生命なき幽霊《マシン・ゴースト》
――ローディアには『全天視野』という技能が備わっている。
地上のあらゆるモノを真上から観測し、「見る」ことのできる技能だ。
それと戦闘機の所持する各種センサーとレーダーを活用し、米原みらいは一番人気のない、高層ビルと高層ビルの合間、街の路地裏に舞い降りる。
ヒトの眼の行き届かない路地裏は、ゴミや新聞紙が散乱し、つむじ風にさらされていた。
米原みらいは地面に降りるや否や、即座に霊機融合を解除し、近藤さなをローディアに預けると、一目散に何処かへ向けて走り出す。単独で。
空を行く途中、米原みらいは大事なことを思い出したのだ。
リズリットもローディアも、財布なんて持っていないし、お金なんてあるはずもない。しかし、米原みらいの白い長サイフにも、入っているお金は数百円しかないのだと、気づいたのだった。
目指すは最寄りのATM。
正午を過ぎた今、常盤主任が言っていた『初任給』とやらが自分の口座に振り込まれているはずだ。
昨今では、全国民に配布されたシリアルナンバーを介して、登録した端末で金融機関の利用が可能になっている。
米原みらいはATMにたどり着くと、自分の預金高を確認する。
そして言葉を失った。
「……ひゃく……ろくじゅう……よんまんえん……!?」
一般女子高生からして、見たことも無い数字が振り込まれている。
お値段は約164万円。しかしながら、そこから51万円引き出されており、実際の預金は113万円になっていた。
「し、しかも、しっかり福沢諭吉さんが居なくなってる……!」
その理由に、米原みらいはすぐに気づいた。
常盤主任の仕業である。
言葉通り。常盤主任に呼び出された時、10秒遅れるごとに一人いなくなると言われていた福沢諭吉さん51人が、懲戒免職を食らっていたのだ。
それでも113万円は破格だと言えよう。
とりあえず、13万円を引出し、米原みらいは皆の元に戻る。
その途中、米原みらいは、すでに立ち寄るお店を決めていた。
ATMまでの道のりにあった、カレー屋さんである。
というわけで。
席に案内され、適当におすすめカレーなるものを全員注文し終えた後、
「で、どうしてカレー屋さんなのよ」
「カレーが嫌いな人は世の中に居ませんので!」
リズリットの声に、米原みらいは得意げに答えた。ちなみに基地でも毎週金曜日はカレーと決まっている。
「ソースはどこよ」
釈然としない感じのリズリットに、黒い液体の入った小瓶が差し出される。
「はい」と、米原みらい。
「違うわマスター。私が言っているのはAじゃなくてOの方よ」
「血液?」
「違うわマスター。血液型ではなくて、スペルの話なのだけど……」
まぁいいわ。もう、カレーでいいわよ、と首を傾げる米原みらい《マスター》を見て、リズリットは嘆息混じりに諦めた。
本当の所、何の情報も無い中、近藤さなの好みも解らず、店を探している時間も惜しいという点で、あるいみ「とりあえずカレーで」という米原みらいの決断力は優れている。――はずなのです。
とはいえカレーの香りというものは、よほど嫌いでない限りヒトの心をくすぐるもので、それまでぐったりしていた近藤さなが、ちょっとそわそわしている。
くぅぅー。くぅぅー。くぅぅー。
鳴り止まぬお腹の虫。
お腹を押さえても、さしたる効果も無く、近藤さなは苦笑まじりにグラスの水を飲んで紛らわしている。
やがて注文から15分を過ぎたころ、白米の上に渋紙色のルーを乗せた、カレーライス、が人数分運ばれてくる。
テーブルに置かれたそれに、近藤さなは言葉無く、瞳を輝かせ、今にも皿ごとかぶりつきそうな勢いで尋ねるのだ。
「あ、あの……た、食べてもいいんですか」
ええ、とリズリットは頷き、ローディアは、そのためにここまで来たのです、と微笑を浮かべている。
そして、主催者及び、スポンサーである米原みらいの一声が、決戦の開始を高らかに歌い上げた。
「どうぞ! お代わり自由です!」
