霊機融合《オーバーライト》 ~後編~
何処までも続く真夜中のモノクロームが、空間を満たしている。
そこに鳴り響く機械の駆動音。
巨大なシャッターが巻き上げられ、暗闇を押しのけるように眩い光が入り込んでくる。
その光の中に、人影が佇んでいた――。
同時に光は空間の中にあるものを浮かび上がらせる。
人影が口を開く。
「X‐4。貴様に仕事を持ってきた」
白衣をはためかせるその人物の居る場所は、九州地方北部に位置する、とある航空自衛隊の基地だった。
そこのハンガーに、X‐4は眠っていた。
X‐4とは日本の220社に及ぶ協力を受け、数多の検証と、数多の実験機の試作と、数多の改修を経て、ようやく完成した試作戦闘機のコードネームだ。
正式名称はなく、X‐4のコードネームで呼ばれていたその機体は、数年前に閉じたプロジェクトの成れの果てだった。
同時に計画されていたX‐5との検討の結果、X‐4が敗退し、最後の試作戦闘機だけが数年の間保存されていた。
性能こそX‐4が圧倒的であったにもかかわらず、部品点数が少なく、安価で量産しやすいX‐5が選ばれたのは当然だったともいえる。さらに、X‐4の尖った性能はパイロットの負担も大きく、安全性への危惧も敗退した原因の一つだった。
敗北し、時を経た今、ハンガーで眠る漆黒の翼は三日後の死を待つだけの状態だった。
X‐4はもうすぐ解体される。役に立たない道具に未来はない。
戦闘機というものは、置いておくだけでも維持費がかかる。貴重な国税を、飛ぶ未来のない鉄くずに費やす余裕は、もう無かったのだ。
しかし、そこに――。
それを救いにやってきた人物がいる。
常盤美央。
対マシーナリーウィルスプロジェクトの責任者に抜擢されたばかりの若き研究者だった。維持にもお金はかかるが、もちろん解体作業にもお金は必要だ。それも解体対象が戦闘機ともなれば費用は高額になる。
国の極秘機関という権限、無償で戦闘機の解体を請け負うと言う甘い言葉を利用し、常盤美央はX‐4を譲り受けた。
書類を交わした今、X‐4はもはや常盤美央のものだ。
常盤美央は、懐から、金色に輝く結晶を取り出した。
「我々には貴様の力が必要だ。……今ではない近い未来に、必ず貴様は我々の切り札になる」
その結晶は人工的に生成した疑似MVコアだった。常盤美央はそれを戦闘機に向けてかざす。
「そして誓おう。私は私の、この選択を、信じぬくとな」
コアから放たれる黄金の輝きがハンガー内を埋め尽くし、空気の流れがかき乱される。
X‐4を構成するあらゆる部品が、あらゆる分子が、あらゆる原子が。
砂のように毀れ、気流に巻き込まれ、まるでブラックホールの特異点と化したコアの中へと収集されていく。
宇宙に散る那由多の星たちのように、輝き、暗闇を染め上げ、コアの周囲を渦巻くそのひと時は、地球外の縮図を閉じ込めるかのような様相だった。
それから幾許かの後、再び静寂が訪れ……そこにあったはずの鉄くずは、姿を消していた。
常盤美央はコアを懐にしまうと、代わりに端末を取り出して操作する。
通信回線が開くと、いつものように、常盤だ、と一言告げ。
「こちらはうまくいった。そちらの首尾はどうだ」
「……」
「そうか。ではあとは宿主を探すだけだな」
「……」
「ああ、とりあえず近場のあらゆる公的機関と、病院施設に根回しをしておけ。こちらの条件にあう良い死体があれば連絡せよとな」
そうして常盤美央は白衣を翻し、もぬけの殻となったハンガーを後にする。
機械の駆動音が鳴り響き、シャッターが閉じられ、ハンガーは再び暗闇に閉ざされた。
消え失せた米原みらいの意識の中――
あぁもう、情けないわね。
不意に、何かの声が混じりこんでくる。声色の高い、幼い少女のような声だ。
それが、心配気に米原みらいに語りかける。
「貴女こんなところで死ぬ気なの?」
「……し、ぬ?」
「そう。貴女、よくわかってないと思うけれど、今死にかけてるわ。いいの? あなたはそれで。このままなにもしないまま終わりで良いの?」
「そっか、私……」
米原みらいは思い出す。たった数分前まで生きていたこと。近藤さなという少女のこと。
何もしないまま終わりでいいのか?
