水のクエイサラー
ラスボスの章。
そして、別れ
五章 水のクエイサラー
窓の外は吹雪いている。今クエイサラーで凍り付いていないのは、城内だけだった。人も動物達も燃えさかる火でさえ、リア王の魔力ですべてが凍り付いていた。王の命が尽きるとき、この氷は溶けて闇の王が動き出す。もう、あまり時間がなかった。闇の王が動き出せば、シェラは内側から侵食されて、すべてに死を与えることのできる、闇の女王として生まれ変わってしまう。
『ビザマ、リティル様が神樹の精霊の助力を勝ち取りました』
玉座の間のある中央の尖塔が見える窓辺に、ビザマは佇んでいた。中央の一際大きなランタン塔の上には、祈るように手を組んだ花の姫の像が立っている。その背には蝶の羽根はない。クエイサラー城は、趣向の違う尖塔と煙突が林立する城だった。左右対称の城に立つ尖塔の上には、伝説にある英雄達の像が佇んでいる。揺らめく水を映しているかのような、水色のマーブル模様の外壁は、吹雪でその美しい色を今は見ることはできなかった。
花の姫の像を見上げるビザマの背後に、風の王の右の片翼が姿を現した。
「そうか」
インサーリーズの言葉に、ビザマは短く応じた。
『姫は……変わりはありませんか?』
「リティルの差し金か」
ビザマは外の風景から視線をそらさずに、何気ない様子で問うた。
『二人の王は、私達のことに気がついていますが、捨て置かれています。ビザマ、シェラに会わせていただくわけには参りませんか?』
「構わないが、アクアの精神はここにはいない。今頃、リティルの記憶の中だ」
『焚き付けましたね?』
「純真無垢なアクアが知らなければ、詐欺だろう?」
『純真無垢だったリティル様を、穢しておいて?』
「必要だった。純粋な正義の兵器では、アクアと共に歩めない。十年前、二人は意図せず出会ってしまった。あの時、何もわからずとも、リティルはアクアを守ろうとしてくれた。だから、オレは安心して悪役になれる」
『あなたのことを、王に問われたらお話しますよ?』
「好きにしろ。オレはリティルを、平気で殺すことができることに変わりはない。おまえとは、アクアというただ一点のみで繋がっているにすぎない。おまえの主は、ずっと風の王だ。さらばだ、インサーリーズ。次は闇の王の御前で会おう」
『さようなら、心優しき反逆のウルフ。リティル様は、必ずやシェラを守りましょう』
インサーリーズの言葉に、ビザマはフッと微笑んだ。その笑みは、当たり前だと言っているようだった。インサーリーズの体が金の風になって消えていく。インサーリーズはビザマとリティルがもし共闘していたら、ここまで二人が傷つかずにすんだだろうにと思わずにはいられなかった。
シェラの母は、九年前に急死した。
それは、その一年前千里の鏡を覗いたために、闇の王に見つかってしまった娘を守るために、犠牲になったのだった。
ビザマはリティルからシェラと話をしたことを打ち明けられ、すぐにリティルを目覚めさせることを、長老達に提案したが却下されてしまった。リティルが眠ると、ビザマもインと話をすることができ、彼は同意してくれたが、生真面目だったビザマは長老を説得しなければと、躍起になってしまった。
長老達の答えはいつも決まっていた。
「花の姫は替えがきくが、リティルの替えはきかない。リティルが万全の仕上がりにならないかぎり、目覚めさせるのは得策ではない」
インは、ビザマの思いを汲んではくれたが、今はまだ風を上手く扱えず、暴走させてしまうと忠告していた。魔力の暴走は場合によっては、術者の命を簡単に奪う。リティルには超回復能力があるが、まだほんの子どもだ。自分自身の魔力に引き裂かれる苦痛を、ビザマは、自分の勝手で与えてしまうことには抵抗があった。そうして、策を講じられないまま一年が過ぎ、事件が起きた。
闇の王の寝所は、玉座の間の奥にある。玉座の裏の隠し扉からいくことができるが、そこはただの祭壇で、闇の王を見ることも、触れることも、感じることも、普段ならばできない。普段は厳重に何重にも魔法が施され、ビザマと王と王妃以外ここのことを知る者はいない。
その夜は、シェラの十歳の誕生日だった。シェラはいつの間にか、部屋を抜け出し玉座の間にいた。その頃すでに、シェラの魔力は母を超え、ビザマが魔力を暴走させないための指導を行っていたほどだった。
「ビザマ!シェラが!」
ビザマを呼びに来たのは、兄のシェードだった。誕生日が近づくにつれ、妹の様子がおかしくなっていくことに、シェードは気がついていたのだ。シェラはどこか上の空で、しきりに玉座の裏へ行きたがった。魔法戦士として才能を現しかけていたシェードにも、玉座の裏の厳重に封じられた隠し扉を、もちろん見つけることはできず、シェラに何もないよ?と言って宥めていた。
誕生日の夜、シェラは何者かに導かれるまま、夢遊病のように玉座の間に来ていた。そして、闇の王の寝所に入り込んでしまった。
王妃と共にビザマが駆けつけたとき、シェラの精神は半分乗っ取られていた。
「『ああ、いい気分だ。我はやっと自由になれる』」
そう言って、十歳らしからぬ残虐な笑顔を浮かべた。石の祭壇が見る間に腐敗し、背後にある巨大な魔法陣を描いた壁から腐敗の触手が伸び始めていた。今ならば、シェラを殺せば闇の王の復活を阻止できる。ビザマは花の姫が、闇の王に乗っ取られることを阻止する為にここにいた。しかし、できなかった。ビザマにとってシェラは、自分の娘にも等しい存在にすでになっていたのだ。
「ビザマ、シェラから闇の王を引き剥がし私に移します。後を頼みましたよ?」
王妃は曇りなく微笑んだ。花の姫は十九になると、レシエラの墓所に赴き、花の姫になることができる。その力は子を成すと薄れるが、まだ、小さなゲートを開く力くらいは備わっていた。
「王妃……!」
「シェラを、リティルに会わせてあげてくださいね。今でもたまに、リティルの事を話すのですよ」
一瞬だけ言葉を交わしただけで?リティルもあれは誰だ?としつこかったが、アクアも?と不思議な気分だった。
「『さあ、ビザマ!』」
ビザマに向き直った王妃の瞳には、狂気が宿っていた。ビザマは感情無く剣を抜くと、彼女の胸に深々と刃を突き立てた。
「ビ──ザマ……シェラが──十九歳になるまで……私が──封じます。しかし、精霊になってしまったら……逃れ──られ……な──い……」
ドサリと、王妃の体はビザマに倒れた。
闇の王が再びシェラを狙うまで、あと九年しかない。九年。九年でリティルを、戦えるまでに育て上げなければならない?あの純粋無垢な天使のようなリティルを、この穢れの固まりにぶつけろと?できない。ビザマにとってリティルも、シェラと同じくらいに大切な存在だった。
途方に暮れたビザマは、リア王に事の次第をすべて話した後、王妃の葬儀を欠席してリティルの所へきていた。
「闇の王が姫に触れたようだな?」
ビザマの憔悴しきった様子に、インはリティルを強制的に眠らせて出てきてくれた。
「そうだ……間に合わなかった……王妃が犠牲に……」
悔しかった。娘の為に命を賭けた王妃に、何もしてやることができなかった。シェラが危険にさらされていることを、一年も前から知っていたというのに、何もしてやれなかった。
「ビザマ、一つ手がある。しかし、リティルにとってもそなたにとっても茨の道だ。歩む気はあるか?」
ビザマは、リティルとは正反対の冷たい金色の瞳を、縋るように見つめた。
「リティルは万全ではない。それならば、一時的に風の王の力を奪い、我を超える力を得たとき、戻せ」
「何をしろと言うんだ?」
「インサーリーズ、花の姫となる娘に取り憑き、守り導け」
