1話
開かれる扉。
ざわつきはひと度に静寂へと変わる。
その部屋に居合わせた者達は例外なく驚きを隠せない表情で一人を見つめる。
何かの間違いではないか?
本当にこの人なのか?
ヒノモト魔法女学院1年特S級の在学生達が現状を目の当たりにして疑念を抱くのも無理はない、至極当然の事であろう。
夢と希望に溢れる未来の魔道士の卵を育てるこの学院、その輝かしい入学式を終え教室で待っていた彼女らの担任として扉を開けひょこひょこと入ってきたのは、実力容姿ともに到底教師とは思えない、とても幼く可愛らしい少女1人だったのだから。
彼女はよいしょと教壇に上り、ほんの気持ちばかりの小走りで教卓にたどり着き、名簿をその木製の天板の上に置く。
教卓からかろうじて口元が見える程度の身長。それを誤魔化して虚勢を張るかの如く上に伸びたアホ毛。歳は10から12ほどと言った所だろうか。
どこからどう見ても彼女は小等部高学年の女の子にしか見えないのだ。
少女は、生徒達から向けられる怪訝な眼差し、小動物を見るかのような母性の眼差し、悪い冗談か何かでしょ?と言わんばかりの虚ろな眼差しを一身に受け、それでもなお自信に満ち溢れた表情でこう告げた。
「皆さん入学おめでとう!今日から担任として皆を教育するシャルロ・レガートだよ、よろしくね!」
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朝のホームルームを終え、ヒノモト魔法女学院1年特Sクラスの女学生達は自称先生の少女に中庭に呼ばれていた。まずはレクリエーションをしてお互いのことを知ろうと言うのだ。
それ自体はなんらおかしな事を言ってるわけでもないし、充実した学園生活のスタートとしてはとても相応しい取り組みだろう。これから切磋琢磨していく仲間たちとの交流場を設けてくれたのだから感謝こそすれど文句を言う謂れは無い。ただ、そのレクリエーションの申し出を繰り出したのが生徒達よりも幾分か歳下の癖に先生を名乗る少女であれば話は別だ。
だだっ広く緑が芝生が生い茂り、そよ風が花壇に咲くチューリップの花弁をそっと撫でる。こんなおだやかな空間で友達とのんびりしながら仲良く昼食……非常に心地よい空間であろう。しかしこの広場の心地よいであろう雰囲気も今はどこか素直に良いものとは感じられなかった。
「はぁ…なんというか、大丈夫なのかなああの先生」
私は思わず深い溜息をついた。それを見て私の横にいた金髪ポニーテールの幼馴染み、アリナが微笑みながら相槌を打つ。
「そうか?まあ見た感じ全体的に頼りなさそうな風貌だが小動物みたいに小さく動いていて可愛いじゃないか」
「だから不安だって言ってんの!もう、ホントにあの子が私達特S級の担任なの?もしかして今年ハズレじゃないの?」
「相変わらず心配性だなベルは。ま、なるようになるさ」
予想どうりでの返答ではあったが、実際に言われるとその適当な返事には頭が重くなってしまう。私がまた小さく溜息をつくと、心配の種である少女が手を2回叩き大きい声で生徒達に呼びかけた。
「はいはーい、集まったらせいれーつ!教室の席順と一緒にこっちを向いて並んでねー!」
生徒達はその呼びかけを聞いて即座に、かつ綺麗に整列し私語も早々に打ち止めた。初対面の、しかも歳下の少女であろうが一応相手は実力未知数の先生。シャルロの魔道士としての強さが分からない以上は素直に従って、その裏心の中では本当に自分達を導くに相応しい者なのか値踏みをしている。
先生は生徒全員の特に滞りない整列の様子を確認したら、隊列の前で腰に手を当て仁王立ちする。そしてやや閉じ気味の右手を口元に当てこほん、と咳払いをしてみせた。やはりその姿はただの教師ごっこをしている小学生そのもの、といった所だろうか。しかし、横を見てみれば何名かの生徒は少女の容姿や仕草が愛くるしいらしく、その表情はさしずめ子猫やハムスターを見て癒されている乙女の様である。
「えっとね、これからレクリエーションをするんだけど、ここは我がヒノモト国で一番の魔法学校です。普通のレクリエーションは必要ありませーん!」
普通のレクリエーションは必要ない?やはり魔法学校では魔法学校らしく、しかも相当に厳しい蹴落とし合いでも始めるのだろうかと私は身構えた。
「あ、でもでも、争ったり戦ったりするものじゃないよ!仲良しが一番だからね。
じゃあ何をするのかと言いますと…」
そう含み気たっぷりに言うと少女は右手を頭上へと高らかに掲げ指をパチンと鳴らしてみせた。
「セット、かもーーん!」
なんだなんだ、何が出るんだと興味深く見ていたがしばらく経っても何か出てくることも無ければ何かが起こる素振りも無い。一体シャルロは何をしたんだろう?