そんなこと、言うまでもない。
誰の声か米原みらいに心当たりは無いが、良いか悪いかで言えば、即答できるくらいに決まっていた。
逃げたい心と同時に、常にそれは渦巻いていたのだ。
何もせずに人が死んでいくのを傍観していたということは、見殺しにしていたのと同じである。
非力で何もできないならば仕方ないかもしれない。
しかし――。
「私に……」
「なぁに? よく聞こえない」
「私に! 本当に!! あの娘を止められる可能性があるなら……!!」
「あるなら……?」
「止めないと……」
これ以上の殺戮と、街に及ぶであろう被害を止めたい。
本気が出せるものならば、出したいと米原みらいは願った。
その願いを、その心を、その魂を。
声の主は、力に変える。
声は「ふふん」と。一言得意げに応じる。
叱咤していた声が、次に元気いっぱいに響く。
「そういうことなら、まずは、立ちあがってもらわなきゃね。特別に私の力を貸してあげる」
「立てるの……? もう腕も足も無いのに……?」
「大丈夫、まかせて。貴女は私のモノなんだから、こんなところで終わらせないわ」
声がそう答えた後。
倒れ伏し、動かなくなった米原みらいの身体に変化が生じる。粒子兵器により切断され、転がった右腕と右足の構成素材が分子単位で崩壊し、そうして本体の断面に再構成を始めた。
1秒ごとに、みるみると修復され、ものの30秒で手と足と胸に空いた風穴が元通りになった。
「出来たわ、意識ももどったはずよ? 目を開けてみて」
米原みらいの闇に臥した瞳に光が灯る。身体の感覚も元に戻っている。開けた米原みらいの視界の先には、もう近藤さなの姿は見えなかった。
米原みらいは、すこし朦朧としながらも上半身を起こして土の上に座り込む。
「気分はどお?」
すると、米原みらいの斜め上から、声はまだ聞こえてきていた。
声のする方を向けばいつの間にか、真っ黒な鳥が、木の枝に止まっている。
姿は猛禽類に近く、尾は孔雀のように幾重にも広がり、体長は鷲よりも少し大きめといったところだろうか。
漆黒の中に輝く黄金色の両眼が、米原みらいに向けられている。
そして直感で理解する。それが肉体を持つ全うな生命でないことを。
「あなたは……」
猛禽類の表情が心なしかゆるみ、ふ、と安堵の息を吐く。
米原みらいの無事を確認してから、鳥は言う。
「私の名前は、リズリット・コア。呼ぶときはリズでいいわよ」
「リズ……さん?」
「そう。私は、貴女に感染し《とりつい》てる試作戦闘機のコアよ」
「え? コアって……」
「コアはコアよ。貴女たちがそうよんでいるのでしょう?」
「そういう意味ではなくて……」
リズリットは、確かに憑りついていると言った。
つまり、米原みらい自身もすでに、近藤さなと同じく感染者だったということだ。
『組織』は、最初から米原みらいを戦闘用として作っていた。そのために人工的にマシーナリーウィルスに感染させた。人間では暴走してしまうが、9割9分機械化された米原みらいならばその心配は少ない。そして既に感染した者に新たに感染することはできない。
常盤主任が言うポテンシャルとは、そういう意味だった。
化け物の退治は、化け物に任せる。
実に理にかなった方法だ。
道徳観念という物を抜きにすれば――。
黒い孔雀だか鷲だか曖昧な鳥はバサバサと木の枝を飛び立ち、米原みらいの傍の地面に舞い降りる。
そして見上げて似つかわしくない声で尋ねた。
「貴女、あの娘のことなんとかしたいんでしょ?」
「うん、なんとかしたい」
米原みらいは片膝をつき、そうしてゆっくりと立ち上がる。
そこで気づいた。
「制服、直してくれたんだ」
襲われた時に、制服のスカートや袖やサイハイソックスも破れてしまっていたというのに、今は新品同様になっていた。
黒い猛禽類は答えず、それよりも、と付け加える。
「霊機融合するわよ。いい?」
少し迷い、米原みらいはうなずいた。
四の五の言っている時ではない。まずは力が必要だ。
「それじゃ、手を空に掲げて私の言うとおりに叫んで頂戴。りずりっとこあおーばーらいと、ってね」
米原みらいは再度うなずき、半信半疑ながら言われるまま手を空に掲げ、やや控えめに叫ぶ。
こほん、い、いきますね……と一息覚悟を言葉にして、
「リズリット・コア・オーバーライト!」
「了解。武装化を実行するわ!」
刹那、黒い鳥の身体が紐解かれるように極小の粒子と螺旋状の黒糸が、その身から無数に解き放たれる。
鳥の姿が徐々に消失していく。
散開した漆黒の粒子と糸は、米原みらいの周囲を取り巻くようにして包み込み、次第に濃く、球状に集まりだす。
さらに粒子は米原みらいの手や足や身体の所々に集約し、それぞれの形を作り上げていく。
