第1話 後編
シン・ムサシ埠頭倉庫街→この都市のみならず→この国の貿易の要所の一つ。
そこに到着したのは→陽が完全に沈み切る前→5時57分→よし、間に合った。
しかし→具体的な場所の指定はない→なので→当てもなく歩き続ける。
「………おかしい」
人が少ないどころではなく→誰もいない→いくらなんでもこの時間にそんなことが。
―――パチパチパチ。
不意に響く→乾いた拍手の音。
そして→次々と点いていく街灯に照らされて→あの男が立っていた。
「―――6時ジャスト! いや~、素晴らしい健脚です。もしかして学校で陸上でもやってます?」
自然と→険しくなる眉→それを見て→しかしそいつは笑った。
「い~い目ですね~。憎悪に満ちた、素晴らしい目だ」
そして→帽子を脱いで→こちらに一礼。
「申し遅れました。ワタクシ、オロチと申します。以後お見知りおきを」
その→こいつの一挙手一投足が→気に食わない。
「御託はいい。……父さんはどこだ?」
自分としては→相当ドスを込めて言ったはずだが→オロチは笑みを深めるばかり。
「おやまあ。随分と余裕を失くしているようで。……ま、いいでしょう」
そして→コートに手を入れる→銃か何かか→そう思ったが→そうではなかった。
奴が出したもの→それは手だ→そして→その手首にある物は。
「父さんの、時計……?」
それはよく父さんが自慢していた→思い出深い時計で。
「イブキ~~。父さん出張でしばらく帰れそうにないみた~い。だから手だけ持って帰ってね♪ ……なんつって~~~~っ!!」
何が→何が可笑しいんだ?
「首の方がインパクトあっていいと思ったんですがね。意外と重いんで潰しちゃいました。インテリは頭でっかちで困りますよね、ホント~www」
身体の震えが止まらない→これは恐怖でもない→寒さからくるものでもない。
そんな自分を見て→ポンと手を叩くオロチ。
「あ、やっぱり目とかの方がよかったですか?」
「―――ふざけるなああああーーーーーーーっ!!!」
怒りが→炎の様に爆発した。
10メートルほどの距離を→一足で詰め寄り→拳を振り上げる→その腕はあの時の様に異様な形となっていて。
―――構わない。
この男を殴るのに→なんの問題があろうか。
グロテスクなそれを→オロチの顔面目掛け降りぬく。
しかし。
「……定着と発現はまあまあ。構成も悪くない感じですね。いい感じですよ、イブキくん」
その拳は→奴にこともなげに受け止められ→そして→オロチはにやぁ、と笑う。
「……だーけーどーーーーーっ!!!」
下腹部に強い衝撃→オロチの目にも止まらぬ蹴りが→自分を先ほどの位置まで吹き飛ばす。
「全然足りません。そんなんじゃぜーんぜん足りないんですよ、イブキくん!!」
やはりこの男→普通じゃない。
「やっぱりあれか? 学校の連中皆殺しの方がよかったかぁ? ひひひひゃははははははははっ!!!」
身体も心も→人間とは考えられない。
身体に力を込める→だったら→遠慮なく壊してやろう。
動悸の早さが→最早気にならない→むしろ爽快だ。
だが→そこに→カツンカツンと→足音?
「……奇妙な気を辿ってみたら、おもろいことになっとるやないかい」
その少年は→確かに見覚えがある。
「君は……?!」
「おう。エンノ・シトラ、ただいま参上や。リベンジしにきたでえ、オオエ君!」
なんとまあ→これはどういう状況なんだ。
自分の命を狙ってきた少年に助けを求めるわけにもいかず→しかし隙を見せるわけにもいかない→何とも間抜けな感じだ→どうしたものか。
「……もしかしてオオエ君。今取り込み中か?」
もしかしなくてもそうです。
そして→ようやくオロチの姿に気づいたのか→目を細めるシトラ。
彼の姿に→オロチもポリポリと頬を掻く→やはり通じているわけではないのか。
「えーと。どなた様ですか? ワタクシたち、今忙しくて……」
だが→言葉を待たず→シトラの目がギラリと光る。
「ちょい待ちいや、そこの切れ目。お前もバケモン(フリークス)やな」
「………ほう」
そこで→ようやく合点がいったという様に→オロチもニヤリと笑う。
「モグリの退魔師ですか。時代錯誤もいたものですねえ」
「……なるほどな。事情は大体呑み込めたで」
そうか→ならもしかして助けてくれたり。
「いわゆる縄張り争いってやつやなっ!?」
は?
