表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

さがしもの屋

みつからないわけ

「あーもう。嫌だ、嫌だ」


バイクから降りた女は、ヘルメットを脱ぐと、そう吐き捨てた。

ピンで留めていた黒髪をほどくと、ふわりと広がってすぐに真っ直ぐに戻る。

その長い髪のなかには、流れ星が夜空に線を引くように銀色の白髪が数条あった。

ひび割れた革ジャンを着込み、両手にはライダーグローブ。

下は色落ちした厚手のジーンズに、これまた薄汚れたブーツ。

ライダーとしては普通の服装だが、まだ日が高い真夏の午後五時過ぎ、山へ来るにしては暑過ぎる。


まだ息も荒々しい有賀葉桜ありがはざくらは、バイクの後部に縛りつけていた丸水筒を取ると、代わりにヘルメットを引っかけた。

氷入りの水をグビグビあおり、革ジャンのファスナーを勢いよく下ろす。

細身のわりにちゃんとある胸の膨らみが解放され、赤いTシャツを押し上げる。


「あーもう。めんどくさ……」


愚痴まじり、溜息まじりに、膝に手を置き、呼吸を少しずつ整えていく。


目を上げた先には、有刺鉄線を巻きつけたまま錆び付いた門と、ずれ落ちた斜めの看板。


ここは、裏野ドリームランド。


とある山の中腹にあるこの場所は、かれこれ二十年ほど前に廃園になった遊園地である。


バブル時代に調子にのって計画された数ある郊外型レジャー施設のひとつで、バブルがはじけたあとも独立採算で続けようとしたにはしたのだが、案の定、倒産。

そして、お決まりの閉鎖。

経営責任者はいつの間にやら夜逃げして、その行方は杳として知れない。


これが事実である。


だが、それは世の人々を納得させるための、表の情報でしかない。

裏ではずっとこんな風に囁かれていた。


――あの遊園地は呪われている――


新興の商業施設が乗り出してくると、根も葉もない噂が立つものだ。

だから誰も気にしていなかった。

いや、それも込みで若者たちは楽しんでいた。

おいしいお菓子に楽しいおまけが付いてきたようなものだから。


だが、開園から半年を待たず、事故が起こった。


走行中のジェットコースターから人が落ちたのだ。

らせん状のコースだった。

落ちたというより、飛ばされたというほうが正しい。

ケガ人は三人。

かなりの距離を振り飛ばされ、それぞれ地面に激突した。

にも関わらず、全員が全員、重傷に至らなかったのは奇蹟といってもいい出来事だった。


だが、ここからがおかしい。


ジェットコースターは満席だった。

ところが、戻ってきたときに確認すると、空席は四つ。

しかも、すべての安全バーはロックされたまま。

ケガ人たちは口を揃えて、こう言った。


バーを手で押さえていたのに、気がついたら空中にいた。

何が起きたのかわからない。


その日は、開園以来の入場者数だった。

ありとあらゆる方向から事故を目撃した人も、もちろん多数いる。

しかし、放り出されたはずの四人目に関する証言はあまりに少なかった。

そして、そのすべてがなぜか食い違っていた。


ミラーハウスのほうへ飛んでいったはず。

メリーゴーラウンドのほうへ落ちるのを見た気がする。

いえ、確かに観覧車のほうだったと思います。

当時はまだ、造成途中だったアクアツアーコースもその候補に上がった。

そして、完成が遅れて一度も客を入れないまま閉園を迎えることになるドリームキャッスルの工事現場も。


それから三日に渡った警察の捜査の結果、わかったことはひとつだけだった。


四人目の被害者は、実在しない可能性がある。

つまり、いたかどうか、わからない。


なにか釈然としないまま、遊園地の営業は再開された。

日々訪れる客たちの楽しい笑い声や愉快な思い出が、謎を踏み潰していく。

そうして裏野ドリームランドの日常は戻っていった。


だが、そんな平穏な日々を過ごすうちに、不吉な噂が湧き出してきた。

それも四人目が落ちたとされる場所から、それぞれ別々に。

まるで「忘れるな」とでもいうかのように。


その筋ではそこそこ有名な『さがしもの屋』と呼ばれる、この女、有賀葉桜ありがはざくら

どういうわけだか他人の失せ物を何の気なしに見つけてしまうという妙な才能がある。

いままでもありとあらゆるものを発見してきた。

逃げ出した迷い猫から記憶喪失の失踪者、うっかり粗大ゴミに出した箪笥預金。

そして、殺されて森に埋められていた白骨死体まで。

「物」でも「者」でもお構いなしに。

もちろん今回も依頼があってここに来た。


しかも、いまどき景気のいいことに、調査費込みとはいえ前金、一万円札がざっと十枚。

依頼を首尾よく遂行できた暁には、さらに倍で、同じ額をもう一度頂けるという。


生来の面倒くさがり屋である葉桜も、だらだら暮らしていくためならば、多少のやる気も出ようというもの。


「あーもう。仕方ないなあ……」


まるでやる気などなく、不平たらたらでぶつくさ呟くと、肩に丸水筒を引っ掛ける。

それすら聞く者とてなく、いまや遠くで蝉が鳴くばかりの廃墟と化した遊園地。

お金欲しさに、ただひとり、ここで調査を開始する。


もうすでに遠くなったあの日。

ジェットコースターから投げ出され、それきり消え失せたままの四人目を見つけるために。




日が沈んでもまだなお明るい空に、ゆっくりと夜の気配が近付いてくる。


裏野ドリームパークにまつわる不吉な噂の発端、ジェットコースターの錆び付いたコースが巨大なヘビの骨格標本のように頭上をうねり取り巻く中央広場。


ひび割れて草が飛び出すアスファルトに、有賀葉桜ありがはざくらが足を投げ出してぐったりと座っていた。

大きく溜息をついて革ジャンを脱いで、自分の隣に無造作に置く。

赤い半袖Tシャツの首周りには、汗染みがじっとり広がっていた。


ざっと一通り、全体を歩いてみた。

ざっと歩くには、面積が広すぎた。

しかも、なにも見つからなかった。


葉桜の探しものを見つける能力チカラは、超能力のように便利でわかりやすい代物ではなく、どちらかといえば勘に近い。


特に意識していないときに、なんとなく何かが、それとなく気に留まる。


逆にいえば、探そうとすればするほど見つからなくなる。

実際、自分の部屋でどこに置いたかわからなくなった物は、まず見つからない。

もっとも、忘れた頃に出てきても、忘れているので気が付かないが。


何事にもやる気のない葉桜の、よくいえば無我の境地、はっきりいえば物事への無関心さこそが、このダルい才能を使いこなす要なのだ。あまりにダル過ぎるけれど。


ただ、今回は提示された金額があまりに大きかった。

意識し過ぎたのかもしれない。

おもにお札の枚数を。