――両脚裏に小型のジェットエンジンを含む排気口、それを囲う高ヒール状の具足と踵に折りたたまれた垂直尾翼。
両脚側面に沿うように装備される、サブバーニアとウェポンベイを内蔵した大型モジュール。そこに付属する水平尾翼。
太ももからつま先までを覆うサイハイ装甲。腰裏から踵まで延びるアーマースカート。胸部装甲。腕部防盾。手甲。
7.62ミリガトリング機銃と、そのベルトリンクドラム、補助スラスターを内部に納めた肩部大型モジュール。
背には4つのパーツから成る、全武装中最大面積の可変ウィング。
そして、巡航形態時に使用する機首モジュールが2分割されて背面に配置される。
最後に、頭部にカナード翼を兼ねるティアラのようなヘッドパーツが構成され、黒髪の二つ結びが解かれて銀髪のセミロングウェーブに変換される。
それをもって、すべての工程が終了した。
この間、5秒弱。
全身のカラーリングは黒で統一され、その全容は小悪魔を髣髴とさせる。
「あの、これは……? どういう、ことですか?」
戸惑う米原みらいは、自分の姿を見まわしながら途切れ途切れに言葉を落とす。
しかしリズリットは冷静だ。声だけが米原みらいの脳裏に響く。
「どうもこうもないわ。とりあえず今は驚いてる場合じゃ無いはずよ。急いでるんでしょ?」
「そうでした」
そうだ。急がねばならない。近藤さなが街へ向かう前に、止めなければならない。
たとえ、偽善だとしても、思い上がりだとしても、街や故郷を守りたいという気持ちは、米原みらいの心の内に確かにある。
そしてなにより、最も深層心理に根ざす信念は、ただ単に近藤さなという少女を救いたいという一点。
それがちっぽけな正義感だったとしても、近藤さなという少女が数多の犠牲を出した悪人かもしれなくても。
たった一人の少女を助けたいという米原みらいの気持ちは本物だ。
米原みらいのエンジンに火が点る。
ヒール高50センチの厚底モジュール内のソールタービンが唸りをあげ、米原みらいを中心に気流が渦巻きはじめる。
そして、
「……米原みらい、行きます!」
意を決して、米原みらいは地面を蹴った。
一瞬にして最大を発揮するエンジン出力に、米原みらいの各部モジュールが迅速に受け応える。
機首モジュール、胸部装甲、肩部モジュールが可変して頭部を覆い隠し、カナード翼、可変後退翼、尾翼が定位置に展開し、脚部モジュール、アーマースカート、腕部防盾が米原みらいの身体に密着して、完全な巡航形態へ移行する。
最高速度マッハ3.53をたたき出すアフターバーナーは、樹海の地面を焼き払い、周囲一帯の草葉をまき散らしながら、亜音速で一気に大空へと飛びだした。
生身の人間ならば即ブラックアウトの瞬間的な高G負荷でさえ、機械化された米原みらいの身体と変形機構がそれを物ともしない。
目指す場所は決まっている。
未だ燃え盛るヘリの残骸。その炎の輝き。その軌跡が何よりの道標だ。
樹海を低高度で滑空する超小型の戦闘機が、近藤さなの姿を捉えるのにそう時間はかからない。さらにヘッドパーツに付属するヘッドアップディスプレイにもレーダーの反応として捕捉している。
近藤さなは今、裏祇市に向けて空中を移動しているところだった。
その速度は、時速60キロメートル。
そしてその真横を、時速1620キロメートルの速度が、近藤さなに圧倒的な衝撃波を叩きつけながら、瞬く間に通り過ぎる。
近藤さなが米原みらいの気配に気付き、振り向いた時には既に何百メートルも通り過ぎた後だ。近藤さなの長い白髪が暴風にかき乱され、思わず空中で足を止めた。
米原みらいは、無意識的にベクタードスラストからのシャンデルという空戦機動で、急旋回、Uターンを決め、飛行速度を急激に減速させる。
舞い戻る黒い不死鳥。
見下ろす視界に広がるのは、焦土と化した樹海の一部。
目をつむりたくなるような光景に、込み上げてくるものを米原みらいは懸命に我慢しつつ、それでもその惨状から目を逸らすことはしないでいた。
燃える残骸に、方々に散らばる有機物の欠片たち。
ヒトが生命を維持するのに必要な部品たちが、地面の上に幾多も転がっている。
その地獄を通り過ぎた先に、機械で武装した天使《少女》が待っている。
上空で巡航形態を解き、米原みらいは近藤さなの前に降り立った。
その紅い瞳と対峙する。
遠く遠く、燃え盛る火炎の熱気と様々なものの焦げた匂いが、風と共に流れてくる。
偏向ノズルを兼ねる漆黒のソールレットが地面の砂を踏みしめ、そうして米原みらいはポツリと吐く。
「ごめんね」
兵士たちを見殺しにしてしまった呵責。
少女の殺戮を止められなかった自責。