「バケモン同士でもそういうことあるんやな~。びっくりした……でっと!!!」
言い終わるや否や→オロチへ切りかかるシトラ→その手には自分を切り付けたナイフ。
攻撃自体は外したが→オロチは舌打ちすると→一先ず距離を取る。
「―――いきなり何しやがる、このクソガキっ!?」
「どう考えてもアンタの方が大物なんでな」
そして→チラリとこちらを見るシトラ→命拾いしたな、オオエ君→今回は見逃しといたるわ。
シトラの袖から→大小様々な札が零れ落ちる→それは風に舞い→まるで意思を持つように宙に浮く。
「―――その御首、頂くで!!!」
テレビで見た小魚の群れの様に→オロチへと殺到する札たち→その規模に舌打ちするオロチ。
「……手前ら!! 逃がすな!?」
何を逃がすのか→そういう疑問を挟む前に→左右の倉庫の扉が開いていく。
そこにいたのは→昨夜と同じ→漆黒の重装殻→ただし今度は二騎。
「―――またか」
最早驚かないが→敵が二体か→ちょっと面倒だな。
倉庫の間を逃げる→狭い道だ→しかし。
「―――っ?!」
倉庫の上を走って追ってくる→どうやら逃げられない。
だったら→倒すしかないじゃないか。
自分も上に昇り→たかが鉄の塊に→右腕を思いっきりぶち込む。
『―――っ!!?』
声にならない悲鳴→いける→いけるぞ。
続けて何発も打ち込む→そのたびにひしゃげていく重装殻。
なんだ→なんてことないじゃないか→聞こえてくる操縦者の悲鳴も心地いい。
―――楽しい→壊すことがこんなに楽しいなんて。
しかし→夢中になりすぎて→もう一騎のことを忘れていた。
「―――っあ」
気づいた時にはもう遅い→その銃口はこちらへと向いていて。
だが不意に→その射線を塞ぐものが現れた。
札→大量の札だ→それらは重装殻に覆いかぶさるように展開すると→一斉に強い光と共に爆散した。
しかし→巨人はそれでも壊れない→だから壊す。
ひるんでる隙に詰めた間合い→拳を叩き付けるに相応しい間。
「うおおおおおおおおおっ!!!」
そして→もう片方の重装殻も沈黙する→よし→残りは―――。
札の飛んできた方へ走る→おそらくこれを辿れば。
果たして→その通りに二人はいた。
ボロボロのシトラ+それを踏みつけるオロチ→想定内の状況だ。
身体が熱い→しかし頭は冷えていた→凄く冷静だ→今なら人殺しなんて造作もないだろう。
「……おやあ? 意外と遅かったですねえ。まだ始末できていないんですよ。すみませんね~」
「………っ」
足蹴にされながらもオロチを睨むシトラ→まだ生きている→自分の中の何かが葛藤する。
そして→オロチは足を振り上げると→まるでボールの様に→シトラを蹴り飛ばした。
吹き飛ぶ彼が→酷くゆっくりに見える→このままコンテナにぶつかれば→ただでは済まないだろう。
―――だから。
考えるよりも早く+速く→身体は動いた。
コンテナとシトラの間に入り→その体躯を受け止める→そして→受け止め切った。
「……お前、なんで……?」
何故→それは勿論。
「―――助けてくれただろ」
「………っ!」
それ以上の言葉は要らない→そして→その余裕もない。
シトラをその場に下し→奴と対峙する。
恐れはない→真正面から見た奴の姿は→酷く歪んで見えた。
「……いいねえ、その目。よーく仕上がってんじゃねえか。ええっ?! イブキくんよぉ!!」
動機が加速する→血が沸騰する→体が燃える→だが→異常を示す身体などどうでもいい。
―――自分は今、こいつを殺したい。
それが→まぎれもない事実。
「そうだ! 殺意! 悲しみ! そして絶望!! それがお前の階層を引き上げる!!」
一歩一歩踏み込むたびに→殺意が増していくのがわかる。
それと同時に→思考が停止していくのも。
あの時もそうだった→自分は心を空にして→ただ歩いていた→廃墟と化した街を。
楽しかった思い出→彼女と過ごした日々。
悲しかった思い出→皆と過ごした日々。
ああ→そういえば皆と遊んだこともあった→数少ないけれど。
あの時は→ドロケイをしていたんだっけか→鬼に真っ先に捕まって→そして。
「―――イブキはここ出たら駄目だぞ」
捕まったら牢屋から出てはいけない→そうして自分は→追いかけっこをする皆をひたすら眺めていた→ずっと→ずっと。
でも→もう待っていなくていいんだ。