いつもよりも、ちょっとだけやる気が出てしまったのかもしれない。

つまりは、金に目が眩んだのだ。

その結果、探しものは見つからない。

なので、仕事は終わらない。


でも、先払いの十万円は貰ってるし、ここらでもうやめて帰ろうかな……。


こんな面倒くさい山の中腹になんか二度と来たくない。

だから一日でやっつけようと思っていたが、やはりそう上手くはいかないもの。


小腹が減った葉桜は、革ジャンのポケットを探り、取り出したカロリーメイトを齧った。

渇いた喉にパサついた欠片が詰まる。

丸水筒のぬるい水をガブ飲みして無理矢理飲み下した。

なんとか一息ついたところで、残りをまたガブリ。


「あのっ! すいませんっ!」


すると、不意に背後から掛けられる声。

驚いて思わず噴き出した葉桜の軽い夕食が、勢いよくアスファルトの上に散らばった。


「……なーに?」


恨めしそうに葉桜が振り返ると、そこには一人の若い男が立っていた。


派手なチェックのジャケットと、英字プリントされたシャツにぶっとい真っ赤なネクタイ。

髪を固めて立てているが、どこか幼さの残る顔立ちをしている。

年の頃は二十歳くらいだろうか。


「女のコ二人、みませんでした? いっしょにきもだめしに来たんだけど、はぐれちゃったみたいで……」


ここは地域でもかなり有名な心霊スポットなので、そういう輩も多く来る。


「みてないわねー。いまのところ。ところで、その子たち……いつ、見えなくなったの?」


「いつ、ですか? いえ、あの気付いたら、いつの間にかいなくて」


「じゃあ、それに気づいたのは、いつ?」


「え……? つい、さっき? だと、思いますけど……」


「ああ、そう。わたし、もうすこしブラついてくから、その子たちみかけたら、あんたが探してたこと伝えとく。でー、二人の名前はなんていうの」


「たあことミナミっていいます。たあこは髪が長くって、ミナが細くて小柄で」


「うん、わかった。わたしは有賀葉桜。葉桜って呼んでいいから。ところで、あんたは?」


「あ、すいません! オレ、カツヤです。それじゃあ、よろしくお願いします! オレもまだあっちのほう探してみますんで!」


どんどん遠くへ走り去ろうとするカツヤに、葉桜が呼びかけた。


「それじゃーさー、入口に集合ー、ってことでー、いいねー?」


答え代わりに大きく手を振ったカツヤは全速力で視界から消え失せた。


「……さーて、どーしよーかなー」


人目も無くなったので、落としたカロリーメイトの残骸を拾って食べようかなと手を伸ばした葉桜だったが、あまりに砂まみれなので、そこはさすがに諦めた。


さっきまで、バックレて帰る気まんまんの葉桜だったが、ちょっと事情が変わってきた。


カツヤからの頼みは正式な依頼ではない。なので、これっぽっちもお金にならない。

ただでさえ面倒くさい仕事の上に、さらに余計な面倒ごとが重なったわけだ。


そうなると、葉桜はどうなるか。


「あーもう。めんどくさいわー……」


さらにやる気がなくなっていくばかり。


しかしそれは、葉桜の妙な探知能力が働くには、もってこいのシチュエーションでもあった。


なんとなく、それとなく、みつけてしまう。

個人的には、わりとどうでいいものを。


「はー……。まいった、まいった」


ダルそうに立ち上がって、脱いだ革ジャンを腰に巻く。

水筒からもう一口だけ水を飲んで、右肩に引っ掛けた。


ちらりと目を落とすと、そこにはさっき噴き出して落ちたカロリーメイト。


「あーもう。仕方ないか」


ど れ に し よ う か な

か み さ ま の い う と お り


「よーし。あっちだ」


カツヤが見たら怒り出しそうなほど、おそろしく適当に、葉桜は次の目的地を決めた。




空に星や月が輝きだす。

暗くなった裏野ドリームランドに響くのは、いまとなっては虫の声だけ。

それでも昼間の蝉にくらべれば、幾分は涼しげな気がするだけでもまだマシか。


小さいわりに明るく光るペンライト片手に、有賀葉桜はミラーハウスの前にいた。


なんてことはない壁に鏡を貼り付けて作られた迷路の施設だ。

大きめの縁日なら、たまにみかけるアレである。

だが、ここの施設は大き過ぎた。

ちょっとした美術館ばりの面積があり、なんのつもりか二階建てだ。

本来ミラーハウスとは、鏡に反射する像によって不安や混乱を客に楽しませる装置だ。

壁と壁で向かい合った鏡が無限の奥行きを見せる以上、現実の広さはそれほど必要とされない。

むしろ逆に狭いからこそ、管理する側、される側ともに安全で、出てきた客も自力で脱出したという自負と満足感を与えられる。

実にコストパフォーマンスの高い体験型見世物なのだが……。


とはいえ、金に狂ったバブル時代の産物は、ある種のタガが外れているのも事実。


口にペンライトをくわえた葉桜は、扉をふさぐ大きな板を「よっこいしょ」の掛け声でどかした。

一面ガラス張りだったドアは、とっくの昔にブチ割られていて、余裕でひと一人が潜れる有様だ。

ぱさついた絨毯に散らばるガラスの欠片を、カチカチ踏み鳴らして、受付のあるホールへ入る。

手に持ち替えた明かりで周囲をざっと見回してみる。

暗くなる前に一度来たときと、特になんの変わりもない。


ない。ないはずだ。ないはずだが、なにか――。


誰かが中にいるような、そんな気配が、雰囲気がある。


もっとも、さっきもホールまでしか入らなかったので、それ以上は比較しようもない。


「あーもう。仕方ないなー……」


無人のホールを通り過ぎた葉桜は、真っ暗な口を開けるミラーハウスに足を踏み入れようとして。

ガッ! と、肩にかけた水筒を後ろから引っ張られる。


「……なーに?」


驚いているのかよくわからないとぼけた声を出して、ゆっくり振り向いた。

見れば、入口の横の壁が剥がれてささくれ立ち、そこに水筒が引っ掛かっただけ。

ちょっと強く引っ張ってやるとすぐに外れた。


どこか憮然とした表情のまま、葉桜はミラーハウスの中に入った。

黒い壁の直線通路が少し続き、最初の角を曲がると鏡張りの通路になる。

はずだったのだろう。開園していた、その当時は。

曲がり角を越えた葉桜が見たのは、床一面に散らばる大小さまざまな鏡の破片。

黒い壁にわずかに割れ残った鏡が、歪な窓のように、葉桜の姿を覗かせる。

閉園されたあと、きもだめしにでも来た無軌道な若者たちがヤンチャでもしたのだろう。

下手に転んだら笑えないケガをしそうな鏡の上を、ペンライトの光の反射と葉桜の足音だけが進む。


「うん……?」


誰かがいる。

そんな気がして、入ってみたが、いまはもう気配がしない。