金色の孔雀がビザマの隣に姿を現した。そして、孔雀はすぐさま金色の風となって消えた。
「我をリティルより奪い取れば、我は眠らなければならない。そして、再び戻っても今より以前の記憶はなくなる。我はそなたの協力者になれないということだ。いいか、ビザマ。リティルから風の王の力を抜き取り、どんな方法でも構わないが、リティル自身を鍛える。そして、我の力を使いリティルと闘え。リティルが勝つことができれば、我は本来の持ち主に返る。その時点で、リティルは最低限の力を身に付けているはずだ」
「最低限……それでは……。イン、あなたはリティルを──」
リティルを生かしたいと思っているだろう?ビザマはその言葉を、言わせてはもらえなかった。
「ビザマ、欲張るな。我らは風の王、宿命として受け入れられる。この世に生きとし生ける者を守り、見守ることが風の王の存在理由だ。故に闘う。この命が儚く散ろうとも。姫を守りたいのだろう?リティルしか、救うことはできない。ならば、やれ」
インがあまりにも揺るぎなく、傷心のビザマには逆らえなかった。ビザマは瞳を閉じ、しばらく座り込んでいた。インはその様子を見守り続ける。
やっとビザマが顔を上げた。その決心した顔を見て、インは魔水晶の中で立ち上がった。
「リティル……すまない……」
ビザマは、リティルと自分達を隔てている魔水晶の壁に掌を当てた。
迷わない。これから先、リティルとシェラが生き残る為に、自分のできることはなんだってしようと、ビザマは誓った。たとえその為に、他者を踏みにじることになろうとも。
ガタガタと、窓を揺らして吹雪の音がしていた。意識を深く深くへ集中していたシェラの耳から、暖炉の火が燃える音も、吹雪の音も遠ざかる。
ここは、どこだろうか。リティルの記憶の中の、暗く大きく存在感のある記憶だ。
ここは、どこかの家の中だ。クリーム色の石造りの室内で、一箇所だけ光が灯っていた。その下に誰かが倒れている。
シェラは恐る恐る倒れている人影に近づいた。部屋の中は暗く、血の匂いで充満していた。静かな中にピチョン……ピチョン……と水の滴る音がしていた。
「!」
シェラはギクリとして歩みを止めた。まるで見せつけるように点けられたランプの下に、フォルクが倒れていた。彼の茶色の毛並みは赤黒い毛にべったりと濡れている。すでに事切れていることが、シェラにはわかった。
シェラは背後に気配を感じて、振り向いた。
そこには、今よりもさらに背の低いリティルがいた。今よりも大きめな瞳から、幼いことが窺い知れる。シェラは思いだした。リティルは、十三才の時に、養父だったフォルクを殺されていたことを。
「親父……?親父!」
まだ子供の声から抜けきらない声で、リティルはドルガーにかけよった。
「なんで……?どうして!」
現実を受け止めきれずに震える小さな背中に、シェラは為す術なく立ち尽くしていた。そのとき、リティルが何かを見つけた。それは、金色の羽根だった。その羽根を見た瞬間、リティルの気配がザワリと変わった。
「オレの──せい……?オレのせいだ!オレの!うわあああああああああ!」
天井を仰いで叫んだリティルの背中に、金色の翼が弾けるように現れた。
出会ってから剣狼の塔に挑むまで、リティルはまったく魔法を使わなかった。本人は使えないと言っていたのに、幼いリティルは当然のように風を使っていたことを、シェラは知った。
バラッと金の翼が解れちりぢりになった。拒絶の心を感じる。リティルはドルガーを死に追いやったのが、自分が風の王の力を持っているためだ、と思ったようだった。リティルは自ら、風の王の力を拒絶し、奥深くへ封じ込めてしまったのだ。
「親父!どうして、オレなんかの為に!」
叫んだリティルの瞳から、涙が溢れていた。狂ったように泣き続けるリティルの姿に、シェラはたまらず目をそらした。
気がつくと、シェラはどこかの部屋にいた。ごちゃごちゃとした部屋。酒瓶が転がり、掃除が行き届いていない。外へ続く扉の方から女性の笑い声がした。扉を開けて入ってきたのは、派手な化粧の女性と、さっきより成長したリティルだった。
シェラはハッとして視線をそらした。信じられないモノを見たような気がして、動揺していた。べたべたとリティルにいやらしく纏わり付いていた女性と、リティルが口づけしたのだ。それは、リティルに教えてもらったばかりの、深い口づけだった。それを淫らに何度も交わしながら、二人はベッドに倒れ込む。
「いや……」
シェラは両耳を覆って、うずくまった。それでも、聞こえてくる音を、完全に遮ることはできなかった。
「いや!いや……!」
何かが軋む音と、リティルの熱い息遣い、女性の嬌声──。二人が何をしているのか、見なくても分かった。
「リティル……!わたし以外の人を抱かないで!わたしのことは、抱かないくせに!」
シェラの瞳から涙が流れ落ちた。そして、自分の叫びに驚いて思考が止まる。
え?わたしは何を……?
シェラは自分が、今リティルに組み敷かれているのが、わたしならばと思っていることに驚いていた。シェラは名も知らぬあの女性に、嫉妬したのだ。こんな風に、リティルに触れてもらえない。そのことを哀しく思っている。そんな淫らな自分を目の当たりにして、シェラは戸惑っていた。そして、ひどく惨めだった。
行為の一部始終を聞かされて、シェラは憔悴していた。すでに女性は帰り、リティルは裸のまま眠っている。
不意に、リティルがうなされて飛び起きた。シェラは顔を上げた。いつもは縛っている髪が解かれて、横顔に流れ落ちていた。細いながらに整った筋肉のついた上半身、今よりも鋭い瞳。攻撃的で、抜き身のナイフのようだった。汗に濡れた前髪を掻き上げる仕草に、シェラはさっきの衝撃もあり、鼓動が落ち着かない。
「はあ……はあ……ハハ、ハハハ……親父……無様だな……」
つぶやいたリティルの瞳から、涙が流れ落ちた。シェラはその涙に、ドキッと胸が高鳴った。リティルの涙を、初めて見た。鋭く、何者もよせつけないような瞳。今のリティルからは想像がつかなかった。怖い。リティルの中には、こんな部分もあると思うと怖くなった。
リティルといつか、こんなことをするのだろうか。知らない誰かを喘がせたその指で、こんどはシェラ自身が触れられる?浮気をされたわけでもないのに、シェラは気持ち悪く感じていた。
──シェラ
不意に、リティルの声が耳に甦ってくる。怒ったり笑ったり、優しかったり突き放したり、リティルのくれた感情のすべてが、心に湧いては消える。
彼の、名を呼ぶ声がシェラの心を浄化する。シェラはリティルの牙にそっと触れた。不意に込み上げてきた暖かい想いに、シェラは泣いていた。
たまらなくなって、シェラは過去のリティルを抱きしめていた。お互いに触れることのできない幻だ。温もりもなければ感触もない。それでも、癒えない傷を抱き、さらに自分自身を傷付けているようなリティルを、放ってはおけなかった。
なぜ、この場に自分はいないのだろかと、シェラは思わずにはいられなかった。
「リティル!もうこれ以上、自分を傷付けないで!お願いよ……」
逢いたい……リティルに逢いたい。屈託なく楽しそうに笑う、優しいリティル。強くて潔よい今のリティルを作ったのは、この過去なのだ。この過去なのだと思ったら、不思議と怖くなくなった。
ビザマは、リティルという男を知れと言った。一点の染みもない美しい者には、受け入れることなど、不可能だと嘲られた。だが、知れば知るほど、今のリティルが愛しい。嫌いになど到底なれない。むしろ、今すぐ抱きしめたい。傷ついた彼の心ごと、癒したい。
その腕、そのぬくもり、その声──出会っていたのが今ではなかったら?