なにせ今宵の財布には福沢諭吉さん13人というかつてない戦力だ。米原みらいは強気だった。一皿1000円でも、130皿まで許容できるのである。
許可が出た瞬間、スプーンを取った近藤さなは、いただきます、と気合を入れて掬ったルー&ライスを、はむ、っとやった。
安心と信頼の味。
出来たての熱さに、スパイスの効いた香り。
印国、仏国、英国を経て日本に根ざした歴史と伝統の和音が、普遍の日常と、大衆文化の極みを体現している。
日本に登場して150年余り。その一匙には、時代とともに日進月歩してきた『いつもの味』がある。
美味いなどとは言わない。言えない。そんな暇など毛頭ない。
近藤さなの声を出す口は今、塞がっているのだ。
近藤さなは、ただ空腹を満たすために、無心でカレー&ライスをかきこんだ。
水を飲むことすら忘れ、およそ、少女とは思えぬ豪快さで、あっという間に一皿を平らげる。そして、一気に水を飲みほして手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
満面の笑み。
他の3人が殆ど手つかずの状態なのは、その姿に心を奪われていたから。
カレー屋さんを選択したことの正否は既に愚問だ。
「まだ余裕あるなら、私の分もどうぞですよ」
米原みらいが手つかずだった自分の分を差し出す。自然と出た笑みとともに。
それに、近藤さなは首を振った。
「もうお腹いっぱいです」
「そう?」
「もともと小食ですから」
「そっか……」
いくら空腹だったとしても、許容量以上はあふれてしまう。致し方ない。
「ふたりが要らないなら、私が頂くわ」
とリズリットが口を出す。
「燃費が悪いのですね、戦闘機は」
「うっさい! 構成素材が得られればなんだっていいの!」
それから、リズリットが2皿を平らげた後。
店を後にした皆は、近くの公園に足を運んでいた。
一つのベンチに近藤さなが座っている。
そこに『トロピカルな缶ジュース』と『針江のおいしい水』と描かれたペットボトルを手にした米原みらいが戻ってくる。
そして缶ジュースの方を、近藤さなに差し出した。
「ありがとうございます」
近藤さなが、受け取ったのを見て米原みらいはベンチに座る。
缶ジュースを両掌で持って膝上に置き、ハンドクーラー代わりにしつつ、近藤さなは米原みらいの横顔をみつめている。
米原みらいは、ペットボトルを開けて水をがぶ飲みしていた。
その水が一気に250ミリリットルほど減ったあたりで。
「あの……みらいちゃんでしたっけ」
「うん?」
近藤さながポツリと言う。
「みらいちゃんですよね、私のことを助けてくれたの」
その言葉に米原みらいはドキリとした。もしかして昨日の戦闘の記憶があるのだろうかと。しかし違う。
「うろ覚えなんですけど、聞いたことある声だなって……。何度も名前を呼んでくれていたような気がするんです。夢の中で、と思っていましたけど、現実だったんですね」
近藤さなは、樹海で目を覚ました時のことを言っているのだ。だが、その後のことを思うと、米原みらいの心境は複雑だった。
「まぁその、助けたというか……」
――傷つけたというか。目線が泳ぐ。
諸事情があったにせよ、こんな小柄な少女を殴り倒してしまったことや、相手の了承も得ぬままキ……。
ふるふる、と米原みらいはイケナイことを思い出しかけて首を振る。
どちらにせよ、良い行いであったとは思えなかった。米原みらいにとっては。
だから。
「ありがとうございます!」
食事までお世話してもらって、とちょっぴり涙ぐむ近藤さなに、素直に、どういたしまして、と言えない。素直に笑えない。米原みらいの顔に浮かぶのは困惑だ。
「そんな。感謝なんてしないでください」
しかし、近藤さなには謙遜にしか見えないのである。
「いつかその……お返ししますね」
「別にいいですよ、そんなの」