合わせ鏡を失ってしまったこの迷路、実はそれほど難しくはない。

ただ、なにをどうしても必ず二階に上がって、別の階段で降りなければ、出口には辿り着けない仕掛けになっている。つまり、とにかく長いのだ。

このままさっさと踵を返して、いま来た道をなぞって帰ればすぐにでも出られる。

なのに、どういうつもりだか、紆余曲折ある暗い通路を、ずんずん前へと進んでいく葉桜。


粉々の鏡が積み重なって滑りやすい上に狭苦しい階段を経て、やっと二階までやって来た。

荒れ果てた一階にくらべればずいぶんマシで、鏡も割られてはいるが半分くらいはまだ壁に残っている。


この二階の中央には、鏡張りでない小さなフロアがある。

そこにはひし形のテーブルが置かれていて、その上にはカードが並べてある。


裏野ドリームランドのキャラクター、ウラギ君のトランプ。

裏野とウサギを安直に足して、その名もまさかのウラギ君。

大型遊戯施設のキャラクターにしては、裏切りを予感させるような、なんとも不吉なネーミングセンスだ。

だがそれよりも、上半身裸で下はズボンという、往年のプロレスラーを髣髴とさせるビジュアルのほうが当時は物議を醸したという。しかも、首に蝶ネクタイってなんだ。


そのウラギ君トランプを一枚持って出口にたどり着けば、番号に対応した記念品が貰えるというのが、ここミラーハウスのルールだった。


しかし、その一方で、ここにはこんな噂がある。


テーブルの上にはトランプ以外のカードが一枚だけ紛れ込んでいることがある。

そのカードを引いた者は、まるで別人のようになってミラーハウスから出てくる。


ジェットコースターの事件後に広まった噂である。


黒い壁と割れた鏡が半々の通路を右へ左へ、やっと葉桜は二階中央の小フロアに着いた。

やっぱり壁も床も真っ黒で、真ん中に浮かび上がるように白い、ひし形のテーブル。

ペンライトで照らすと卓上には埃が積もるばかりで、カードなどもちろん一枚も無かった。


やはり、人の気配はしない。


「あーもう。これでもまだ半分か……」


小声で小言をぶつぶつぼやきながら、先へ行こうとテーブルの横を通り過ぎようとして。

ガッ! と、また、肩にかけた水筒を後ろから引っ張られた。


どうせ、テーブルのひし形の先にでも引っかかったんだろう。

そう思って、振り向きもせずに葉桜は、水筒を引っ張った。

ところが、ぐい! と、逆に引っ張り返される。


「……なーに?」


いかにも嫌そうに葉桜がしかめっ面で振り返る。

すると、そこには水筒にしがみつく派手な格好の若い女の姿があった。


「たっ、助けて……!」


長い黒髪にヘアバンドのパール光沢が目立つ。おそらくまだ十代で、可愛い顔立ちをしているのに化粧が濃い目で、せっかくの素材を生かせていない。特にルージュが、どすピンク。めりはりがきいたなかなかのスタイルを包むラメ入りの真っ赤なジャケットと黒いタイトスカートは、どう見てもはりきり過ぎてやり過ぎた観がある。


「どーしたのー? こんなとこで?」


特に興味もなさそうな葉桜のダルい問いに、その若い女は息も絶え絶えに答えた。


「そ、それがさ! 友達と、きもだめしに来たんだけど、みんなとはぐれて! それで!」


「ああ……。もしかして、カツヤ君の友達の? たあこちゃん?」


髪が長い。そして、細くも小柄でもない。

となると、お太り様、つまりデブなのかもしれない。

そう勝手に葉桜が思い描いていた、たあこ。


「そうそうそう! なに!? どこで、カッちゃんと会ったの!?」


「ああ、ここに来る前に、外の広場でちょっとね。探してたよ、たあこちゃんのこと」


「なにやってんだよ、アイツ……! ぜんっぜん、助けに来ねーし!」


「まあまあ、そう怒りなさんなよ。見つかっても見つからなくっても、入口で集合って言っといたからさー」


少し安心したようなたあこだったが、顔をまた強ばらせて、葉桜を見た。


「ところで、あんたさ」


「ああ、わたし、有賀葉桜ね。葉桜でいいから」


「あ、うん。葉桜さんさ。それで、どうやってここから出るの?」


それを聞いて、今度は葉桜のほうが眉をハの字にした。


「どうやってって……。普通に、歩いてだけど?」


「普通にって、ここ鏡張りのミラーハウスだよ!? だから、アタシ迷って出られなかったんじゃん!」


「いやいや、もうほとんど壁の鏡は――」


とっくに割れてるし、というつもりで振り向けば、そこには。

暗いフロアの先の通路、その壁に、ライトでこちらを照らす等身大の自分が映っていた。


葉桜はもと来た道も照らしてみた。

いつの間にか、床の破片は消え失せ、見渡すすべての壁をキズひとつない鏡が覆っている。


「あっちゃー……」


ずっこけそうになった葉桜が思わずテーブルに手を着くと、なにか冷たい手触りがあった。

そこにはさっきまではなかった、裏返しのウラギ君トランプが一枚。

なんとはなしにめくってみる。

たあこが目を丸くした。


「ジョーカーだよね、これ」


「そう、みたいね」


それだけ言って葉桜は、すぐにジーンズのポケットにしまいこんだ。

ウラギ君トランプの表に印刷された、大鎌を担いでボロをまとったガイコツの絵。

タロットカードの死神を。


「よし。それじゃあ行こうか」


「え? ここから出る方法、わかったの!?」


「ううん。ぜんぜん」


「なら、駄目じゃん!!」


「だからさ。鏡が邪魔だっていうんなら――」


水筒の肩紐を掴んだ葉桜は、ぶんぶんと水筒を振り回しはじめる。


「ブチ割ればいいんじゃないの?」


遠心力で破壊力を増した水筒を、なんの躊躇いもなく鏡へと叩きつけた。

衝撃で小さな破片が宙に飛び散り、大きな欠片は壁に沿って崩れ落ちる。


「危ないから、たあこちゃんは後ろからついてきてねー」


この手を使えば、残っている壁の鏡がそこをまだ通って行っていないという目印になる。

ただし、もしもこれ以上、鏡が再生しなければという前提で。

鏡が割れる物騒な音の輪唱が、大急ぎで通路を進んでいった。


そうこうして、しばらくすると。


「……やった! 葉桜さん! 出られたよ、アタシたち!」


出口から無事に出てきた二人の姿はいま、受付ホールにあった。


「ありがと、葉桜さん! そんじゃ、アタシ、先行くから!」


「あー、はいはい。待ち合わせはドリームランドの入口だから。気をつけてねー」


一人残された葉桜は、ポケットから例のカードを取り出す。

それはもう死神ではなくなっていた。


スペードのクイーン。


女王というか、どう見ても、女装しただけのウラギ君レディーがウインクしている。

そんなひどい絵柄だった。


人格が変わる=キャラが変わる……とか?