その瞳、その微笑み、その唇──出会っていたのがこの時だったら、リティルはわたしを選んだのだろうか。シェラは、静かに涙した。
「ってーな!」
荒っぽいリティルの声で、シェラは我に返った。ここはどうやら、カルティアの海岸のようだ。
突き飛ばされたのか、リティルは尻餅をついて誰かを鋭く睨んでいた。その瞳には優しさの欠片もなかった。ただただ、憎しみのようなモノが浮かんでいた。
「目を覚ましたまえ!君は、その力を他者を傷付けるためだけに使うのかい?」
リティルと対峙していたのは、ゾナだった。ゾナは二メートルくらいある杖を、リティルに突きつけていた。
「目なら……覚めてるよ!ゾナ!ぶっ殺す!」
リティルが地を蹴った。頭上高くからゾナに襲いかかる。ゾナは何事か小さくつぶやくと、杖を立てた。バキンッと音を立て、ゾナの張ったシールドとリティルの剣が鬩ぎ合った。白い雷がシールドと剣との間に生まれ始めた。リティルの言い放った言葉の通り、彼の攻撃は容赦がなかった。リティルを、シールド越しに見上げるゾナの紫の瞳が、鋭く冷える。
「っ!」
シェラは思わず目をそむけた。命をやり取りするような生々しいぶつかり合いに、気圧されていた。
「ログ」
白い閃光が走ったかと思うと、リティルの体はまともに雷に貫かれていた。数メートルは飛ばされただろうか、リティルは、受け身も取れずに背中から砂の上に落ちた。
「うっ……く──そ……!」
雷に貫かれた体は痺れて、指一本動かせなかった。そんなリティルの上に、ゾナの影が落ちる。
「いつまで、痛みを欲しているつもりなのかね?」
「人を、変態みたいに、言うんじゃ、ねー、よ」
ゾナの瞳は、困ったように微笑んでいた。その瞳がふと、鋭くなる。どうやら、誰かから連絡が入ったようだ。
耳をすませていたゾナの瞳が、すっとリティルに合わさった。
「リティル、今から任務に行ってもらおう」
「はあ?おま、鬼、だ、ろ?」
「ある村が襲われ、壊滅したようだ。君には、生存者の救出に行ってもらう。一人で行きたまえ」
ゾナはリティルを助け起こすと、治癒魔法をかけた。一人でと聞いて、リティルに動揺が走るのをシェラは見た。
「君が傷付ける心配のある相手はいないのでね。生存者がいるとするならば、おそらく子どもだ。今回は、君一人でやってみたまえ」
「……わかった」
ゾナの瞳が突き放すように鋭かった。対するリティルは、とても不安そうだった。
気がつくと、シェラは どこかの森に立っていた。
視線の先は開けているようだった。
「!」
足を進めたシェラは立ち竦む。
目の前の家々は焼け焦げて、黒い煙を上げていた。そして所々に、人のような黒い固まりが転がっている。酷い匂いで、吐きそうだ。
ガサッと音がして、シェラはビクッと身を竦ませた。振り返るとリティルがいた。この惨状を目の当たりにして、愕然としていた。突然リティルが蹌踉めいた。
「あ──くそ!」
目眩を堪えるように首を振ると、前を見据えて走り出した。シェラは後を追いかける。
「っ!う──」
リティルは具合が悪いようだ。再び蹌踉めく。しかし、また立ち上がった。目の前に、一際大きな家の残骸が姿を現した。リティルは、焼け落ちた玄関前の階段を飛び越えると、中に入る。そして、ずれたカーペットの下の床に隠し階段を見つけた。
「おい!大丈夫か?」
ハシゴを使わずに飛び降りたリティルを追って、シェラは中を覗き込んだ。下には、扉があった。
「誰?」
警戒した声がその扉の向こうから聞こえた。聞き覚えのある声だった。
「オレはリティル。カルティアのゾナの命令で来た」
「リティル……?本当に?」
「ああ。開けてもいいか?」
リティルが扉を慎重に開くと、そこに立っていたのは現在よりも幼いディコだった。
「よくがんばったな。もう大丈夫だ」
リティルはディコを抱き上げ、軽く踏み切って跳びだしてきた。
「おい、目を閉じてろよ?絶対に開けるなよ?」
リティルはディコにそう言うと、ギュッと抱きしめて走り出した。ディコに、村の惨状を見せないようにしようとしたのだ。
また場面が変わった。
ここはカルティアの客室のある廊下のようだ。リティルが、ある部屋の前で立ち尽くしていた。どうやら、中に入ることを躊躇っているようだ。シェラの知っているリティルからは考えられないほど、自信のない瞳をしていた。リティルは深呼吸をすると、やっと部屋に入った。
部屋には、ディコがベッドの上に体を起こして、ボンヤリしていた。その目には色はなく、酷く沈んでいた。
「あ……リティル……」
ディコは感情の無い声で、なんとか反応した。それを見たリティルの瞳が、一瞬痛そうに歪んだ。しかしすぐに、少し大げさに明るくなる。
「なあ、おまえ、魔導士なんだってな?」
「え?うん……」
「名前、なんて言うんだ?」
「……ディコ」
「ディコか。なあ、ディコ、オレの相棒になってくれねーか?」
「え?」
「オレは影ってカルティア王直属の組織にいるんだ。なあ、オレと一緒にいろよ。ここにいるより楽しいぜ?」
な?と顔を覗き込んで笑うリティルに、現在が重なる。リティルは、すべてを失ったディコを引き受けた。それは、かつてドルガーがリティルにしたことだった。
「うん。ボク、リティルといる……」
ディコの瞳にはまだ色はなかった。色のない瞳が不意に決壊して、ディコはワッと泣き出した。リティルはディコを抱きしめて、そっとその頭を撫でた。
「大丈夫だ。心配いらねーよ」
──大丈夫だ。心配いらねーよ。
シェラもリティルからこの言葉を貰っていた。
リティルのこの口癖に安心してしまうのは、彼が本気でそう思い、安心できるようにしようとしてくれるからだ。
シェラは目を開いた。
吹雪に軋む窓と、暖炉の火の爆ぜる音が耳に届く。リティルの記憶の中から、戻ってきたのだ。記憶を無断で見たことを、リティルが知ったら怒るだろうか。困ったように、笑うのだろうか。
カルティア城の玉座の間で、エスタは柱の間から街を見下ろしていた。日が暮れつつあり、そこかしこに虹色の光が輝いていた。
「よお!大親父!生きてるか?」
バサバサッと音を立てて、リティルはエスタの前に舞い降りた。
「おお、リティルか。顔を見せず心配しておったが、元気そうだな」
「ハハ、なんだかんだで、風の王になったぜ?」
「うむ、自分自身を取り戻せたようで、何よりだ。して、何用かな?」
「大親父、千里の鏡って知ってるか?」
「千里の……クエイサラー王家に伝わる鏡だな。曰く付きの品だが、それがどうした?」
「曰くって、どんな曰くなんだ?」
「千里の鏡は、花の姫になる前の姫が覗いてはいけないのだ。わしも知ったのは最近だが、リア王から書簡が届いてな」
