5.友の仇
とりあえず、元来た道を引き返し、僕は駆けた。
村に戻ろう。村の中までなら、奴は追ってこない。
だって、今まで一度も、村の中であんな化け物を見た記憶はないのだから。
万が一、押し入ってきても、村にはたくさん戦えるファーメリーがいる。姉さんだっている。
真っ向からぶつかれば、負けるのはあいつのほうだ。
そう考えながら、走り続けた。
しかし、その考えはすべて、甘かった。
[追いついたよ、うふふ]
音もなく、再び僕の真横に道化の顔が浮かび上がる。
僕は悲鳴を上げた。
足下の石に、躓いて倒れる。
逃がすまいと、奴は起きあがろうとする僕の頭を、押さえつけてきた。
「そんな、簡単に起きあがれるわけ……」
[ボク自身が、自分の弱点に気付いていないとでも思ったのかい? ねえ、どうしてボクが、自分の欠点をあからさまに分かる状態で放置しているのか、分かるかい?]
僕が答えられずにいると、ジョーカーの手下は不気味に笑った。
[そこを突いてきた相手に「やられた!」と見せかける。相手は油断する。その隙を狙うのさ。今のチミを、捕まえたようにね]
僕を馬鹿にして、笑い声はさらに大きくなる。
[それにしれも、ずいぶん思いきって押し倒してくれたね。背中が痛くてかなわんよ。チミのような元気のいい子は嫌いじゃないけれど、元気が良すぎるのは考えものだね。ジョーカーのところへ連れていって、お灸を据えてもらうのもいいけれど、おイタをする子は食べてしまうことにしようか]
ジョーカーの手下の口が、バックリと開く。
その口は、もはや標準サイズではない。顔が横一文字に開き、顔の両端まで口が裂けていた。
あの口の大きさなら、僕の頭なんて一飲みできそうだ。
口の中には、鋭い牙が規則正しく並んでいる。
食われる。
僕は硬直した。
「子供をジョーカーのところに連れて行くのが、お前の役目なんだろう? 食べちゃったら、ジョーカーに怒られるんじゃないのか?」
[なに、ばれなきゃいいのさ。それに、ジョーカーは何でも言うことを聞く、いい子をご所望だからね。チミではジョーカーのお眼鏡に適いそうにもない]
もう、僕の脅しにも、乗るつもりはなさそうだ。
――逃げられない。
恐怖が身体機能を停止させ、身体が言うことを聞かない。
目を閉じることさえ、できなかった。
ただ、目の前に迫りくる、巨大な赤い口を、見つめていることしか。
[ぎゃあああああ!!]
だが、僕がその口の中に吸い込まれることはなかった。
ジョーカーの手下が突然吹き飛び、再び地面に倒れた。
何が起こったのか分からない。なんとか身体を起こすと、目の前に二人の女性が立っていた。
「うちの弟に、手を出さないで!」
「ね、姉さん……」
一人は、姉さんだった。
珍しく本気で怒った顔で、倒れたジョーカーの手下を睨みつけている。
そして、もう一人。
白銀の、軽装の鎧を身に纏まとった、金髪碧眼の美女。
手には両刃の直剣を握りしめ、こちらに向けて、翳かざして構えていた。
ジョーカーを吹き飛ばしたのは、この剣だろう。
人間と同じ姿、大きさをしているが、その背中には薄い透明な、丸い羽が一対ある。
そう、彼女は姉さんのファーメリー、ソフィアだ。
ファーメリーは成長すると、人間と同じ大きさの姿を取ることが可能になる。その際には戦闘能力が著しく上昇し、主人である人間を守るための、強靱な戦士となる。
[うぐうっ! あと少しだったのに! いいさ、どうせボクに目を付けられた時点で、チミの運命は決まっているのさ。ジョーカーに食われるという運命にね]
ジョーカーの手下は、忌々しそうにソフィアを睨みつけた。そして、僕を見て笑った。
吹き飛ばされたダメージがかなり大きかったらしく、身体である板には、修復できなさそうな罅が刻まれていた。
ソフィアは、その牽制に臆することなく、切っ先をジョーカーの手下に突きつける。
[ボクがここでやられても、突然消滅したボクを怪しんで、仲間が様子を見に来るだろう。そうすれば、チミは見つかって、連れて行かれる。ジョーカーの餌食になるしかないのさ!]