心からの微笑を浮かべる近藤さなと、苦笑を張り付けたような米原みらい。ペットボトルの水を飲み干し、米原みらいは容器を握りつぶす。くずかごへ向けて放られたそれが、見事にゴールを果たした。
空っぽだった金属性のくずかごから、残響が木霊する。
「ところでなんですが……」
近藤さなの眼が、リズリットと噴水の傍に立つローディアの背中に向けられる。
白い燕尾服と、貴婦人じみた日傘をさす黒いドレスは、対照的でよく目立っていた。
「ローディアさん?」
きっと独房に居る間、ローディアはただのうさぎを演じていたのだろう。
それが、言葉を話し、人間に化けるとあっては不思議に思うのは仕方のないことだ。
「ローディアさんは、たぶん良い人ですよ」
「それはなんとなくわかるんですけど。その……ウサギの幽霊とかじゃないですよね?」
一度死ぬような経験をしたからか、そのきっかけで、見えない筈のものが見えるようになってしまったとか、近藤さなは思っているのかもしれない。もしくは、マスターとしての感覚かもしれない。米原みらいがリズリットのことを、ちゃんとした『生き物』ではない、と思っているのと同じだ。
米原みらいは、「それは……」と言葉を濁すが、
「……あんまり間違ってないですね」
えっ。と近藤さなが驚く。肯定されると思わなかったのだろう。
「あのあのあの。どうして肯定しちゃうんですか」
「どうしてと言われても。私もそんな気がしますし」
米原みらいは平然と言うが、近藤さなはあたふたしている。
「でも、足有りますよね」
「四本ありますね」 うさぎの時。
「あ、ほんとです。あれ、四本もあっちゃダメなような……」
近藤さなは頭を抱えだした。大分混乱しているようだ。
「まぁ、とりあえず、幽霊だということで良いじゃないですか」
『コア』とかそういうことは置いといて、米原みらいにも難しい説明は出来ないし、幽霊だと思っておいた方が、簡潔で納得しやすいのではないか。
そんな米原みらいの投げやり感は、近藤さなのお気に召さなかったらしい。
「それは困ります! 幽霊は、見るのも成るのもダメです……」
「あれ?」
泣きそうになってしまった近藤さなを、どう収めようかと悩む米原みらい。
そんな頃合い。
幽霊扱いされているとは露も知らないローディアは、公園の噴水の前にリズリットと佇んでいる。
「3時間くらい経ったけど、どう? 動きは?」
噴水を見つめたままのリズリットが、ローディアに尋ねる。
ローディアは米神に指を当てて、目を閉じて検索している。
『全天視野』による上空からの監視の眼は、それが地球上の物ならば何万キロ離れていようと健在だ。
「問題ないですね。さきほどの建物の近辺に動きは見られません」
「そう。鈍いわね」
「しかしどうします?」
それは恐らく、今後どうするのかという問いかけだろう。
「どう、と言われてもね。戻ったって仕方なさそうだし、かといってこのまま外にいても、何れ見つかって追われるのは目に見えているわけよね」
「我々ならば、逃げおおせることも難しくないとは思いますが」
「それは無理ね」
「なぜです」
「理由は二つ。一つは、マスターの手帳、ワッペン、それと身体の中に発信機が備わってる。もう一つは、私の注文した武装を受け取らなきゃいけないからよ」
「かといって戻りたくもないのが正直なところなのですが……」
それは考えが甘いのだと、リズリットはローディアを糾弾する。
「元々生き物を殺すために生まれてきた『コア《わたしたち》』には、何の後悔も罪悪感も無いけど、人間たちにとって貴女たちは大量虐殺犯なのよ? その事実は簡単に消せないわ」
許してもらうには時間がかかるでしょうね、とリズリットは静かに付け加える。許してもらえなければ、また独房に監禁されるだけだろうと。
訪れる静寂、水音、米原みらいと近藤さなの話声。
定期的にパターンを変える噴水の、そのパターンが1巡したあたりで、噴水を眺め続けるローディアに、リズリットは独白するかのように言う。