エスタは王の執務室へリティルを促した。
「読んでみよ」
「いいのかよ?」
「おぬしも王だ。対等だろう?」
「ハハ、変な感じだな。……十年前……誕生日……大親父、これ!」
手紙には、十年前、シェラの九歳の誕生日の日に、彼女が千里の鏡を覗いてしまい、闇の王に見つかってしまったことが書かれていた。
「ビザマの所業の数々は、アクア姫のことが発端のようだ。しかし、クエイサラーで闇の王が原因で、姫が急死したことなどなかったはずだが」
「過去の姫達は、シェラほど強くなかったんじゃねーか?魔導具は、一定以上の魔力がねーと反応すらしねーんだよ。九年前、オレがビザマに風の王の力を奪われる数時間前、シェラは闇の王に乗っ取られかけたのか」
「覚えておるぞ。アクア姫の十歳の誕生日に招かれた後、カルティアに帰る途中で、王妃が亡くなったと知らせを受けたのだ。クエイサラーでこんなことが起こっていようとはな」
「十九歳の誕生日で母親の守りが切れる……リア王は、シェラの為に時間稼ぎのつもりであの呪いをかけたのか」
シェラが精霊になったとき、風の王がそばにいなければ、闇の王の魔の手がシェラを捕らえてしまうかもしれない。シェラを精霊にしないために、リア王は簡単には解けないように、深くへ呪いをかけたのだろう。それにしても、恐ろしく深かったが。
「その呪い、おぬしが解いたと聞いたが?」
「それ聞くか?ああ、解いたさ。オレが解いたんだよ、あれは!」
「知っていたら、解かなかったと言いたそうだな?」
「……いや、結局解く羽目になってたな。しっかし、シェラの親父も思いきるよな。オレとシェラがそういう仲になってなかったら、解けなかったぜ?どんだけ深いんだよ?ってところにあったんだからな」
「父親のエゴか?それにしても、そうかそうか、リティル、アクア姫と」
感無量と言いたげなエスタの様子に、リティルは居心地が悪くなった。
「やましいことはしてないぜ?なあ、大親父、この手紙持っていってもいいか?シェードに見せたいんだ。あいつ、親父を誤解したままだからな。このままじゃ、親父が可哀相だろ?」
「構わん。王子もよく姫を守った。ゾナが出し抜かれたと言って、唸っていたものだ」
「しっかりしろよな!オレ達が神樹の森にいなかったら、やばかったぜ?それとも、ビザマはオレ達のこと知ってて襲わせたのか?」
「すべてが計画通りならあるかもしれんな。あのビザマのことだ。監視の一つもつけていよう。なんだ?心当たりがありそうだな?」
「ああ、たぶんな。インサーリーズ、おまえだよな?」
リティルの呼びかけで、インサーリーズはその姿を現した。
『いつ、咎められるかと思っておりました』
「べつに怒ってねーよ。クエイサラーは今、どうなってるんだよ?行ってきたんだろ?」
『依然氷に閉ざされております。あの氷がある限り、闇の王はシェラを見つけられません。しかし、あの氷はリア王の命そのもの。もうあまり時間がありません』
「それで、ビザマはシェラを連れていったのか。オレと闇の王を闘わせるためにな。そんなことしなくても、行ってやるってのに」
『約束の期日まで時間がありますが、どうなさいますか?』
リア王の命は気になるが、リティルが行っても救う手立てがない。ならば、ルセーユにいるあいつに助けてもらうかと、リティルは冷静だった。
「とりあえず、ルセーユに帰るぜ。みんながいれば、リア王くらい助けられるかもしれねーしな。なんだよ、意外かよ?」
「意外や意外。おぬしが突っ走らないとは」
「ハハ、しっかり釘刺されてるんだよ。じゃあな、大親父、全部終わったらまた来るよ」
リティルは、明るい笑顔を浮かべていた。
「うむ。しっかりやるのだぞ、リティル」
リティルは執務室の窓を開けると、そこから外へ飛び出していった。その背中を見送って、エスタは机の引き出しから一枚の写真を取りだした。そこには、ドルガーとゾナの間で笑う、幼いリティルが写っていた。
「ドルガー、リティルはもうわしの手の届かないところへ行ってしまったよ。寂しいものだな……。あとは、無事に帰ってくることを祈るばかりだ」
カルティアからルセーユに向けて飛ぶ中、インサーリーズは、リティルの翼に戻らずに付き従っていた。
「インサー、言いたいことがあるなら、聞くぜ?」
『リティル様……ここでの仕事が片付きましたら、私を滅してください』
「ああ?そんなことしねーよ。もう、だいたいわかってるんだぜ?インに記憶がねーからな、全部オレの憶測だけどな。ビザマに入れ知恵して焚き付けたのは、イン、おまえだろ?インサーはシェラに取り憑いてたよな?おまえに命令できるのは、インとオレだけだ。インの命令でシェラに、それとビザマと繋がってたんだろ?ビザマの強行は、クエイサラー王妃の死が切っ掛けだった。ビザマはその瞬間に立ち会って、もしかすると王妃の死に関係してるんじゃねーのか?オレは九年前、まだ未熟だった。封印球の外に出られる状態じゃなかったからな。インサー、おまえの身立てはどうだったんだよ?」
『本来ならば、シェラの娘の時代に目覚めたかと』
「それじゃ、シェラは闇の王に取り殺されるしかねーよな。あいつが言ってた、我が儘って、シェラのことだったんだな。イン、知ったからって恨んだりしねーよ。むしろ、ありがとな。オレはシェラに会ってるんだ。十年前のあの日、オレはシェラの声に、最初の恋をした。って、今まで忘れてたけどな!」
思い出せば、シェラとリティルは同じ誕生日だった。あの後、ビザマにしつこくシェラの事を聞いた記憶がある。今思えば、恥ずかしい。シェラはどうなのだろうか。あの日のことを、覚えていたりするのだろうか。
『リティル様……シェラが余所余所しくても、凹まないでくださいね』
インサーリーズが控えめに、何かを仄めかして声をかけてきた。
「ビザマの奴、何か吹き込んだのかよ?暴露されて困ることが多すぎて、洒落にならねーよ」
『いえ、見たかと』
「見たって、何を?」
『十四才は大荒れでしたね』
「はあ?十四って……あー、ディコにも言えねー真っ黒時代じゃねーか!見たのか?インサー、確かな情報なのかよ?」
『おそらく。あなた様の記憶に潜ったシェラが、見ないとは思えません』
ドルガーを失ったリティルは、その前後で性格がガラリと違っていたという。
高熱を出した後、リティルは風の王の事も、ルセーユのことも、何もかもを失っていた。