「―――っ」
一歩を踏み出す→全身が総毛立ち→全身に強い痛み+快感が走る。
自分の総てが→置換されていく。
「そうだ! 行けっ! 壊せっ! 境界を踏み越えろっ!!!」
全身が赤黒く染まり→変形し→壊れていく。
その痛み+喪失+快感の中で→自分は彼女のことを憶えている。
血塗れの彼女を抱えて自分は泣く→しかし→彼女は泣かない→優しい笑顔でこちらの頬を撫で。
「―――――貴方を、許さない」
自分は→決定的に→何かを喪った。
風が吹いた気がした→熱く+冷たく→恐ろしい風が。
それが止んだ時→自分はもうすでに人間ではなかった。
「―――な、なんや。それ……?」
全身が赤黒い流動的なタールで覆われ→そこかしこに存在する突起→顔もおそらく人のそれではないだろう→そう→怪人とでも呼ぶべき存在。
そうか→彼女の言った通り→自分はとっくに人間ではなくなっていたのだ。
ああ→だというのに→何なのだ→この気分の高揚は。
世界に胸を張って言いたいくらいだ→自分は今誕生したのだと。
だが→そんな自分を見て→笑う者がいる。
「……ひひひ。ひひゃはははははははははははははははは!! 遂に破りやがった。人の殻を破って、新たな姿――形骸を手に入れたなぁ!! おめでとうイブキく~ん。あひゃははははは―――!」
その笑いが止む前に→身体は自然と動いていた。
オロチに肉薄し→拳を見舞う→周囲の時間+奴の表情の変化さえ→何もかも遅く感じた。
酷く軽い手応え→人は軽いな。
コンテナへと吹き飛ぶオロチ→追うこともできるだろう→しかし。
「な、なんちゅう力や……」
確かに凄い→あれで生きていることが。
グシャグシャのコンテナから奴が立ち上がる→酷く当然の様に→その顔に笑みを携えて。
「くくくくくっ。上々、上々です! ……だがよぉ」
その目が→怪しく光る→そして気配も一変する。
「形骸ってのは……こう使うんだよぉっ!!!」
それまでの飄々とした態度から→捕食する肉食動物のそれへ。
オロチの周囲が歪み+折れ→吹き飛ぶ。
そして→そこにいるのは→自分と同じような→決定的に違う蒼の怪人。
―――面白い。
それでこそ→待った甲斐があるというものだ。
すでに→自分の中にあるのは→闘争への悦楽のみ。
「―――オラァッ!!!」
奴が来る→速い→圧倒的に。
しかし→自分も速い→それに対応できている→しかし。
(―――愉しい)
奴の攻撃は徐々に激しくなり→少しずつ自分の傷は増えていく
このままいけば→間違いなく自分は負ける→だというのに。
(―――愉しいっ!!)
ああ→何たることか→最早そのようなことはどうでもいい。
今この時の悦楽が何よりも尊いことを自分は知っている→だからそれ以外のことなど些事に過ぎない。
そしてそれは→敗北や→死であっても。
だが→視界の隅で→シトラが札を構えるのが見えた。
「―――邪魔すんじゃねえっ!?」
オロチの体表から→鱗のような弾丸が飛ばされる→それは容易に人体を撃ち抜くだろう。
「―――っ」
だから→自分のしたことが理解できなかった。
何故→シトラの前に立ち→彼を庇ったのか。
「……はんっ。まだ理性が残ってたかぁ?!」
オロチがこちらに突進し→それを全力で受け止める。
「それじゃ足りねえ!! もっと、もっとだ! 理性を燃やしきれ!! 本能すらも超えろ! 憎しみと絶望に恐怖しろぉっ!!」
そうだ→もっとこの時間を楽しもう。
楽しんで愉しんで→全てを喰らい尽くそう。
だが。
(―――しい)
心のどこかで→何かが叫んでいる→今にも消え入りそうな声で。
(―――苦しい)
ああ→こんなにも楽しいのに→何故止める。
自分の中の矛盾した感情→それはすなわち→葛藤。
葛藤は涙となり→目から零れ落ちる→叫びの代わりに。
だが→これ以上自分に何ができるだろう。
目の前の男にも勝てず→後ろの少年も救えず→そして死んでいく。
悲しみは燃え尽きた→しかし→涙がその残滓を拾う。
だからその時→音が見えた。
―――君が世界に憎まれようとも
―――私だけは君を見守ろう
―――君が世界の敵であっても
―――私だけは君の傍にいる
―――手を繋ぐために そのためだけに
―――ずっとずっと 傍に居続けよう
静謐な音→何よりも清らかで→美しい→そんな歌声