そのあまりの変化の無さにクラスメイト達も次第に顔を見合わせどうしたものかと目配せしている。
生徒達がアイコンタクトで困惑の感情を共有したところでもう一度視線が少女に集中する。すると当の本人の表情がみるみる曇っていき
「あれ?あれ?おかしいな…えい、やあ!かもーーーーーーん!!」
焦った様子で何度も指をパチン、パチンと鳴らし続ける。が、何度やってもシャルロの求める結果には未だに辿り着けないようだ。そうか、よく分からないけど失敗したということだけは明白だ。トレードマークと言わんばかりにぴょこぴょこ跳ねていたアホ毛は心無しかちょっとしおれて下がっており、目には涙が溜まっているような気がした。
「先生はやくー」
「授業の時間終わっちゃうよー」
見かねた生徒達から徐々に野次が飛び始める。
「ご、ごめんね!も、もももうすぐできっ、できるから。ごめんね…!」
教師としての、さらに魔道士としての尊厳威厳をさっそく無くした少女は既に涙をポロポロと零しながら一心不乱に指を鳴らす奇妙な光景をもたらしていた。既に心は折れているだろう…。しかしこう、こうまであると嫌でも心の中に何か可哀想だと思う気持ちが生まれるようである。
私以外の生徒達もそれは同じだったようで、中には娘の運動会を見守る母のように涙するものまでいた。先ほどまで野次を飛ばしていた子達に至っては凄まじい罪悪感に苛まれるかのように悶絶している。ああ、このクラスは優しい心の持ち主ばっかりなんだろうと言うのが容易に分かるようである。
「が、がんばれー」
ハッと口をつぐむ。気がついたら私は目の前の泣きじゃくる少女に向けて応援の言葉を投げかけていた。あまりにも唐突に、無意識に出たものであるが故にすごく棒読みだったが……
「そうだ先生、諦めてはダメだ!頑張るんだ!!」
私の思いを汲み取ってか少女の気持ちを汲み取ってか、アリナも大きな声で鼓舞する。その輪は瞬く間に広がっていき、生徒達から次々に応援や励ましの言葉がシャルロに投げかけられた。
「み、みんなぁ……」
シャルロは予想外の声援にすがりつくようにさらに泣き出した。そしてすぐに涙をごしごしと左腕の服の袖で拭い取ると、生徒達の声援に応えるように渾身の振りで右手指を鳴らす。
そして時は訪れる。
シャルロの右手に煙がぼうん!と立ち、皆が目を見開いてその様子を見つめる。
煙が晴れてきた、彼女はこうまでして一体何を出したのか……!?
煙が完全に晴れた。
「クルッポー」
先生の右掌には1羽のハトが乗っていた。
私は思考が追いつかなかった。
皆も思考が追いつかない。
やがて、私たちは考えることを放棄した。
「クルッポー」
ハトは飛び去っていった……