できたはずのことを、やらないでいた自己嫌悪。
「もう、誰も殺させない……」
米原みらいの中に、もう恐怖が無いのかといえば、それは違う。
だが、もう何もしないでいるわけにはいかなかった。
「……!」
うぅぅぅ。と、近藤さなの口から苦悶とも嘆きとも言えない咆哮が漏れる。
米原みらいには、泣いているように感じられた。
「マスター」
リズリットが米原みらいを呼ぶ。
「こいつは今正気じゃないわ。まずは、心を取り戻すのよ」
「こころ?」
「そう。コアと融合した人間には自己再生能力がある。でも、それには限界があるわ。その限界を超えた時、コアは力を失って武装を維持できなくなる……。かまうことはない、全力で叩きのめすのよ」
叩きのめす。
そのことに米原みらいは躊躇いかけた。
だからリズリットはこう付け加える。
「――叱りつけてやりなさい。言うことを聞かないじゃじゃ馬にはそれが一番だわ。それにね、人間には人間の叱り方が、私たち《コア》には私たち《コア》の叱り方がある。そこを貴女が気にするのは筋違いなんだから」
少なくとも、リズリットは米原みらいの味方のはずだ、間違ったことは言わないだろう。ましてや他に方法も思いつかないのならば、米原みらいの選択はひとつだった。
「わかった。リズさんを信じる」
うぅぅぅ。
せめぎ合うかのような、狂気の野生と、少女の理性。
正と負、善と悪の心がぶつかり合うたびにあげる軋みが、近藤さなの口から聞こえてくる。ウィルスの熱に侵された苦しみが、やり場をなくしてはけ口を求めている。
それに付き合ってあげられるのは今一人しかいない。
近藤さなの周囲を公転していた正八面体2つが、米原みらいに向けられる。
青い半透明の正八面体は、角度を変えれば六芒星が垣間見える。
その六芒星に今、光が灯る。
近藤さなの背中の翼に、光の粒子が収束していく。
対なすように、米原みらいのエンジンが開戦の狼煙を謳い。
そして、二本の閃光が放たれたと同時に、米原みらいは空へと舞いあがった。
命中することのなかった閃光はそのまま上空へ向けて薙ぎ払われるが、その反応はあまりに遅い。
米原みらいは既に近藤さなの背後を飛び越え、その隙を狙える位置へ回りこみ――。
「えっと……」
そこで米原みらいは気づいた。自分の使用できる武器について何も知らないことに。
否。
一つだけ知っている。熊にも勝るというやつが、不本意だが。
直感的な思い付きのままに、米原みらいは近藤さなへ向けて突撃する。巡航形態にならずとも、米原みらいの移動速度は最大で時速600キロに及ぶ。
そして、時速100キロに加速するまでに要する時間は2.1秒。
反応もままならない近藤さなの、脇っ腹へ向けて、最大加速から突進力を込めた拳を叩きこんだ。
直撃。
否。
直撃を受けたのは、近藤さなの周囲を回っていた青いパネル《フラグメントクリスタル》の1枚だ。
ガラスのように飛び散る破片。身体は反応できなくても、武装を割り込ませることで盾にする近藤さなの機転。もしくはウィルスの本能か。
続けざまに飛来する11枚のフラグメントクリスタルが、さながらスローイングダガーとなって米原みらいを強襲する。宙へ後退しながらそのうちの10枚を持ち前の機動力と、腕部防盾で防ぎきり、最後の1枚を、片側だけ出力を上げたソールタービンを利用し、超高速回転のサマーソルトキックで弾き飛ばす。
終わって上空。
そんな地上がキラリと輝く。
瞬時に到達する閃光。
その二連射。
同時に放たれるフラグメントクリスタルの雨。
放たれた粒子兵器2発を、米原みらいは右へ左へ、回避し、再度襲い来るフラグメントクリスタルを、腕部防盾と蹴りで防ぎ――。
「うぐぁッ!」
直後、腹の一部を削り取られていた。
何に? 近藤さなは地上に居るというのに。
考えるまでもなくそれはすぐに理解できる。
あらぬ方向から撃たれた粒子兵器の理由は、フラグメントクリスタルだ。
背後から通り過ぎて行った閃光の1本が、正面を飛ぶフラグメントクリスタルに当たった瞬間、角度を変えて再び米原みらいの頭部を刈りに来た。
それを無理やり紙一重で回避する。
「危なかった……!」
そして光は空へと消えて行った。
頭部に直撃していたらゲームオーバー、もう一度光が反射して戻ってきていたら直撃必至だったと米原みらいは安堵する。
米原みらいの横っ腹に空いた風穴から、透明な液体が朗々と滴っている。
「傷の修復は任せて」
リズリットに傷をお願いしつつ、米原みらいは不安に苛まれていた。
叱りつけるなどとは思い上がりも甚だしい話だ。手加減も躊躇も必要ないくらい近藤さなは強い。