ジョーカーの手下は狂ったように笑い叫ぶ。
「うるさい、さっさと消えろ」
ソフィアの、とどめの一撃。
剣を刺し、奴の身体を貫いた。
ジョーカーの手下は、断末魔の悲鳴をあげる。
その声もまた、笑い声だった。
[ヒャハハハハー!!]
そして、粉々に霧散して、風に流されていった。
「ディース、怪我はありませんか? あいつに、何もされなかったでしょうね?」
何もできずにヘたり込んでいた僕に、姉さんが駆け寄ってくる。
僕の無事を確かめて、安堵の息をついた。
「一人で村の外に出ては駄目でしょう? 奴らが、常に彷徨いながら、狙っているのですから」
姉さんの口から、ジョーカーたちについて情報を聞いたのは、初めてだ。
だから僕には、本で読んで知った知識しかなかった。どうしても気になる程でもなかったし、詳しく聞こうとはしなかった。
姉さんは僕が奴らについて知っているとは思わなかっただろうし、また、どうせ僕は外に出られないのだから、話す必要はないと思っていたのだろう。
だが、それもいい加減、危険だと感じたらしく、姉さんはジョーカーについて知りうることを語り始めた。
「ディース。あなたのファーメリーの命を奪ったのは、あのジョーカーの手下や、ジョーカーなのですよ」
その言葉に、僕は一瞬、固まった。
「ど、どういうこと?」
「あなたには酷だと思い、特に話そうとはしませんでした。でも、勉強熱心なあなたならば、ジョーカーがどういう存在か、ちゃんと知っているのでしょう?」
僕は、何の躊躇ためらいもなく頷いた。
早く、話の続きが聞きたい。そのための最短の返答をして、目で訴えた。
「ジョーカーは昔から人間と敵対した存在でした。ジョーカーは人間の子供を食べてしまうからです。しかし、ジョーカーと真っ向に戦える人間は、数が知れていました。だから大きな被害を防ぐために、人間はファーメリーと同盟を結んだのです。人間の子供は、単独での成長が困難だと言われているファーメリーの幼精を育てる。その代わりに、ファーメリーは人間の子供が大人になるまで守る、というものです」
そういった、ジョーカーと人間、そしてファーメリーが関わってきた大陸の歴史は、本で読んで何となく知っている。
僕は頷きながら、姉さんの話の中から、僕の知らない情報を読み取ろうと集中した。
「その同盟によって、ジョーカーの被害は減りました。ですが、食い扶持の減ってしまったジョーカーは、何とか食事にありつこうと、先手を打って来るようになりました。……ファーメリーが子供のところへ辿り着く前に、殺してしまうのです」
顔から、血の気が引いた。
話している姉さんの顔も、青褪あおざめている。
「一人の子供につき、派遣されるファーメリーは一体と決められています。つまり、早い段階でファーメリーを失った子供なら、ジョーカーたちは容易に襲うことができるのです。さっきのあなたみたいに」
「そ、んな……」
僕のファーメリーは、ジョーカーに殺された。
さっきの不気味な連中が、よってたかって、無抵抗なファーメリーを……。
僕の中に怒りが浮かんだ。
だがそれは長続きせず、絶望に変わった。さっきの手下は、ほんの下っ端の化け物だ。親玉はもっと強く狡猾で、恐ろしい。
僕の力では歯が立たない化け物に、何ができただろう。
姉さんが来なければ、僕だって、ファーメリーと同じ運命を辿っていたかも知れないのに。
「ギルバートを呼び寄せたのも、ファーメリーを失てしまったあなたが、ジョーカーに襲われないための、苦肉の策だったのです。あなたには酷だったかもしれません。でも、お父様やギルバートを責めないであげて。あなたがファーメリーの二の舞にならないように、そうするしかなかったの」