ゾナは当初、ドルガーを殺した犯人──ビザマに何かをされたのかと思ったらしい。それくらい、リティルは変わってしまっていた。なくした本人は、その変化にまったく気がついてはいなかった。十四才の時、自分自身を完全に見失っていたリティルは、荒れに荒れ、ドルガーの死後、相棒を務めてくれていたステイルが、音を上げるくらいだった。それから、ゾナがずっとそばにいてくれた。ゾナとは喧嘩が絶えずに、彼には苦労をかけたと頭が上がらない。
十五才の時、ディコに出会った。当時六才のディコの、色のない瞳を見たとき、リティルの心に忘れていた風が吹いた。そろそろ目を覚ませと言われた気がした。そして、その意味が解った気がした。
──誰よりも強く、誰よりも優しくなってね
誰かの声が甦った。泣いているディコを抱きしめたとき、守らなければと強く思った。ディコだけではなく、失ってしまった記憶の中の何かも。まだ、間に合うのかわからなかった。ただ、捜さなければいけない気がした。
「イン、インサー、これから言うことは誰にも言わないでくれ。オレはビザマを憎めない。親父を殺されたとき、オレはたぶん、犯人が誰なのかわかったんだ。だから、記憶を捨てた。怒りと哀しみが、ないわけじゃないんだ。けど、それ以上にあいつを信じてたんだ。憎みたくなくて、でも怒りがあって、十三才のオレは、その反する心に耐えられなかった。何を守るためだったんだろうな?ただ、逃げたかっただけかもしれねーな。ディコに出会うまでの二年間、ゾナが矢面に立ってくれなかったら、オレは誰かの命を奪ってたかもしれない。ゾナに、何度も半殺しの刑にされてるんだぜ?目を覚ませって何度も言われた。起きてるよって思ってた。意味がわからなくて、苦しかったな。ビザマを思いだした今、あいつをやっぱり憎めない。あいつの手が汚れたことが、哀しいんだ。やり直しのきかねーことをさせたことが、悔しいんだ。どんな理由があっても、許すことはできねーよ。でも、憎めないんだ。こんな気持ち、ディコやニーナに申し訳ねーよな」
今は、恐ろしい瞳でしかこちらを見てくれないビザマが、息子に向ける様な、優しい眼差しで笑ってくれていたその顔を、リティルはもう忘れない。未来を作ってくれようとした彼を、どうすれば恨めるというのか、リティルにはわからなかった。
『リティル様……』
「イン、ビザマはオレに引導を渡してほしいんだよな?わかってるけど、その相手、ニーナに任せてもいいと思うか?」
『ニーナか。父と話す、最後の機会になる。そなたが戦いを避けても、ビザマは清算するだろう。風の王は命の行く末を見守る者。その選択は、風の王らしいといえる』
「帰ったら、話さねーとな」
リティルはその後は無言で、ルセーユまで飛んだ。その背中を、インサーリーズは何も言わずに追った。
リティルが楽園に着いたのは、もう真夜中だった。今から皆を叩き起こすワケにもいかず、リティルは今夜は部屋に戻ることにした。ふと、中庭を見ると東屋に誰かがいる。
「待ってたのかよ?ゾナ」
彼のお伽噺のような出で立ちは、ここ魔導士の郷でも浮いていた。しかし、どこにいるのかすぐにわかる。
「待つことが仕事なのでね」
思えばゾナはいつも待っていた。ディコを相棒にしてから、リティルは単独での任務も任されるようになった。その時は必ず、完了の連絡を入れていても、ゾナはリティルを待っていた。信用されていないとずっと思っていたが、そうではなかったのかもしれない。
ゾナは立ち上がると、仕事は終わったとばかりに去ろうとする。
「待てよ。少しぐらい付き合えよ」
リティルが引き留めると、ゾナは意外そうな顔をした。無理もない。リティルはディコに出会ってから、ゾナを避けていたのだから。
ステイルの後任としてゾナがリティルを引き受けたとき、いろいろな不満が組織内に湧き上がったことを知っている。ゾナはエスタの右腕で組織の頭だ。それが、年端もいかない子供の、しかも最下層の者の相棒として、共に行動するなどありえないことだ。手厚い特別待遇に、エスタの隠し子なのではと囁かれたり、リティルに根も葉もないことを言ってきた者もいた。しかし組織の混乱は短期間で収束する。ゾナの圧倒的な力と、カリスマのなせる技だった。
炎のカルティアを、影から支配する番人と言われていたゾナ。風の王であることをなくしたリティルは、ゾナがどうして自分に構うのかわからなかった。わからなかったが、迷惑をかけていることだけはわかっていた。ディコを引き受けて、自分の力をコントロールできるようになってからは、ゾナから極力離れようと戒めたのだ。
落ちるところまで落ちても、ゾナが守ってくれていることを知っていた。口数少なく、小難しくて何を言っているのか理解できなくても、心配してくれていることを知っていた。
ゾナはたぶん、嫌われていると思っている。あまりにも感情をぶつけすぎていたリティルは、今更なんと言えばいいのか言葉をみつけられずにいた。
「ディコのことかね?目覚めて、君がいないことに多少取り乱したが、皆が宥めていたよ」
「あいつ、ついてくるつもりだよな?」
「明日も朝から、修業に付き合わされるのだよ。ビザマに手も足も出なかったことが、相当に悔しかったようだね」
「そんなに差があるのかよ?」
「魔力を抜かれたのだよ。戦いにすらなっていない。魔導士を殺さずに無力化するには、最善の手だね」
魔導士にとってはかなりの屈辱だと、ゾナは言った。そうかと、リティルは短く応じた。
隣に立つと、ゾナはスラリと背が高い。帽子も入れると、二メートルにもなる。楽園に来て、エフラの民を見たとき、ゾナがエフラの民を意識していることがわかった。エフラの民の平均身長は二メートルだ。カルティアという人間の国にいるために、エフラの民だった作者はゾナを人間に合わせたのだろう。
ずっと昔から、リティルが目覚めることを待っていた。待っていてくれた人に、リティルはずいぶん甘えてしまった。
「……悪かったよ。オレが忘れたせいで、おまえに散々暴言吐いたよな」
「いつの話をしているのかと思えば……その度に半殺しにした。チャラだと思うがね」
ゾナはフッと微笑んだ。それには、リティルは苦笑するしかない。
「おまえ容赦なかったからな」
「あの頃の君は、必死に何かを押さえ込んでいた。オレが放っておいても、傷付けるのは自分だけで、他人を巻き込むことはなかったと思うがね」
という割には、常に三人の影に監視されていたような気がする。そのおかげで、組織以外の者に暴力を振るわずにすんだ。
「傷付けてたよ。おまえを、さんざん傷付けたじゃねーか!全部、オレが悪いのに」
「悪い?君の何が悪いのかね?ただの反抗期ではないか」
「あれを、そんなモノで片付けるのかよ?」
思い返せば、オレはなんてことを!と、土下座したいくらいだ。しかし、ゾナは、そんなこともあったと、懐かしそうに穏やかに、笑っていた。