霊機融合したとはいえ、それは実力がイーブンに近くなったというだけで、米原みらいの身体が無敵になったわけではない。このままでは米原みらい《じぶん》の方が先に再生が追い付かなくなる。早急に近藤さなを大人しくさせなければ、倒れるのは米原みらいの方だ。
そうこうしている間に、また米原みらいの傍に、蒼く透明な長方形のパネルが1枚飛来した。フラグメントクリスタルと粒子兵器のコンビネーションを真っ先に何とかしなければ、いかに敏捷性にすぐれる米原みらいでもいずれ撃墜されるのは間違いない。
米原みらいは、ホバリング状態から再度巡航形態に移行しつつ身をひるがえして加速、バレルロール、急上昇。近藤さなの粒子ビームとフラグメントクリスタルは、その速さに追いつくことはできず。次々と発射され反射された光が、漆黒のマイクロ戦闘機に雨のように降り注ぐ。
さらに追撃してくる7枚のフラグメントクリスタルは追いつけないにせよ、米原みらいとの距離を着実に詰めようと動く。あくまでも一定の距離を保つために。
急上昇から急降下へ、地上すれすれで機首を戻してアフターバーナー全開で低高度を駆け抜ける。
光の雨が降る中を低空飛行しながら、米原みらいは口早に問う。
「そうだ。リズさん、機関砲って手に持てる?」
普通ならば問うまでもない疑問だが、米原みらいに拳銃とガトリングガンの区別はつかない。
常識的にみて戦闘機の機関砲を手に持って撃つことは絶対に不可能だ。普通であれば。
だがリズリットは当然のように答える。
「次のタイミングで肩のモジュールからハンドルを出すから、つかみなさい」
「わかりました」
身体のコントロールは米原みらいが、武器管制はリズリットが担当しているらしい。
言葉のまま巡航形態を解除すると同時に、両肩のパーツからレールが展開してハンドルが滑り降りてくる。引き出すと、肩部パーツとベルトリンクで繋がれた3銃身の多銃身機銃が姿を見せた。全長35センチメートルのうち、ハンドル部10センチメートル、機関部10センチメートル、銃身長15センチメートルで、保持の仕方は北インドで使われていた刀剣の一種、ジャマダハルの持ち方に酷似している。
それを左右の手に持てば、さながら二挺拳銃ならぬ二挺ガトリングガンである。
補助スラスターを利用して、一気に後方へ身体を向けた米原みらいは、
「ごめんなさい!」
謝罪を込めて追いかけてくるクリスタルに機銃掃射をかけた。
最初は強烈な反動に戸惑いながらも、機械の身体に物を言わせて抑え込む。
そうして2秒で60発。左右で合わせて120発の7.62×51ミリ弾にさらされたクリスタルは、打ちのめされて砕け散る。
同じようにして次々に、米原みらいは、手にしたガトリング機銃でクリスタルを破壊していった。
片側660発、全部で1300発近い弾薬を消費して、ついに7枚のクリスタルを叩き落とす。
すかさず機銃を一度モジュール内に戻し、そのまま巡航形態に移行して一直線に近藤さなの所へ向かう。
そうして、巡航形態を維持したままカバーを展開し、空中から近藤さなへ向けて二門の機銃で掃射を仕掛けた。
近藤さなは、残った4枚のフラグメントクリスタルを利用し、四角形状の粒子障壁を展開して防御しようと動く。
だが薄い。
障壁を厚くしようとすると防御の範囲は狭まり、障壁を広くしようとすると防御の密度が薄くなる。
掃射した銃弾のいくつかが、近藤さなの身体に貫き刺さっていく。
120発の掃射を終え、近藤さなを通り過ぎ、巡航形態を解いて地上へ着地する。
一連が終わって、間合いは人の足で10歩半。
機銃を両の手に装備しつつ、米原みらいが背後を振り返ると、傷ついた近藤さなの身体の各所から、紅い血が滴っている。
うぅぅぅ。と苦悶のような苦痛のような声。
「……」
なんということだろう。
米原みらいは、血が紅いことに驚いていた。
そして納得する。
「そっか……」
近藤さなは人間だ。コアにより暴走している、元人間なのだ。
痛みに、悲しみに、涙を流すことができる人間なのだった。
米原みらいは構えた機銃のトリガーを引くことを躊躇い、近藤さなの正八面体は粒子ビームを撃つことを躊躇っていた。
その間、カラン、カラン、と近藤さなの身体から銃弾が抜け落ちる。
「……自己修復?」
フラグメントクリスタルを前に展開し、攻撃をしてこない近藤さなは、明らかに米原みらいを警戒している。恐らく、粒子光壁の展開と粒子ビームによる攻撃は同時に行えないのだろう。少なくとも、フラグメントクリスタルが4枚しかない今は。
そしてリズリット。
「ねぇ、マスターは気が付いた?」
なんのことかと、顔も姿も見えないリズリットに対して米原みらいは首を傾げる。