姉さんは申し訳なさそうな顔をした。姉さんが悪い訳じゃないのに。
気を遣わせていることに、とても自己嫌悪した。
「本当のことを話すのは、やはりまだ、時期が早すぎたかもしれません。でも、いつまでもファーメリーがやってくると信じて、待ち続けるあなたを見ているのは、心苦しくて。その期待が膨らめば膨らむほど、後の絶望も大きくなるのではと……」
姉さんは後悔している様子だが、僕は話して貰えて良かったと思っている。
真実を知ったお陰で、僕は考えを修正できる。早い段階で。
たしかに、ファーメリーは殺されてしまった。
でも、ファーメリーがいなくても、僕は今まで、十年もの間、生きてきた。二度とファーメリーに会えなくても、僕は大人になる。
いろんな人に守られてながら、生かされてきた。
そのことには、きっと何か意味があるはずだ。
僕が、見出していかないといけないんだ。
「……とにかく、戻りましょうか。またジョーカーの手下がやって来ないとも限りません」
姉さんは立ち上がる。
僕は姉さんを見上げて、意を決して言った。
「姉さん。僕にも、ギフトの仕事をさせて」
姉さんは目をぱちくりさせる。
「どうしたんです、いきなり」
「ギフトでの労働条件は、十五歳以上で、基本的に自分のファーメリーを連れていることだ。でも例外で、「自分の力でジョーカーと戦い、倒すことができるもの」というものがあったはずだ」
ジョーカーのことはあまり眼中になかったが、いずれはギフトの一員として活躍したいと思っていた僕は、その勉強に余念がなかった。
そんなことまで知っていたのか、と言った表情で、姉さんは少し呆れたようだった。
「今の僕には、ジョーカーも、ジョーカーの手下すらも倒せない。でも、このまま何もせずに、じっとしているなんて嫌だ。どんな簡単な仕事でもいい。見習いとして、実力をつけていきたいんだ。僕は一人でも、必ず、強くなってみせる」
「ディース……」
「少しでも、前に進みたいんだ。死んでしまった、ファーメリーの分まで」
今の僕に、何ができる?
村から一歩も出ず、家に閉じこもって、大人になるまでファーメリーの陰を追いかけて悲観に暮れることか?
いいや、そんな生活は、絶対に御免だ。
僕は生きている。
ならば、前に進み続けなくてはいけない。
それすらも叶わなかった、ファーメリーの分も、進み続けなくては。
それが、今の僕のやるべきことだ。
「あなたは、私が思っているよりも、ずっと成長しているのですね」
それを聞いて、姉さんは優しく笑いかけてくれた。
元の大きさに戻ったソフィアも、姉さんの肩の上に座って、笑っている。
「分かりました、あなたに仕事を任せます。でも、今日は家に戻って、ゆっくり休みなさい」
姉さんは僕に手を差し伸べてきた。
僕はそれを掴んで、起きあがった。
そのまま手を繋いで、歩きだした。
普段だったら、こんなのは恥ずかしくて嫌だと、突っ撥ねていただろう。
でも今日は、離したくなかった。
姉さんも、何も言わなかった。
ただ、黙って手を握り返してくれた。
姉さんの手は柔らかくて、温かかった。
大きいと思っていたけれど、いつの間にか、とても小さくなっていた。
こんな風に並んで歩くのは、もう最後になるかも知れない。
一人で進み出すのだ。姉さんには迷惑をかけたくない。
今度は、僕が姉さんを助けて、支えてあげられるくらい、強くなるんだ。
そう決心して、村へと帰った。