「リティル、君の剣がオレに届いた事はなかったではないか。あまりに突っかかってくるから、たまに鬱陶しいと思ったがね」
ゾナはさも当然のように平然としていた。
「……まだまだ、おまえには並べねーな。なあゾナ、力を貸してくれねーか?」
「珍しいこともあるものだ。君がオレを頼るとはね。言ってみたまえ」
「リア王を助けてーんだ。おまえの力で、リア王の肩代わりができねーか?リア王の氷が溶けたら、シェラは闇の王に乗っ取られるかもしれねーんだ。だから、氷を溶かすわけにはいかねーんだ。でもな、それじゃあリア王が死ぬかもしれねーんだよ」
「ふむ。オレは炎の方が得意なのだがね……リア王から拝借すれば、何とかなるだろう。任せたまえ」
「ゾナ、ありがとな」
「リティル、さっきから気持ちが悪いが、変なモノでも食べたのかね?」
「ハハ、そう言うなよな。これでもずっと、感謝してたんだぜ?おまえぐらいしか、オレをボコボコにしてくれなかったからな」
笑ってしまうくらいに、本当に圧倒的だった。勝敗をわかっているのに、リティルは自分の力と感情を持て余して、ゾナに突っかかった。彼にはため息をつかれ「マゾなのかね?」と、真顔で言われたこともあった。
「オレは、君を鍛え導くために作られた魔導書だ。感謝されるようなことは、した覚えがないがね」
「素直じゃねーな」
「やけに絡むが、酔っているのかね?」
「おまえなあ」
「リティル、今の君を、オレは誇れる。潔いことは美徳だが、図太くありたまえ。恐れを正しく抱きたまえよ」
「わかった。ちゃんと帰ってくるさ。そろそろ、信じてくれよな」
「オレはこれでも、とっくに君を認めているのだよ?十五代目風の王・リティル」
一瞬驚いた顔をして、リティルは嬉しそうに照れたように笑った。ゾナはリティルの肩に触れ、寂しそうに微笑んだ。
クエイサラーの吹雪は弱まってきていた。シェラは今が何日目かもわからずに、ベッドの上で過ごすしかなかった。ゲートを通してリティルにありったけの力を送ったために、歩くことさえままならない状態だ。軽率なことをしたと反省はしているものの、リティルに渡しておいたリボンが、彼の中に霊力を留めておいてくれているだろう。
「お父様……」
シェラはベッドからそっと降りてみた。カクンッと膝が折れたが、気合いを入れれば何とか立つことができた。扉は魔法で施錠されているだろうか。シェラは震える足で一歩一歩歩く。
このままリティルがくるのを待ち、彼にすべてを背負わせて闇の王と闘わせるしか、もう道は残っていないのだろうか。わたしの不注意で招いた事なのに……と、シェラはただ守られるだけの自分を歯痒く思った。
あと数歩というところで、扉が不意に開いた。
「あなたの行動は筒抜けだぞ?大人しくしていろ」
入ってきたサレナにシェラは抱き上げられ、ベッドに連れ戻された。
「ビザマ!このまま伝説に記された通り歩むしかないの?わたしにできることは、もうないの?すべてはわたしのせいなのに、なぜ、わたしは守られているの?」
「あなたの心など関係ないな。王も王子もリティルも皆、あなたを守りたいと思っているだけだ。その価値がないと?それこそ、関係ない」
そんなことかと、ビザマはシェラの訴えを鼻で笑った。
「わたしがあのときあなたの後をつけなければ、リティルに声をかけなければ、誰も傷つかずにすんだわ!」
「それではあなたは、リティルに出会えなかった。あの日の出会いを取るに足らないというのならば、諦められる想いなら、諦め、あなたの手で闇の王を討ったらどうだ?」
リティルに、ビザマに怒られると言われたシェラは、ビザマにリティルに会ったことを言わなかった。だが、シェラがリティルの事を話していたことを、死んだ王妃が教えてくれた。だからこそ、ビザマは賭けた。二人が同じ想いなら、超えられるかもしれないと夢を見た。
何も知らず、疑いもしないリティルを、インが本当は守りたいと思っていたことを、ビザマは知っていた。リティルが目覚めたら、インと共に、リティルが生き残る道を探そうと思っていた。ビザマはそばにいられなくなったしまったが、インが導いてくれると信じている。
リティルは大丈夫だ。問題があるとするならば、花の姫の方だろう。
「方法があるの?」
「闇の王の異空間へゲートを開き、そこから治癒の力を流し込めばいい。わかったら、霊力を最大限回復させることだ」
フイッとビザマは部屋を出て行った。
「わたしの手で、闇の王を……そんなことが、できるの?」
リティルよりも数倍多い霊力と腐敗を滅する力。精霊であるシェラにも、闇の王を消滅させることができる。今まで、闘う力がないからと、リティルしかできないと思っていたが、花の姫にも闇の王と闘うことができるのだと知った。
闇の王を倒すことができるのなら、リティルでなくてもいい。いいのだ。
シェラは喪に服すときに使う、黒のドレスに身を包んでいた。この動きにくいドレスを着るのは、いつぶりだろうか。自由を知った今、とても窮屈だ。
背後で扉が開く音がした。
「花の姫、選択したか?」
「ええ。闇の王の下へ、参ります」
迷いなく、シェラはビザマの手を取った。
リティル達は、七日目の朝約束通り開かれたゲートを潜って、クエイサラー城に潜入していた。
ゲートの先は玉座の間だった。数段の階段の上の玉座に、氷付けのリア王がいる。
「……息はまだある。リティル、ここは任せたまえ。あまりに静かだ。気を付けたまえよ」
駆け寄ったゾナはすぐさま持っていた魔導書を開き、リア王に向けて手をかざしながら呪文の詠唱を始めた。開かれた魔導書のページが白く輝き、独りでにページが繰れる。
「ゾナ、頼んだぜ!」
「リティル、こっちだ!」
シェードは玉座の裏に回ると、壁を探る。幼い日には見つけられなかった扉は、すぐに見つかった。
「開いた痕跡があるよ!それも、ちょっと前!」
解錠を始めたディコが言った。皆、シェラとビザマがこの奥にいることを確信する。
扉の開いた先は、思いの外開けていた。とても天井が高い。エズのような大型のドラゴンが悠々と舞えそうだ。
もとは天井があったのだろうが、抜け落ちて、分厚い氷を通してキラキラと日の光が射していた。何もない広間の奥の両側に、上へ上がる階段が左右についている。見上げると、巨大な円形の魔法陣の描かれた壁が、そそり立っていた。
「シェラ!」
シェラは階段を登った上の階に立っていた。見たこともない黒のドレスに身を包み、彼女らしからぬ冷たい瞳で、こちらを見下ろしていた。その傍らにはビザマとサレナが付き従っていた。
「ビザマ、サレナ、よろしくお願いします」
「待てよ!シェラ!」