「あの娘、動かないと思わない? あの娘はほとんど動かずに攻撃と防御を行ってる……それがあの娘の特性なんでしょうけど……」
「言われてみれば……」
「でもそれが弱点なの。マスターにも解る筈よ、この意味」
意味? 米原みらいは思考を巡らせる。
一撃でヘリをも叩き落とす超硬度の光学兵器と、長大な射程距離。そして1ミリの誤差もない狙撃能力に加え、フラグメントクリスタルによる多角攻撃も備えている。
さらに、堅牢な粒子光壁はあらゆる攻撃を寄せ付けなかった。
それらを考えて、米原みらいは答えを口にする。
「動かなくてもいいくらい強いってこと?」
「あーもう、あんたばかたい!?」
突然の九州訛りで罵倒される。
「じゃあマスターのいいとこはなに?」
「……」
あるんだろうかそんなもの。と米原みらいは言葉を失った。
「速さよ! あの娘には、回避するっていう選択肢がない。回避するに足る速さと俊敏性があの娘には無いのよ。移動砲台型とでもいうべきかしら。本来なら光の壁で鉄壁の防御力なんでしょうけど……」
マスターがクリスタルを壊したのは正解だったのね。
リズリットは言葉の最後にそう付け加える。
そして気が付けば、近藤さなの傷の大半はふさがり、浮遊する小さなガラス片のようなものが一つ、増えている。フラグメントクリスタルだ。
「……武器も修理してる」
「当然ね。私だってできることだもの」
ちなみに、米原みらいの機関砲の弾薬は1発12秒で常に生産されている。
「つまり……」
「さっさと畳み掛けなさいってこと! 私たちの機動力を駆使すれば、必ず勝機はあるわ!」
米原みらいが動く。
だが、近藤さなのフラグメントクリスタルも動く。しかし少しばかり遅い。
近藤さなを中心に弧を描くように機動する米原みらいに必死に合わせているようにさえ見える。なにせ、近藤さなの身体は生身に等しい。7.62×51ミリの弾丸を受ければ普通に傷つく。粒子光壁で少しでも威力を軽減しなければ、一瞬で堕ちる強度なのだ。
実に、米原みらいが機銃を構えるだけで、クリスタルは反応する。
――ビビっているのだ。米原みらいが怖いのだろう。
それを見て、米原みらいはリズリットに問いかける。
「戦闘機にはミサイルもありますよね」
「あるけどないわ、ウェポンベイは空だってヘッドアップディスプレイに表示させているはずよ」
確かにヘッドアップディスプレイに表示がある。エンプティだと。
機銃の弾薬量や、武装の詳細などもしっかり表示されていた。今まで気づいていなかったらしい。
しかし、あるけどない。とは言い方に含みがある。
「どういう意味ですか!」
近藤さなから牽制に撃たれた粒子ビームを回避しながら、米原みらいは問い続ける。
早くしなくては、フラグメントクリスタルはどんどん再生されていく。今はまだ1枚修復されただけだが、数が増えれば再び多角攻撃の餌食になり、光壁の防御力が増せばこちらの優勢を失っていってしまうだろう。
機銃を掃射して、クリスタルを狙うが、障壁を展開中のクリスタルには銃弾は通らない。
リズリットが答える。
「あるにはあるけど全部ダミーよ。離陸重量試験の時に使った奴だけ」
「とりあえずそれを使います」
「飛ばないわよ?」
ダミーなので推進も起爆もしない、とリズリットは言うが。
「構いません、次のタイミングで射出してください」
なんの思い付きか、リズリットには解らなかったが、ゴミを放り捨てる気持ちで、「いいけど」と淡泊に応じた。
そして、米原みらいが、ここです、と合図を送る。
すると右脚に付属する脚部モジュールの兵器倉扉が開き、そこから、オレンジ色の細長い円筒が射出された。形状はまさしくミサイル。縮尺が米原みらいサイズになっているが、04式空対空誘導弾に似た形をしている。
前方に射出されたそれを、
「ふぁいやー!」
米原みらいは蹴り飛ばした。近藤さなに向けて。
「えぇッ?」
驚く声は、リズリットから。
驚愕の表情は、近藤さなから。
この行動に、近藤さなに幾分かの迷いが発生する。近藤さなには、それがダミーなどとは解らない。できたとして『ダミーかもしれない』という、憶測。憶測で行動するなど、戦闘時には自殺行為だ。
そして迷いの一端は、近藤さなの特性に由来する。
放り投げられた兵器が、本物のミサイルだと仮定して。
光学兵器で迎撃すれば、ミサイルは起爆するかもしれない。そして迎撃した時点で爆発を防ぐ光壁を張る時間は無いだろう。
しかし、何もしなければ、回避の選択肢を持たない近藤さなの身体に、ミサイルが直撃することになる。
2秒間、迷った近藤さながとった行動は、光壁を張ってミサイルを防御することだ。
むしろそれしかないだろうと、米原みらいは予想していた。