「……しょーもな」




ミラーハウスを出た葉桜の耳に、どこか離れた場所から懐かしい甘いメロディーが響いてくる。

あたりを見回すまでもなく、そこがどこかがすぐにわかった。

なぜか電灯が点いている場所があったのだ。

もうとっくに送電が止まっている、廃園になったこの裏野ドリームランドに。

その一角だけは、輝きで浮かび上がるように明るかった。


そこはメリーゴーラウンド。

回転木馬のほうだった。


メリーゴーラウンドの噂は、廃園になってから広まった。

きもだめしに来た連中が目撃したという。


誰もいないはずなのにメリーゴーラウンドが動いている。

かつて遊園地でそうあったように、昔のままの姿で、電飾も音楽もそのときのままに。


なかなかロマンチックな話ではある。

特に誰かが死んだとか、どうにかなるとかされるとか、そんな話はまるでない。


ただ、動いているだけ。

動くはずのないものが。


走るのは面倒なので早歩きで向かった葉桜の視界に、白亜の丸天井と回る白い木馬たちが入った。

たしかに木馬は回っている。

複雑なオルゴールで鳴らしたような曲に合わせて、上下にその身を動かしながら。


その瞬間。

電気も音楽も消えた。

なまじ明るさに目が慣れていたために、より深い闇に包み込まれる。

つけっぱなしだったペンライトの光が残ったが、突然こんな事態になれば、か細いローソクの火のように心細く感じる。


「あーもう。なんだよー。また暗くなるし……」


そう、普通は心細く感じてもおかしくはない。

だが、この女、有賀葉桜は、どこかいろいろおかしくて、そもそも普通などではなかった。


文句はぶつぶつ言うものの、別段怖れるでもなく、ずかずかとメリーゴーラウンドに近付いてチェックしはじめる。

遠目で動いていたときは明るかったせいもあってか、新品のように白く輝いてみえた。

しかし、実際こうして近くによると、木馬の塗装はひび割れ、剥がれ落ちて、下地の黒ずんだ木目が露わになっている。

カップルや家族連れが乗ったであろう三頭立ての馬車には、風に吹かれて溜まった砂が、硬い背もたれと座席の間を埋めるばかり。


さっきは本当に動いていたんだろうか。


考え深げに小首を傾げた葉桜、頬に指を軽く当ててぽりぽりとかいた。


「あーもう。蚊に食われたわ……」


裏野ドリームパークに向かう前にかけた虫除けスプレーの効力が切れただけだった。

腰に巻いた革ジャンのポケットを探り、細長く小さい容器の中身をスプレーする。

包まれる、この爽やかな石鹸の香り。

それはまさに制汗デオドラントスプレー。

虫除けと間違えて持ってきたらしい。


「ああ、うん。まあ、ちょうど暑いなーって思ってたとこだし」


誰も聞いていないのに一人言い訳しながら、メリーゴーラウンドに背を向けて歩き出す。


ちょうど五歩目で、背後に明かりが灯った。


葉桜が振り返ると、輝くばかりに見違えたメリーゴーラウンドが回り出していた。

どこかで耳にした曲だがタイトルまでは知らない機械仕掛けのメロディーにのって。


一周してきた馬車の座席に、膝を抱えた少女がいつの間にか座っていた。

落ち着いた青いワンピースに白いカーディガンを羽織っている。


「ああ、ちょっと」


呼びかけた葉桜の声に気付いてハッと顔を上げる。

勢いでショートカットの髪が微かに揺れた。


「……あっ!!」


こっちに気が付いたのはいいが、そのまま回って向こう側へいってしまう。

走れば追いつく速度だが、面倒なので葉桜はそこでそのまま待つことにする。

案の定、馬車から乗り出した少女が巡り戻ってきた。


「た、助けて下さいっ! これ、降りられないんですっ!」


「ああ、うん。それ、もうちょっと」


くわしく聞かせて、という間に三頭立ての木馬に引かれて少女はまた去っていく。

追いかける気などさらさらない葉桜は腕を組んで待っている。

戻ってきたので、今度は葉桜のほうから声をかけた。


「どうして降りられないのー?」


「なんでかわからないけど、降りられないんですーっ!」


また、行ってしまった。

このままでは、きりがない。

楽するのを諦めた葉桜は、溜息ひとつ、ペンライトを消し、ジーンズのポケットに入れる。そして、回るメリーゴーラウンドにひょいと飛び乗った。

転ばないように気をつけて回転方向に歩くと、少女の座る馬車に後ろから追いついた。


「はい、こんばんはー。わたし、有賀葉桜。葉桜って呼んでいいから」


「あっ! さっきの人! 助けに来てくれたんですか!?」


「ああ、うん。そう、さっきの人。葉桜さんね。そちら、もしかして、ミナちゃん?」


小柄で細身なので中学生かと思ったが、言葉遣いがちゃんとしているせいか、落ち着いてちゃんと大人っぽく見える。実年齢は二十歳前後だろうか。


「は、はい。そうですけど……なんで」


「カッちゃんとたあこちゃんと一緒に来た子でしょ? カッちゃんから聞いたのよ」


「そうだったんですか、よかった……。カツヤくん、無事だったんですね」


「たあこちゃんにも会ったよ。二人とも、ドリームランドの入口で待ってる、はず」


「よかった、たあこさんも無事なんだ」


「ところで、隣、座ってもいい?」


「あ、はい! どうぞ」


席に着く前に葉桜は座席を目で確認する。