踵を返すシェラを追おうとしたリティル達の前に、ウルフ族の二人が飛び降りて行く手を塞ぐ。剣狼・ティルフィングは待機を命じられているのか、ちょこんと座ったまま、石のように動かなかった。
「リティル、アクアは闇の王の下へ行くそうだ」
「おまえ、何か吹き込んだだろ?余計なことしやがって!」
斬りかかってきたビザマの剣を、リティルは両手の剣で受けた。
「アクアの意志だ。尊重してやれ」
「何が意志だよ!あいつが考えそうなことなんて、お見通しなんだよ!ニーナ!フツ!」
リティルの合図で、白い大きな狼とミストルティンに乗ったニーナが跳びだした。リティルは自身の周りに一瞬だけ竜巻を起こしてビザマを後退させると、天井近くまで一気に舞い上がった。
『そちの相手はわらわじゃぞ?』
リティルを追っていたサレナは、空中へ跳びだしたフツノミタマに遮られる。
「インサーリーズ!ディコ!」
シェラはすでに、壁の魔法陣に向かってゲートを開いていた。楽園で見た闇の王の腕とは比較にならないくらい巨大な菌糸の固まりが、シェラに迫っていた。応戦するシェラは徐々に押し切られていた。無理もない。シェラは闘ったことがないのだから。力の配分が分かっていないのだ。
インサーリーズはディコを拾い上げると上段まで飛ぶ。
「ファラミュール超特大!リティル、お姉ちゃんを!」
闇の王の腕が焼き落とされ、壁の魔法陣が燃え上がる。リティルはその隙に、シェラを天井付近まで攫い上げていた。
「いや!放して!」
シェラはリティルの胸を突き飛ばして、その手を逃れた。
「すべて、わたしの招いたことだったの。十年前、わたしが千里の鏡を覗いたせいで、あなたは、みんなは!辛い思いを……」
「シェラ、一つ聞かせてくれねーか?」
自分の行いを正当化しようとしたシェラの言葉を、リティルは低く冷たく遮った。
リティルの瞳がいつもよりも鋭かった。記憶の中の十四才のリティルが、その瞳と重なるようでシェラは口を噤んだ。
「オレの事、今はどう思ってるんだ?」
「え?リティル、何を?」
シェラはこの状況にそぐわない質問に戸惑った。
「答えろよ!」
なぜ今更?リティルは知っているはずなのに、離れている間に心変わりしたと思われているのだろうか?シェラは混乱しながら、何やら怒りが込み上げてきた。
「わたしの心は決まっているわ!あなたが好きよ!何を見ても、何を見せられても、嫌いになどなれないわ!」
力の限り叫んだシェラの体を、知っている温もりが一瞬で包む。
「オレが闘う理由なんて、その想いだけで十分なんだぜ?ありがとな、シェラ。君に好きだって言ってもらえるなら、予定より早く目覚めてよかったぜ!」
こんな状況なのに、ギュッと抱きしめるリティルの声ははしゃいでいた。
「狡い……そんな風に言われてしまったら、逆らえないわ」
「ハハ、嘘じゃねーよ。シェラ、君がいるから戦えるんだぜ?オレを守ってくれるんだろ?君は君の戦いをしてくれよ。闇の王は、オレの獲物だぜ?」
な?と言って、リティルはいつものように力強く笑った。この笑顔を見てしまったら、もう諦めるしかない。
「必ず守るわ」
シェラはそっとリティルを押してその腕から逃れた。そして、闇の王に向かって弓を引く仕草をする。現れた白い光の粒でできた弓から、シェラは矢を放った。
「飛んで、リティル!」
再び暗い紫の穴から生えてきた闇の王の腕を、シェラの放った矢が切り裂く。切り裂かれた菌糸の固まりが浄化され、その後に草花が茂る。その道を通り、リティルは異空間へ侵入した。
シェラは舞い降りると、祈りの形を取った。大丈夫、リティルを間近に感じる。
「お姉ちゃん!大丈夫?」
ディコがシェラの右隣で竜の鏡を石の壁に向けた。
「やれやれ、すべて終わったらリティルに怒られろ、シェラ」
シェラの左隣で、シェードが竜の剣を構えた。
「なかなかいい告白だったんじゃないかい?シェード、許してやりな」
シェラの後ろで、ステイルが竜の玉を掲げた。
「からかわないで、ステイル。みんな、ごめんなさい……反省しているわ」
シュンとするシェラの体に、三人はそっと触れて笑った。
四人を守るように、二羽の風の鳥が翼を広げ、巨大な姿で立ちはだかった。
階下で、戯れるように剣を交える親子も、リティルが闇の王の下へ向かったことがわかった。
「リティルが行ったようじゃが、予定通りかのう?」
「さて、何のことだ?」
「父上、守りたいモノは守れそうかのう?」
「ニーナ!オレを父と呼ぶな!」
ビザマの振り抜いた剣を、ミストルティンは大きく後ろに跳んで避けた。
「どんなに憎らしくとも、あなたはわらわの父親じゃ!ファラミュール!」
炎の玉がニーナの周りにいくつも出現する。それをバラバラに飛ばしながら、ニーナは再び切り結んだ。
「両親のことなど、何も覚えておらぬ。何の感情も抱けぬ!兄のようなリティルが託さなければ、あなたと剣など交えぬわ!」
ニーナの横に薙いだ剣の斬撃に、ビザマは押されて飛び退いた。
「リティルが帰ってこなかったら父上、わらわがあなたに引導をわたしてやろうぞ」
勇ましいニーナの姿に、ビザマは思わず笑みを漏らしていた。我が儘のために、一人にしなければならなかったニーナのことを、ビザマは忘れたことはなかった。本当は、一人残すことが忍びなく、一度は命を奪おうとした。しかしできなかった。こんな形で向かい合わなければならないことは、本意ではなかった。
「ニーナ、心配しなくともリティルは帰ってくる。大丈夫、オレが連れ戻すからだ!」
腐敗の波動が迸るのを感じた。どうやら、リティルの力でも、闇の王を浄化することは難しいらしい。
ビザマはティルフィングに跨がると、階上へ跳ぶ。そのあとを、サレナが追った。
残されたニーナは呆然と、ビザマの言葉を反芻していた。なぜ、リティルを散々傷付けたビザマが、リティルの為とも取れる言葉を吐き、彼の下へ行くというのだろうか。
──例えば、守るため
以前、ゾナがつぶやいた言葉がここで甦った。
ビザマの守りたいモノは、リティルだったと?そのために、数々の血を流したと?それはあまりに、自分勝手ではないだろうか。
『ニーナ、闇の王は手強いようじゃ。リティルの命が揺らめくのを感じるぞよ』
「嘘じゃ!リティルが負けるなど、嘘じゃ!」
取り乱すニーナを追って、フツノミタマも階上へ跳んだ。
「あっ──!」
シェラは右腕に痛みを感じてとっさに腕を押さえていた。鋭い刃物で切られたように、傷ついた腕から血が流れた。リティルとゲートで繋がっているために、彼の受けた苦痛が形となってシェラの体に跳ね返り始めたのだ。
「シェラ?」
「大丈夫。きゃあ!」