そして、この至近距離で一方にしか展開できない障壁で防御をとったことは既に命とりだった。
2秒あれば、米原みらいは光壁の展開していない後方へ移動できる。
背後から、ぞんぶんに機銃掃射をかけられるわけだ。そもそも、ダミーだと知られていても構わなかった。ミサイルに気を取られた。
それだけが近藤さなの敗因だからだ!
「とった!」
米原みらいが、両の手からガトリング機銃を投げ捨てる。
なんしょっとー!? 標準語では、なにをしているー!?
そう思うリズリットだが、ベルトリンクが絡まるのを防ぐために、すぐさま機銃はパージされる。
右脚のソールタービンに点火する出力。
戦闘機の推進力と、機械の身体による膂力と、遠心力をこめた回し蹴りが、近藤さなの横腹に突き刺さる。
無防備な身体に直撃を蒙った近藤さなは、横倒しになるように地面にたたきつけられ、バウンドし、数メートル吹き飛んで地面を幾分滑って止まった。
土煙が舞う。
すぐに立ち上がろうとする近藤さなだが、肋骨と脊椎が折れてしまっては不可能だ。
近藤さなの身体に装備されている装甲だけでは、その威力を減じきれなかった。
体勢を立て直す米原みらいは、その様子を見て、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
近藤さなはとても強かった。だから手加減する余裕などなかった。仕方がなかったんだ、仕方がなかったんだと、米原みらいは歯を食いしばって自答する。
そして機銃ではなく、自分の手で近藤さなを加害したのは、米原みらいの咄嗟の判断だったが、それは無意味だったわけじゃない。
相手に与えたダメージは、自分にも返ってくる。
それは銃弾で人を撃つ行為では得られない大きな代償だ。
米原みらいの足の内部フレームは今ヒビだらけになっている。
その激痛をおして、米原みらいは大地に立つ。
50センチメートルのヒール高を計上して、205cmに達する米原みらいは、苦しみ、もがく近藤さなの姿を眼下に納め、神妙な表情で見届けようとしていた。
やがて近藤さなは地面に倒れ、纏っていた白い武装のすべてが、星屑のように霧散し、消え失せる。そして霧散した粒子が、生身となった近藤さなの中に収束していく。
それによって、近藤さなのダメージのすべてが瞬時に復元された。
「どうなったの……?」
リズリットに問う。
「マスターの勝ちよ。武装の構成に使ってた粒子を、全部本体の生命維持に使わなければならないほどのダメージを負ったってこと。もう、その娘に戦う力は無いわ」
「そっか」
と答えて、米原みらいは近藤さなに歩み寄る。粉々になりかけていた脚部の炭素フレームは、リズリットの力で少しずつ再生されている。
そうして、気を失っている近藤さなの傍に膝をつく。
「もうウィルスも居なくなっちゃった?」
再びリズリットに問う。
「それはないわね。私たちは、瀕死の人間……その魂と融合するのよ。私たちが宿主を手放したら、宿主は死んでしまうわ」
つまり、近藤さなの戦闘力が失われただけで、まだ何も解決していないということだ。
「そんな……何かできないんですか?」
「そうね、貴女に今できることがあるとしたら、ワクチンを注入して、彼女の『悪性』を取り除いてあげることだけよ」
「ワクチン……?」
どうやって? リズリットに続きを問いかけるが反応は無い。
暫くすると、あのね、マスターと声があった。
「……コア《わたしたち》って、基本的にマスター第一主義なのよね」
第一主義。
何とも遠回しな感じのする言い方だと米原みらいは感得する。
「どういう意味?」
「だから! マスターのこと一番に考えちゃうって意味よ!」
顔も姿もみえないが、リズリットのぷいと横を向くような素振りが幻視される。
しかし解らない、と米原みらいは首を傾げた。そもそもワクチンと何の関係があるのだろうと。
ワクチンを使用する方法を、リズリットは知っているのに教えてくれない。教えたくない、という気持ちが伝わってくる。
「この状況で意地悪しなくても……」
少女一人の人生がかかっているのだ、出し惜しみする場合ではない筈だと、米原みらいは食い下がる。すると、なぜかリズリットにキレられた。叫ぶように言われる。
「あーもうーせからしか!」
うちはあんたのことすいとーゆうことたい! なんでわからんね。もう! そのくらい推し量りなさいよ。言わせないでよ。とリズリットは不機嫌だ。
たぶん、うるさいと言われたのだろうと予想する米原みらいは、
「え? う……うん……? えっと……」
なぜ怒っているのかわからず。肝心の話が途中なのである。
そ、それで、その、ワクチンの話は?