砂が詰まっていない。汚れていない。古びてもいない。

新品同様、いや、新品そのものだった。


「どうしてか、降りようとすると、立っていられないほど速くなるんです。何度も試したんですけど、どうにもならなくて……」


落ち着いて事情を聞いてみると、そういうことだったらしい。


「それじゃあ、もう乗っちゃったから、わたしも降りられないね」


「すみません……」


「でも、ちょっと試してみるかな。ミナちゃんは座ってて」


そういって立った葉桜は、何気なく外周部へ一歩。

踏み出して、近付いただけで、ぐらりと足がふらついた。

いくら夜とはいえ、外の風景がまったく見えない。

それどころか、闇の層が幾重にも重なってうねっているように思える。

その瞬間、急に速度が上がったような気がして、眩暈。そして、足にきた。


「葉桜さん! 大丈夫ですか!」


「オッケー、オッケー。なら、止めればいいんだ」


戻ってきた葉桜のセリフに、ミナは驚きの声を上げた。


「え……! これを止められるんですか!?」


「さあ、どうだろう。やってみないと、なんとも」


ポケットから取り出したのは、例の制汗デオドラントスプレー。


「あの、わたしにも何か手伝えることは――」


「ああ。ミナちゃんはそこに座ったままで。ただ、ずっと前を見てて」


それだけ告げた葉桜は、ふらつく足で回転する逆方向に向かった。


賑やかなのに淋しくなる、そんな懐かしい音楽がずっと鳴り止まない。


そのうちに、一周した葉桜が戻ってきた。


どういうわけだか、上下に動く木馬の顔に、例のスプレーをいちいち吹きかけながら。


「あの……。葉桜さん、なにを、してるんです、か?」


廃園になった遊園地で勝手に動くメリーゴーラウンドから降りられない。

それだけでも不安と謎だらけなのに。

もしかして頭がおかしくなったのかと疑われても仕方がない、そんな異常な行動。


「ああ、うん。もうちょっとで終わるから」


そういって最後に、ミナの乗る馬車を引く三頭の木馬の顔にシュッとひと吹きずつ、それそれ三回。


「よし、これでいいかな」


不安しかない表情のミナの隣へ、何食わぬ顔でどっかと腰を下ろした。


その途端、徐々に速度が増していく。

調子にのり過ぎた子供が回すコーヒーカップのように。

いまや、馬車にしがみつかないと振り落とされかねないほどのスピードで。


「きゃあああああああああっ!!」


たまらずミナが悲鳴を上げる。

すると、まるでそれが合図だったかのように、ゆっくりと減速しはじめた。

そうして、メリーゴーラウンドは完全に停止した。

同時に輝きにあふれた電飾も消え、虫の鳴く夜の闇が戻ってくる。


「さて、降りようか」


なんの感慨もないような葉桜のあとについて、ミナは古びたメリーゴーラウンドから降りた。

やっと、降りることが出来た。


「ありがとうございます、葉桜さん。おかげで助かりました。でも、どうやって……?」


「ああ、あれ。馬に目潰ししたら、暴走して、疲れて、そのうち止まるかなってだけ」


そういって細長い缶を振って見せる。

いくら爽やかな制汗デオドラントスプレーとはいえ、目に入ったらそりゃ痛い。


しかし、それは生き物相手の話なのでは……?


「まあ、いいでしょ。細かいことは。あれから降りられたんだし。そうそう、カッちゃんとたあこちゃんが入口で待ってるはずだから、急いで帰りなさいね。急いで」


「あっ、はい! ありがとうございました!」


振り向いては何度も頭を下げるミナの姿が消えると。


「うっ。うおぇええええええええええ……」


嫌なシャウトが木霊する。

メリーゴーラウンドの速さに、実は酔っていた葉桜だった。




ペンライトを耳にはさんだ有賀葉桜が、うがいをしながら向かった先は観覧車だった。

ざっと直径二十メートル。それほど大きな規模ではない。

いまだに吊られたままのゴンドラを指差し数える葉桜だったが、やっぱり面倒くさくなって途中で止めた。

他の施設から離れた高台にあるこの観覧車に乗れば、きっと裏野ドリームランドの前景が見渡せたことだろう。

それもいまとなっては、赤茶けた錆まみれで、鳥のフンで白くまだらにペイントされているばかり。とても往時の姿など想像出来ない。


ここには、こんな噂があった。


「出して……」


どこからともなく、そんな子供の声が聞こえる。

けれど、どこをどうみてもその姿はどこにもない。


まだ営業していた頃からあった話である。


そして、裏野ドリームランド閉演にまつわる数多い噂のうちに、こんなものがある。


あそこでは子供が失踪したらしい。

それをもみ消すために遊園地は閉鎖されたそうだ。


だが、これはデマだった。

なぜなら子供が行方不明ともなれば、公開捜査になりかねないレベルの大事件だ。

それにも関わらず、当時、この場で行方不明になった子供の記録が公式には残っていないのだ。


それなのに、噂だけが残った。


そこには別の解釈もある。


かつてジェットコースターから落ちて消えた、発見されない人物。

観覧車周辺は、消えたその人物が落下したといわれる場所のひとつであった。

それが不吉なイメージを喚起し、人の口を介して次の暗いフィクションを作っていく。

民話や都市伝説が出来るプロセスそのものである。


だが、それでなぜ子供なのか?