どうしたことか→今まで荒んでいた心が→たちまちの内に落ち着きを取り戻していく。
それはオロチの向こう→点滅する街灯をスポットライトに→歌い上げる少女→彼女はまさしく。
「エイナ、さん……?」
「―――なんだっ?! 活性が低下してる!?」
狼狽えるオロチ→それと同時に→奴の力+圧力も→徐々に弱まっていく。
そしてそれは→オロチが彼女を見たことで決定的になった。
「―――歌姫……!?」
ここしかない→今この瞬間しか勝ち目はない。
だから→振り上げた拳に→全身全霊を込める。
「――おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!」
咆哮→そして→振りぬかれた拳が→オロチに突き刺さる。
「しまっ―――?!」
爆発するよりも重く→潰れるよりも高い音+衝撃が→あたりに響き渡る。
吹き飛ぶ蒼の怪人→その身体は彼女の横を通り過ぎ→コンテナを破壊し→そのまま暗い海へと落ちていく。
奴の着水音と共に→歌も終わる→いつまでも聞いていたいが→自分も限界だった。
膝から崩れ落ち→何とか倒れるのは防いだが→強い虚脱感+疲労感→身体が動かない。
だが→もういいのか。
(………終わった)
そう→安堵する→それは早かった。
激しい水音と共に→一つの影が上陸する→それはまさしくスーツ姿の奴であり。
「………このクソガキどもがっ!!! 皆殺しに―――!!」
まずい→もうどうすることもできない。
しかし→オロチの表情が→急変する。
「―――なんだと?! ふざけんなっ! 俺は………っ!?」
まるで→見えない誰かと話してるように→宙に叫ぶオロチ。
しかし→強い舌打ちをしたかと思うと→終にはその殺気を消した。
「……逃げる気ですか?」
彼女に問われた奴の顔は→これまでになく人間らしく歪んで。
だが→すぐにその顔を逸らす。
「貴方たちの目的は何です? 形骸を増やしてどうするつもりですか?!」
彼女の追及に→奴は逡巡するそぶりもなく→顔を上げた時には→初めと同じ軽薄な笑顔が張り付く。
「―――嫌ですねえ。決まってるじゃないですか」
しかしそれは→まるで泣き顔の様にも見えた。
「人類の生存、ですよ―――」
その言葉を最後に→オロチの身体は掻き消え→辺りには波の音が響き渡る。
―――助かった。
―――でも。
―――仇は取れなかった。
疲労よりも→強い後悔が→顔を下に向かせた。
だが→そこに差し伸べられるのは→一本の腕。
「……やるやないか、オオエ君」
シトラが→不敵な笑みを携えて→手を差し出していた。
恐る恐る→その手を取る→二人ともボロボロだが→その細腕は驚くほどしっかりとしていて→一息で自分を立たせてしまった。
だが→そのまま手を放すことなく→キラーンと目を輝かせると。
「よっしゃ、調ふ―――!?」
く→という前に頭を叩かれる→それも二人同時に。
そこには→眉間に皺を寄せた→エイナの姿が。
「そんなぼろぼろでまだやる気? 言っておきますけど、これ以上は見過ごせませんからねっ!」
「……おっかない女やな~」
その嗜める口調は→まるでどこぞの委員長のようで→少し可笑しい。
しかし→それが気に障ったのか→今度はこちらを睨む彼女。
「……君も。何かあったら連絡してと言ったでしょう?!」
ああ→そういえば→そんなことも言っていたか→なんか微妙に違うような気もするが。
あの時は→ひたすら頭に血が昇っていたから→そんなこと忘れていた。
だから→彼女に殴られるのも→覚悟していたのだが。
「………まったく」
だけど→彼女がくれたのは→優しい微笑みだった。
ふわりと→彼女の小さい手が→自分のくしゃくしゃの頭に乗る。
それは→なんて温かい。
「―――間に合ってよかった。本当」
その微笑みは→忘れた記憶さえも震わせて。
―――ああ。なんて………。
急速に暗転していく視界+傾いていく身体。
「――ちょ、ちょっと?!」
受け止めてくれた彼女の温もりが→切ないほど愛おしくて→頬を熱いものが流れていくのを止められない。
その熱の全てが→自分が生きているのだということを→強く実感させてくれて。
これが感謝かと→確かな思いだけが→消えていく意識の中で→いつまでも残り続けていた。
プロデュース業が忙しいので更新は遅れるでしょう。