表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/26

8.コール

 少女は記憶をなくしたとはいえ、全ての出来事を忘れているわけではなかった。


 名前とか、自分のことは全く分からないみたいだったが、普通に会話するには支障はない。


 たとえば、地面から生えている、緑頭の背高のっぽが木であることは知っているし、足下の小さな赤い絨毯が、花畑だということも知っていた。


 それに寄ってくる、白い小さなヒラヒラ飛んでいるものが蝶という生き物だとも、分かるようだ。


 ただ、蝶が食べるものではない、ということは知らなかったらしく、ふん捕まえて口に入れようとしたのは、慌てて制止したが。


 というか、この子は僕が目を離すと、何でも口に入れようとする。落ち葉やら木の実やらキノコやら。危ないったらない。


 どうやら、お腹が空いているらしかった。僕は用意してきた非常食料を分けてあげた。包み紙ごと食べようとしたので、食べ方を教えてあげると、美味しそうに中身を頬張っていた。


「君さ、いつから記憶がないの? いつからこの森にいたの」


「……?」


 何気なく訪ねてみるが、相変わらず首を傾げている。


「それも分かんないか。君は……って、やっぱり名前がないと、不便だなぁ」


「なまえ……。ないです」


 女の子は、しゅんと落ち込んだ。


 ほかの記憶は、覚えていなくても特に何も感じない様子だったが、なぜか名前だけは、分からないことに罪悪感でも持っている様子だった。


 名前に何か、深い思い入れでもあったのだろうか。


「なら、呼び名だけでも、つけていいかな?」


 僕がそう提案すると、彼女はぱっと顔を上げて、目を輝かせた。


「おなまえ、くれるでしか」


「いや、あげるなんて、そんな大それたもんじゃないけど。あだ名というか、呼び名みたいなものをさ。君が名前を思い出すまで、それで呼ばせてもらえればいいだけだし」


「あい」


 こっくりと頷いた。そして、期待に満ち溢れた表情で、僕をじっと見つめている。


 待っているのだと気付いた。僕が名前を付けるのを。


 まいった。


 言ってみたものの、あだ名なんて、急に思いつかない。


 その辺にいる動物とかだったら、特徴のあるものの名前とか簡単につけられるけれど。黒かったらクロとか、小さかったチビとか。


 あくまで人間だし、女の子だし、変な呼び方は嫌だろうしなぁ。


 悩む。彼女の視線がとてもプレッシャーになる。だんだん頭がパニックになってきた。


「えっと、じゃあ、その、〝コール〟でいいかな?」


「コール? ……どうしてコール?」


「どうしてと言われても。いや、その、大した理由はないんだけど……」


 言ってみたものの、これは結構気恥ずかしかった。


 できれば名前の由来は言いたくなかったが、彼女はそれを許してくれそうになかった。ものすごい大きな目を開いて、無言で問い詰めてくる。


「……コールって、僕が自分のファーメリーにつけようと思っていた名前なんだ」


 観念して説明した。


 女々しいと思われるかもしれないが、今までずうっとファーメリーを待ち続けていたくらいだ。そんな僕が、自分のファーメリーの名前を、用意していないわけがなかった。


「僕のところには、ファーメリーが来なくてさ。結局、使わずじまいになっちゃったから。少しの間でいいから、よかったら使ってやってよ」


「コール、コール……。コール!」


 彼女は、何度も何度もその名前を呼んで、自分の頭に刻みつけているようだった。その表情はものすごく嬉しそうで、こちらとしても、なんだか嬉しくなってくる。


 もし、僕のところにファーメリーが来ていたとして、その名前をつけてあげたら、こんな風に喜んでくれただろうか。


 目の前の少女と、空想の中のファーメリーを重ねて、僕は少しだけ、幸せな気分に浸っていた。


 しかし、そんな幸せも、束の間のでき事に過ぎなかった。


 * * *


「コール、コール、わったしっはコール♪」


「……」


 ようやく彼女の呼び名をコールと定め、再び森の向こう側を目指して歩き始めたわけだが。


 彼女は、楽しそうにスキップしながら、ずっと歌い続けている。


 自分で作詞作曲したのだろうその歌を、さも嬉しそうに、大声で歌いながら僕の横をついてくる。


 が、正直言って、一緒に歩いているのが恥ずかしいです。


 自分が付けた名前だから、尚更かもしれない。


 今は人っ子一人いない森の中だから、まだ我慢できるとしても、森を抜けて人通りのある街道に出てまで、この調子だったらどうしよう。


 目立つのは苦手だ。人の好奇の目にさらされるのも、奇妙なもの見るような視線を浴びるのも、きっと、僕には耐えられないだろう。


 あまり騒ぎすぎて、ジョーカーに見つかっても厄介だし。


 今のうちに、やめさせなければ。


「……あ、あのさ、コール」


 僕は足を止め、恐る恐る名前を呼んでみる。


「……!」


 するとコールも身体をぴたっと止め、驚いた表情で、こちらに首だけ向けた。


 直後、満面の笑みがコールの顔に咲いた。


「あい!」


 そして、元気いっぱいに返事した。


 僕は吐き出しかけていた言葉を完全に忘れて、怯んだ。


 何も言えずに突っ立っていると、コールは僕の目の前に人差し指を突き立ててきた。


「もいっかい」


「え?」


「もいっかい、お名前!」


「こ、コール?」


「あいっ! もいっかい!」


「……コール」


「あいいっ!」


 どうやら、名前を呼んでもらえたことが、すごく嬉しかったらしい。


 僕は指図されるがままに名前を呼んでいた。その度に、コールの元気よい声が返ってくる。


「コール……」


「あいいいいっ!」


 僕の声が小さくなるのと反比例して、コールの声はだんだんでかくなり、まるで小さな子供の悲鳴のようにも聞こえた。耳が痛い。


 というか、僕はいったい何をやっているんだ?


「……コール」


「声が小さいです、もいっかい!」


「もう、勘弁してください……」


 僕は頭を下げた。


 完全にコールのペースに飲み込まれた僕の敗北だ。


 コールは不満そうな顔をしていたが、ようやく諦めてくれたらしく、大人しくなった。


 なのですかさず、当初言うべきだった注意をする。


「頼むからさ、もう少し静かにしてよ。森の中は物騒だし、どこにジョーカーとかがいるか、分かんないんだから……」


 僕の言い分が不服だったらしく、彼女は口の中に空気を詰めて、頬を膨らませた。


「そんなに膨れなくても……。僕が悪いこと、してるみたいじゃないか」


 とはいえ、また勢いで、やっぱり歌っていいよ、なんて甘やかしたことは言わない。


 僕は自分の意志を断固貫き通した。


「とにかく、村に着くまで、あんまり騒がないでよ。分かった?」


「……」


 コールは、「はい」とも「いいえ」ともいわなかった。


 僕が無視して歩きだすと、しぶしぶ後を追いかけて、ついてきた。


 だが、しばらくすると、背後からあの歌声が。


「コール、コール、わったしっはコール♪」


「分かってない、絶対に分かってない……」


 コールの手強てごわさに、僕は完敗した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