遊園地というロケーションからは確かに連想されやすい被害者像ではある。

また、痛ましければ痛ましいほど、怪談は人口に膾炙する性質がある。

可哀想なほうが心に深く訴えかける。そして、誰かに伝えたくなる。

だから、おおよそ幽霊のイメージは、か弱い女や子供。次いで、お年寄り。

脂ぎった冴えないおっさんは死んだ後でもお断り。男はつらいよ。


ジェットコースターの失踪者が、観覧車周辺の声の主なら話は繋がる。

しかしそうなると、親は警察へ捜査依頼をしなかったことになる。

あるいは、親に置き去りにされた子供だとしたら……。


結局まだ、なにもわからない葉桜だった。


出して……。


どこからかそんな声が聞こえた気がして。


がらがらがらがら。ぺっ。


葉桜はうがいを終えた水を観覧車の前に吐き出した。


背を向けて歩き出し、なんとなく一度振り返ってみる。

もちろん、そこには誰も居ない。

錆びついた観覧車も、ただ立ち尽くしているだけだった。

ミラーハウスやメリーゴーラウンドのように、かつての姿に戻ることもなく。




もう一度来たいとはとても思えない場所。

それがここ、アクアツアーコース跡地だろう。


おそろしく長い周回する人工の川を作り、その左右にはこの地方では育たない南国の木々を雑な模型で再現。

それではリアリティがないと思ったのか、普通の木もまわりに植えた。

結果出来上がったのが、なんの統一感もない、なんちゃってジャングル。

そこを小型のモーターボートに乗った客が船頭と一緒に見てまわった、らしい。

他にはなんの見世物もなかったという。見所ひとつないというのに。

なのにコースが無駄に長いので、退屈極まりない代物だったそうな。


廃園となった現在、もちろんボートは撤去されている。

だが、誰も手入れしなくなったのであたりに草がぼうぼうと生え、皮肉にも営業当時よりジャングルっぽくなっていた。

そしてボートを浮かべるために深く掘られた川底には、いまでも半分くらい水がある。

つまり、ここいらは特に蚊が多いのだ。

けれど、うっかり間違えて持ってきたのは、虫除けではなく爽やかなスプレー。


川岸には草木が生い茂り、ついでに出来の悪いニセモノの木が行く手を阻む。

そのため、葉桜は背伸びしてぎりぎりライトに照り返す水面が見える位置で立ち止まった。

こうして聞くとあらためて、カエルの大合唱ってうるさいなと思う葉桜だった。


ぼちゃん。


向こう岸から、なにか大きなものが水に落ちる音。


「めずらしいな、こんなどごに。おめえ、だれだヘェ?」


やたら訛りのあるくぐもった声が呼びかけてきた。


「わたし、有賀葉桜。それで、そちらは」


「キザクラが。いい、なめえだハァ」


「ハザクラ」


「キザクラ」


「ああ、うん。キザクラ、キザクラ」


いちいち訂正するのも面倒くさくなってきたキザクラ、もとい葉桜であった。


「それで、そちらさん。名前はなんて」


「いや、オラは、なのるほどのもんでもねえヘェ」


この声の主、なんとも面倒くさい。


「それで、そこで、なにしてるの」


「オラがぁ? オラは、すぎで、こごさいるだげだハァ」


いちいち会話が続かない。


「……。ああ、居心地がいいとか、そういう」


「いんや、よぐはない。ながくこごにいればハァ、まよっでしまっで、でられねぐなるんだヘェ」


「どういうこと?」


「そういうふうに、つぐったんだべ。わるいごとするやづも、まあ、いるもんだハァ」


「出られなくなったの?」


「いんや。オラは、こごがすぎだがら、ずっと、こごさいるんだヘェ。んだども、オラよりさぎに、めんごいわらしこが、さぎに、いでだなハァ」


しばらくの沈黙。

なぜかカエルも鳴くのを止めた。


「ああ、うん。なかなか、ためになる話、ありがとう。それじゃ」


そういうと葉桜は、川と声の主に背を向けた。


「おい。キザクラ」


「……なーに?」


「おめえのあだまァ、なんがウリ坊みでえだなハァ」


ちなみにウリ坊とはイノシシの子供のことである。

たしかに葉桜の黒髪の中には特徴のある白髪が筋を引いている。


「……皿、ブチ割られらたい?」


静かに言い放つ葉桜の語気を怖れたのか。


ケケケと甲高い笑い声を残し、潜るような水音とともに気配が消えた。


裏野ドリームランドがまだ潰れる前に広まっていたアクアツアーの噂。


あの川には、謎の生き物がいる。

緑色で、甲羅にくちばし、手足はひれで、おまけに頭に皿がある。

そんな馴染み深い謎の生き物が。


退屈過ぎて幻覚でも見たんだろう。

当時はそう一笑に付されたものだった。




残りはひとつ。ドリームキャッスルしかない。

西洋風の城を模した外観を持つ、この施設。

なんとか完成はしたものの、客を入れる前に裏野ドリームランドが潰れたため、中身がどうなっているか誰も知らないのだ。

おとぎ話のお城よろしく、重々しい金属の扉が侵入者を頑なに拒んでいる。


この場所の噂はこうだ。


あのお城には秘密の地下室があって、そこには拷問部屋がある。


仮にそれが事実であれば、関係者からのリークということになる。

それ以外に入った者がいないのだから。

施工業者から出た情報なら信憑性は高い。

……のだが、これもまた、あくまで出所不明のただの噂にしか過ぎない。


大きな城の重い扉の真ん前で、有賀葉桜は珍しく困っていた。

腕組みをほどくと左手を腰に当てて、右手のペンライトで額を軽くノックする。


押しても引いてもどうしても扉が開かないのだ。


カギがかかってうるのか。重いだけなのか。あるいは、その両方か。

さすがに女の細腕だけでは、どうにも出来ない。

だが、ついになにか閃いたのか、キリッと顔を上げた葉桜。


「あーもう。……よし。帰ろう」


いよいよ依頼を途中で投げ出す決意を固めたらしい。


「はっ、葉桜さん! よかった、また会えて!」


そんな残念なわりに凛々しい後ろ姿に、聞き覚えのある声で呼ぶ者がいた。


「あれ、カッちゃん。入口で待ってる二人はどうしたの」


それは紛れもなく中央広場で出会った派手なファッションのカツヤこと、たあこが言うところのカッちゃんだった。


「え? 葉桜さん、たあことミナに会えたんですか!?」


「ああ、うん。ミラーハウスとメリーゴーラウンドでね。二人とも入口に向かったはずだけど」


「そうだったんですか、良かった……!」


「それで、カッちゃん。どうしてこんなとこにいるの。それも一人で」


「いえ、あのそれが……! 信じてもらえないかもしれないけど、オレ、さっき入口に行こうとしたんですけど、どうしても着かなくて、気づいたらここに」


長くここにいると、迷って出られなくなる。


川の声は、そう言っていた。

訛りがキツくてわかりづらかったけど、多分、そう言っていたはず。


「なるほど、ね。それはそれとして、ちょうど良かったわ。この扉、開けるの手伝って」


さっきまで帰る気だったくせにこの女、いけしゃあしゃあと頼みごとをする。


「あっ、はい! これ、引けばいいんですか?」


「ああ、うん。見た感じ、観音開きっぽいし、それで」


それぞれ左右の扉について、デカいノッカーみたいな鉄の輪を握った。


「いーい? あ、せーのっと」


ギギギと重い音がして、少しだけ開いた。

葉桜が一人でさっき試したときと、手応えが違い過ぎる。

もう一度、体重をかけると、全開になった。


ペンライトで照らしても、中は暗くてなにも見えない。