「もしも、だけれど」
「もしも?」
「そう。もしも、貴女たちの立場を改善したいなら」
「なにか手が?」
「――貴方たちが殺した人間以上の数の他人を救うしかないわ。それは殺した数の10倍かもしれないし100倍かもしれない……。でもそれしか方法は無いんじゃない?」
「救う、ですか。この、人を殺すために生まれたわたくしが?」
「あほなのあんた」
ローディアが怪訝な顔をする。遺憾だと。
リズリットはそこで初めて、ローディアの顔を見た。その瞳に問いかける。
「貴女は勘違いしているわ。兵器は武力を破壊するためのものでしょ? 人が死ぬのはその結果についてくるだけのものよ」
違う? とリズリットの眼が言う。
「わたくしの存在意義は、殺戮ではないと?」
「当然じゃない。相手の武力を奪うってことは、向けられた人間を救うってことだもの」
結果を先に見て考えちゃだめよ、とリズリットは言うのだ。
「マスターを守ることだけを、考えていなさい」
マスターの幸せのみを探究する。それがすでに答えだからと、さらにリズリットは言った。
だからローディアはくすりと笑う。男性的な見た目に反する、少女らしい笑いだった。
「それは、たやすいことですね」
「意外と難しいわよ?」
つられて、リズリットも笑った。
そうして、いつの間にかベンチの米原みらいと近藤さなも談笑になっていて。
リズリットがそれを邪魔しに向かう。
その時。
「リズリット!」
「どうしたの、ローディア?」
慌ててリズリットがローディアを振り返る。
「動きがありました」
「さっきの場所で?」
「いえ……! それが――」
ローディアが言いかけたタイミングで、米原みらいの端末にも呼び出しがかかる。
米原みらいが端末を取り出して応じると、「常盤」だ。といつもの声。
「フェニックス、緊急事態だ。こちらで高MV振動を検知した、ただちに向かってくれ。場所は、裏祇山より南西に10キロほど下った地点だ。振動の中心はこちらの方角に向かって時速200キロで移動中にある。あまり信じたくはないが、感染者かもしれん。とにかく、被害が拡大する前に抑えてくれ」
常盤主任の口早の報告と命令だ。
米原みらいに断ることは出来ない。兵士54名とヘリ5機分の働きをすると誓った手前もある。
「了解しました……」
リズリットに対するローディアの無言の頷きは、その報告が事実であることを裏付けている。
だが、『全天視野』のローディアの情報はそれ以上だ。
「その端末を貸してください、こちらで捉えた映像を送ります」
米原みらいが、ローディアに端末を差し出すと、すぐに映像が送られてきた。
ベンチを中心に、それに皆注目する。
映し出された映像に映るものは、巨大な球状の物体だった。その物体から、無数の手と足が生え、いたるところに砲塔が付いている。まさに、怪物と呼べる形状と存在。それが大小10枚の回転翼で地上数十メートル付近を浮遊し、飛翔している。
「……これって」
米原みらいは、気づいた。気づいてしまった。
もちろんリズリットもだ。
「まさに怨霊ね……」
そして、近藤さなは意味が分からない様子だ。
「……どちらにせよ、迎撃に出るしかないわね。私の予想が正しければ、そいつの狙いは……」
「うん……! リズさん、もっかいアレを!」
「わかってるわ、マスター!」
米原みらいは、ベンチを立つ。
「さなさん、ごめんね。急用だからちょっと行ってくる」
そうして、米原みらいとリズリットは駆け出した。
機密組織所属であるため、他人の眼を避けなければならない。公園の公衆トイレの裏へ駆け込んだ二人は、次の瞬間には、漆黒の戦闘機と化して、上空へ舞い上がる。
あっという間に、高空へ姿を消す米原みらいの姿を、近藤さなは唖然と見送るばかりだった。
ローディアは、少し悲しそうな顔で見送る。
「……申し訳ありません、みらい様、リズリット、ご迷惑をかけます」
読んでくださってありがとうございます。