何か大きな衝撃に突き飛ばされた。弾みでバランスを崩して後ろに倒れそうになったシェラを、ステイルが受け止めた。
「ダメ……!ダメよリティル!」
シェラに苦痛が及び始めたことに気がついたのだろう。リティルは一方的にゲートを閉じようとしていた。彼らしいが、これでは約束が違う。
「アクア!これしきで取り乱すな。意識を集中しろ!リティルに負ければ終わりだぞ!」
シェラの頭に乱暴に手を置いて叱責したのは、ビザマだった。
「アクアを信じろ、リティル!戻ると、誓ったのだろう!」
「ビザマ!ダメよーー!」
シェラはサレナに抱えられ、ゲートへ突入するビザマに悲痛に叫んだ。リティルでさえ苦痛に耐えかねているのに、何の守りもないビザマが生きて帰れる保証など万に一つもなかった。
「うう……リティル……!誰にも、負けるわけにはいかないのよ!」
シェラは両手を胸の前で組むと、意識を集中し弾こうとする意志を弾き返す。
「大人しく、わたしに守られなさい!お願い!リティル!」
無数の光の粒が、シェラの体を淡く輝かせる。それに呼応するように、二羽の風の鳥が咆哮を上げ雄々しく翼を広げた。
異空間の中は、息も吸えないほどに腐敗が充満していた。
「これ、結構きついぜ。よくレルディードは耐えたよな」
闇の王の本体は、大きな腐敗の球体だ。それへ、神樹の槍を突き立てただただ耐える。どちらの力が大きいのか、これは我慢比べだった。
「くっ!」
リティルの右腕がボロボロと崩れ去る。超回復能力がまるで追いつかない。ふわりと優しい力がなくした腕を再生させた。こんなペースでシェラの力を使っていては、すぐに尽きてしまう。ゲートで繋がっているシェラに、さっきの傷は何かしらの影響を及ぼしただろうと、リティルの脳裏に血を流すシェラの幻が浮かんでしまった。
「リティル、ナーガニアの送る魔力の一部を体へ巡らせろ!」
「イン!そういわれても、どうやるんだよ?」
インの姿がリティルの正面に現れた。ナーガニアの魔力を使って具現化したようだった。腐敗の影響を受け、彼の美しい髪が一房、切れて落ちる。
「戻れよ、イン!」
それを見たリティルの瞳が、失う恐れに見開かれて揺れた。インは、背後に出るべきだったと後悔した。こんなに他人に優しくて、これから風の王が務まるのだろうかと、インは手を放さなければならないことに、不安を感じた。けれども、超えてもらわなくてはならない。ずっと、そばにいることはできないのだから。
「我を惜しむな!リティル、目を開け!意識をここへ。我が導く」
インの大きな手が槍を握るリティルの手に重なった。体温を感じる。そばにいるのに触れることのできないインが、今目の前に肉体を持って存在していた。その手の温もりに、リティルは平常心を取り戻した。そして、素直にインの導きに従う。
「そうだ。少しはマシになっただろう?」
ナーガニアの魔力が巡るのを感じる。体の一部をなくすほどの影響がなくなる。
「リティル!アクアを拒むな!おまえは帰る気があるのか!」
ゴンッとリティルは後頭部を殴られた。
「痛って!はあ?ビザマ?何してるんだよ!出ろよ!死ぬぜ?」
「おまえから風の王の力を抜き取ったとき、捨てた命だ!気にするな」
インと並んで、ビザマがリティルの手に両手を重ねた。とたんに、体が楽になる。インとビザマがリティルの背負う苦痛を、いくらか引き受けてくれたのだ。
「気にするよ!勝手に捨ててんじゃねーよ!なんなんだよ、おまえら!このやろおおおおおおおおお!」
リティルの翼が眩く輝く。そして、辺りに輝きを湛えたままの羽根が無数に舞った。インとビザマの体の崩壊が止まった。ナーガニアの魔力とシェラの霊力を混ぜ合わせて、放出し腐敗の力を中和した空間を作ったのだ。リティルは、インについさっき教えられた力の操り方を、すぐに自分のモノにしていた。
「リティル、がんばって!帰らなくちゃダメよ?」
リティルの槍を握る手に、背後から細く優しい手が重なった。
「サレナ!どうして?」
「ずっと見ていたのよ?インサーリーズはおサボりさんね」
「よくわかんねーが、そういうことか?」
金色の風が渦巻いて、懐かしい声と共にフォルクの男が姿を現した。
「親父まで?どうなってるんだよ。現実なのかよ、オレ実は死んでるんじゃねーのか?」
「死んでないわよ!」「気をしっかり持て」「ちゃんと集中しろ!」「オラ、気張れ!」
「だあああ!うるせー!一度にしゃべるなよな。親父ィズとサレナの気持ちはよくわかったから──」
「「「一括りにするな!」」」
「うん。ばっちり一括りだぜ?このまま長引くと、ゾナまで来そうだな。イン、闇の王はインスレイズの羽根を取り込んだんだったよな?」
闇の王の腐敗の体はかなり大きい。このまま真面目に浄化させていては、埒があかなかった。何か打開策を考えなければ、押し切られて負けてしまう。
「そうだ。羽根を無力化するか、核を殺せば闇の王は消える」
「核?」
「羽根の力を引き出した何かだ。その意志が、この腐敗の固まりを作っている」
「核はわからねーけど、羽根はこの真下だ。ナーガニアのフルパワーで穴が開けば、オレとインで何とかできるな。やっていいか?」
皆は一斉に頷いた。妙な気分だ。絶対に触れ合えない者とこうして、触れている現実に、リティルはもう少しここにいたいような気分になってしまう。手を取り合えたかもしれない人達が、リティルにとって大切な人達が今、一つでいることが切なくてくすぐったい。
リティルがこの時代に目覚めることができていたなら、そんな今があったのだろうかと思いそうになって、小さく首を横に振った。もしもを考え始めればキリがない。
世界は誰かの思いが重なってできている。どんな選択をしても、哀しみも後悔もないことは、ありえない。受け取りたくなくても、思いを受け取って生きていくしかないのだ。
「ぶちかませ!リティル」
「ああ!ナーガニア、ありったけの魔力を送ってくれ!」
ドンッと白い光が落ちて、衝撃で腐敗が吹き飛んだ。リティルとインは光の先へ落ちるように飛んだ。暗い紫色の光に包まれた、金色に光り輝く羽根がそこにはあった。
赤子の泣き声がする。リティルの意識がその声に引きつけられた。
「リティル!」
羽根ではない何かを、リティルは抱きしめていた。
──泣くなよ……もう、大丈夫だ
グラリと、視界が揺れた。倒れると言っていいのか、傾いたその背を大きな温もりが包んでくれた。真っ暗で瘴気の充満していた空間はリティルの金色の風に満たされ、朝靄を朝日が照らしているかのように輝いていた。
「最後まで、世話の焼ける息子だ」
腕の中のリティルを見下ろして、インは困ったように、ホッとしたように呟いた。