さすがに警戒したのか、葉桜もゆっくりと踏み込んでいく。


「あっ! オレも行きます! 葉桜さん一人だと危ないんで!」


「ああ、うん。助かるよ、すごく」


なぜか二人が入ると、ぼんやりと見渡せる程度に内部が明るくなった。

もちろん天井のシャンデリアも壁の電灯も点いてはいない。


そこは、いきなり大広間のようになっていた。

円形の壁の内側に沿って両側から伸びる階段が、二階から張り出したバルコニーへと続いている。

ディズニーのように着ぐるみショーでもやるつもりだったのだろうか。

上半身裸のウラギ君なら、ズボン履かないドナルドダックと気が合うかもしれない。


躊躇わず二階へ向かう葉桜を、急いでカツヤが追う。

絨毯が敷かれていない剥き出しの階段に、コツコツと二人文の足音が鳴る。

バルコニーで立ち止まり、手すりに手を置くと、葉桜は大広間を見下ろした。

特になにもない。

それから、背後にある二階への扉へと向き直る。

ガラス張りかと思ったら、格子の枠しかなかった。

葉桜が開けようとすると、これがまたびくともしない。


「カッちゃん。ちょっと、これ、開けてみて」


「あ、はい!」


カツヤが両手をノブにかけて引っ張る。

すると、難なく扉は開いた。


「ホント、助かるわー」


感謝の気持ちか片手を上げて、葉桜は二階の部屋に入る。

中央に長いテーブルが置かれているところをみると会議室か、または食堂か。

だが、椅子はひとつもない。

それどころか、大きな長方形のテーブル以外にはなにもなかった。


「おかしい」


葉桜でなくともそう思うだろう。


「……そうですね。こんな広いのに何もないなんて」


答えたカツヤに、眉をハの字にした葉桜は振り返った。


「ああ、うん。そこじゃなくて」


床を軽く踏み鳴らすと、すこし埃が舞った。


「ここが二階ならさ。この真下、なにがあると思う?」


「あっ!」


普通なら、同規模の部屋があってもおかしくはない。

人が出入りする建築物は合理性と機能性の塊である。

にも関わらず、この真下の空間を利用しようとしなかった。

そんなことが有り得るだろうか。

ましてや、ここは遊園地。

人を多く入れれば入れるほど儲かる、大型商業娯楽施設なのに。


「でも、入り方がわからなきゃ仕方ないねー。んじゃ、帰ろっか」


ガタン!


一階でなにか大きな音が聞こえた。


「あの、葉桜さん、下でなにか」


「あーもう。仕方ないなー」


ぶつくさぶつくさ不満たらたらの葉桜と、どうしていいかわからないカツヤが階段を下りると、バルコニーのちょうど真下に四角い穴が空いていた。

壁がスライドしたらしい。


中に入ってみると真っ白い壁になにもない空間。

ただ、中央の床に黒い正方形がある。

近付いてのぞいてみると、それは穴だった。

そこから地下へと続く階段が伸びていた。


にや~と嫌な顔をして葉桜はカツヤに聞いた。


「どうする~?」


こんな顔もするのかと面食らったカツヤだったが、勇気を出してこう告げた。


「葉桜さんが行くなら、オレも行きます」


葉桜はハッとなった。


「……え? わたしも行くの?」


どうやらカツヤ一人で行かせる気だったらしい。

なにを考えてるんだろう、この人。

そんな視線を感じたのか。


「ああ、うん。行こう。よし、行こう」


こっそり溜息をつくと、葉桜は謎の階段を下り始めた。

手すりもなく、折り返しもない真っ直ぐな階段を。

そのすぐあとからカツヤがついてくる。

それにしても暗い。暗すぎる。

ペンライトの明かり以外に何ひとつ見えない。

そうして、ついに、確かな感触がある広い床にたどりついた。


闇に目が慣れてきたのか。

それとも、この城に入ったときのように、本当に明るくなってきているのか。

ゆっくりと辺りの様子が見えてくる。


真ん中に椅子がひとつある。

そこに身体の大きな誰かが腰掛けていた。

力なくうつむいている。

がんじがらめに有刺鉄線で縛られていた。


それは、裏野ドリームランドのマスコットキャラ、ウラギ君の着ぐるみだった。


あまりに気味の悪い光景にカツヤは声を失っていた。

どうして、こんな物を、ここに隠していたのか。


葉桜がペンライトで壁をゆっくりと照らす。

カツヤはそれを目で追った。


黒く干からびた細長いものが、クリスマスのモールのように壁にかかっている。

その下には黒い塗料かなにかが伝って壁から床まで汚していた。不自然な濃淡をつけて。


「ああ、腸だね、これ。人のかどうかまではわからないけど」


思わず口を押さえたカツヤを見もせずに、つかつかと葉桜はウラギ君に近付いた。

すると、肩から水筒を下ろし、ヌンチャクみたいに小脇に構える。


「あちょー」


やる気のない怪鳥音と共に振られる水筒が描く、その一文字の軌道。

ぶち当たったウラギ君の頭が吹き飛び、遠くへ落ちて一度だけバウンドした。


着ぐるみのなかには人間がいた。

いや、かつては人間だったものが。

いまや乾燥して黒々としたミイラと化している何者かが。


「な、なんなんですか、それ!」


驚きを隠せないカツヤに、死体の顔を覗きこんだ葉桜は。


「ああ、これ。行方不明になったっていう、ここの経営者だわ」


そういうとウラギ君、もとい経営者の遺体を、いきなり正面から蹴り飛ばした。

派手に椅子ごと仰向けに倒れて、有刺鉄線が悲鳴を上げる。


「なにするんですか、葉桜さん!」


「ああ、うん。ここの仕掛け、いま、ブッ壊すだけ」


そういってカツヤにペンライトを投げて渡す。

すると、どこからともなくタバコを一本、そして百円ライターを取り出していた。

タバコをくわえて火をつけ、軽く煙を吸い込むと、葉桜は猛烈にむせる。

ゲホゲホと激しく咳きこみながら、燃えさしのタバコをミイラの渇いた唇の間に差し込む。


「あーもう。嫌だ。ホント不味いな、タバコって……。ささ、ここ出るよ、カっちゃん」


なにが起きているのかわからないカツヤは、ペンライトをひったくった葉桜を追って階段へと向かう。

階段を登りきり、一階の隠し部屋に戻ると、後にしてきた地下が一気に明るくなる。

黒い煙と燻される臭いがすぐに追ってきた。

燃えているのだ。

それなら火元は、あれ以外にない。


「ほーらほら、急いだ急いだー」


まるで急かす風のない葉桜と共にカツヤは、悪夢としかいいようのないドリームキャッスルから出た。




すべてのアトラクションにつながる中央広場へと向かって二人は歩いていた。

水筒をぶんぶん振り回す葉桜と、うしろを三歩離れて追うカツヤが。


「あれは、一体どういうことだったんですか……」


聞いていいものか躊躇いがちなカツヤの問い掛けに、葉桜は背を向けたまま、歩みを止めるでもなく。


「話せばちょっと長くなるから、面倒くさいんだけどね」


ひとつそれだけ前置すると、満天の星の下、髪に流星の軌跡が見える女は語り出した。


「ここね、いわゆるオカルト建築なんだわ。気づくの遅れたけど」


「それって……心霊スポットみたいなものですか」


「結果的にそうなるよう仕込んでたみたい」


「そんなこと、出来るわけない、でしょう……!」


「普通なら、そう。ただ、バブル時代はお金だけはある人たちが、しょっちゅう知らずにその手の連中にカモられてたんだって。霊感商法のもっとデカいやつ、みたいな感じで。こうすればさらにお金が溜まりますよ? みたいな話を信じて作ったら、インチキ風水どころじゃない、ガッチガチの怪現象発生装置。関係者がバンバン変死するレベルのやつ」


