔らかな笑顔なんだよ。


「なんでまた〈浄化〉なの。」


「なんとなく。」


 むっとしながら、言葉を変えて質問をする俺を宥めるように、ネロがゆっくりと優しく髪に指を滑らせてくれる。髪から手を離して、俺の髪型を確認しながらネロが口の端を上げて短く答えてくれた。


 でも、全く分からない。話は打ち切りで、追い打ちはかけられない返しに諦めるしかない。不満な俺に対して、目を細めたネロは凄く満足そうだ。


 詠唱を始めたネロの言葉で今度は風の膜が覆っていく。〈シール〉を俺、自分の順でしてくれて、ネロは小さなバスケットを手にさっさと出て行ってしまった。ネロを追って外に出る。


 今日は雨、というより薄めの霧だ。上空から少しだけ陽の光が届いて少し明るい中で、遠くの方が霞む幻想的な光景が広がっている。前をゆっくり進んで行くネロを追いかける。


「今日の夜もレオさんと散歩したほうがいい?」


「可能であれば、何日間か連続の方が身に付く。」


「じゃあ、ちゃんと伝えとかないとね。抜き打ちは嫌だからね」


「分かった。」


 ネロにレオさんの事をちゃんと伝えて、ネロも受諾してくれた。これでレオさんに迷惑をかける事もなく、お互いに気まずい思いをする事もない。良かった、安心しながら、そういえば今はどれくらいの時間なのか聞いてみる。お腹が凄い空いてる気もするんだよ。


 ネロの答えてくれたところによると、今の時間帯はお昼ちょっと前らしい。最近お昼に起きるのが多い。ってか、毎日お昼起きだ。


 学び舎が再開したら俺は起きれらるのだろうか。長期休みの後の学校を思い出す感じだよな。明日から早く起きよう、うん、それがいい。今は気にするのは止めよう。


「ネロはルナール族の人と会った事があるんだよね。」


「ああ。」


「ニュクト族は?」


「ない。」


「そっか。」


 さっきの本の中のルナールの子とニュクトの子を思い出して、ネロに話しかけてみる。実物の狐っ子に会った事のあるネロは羨ましい。そして、狸っ子はネロもあったことない程レアな存在みたいだ。


「ニュクトが気になるのか?」


 そうなんだね~、って頷くと、ネロに逆に質問をされてしまった。そりゃ気になるでしょ。あんな可愛い狸顔の子はヤバいでしょ、タレ目のあの顔は可愛過ぎる。


「うん。耳も尻尾も可愛いけど、目がいいよね。可愛かった。」


「目?耳でも尻尾でもなくて?」


「うん。タレ目で大きくてくりっとしたキラキラな目で可愛かった。」


「成る程、琥珀のような目か。」


「俺?そんな目をしてるかな?」


 ニュクトの目の可愛さを表現してみると、ネロが頷いて俺のようだと返してきた。あんな可愛い目はしてないでしょって驚きながら聞き返すと、ネロが大きく頷いて楽しそうに目を細める。マジか、そう言われると微妙な気がしてきた。 


「俺の目って言われると、可愛くなくなる不思議。」


「そうか?」


 ふっとネロが笑った気がして、ネロを見上げてみる。ネロは前を向いたまま無表情に歩いている。全く笑ってなかった。でも、俺はあんな可愛い目はしてない。確かに少しタレ目かもしれないけどね、共通項はそこだけだと思うんだ。


 挿絵の子と同等かそれ以上の目っていったらネロの目だよな。改めて観察しても、改めて見なくても、ネロの顔は凄い綺麗で整っててヤバいんだよ。そして、一番の特徴的なのは、その綺麗な切れ長の金色の目なんだよ。


「ネロの目も切れ長で綺麗だよね。さっきのルナールのお姉さんの目より綺麗な気がする。」


「そうか?」


 しみじみとネロの目の綺麗さを呟いてみる。ちらっと俺に視線を向けたネロは、直ぐに前に視線を戻してしまった。ネロがどうでもいいって感じで相槌を打っているのが聞こえる。


 ネロは自分の容姿に全くと言っていい程興味がないらしく、話は弾まなかった。まぁいいや、他の話題を振ってみようかな。


 俺がネロの所でお世話になって結構な日数が経過してる。でも、ネロの交友関係は冷めたもので、人付き合いはほぼないっぽいんだよ。付き合ってる子の影もなさそうな感じだった。


 ネロはこんなにモテそうな感じなのに不思議だ。ってか、アイラさんや他の女の子の反応を見る限りは、ネロは確実にモテると思う。モテすぎて嫌気がさしてここに来たって情報もあったけど、実際のトコロはどうなんだろう。


「ネロはそんなにカッコいいのに彼女さんは作らないの?ネロと付き合いたいって子は沢山いそうだよね。」


「今はいらない、かな。」


 素朴過ぎる疑問を口に出してみる。小さく息を吐き出したネロが疲れたように呟いて返してくれた。メッチャうんざりって感じだ。表情は変えないままに真っ直ぐ前を見ているけど、ネロの面倒臭いって感情が凄く伝わってくる。


「そうなんだ。じゃぁ、前に他の種族の人と付き合った事とかある?」


 にこやかに質問をしてみると、視線をゆっくり俺に向けたネロが少し考えるように俺をじっと見てくる。答えてって、ニコッと首を傾げてみる。小さく溜息を吐いたネロが頷いて返してくれた。


「おぉ、じゃあ、ルナールの人と付き合った事はある?」


「ある。」


 少し趣向を変えて過去の事を聞いてみる事にした。他の種族の子との付き合いあったんだ。そして、まさかとは思いながらも、狐っ子はって聞いてみたら、あるらしい。マジか、テンションが上がってしまう。実体験としてのルナールの子の話が聞ける。やった。


「やっぱ、尻尾は可愛かった?」


「普通。」


「普通ってなんなの。普通が分からないよ。」


「俺の尻尾と変わらない。」


 テンションが上がってワクワクと聞いてみると、真顔のネロが俺をじっと見ながら淡々と答えてくる。普通ってなんだよ、普通なんて言葉はないんだよ。しかも、ネロの尻尾と一緒な訳ないでしょ。変わるに決まってる。猫の尻尾と狐の尻尾が同じなんてそんな事は絶対にない。ある訳がない。


「変わらない事はないでしょ。ネロのはふさふさモフモフで、ルナールのお姉さんはふさっとしてしゅっとしてるんだよ。変わるでしょ。」


 力説している間、ネロは黙って俺を見続ける。その間も歩みを止める事はない。俺の力の入った解説が終わった後も、ネロは沈黙を保ったままで俺を見続けていた。


 暫く無言で見られていたけど、ネロはまた前を向いてしまっていた。俺も見上げていた顔を前に向ける。凄く微妙な空気になってしまったかもしれない。少しだけ後悔をしてしまう。


「そうだな。確かにそうかもしれない。」


 尻尾への想いと後悔の狭間で黙り込んだ俺の横で、ネロが静かに同意をしてくれた。ネロの言葉で、またテンションが上がってしまう。後悔をする事はなかった。


「そうだよね。あんな尻尾でふぁさふぁさして貰ったら幸せだよね。」


 ネロも同意する程に狐尻尾は素晴らしいって事が分かった。マジか、テンションが上がって力説を再開しながらネロを見上げると、ネロは静かに見下ろしていた。


 どうやら、こう返したら俺がどう反応をするか観察していたらしい。少し恥ずかしくなって、そっと視線を逸らして前を向く。

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