米原みらいは、戸惑いながらも、リズリットを待つ。
「……ワクチンは私がすぐに用意できるけど……その、投与の仕方が……」
「仕方が……?」
「仕方がね……」
リズリットの顔は見えないが、ものすごく赤面しているような気配がして、この上なく歯切れが悪い。
米原みらいがじれる。
「良いから言ってください!」
そしてとうとう、リズリットは言い切った。
「キ……キス……なのよね」
お、おう?
え?
なんですって?
その言葉が米原みらいに浸透するのにたっぷり数秒を要した。
「!?」
誰と? 誰とですか。否、問うまでもない、投与すると言ったのだ。しかし問題がある。
「でも! 私女子だし、キスなんてしたこともないし、いや、そんなことじゃなくて、そんな。相手に許可もなくそんなこと……!」
米原みらいの心と思考は混沌でいっぱいになる。
ううん、そもそも人間ではないのだ、ということも米原みらいの覚悟を鈍らせる。
「でも、救う方法は他にない。それは確実なことよ、不本意だけど!」
他に方法は無い。といわれて米原みらいの意識は近藤さなに狙いを定める。
上下する胸と、安らかな呼吸、長い睫毛と、閉じられた大きめの瞳。
立膝のまま米原みらいは、恐る恐る近藤さなの上半身を起こし、背中に腕を回して支える。
伝わる体温、完全に修復を終えた華奢な骨格と、柔らかな肉の感触。
それだけで、ものすごい罪悪感と背徳感が米原みらいを襲った。
当たり前のことだが、近藤さなもまぎれもない女の子である。人間の。
しかも裏祇山学園のクラスで一二を争うであろう美形だと思われる。
メイクは薄いが、顔だちだって端正だし、ロングヘアーの白髪も色白の肌にとても似合っているし、華奢で低身長で平坦なボディは、きっとお好きな方からしたら堪らない一品だろうこと請け合いだ。そしてちょっと石鹸の香りがする。
その甘美な香りにほだされたか、米原みらいの視線が近藤さなの唇に吸い寄せられる。
しかし、ふるふる、と米原みらいは首を振った。
自分が何をしようとしているのか、自分がもう一人いたら問いただしてほしい気分だけれど、それはかなわない。
絶対に助けると決めたのだ。
後には引けないし、最後に残された仕事はとても単純なものだ。
だが、仕事だと割り切れない感情が、小さな心には入りきらないほど沢山あふれている。
無抵抗な少女に、少女である機械が、口づけを交わすなど、これほどの罪があろうか。
すくなくとも米原みらいの中では極刑モノの大罪だ。
その罪に、どぎまぎし、どきどきしている様が、心のほか腹立たしくて、もうどうしたらいいのか、米原みらいには判別できない。
「覚悟ができたらいいなさい。ワクチンを貴女に託すわ」
しかしリズリットのほうは、もう覚悟ができているようだった。
なおも迷う米原みらいに、リズリットが言う。
「助けたいんでしょう? それに大丈夫よ、暴走していた時の記憶は、たぶん無くなってしまうから。貴女にキスされたことも忘れちゃうわ」
そっか。
と米原みらいは納得する。
記憶に残らないのならば、近藤さなは傷つかないで済む。
「ごめんね……」
米原みらいの武装が解け、粒子となった構成から、ワクチンが生成される。
そうして、米原みらいは、その華奢な身体を引き寄せた――。