「そんなのがあったなんて……」


「知らないのが、当たり前。大体、めぼしいやつはもう無くなってるから。阪神大震災のときにね。他の土地にあったのも、解体されたり、別の建物に作りかえられてるよ。東日本大震災後に新しくなった耐震構造基準に合わせる、って表向きの理由もあるし」


「でも、なんのために、そんなものを作らせるんですか。その人たちは」


「さあ? たぶん、面白いからじゃない? そいつらにとっては」


知らずに悪意を基礎にして作られた建築物。

不吉な事件や事故が起こり廃墟になっても、怖いもの見たさの誰かがまたやって来る。


「ただ、ここの目的はわかった」


そう言うと葉桜は水筒を振り回すのをやめて立ち止まる。

次の言葉を待つカツヤの喉がごくりと鳴った。


「幽霊をおびき寄せて捕まえるための仕掛けだよ」


なにか。なにか、こう――。

突拍子がなさ過ぎて、想像も思考も追いつかない。


「偽装には確かにもってこいだよ、遊園地は。どれもそのまま本来の用途で使えるから。

ジェットコースターの螺旋。

ミラーハウスの合わせ鏡。

メリーゴーラウンドと観覧車の回転。

アクアツアーの川の流れ。

どれもありきたりだけど、オカルト好きなやつらには特別な意味があるし」


螺旋は上昇と未来、天へと続く道。

合わせ鏡の中に現れる、どこまでも繰り返される永遠。

回転運動は巡る運命の象徴。

流れる水の囲いは結界になる。


「あれ? でも、そうなると、ドリームキャッスルの遺体は……?」


「ああ、あれ。たぶん経営者は、真相に気づいてゴネたから黒幕に始末されたんでしょ。おまけに隠された中心として加工されちゃってたけど。ワンマン経営者ってシャレかもね。

でも、あの城だけは装置じゃない。わたしもそう思ってた。カッちゃんが来るまでは」


静かに振り向いた葉桜の瞳にカツヤの姿が捉えられた。


「……え? それって、ど、どういう意味ですか?」


「カッちゃんが押したら、あの扉は簡単に開いた。いくらわたしが押しても引いても、うんともすんともいわなかったのに」


「そりゃあ葉桜さんは女の人で、オレは男だから力が」


「違う。あれもやっぱり幽霊を捕まえる装置だったの。だから、生きてるわたしが来ても、反応しなかったんだよ」


「いや、そういうのマジやめてくださいよ! そんなバカなことって――!」


突拍子もないことを言われて動転するカツヤ。

しかし、その目に映る葉桜の姿は動かない。


「カッちゃん。君たち、いつ、ここに来たの?」


「い、いつって、今日ですよ! 昼前に、みんなで、オレの車で」


「バイクでわたしが着いたのは夕方。入口近くに車なんてなかった」


「そうだ! 思い出した! 駐車場ですよ! 駐車場に止めたんだ!」


「閉園後、すぐに大雨で土砂崩れが起きてね。そこ、いまはもう使えないんだ。そのとき、車が一台埋まったって話もある」


「じゃあ、なんですか! 葉桜さんは、オレが死んで、幽霊になってるっていうんですか!」


怒り出すカツヤを諭すように静かに話しかける。


「カッちゃん」


「なんですか」


「暑くないの?」


「なにがですか」


「ずっとジャケット着込んでるからさ。それにその服、秋物だよね。いま、体感でたぶん三十度くらいあるよ」


絶句するカツヤは、そこではじめて気づいた。

暑さも寒さも感じないことに。

それなのに冷や汗だけは出た。


「待って、葉桜さん! 待ってください。じゃあ、それじゃあ、たあことミナも……!」


悲痛な声に応えずに、葉桜はまた背を向けて歩き出した。


「行こう。もう迷わないで出られるから」


長く感じる短い道のりを経てたどりついた中央広場は、異様な雰囲気でごった返していた。

幾重にも連なる半透明な影たちが、おうおうとうなりながら、入口、つまり出口へと向かっている。


「あちゃー。こんなにいっぱい捕まってたのか……」


あまりに異常な光景にあきれた葉桜の横を、カツヤが駆け抜けていく。

その先を目で追うと、うつむいてふらつきながら出口に押されていく、たあことミナの姿があった。

一瞬、振り向いたカツヤが、こっちになにかを言おうとした。


「いいから、いいからー。さっさと追いつかないと、またはぐれちゃうよー?」


そのうち、カツヤとたあことミナの姿は、半透明の影の群れに飲まれて見えなくなった。


「さーて、そろそろ帰るとしますかね」


やっと誰もいなくなった中央広場を悠々と歩き出す葉桜。

その肩から提げた水筒を、くいっ、と引っ張るものがあった。


葉桜は見もせずに、そのあたりへ開いた左手を出す。

握り返してきた。

ちいさな子供の手が。


「ああ、うん。一緒に帰ろう」


裏野ドリームランドに最初に迷い込んだ幽霊。

その子はあまりに退屈なので、いつもウロウロしていたが、たまたま波長が合って自分の姿が視える人に出会う。

それが、ジェットコースターの係だった。

客として紛れ込んで普通に乗ったまではよかったが、途中ですっぽ抜けた。

それをたまたま霊感の強い数人が視てしまう。

しかし、なまじ視えるために、弱い子供の霊よりも、霊を捕えるための強力な仕掛けに意識を引っ張られたのだ。

その後、観覧車周辺で聞こえたという声もこの子だったのだろう。

ジェットコースターから落ちたせいで、そこに囚われずに済んだようだが、遊園地の敷地からは出られないまま、ずっとここにいたのだ。


「お城でさ、隠し扉開けてくれたの、あなたでしょ」


葉桜が呼びかけても、答えはなかった。

けれど、気配はある。握った手の感触も。


「ありがと。すごく助かったよ」


あの半透明な影たちが殺到したためか、入口の錆び付いた門は打ち倒されている。

そこを越えた瞬間、葉桜の左手からするりと子供の手が抜けた。


「ちゃんと帰れるのかな」


いまはもう誰もいない夜の遊園地にそれだけ言い置いて、葉桜は自分のバイクに跨った。




それから、数日後。

葉桜が住んでいるアパートの新聞受けに、封筒が入っていた。

中身はしわくちゃの一万円札が十枚。

そして、手紙が一枚。


ありがとう


黄色くなった便箋に、拙い文字でそう書かれていた。


さらに、その翌日。

いったい誰がなんのつもりなのか、キュウリが一本入れられていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言]  拝読しました。  有賀さんの振り回されない、言うなれば自分が地軸であるようなブレない立ち方がとても好きです。あちらとの関わり方なら、こんな具合にゆるく、そして流されない形が一番であるのかも…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