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未来・サナトバラッド  作者: 神の味噌汁
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霊機融合《オーバーライト》 ~前編~

 降り続く冷たい雨。

 周囲に立ちこめる熱気。

 樹海の奥底、断崖の直下で、大量の土砂に紛れて転がったマイクロバスから噴煙が上がっている。


 三日三晩降り続いた雨に緩んだ地盤は、土砂崩れを起こし、通過途中だったマイクロバス1台を直撃した。

 真横からの襲撃になすすべはなく、バスはガードレールを突き破って崖下へと転落した。

 高さ数十メートルから落下した衝撃でかき回された車内はくしゃくしゃに拉げ、乗客の無残な亡骸と血肉が、砕け散ったガラス片と共に散乱している。

 そんななか、身長145センチメートルの小柄な体躯と、座席と座席の間に出来た空間に助けられたのだろう、幸運なことに形を保っている人型があった。

 その人物は高校の制服を身に着けた齢16歳ほどの少女であり、床に横たわる姿から微かな吐息が聞こえている。

 だが弱弱しい。

 意識もない。

 このまま幾許かの時がたてば、少女の命もいずれ消えゆくであろうことは明白だった。



 ――少女は夢を見ていた――


 宇宙そらを落ちる夢。

 空を墜ちつづける、悪夢。

 空高く舞い上がった白い鳥が、翼をもがれて墜落していく。

 樹海の奥底へと真っ逆さまに。

『うんりゅう』と名づけられたその鳥は、与えられた使命を何も全うすることなく、産まれて間もなく死を迎えた。


 そんな夢。


 地面に直撃する瞬間、少女は覚醒する。



 ―――声が聞こえる。

「ち、失敗か」

 朦朧とする少女の意識に悪態が混じってくる。ドスの効いた女性の声だ。

 それがスピーカーを通して木霊する。

「おい、起きろPh-XF4フェニックス。銃弾ごときでくたばるような出来ではない筈だ。私がつけた不死鳥のコードネームを台無しにするつもりか」

 横たわった少女は、閉じていた両の眼を、うっすらと開く。

 すると真っ白な高い天井と照明が少女を出迎えた。

 何気なく額の上で握っていた手を緩めると、カラカラと金属質な音を立てて何かが地面に落ちて転がる。

 5.56×4.5ミリNATO弾だ。

 二つ結んでいたセミロングの黒髪はほどけて床に散らばり、少女の全身を包むラバー状の黒いスーツには、あちこちに傷が出来ている。

 そんな満身創痍の身体に向けて、さらにスピーカー越しの声は言う。

「どうしたフェニックス。貴様の身体状況に異常が見られないのはこちらのモニターで把握している。タヌキ寝入りはよせ。それとも何か? イキナリ200発余りの銃弾にさらされてご立腹かな? なんならそこの兵士10人を貴様の手でなぶり殺しにしてもかまわんのだぞ。リミットを外している今なら、造作も無いはずだ」

 その言葉にどよめきが発生する。

 声が言うとおり、100メートル四方の真っ白な部屋には10名の兵士たちが並び、皆アサルトライフルを携行している。そうして、兵士たちは慌てた様子で空になった弾倉を予備のものに交換しだした。

 フル装備した大の大人が、たった一人の少女に怯えている。


 しかし、それからどれほどの時間が経っても、少女に動きは見られなかった。

 暫くすると、スピーカーからため息が聞こえ、

「しかたない。今日はこれで実験終了だ。デクどもは速やかに退室しろ。私は今からそちらに行く」


 少女は兵士が部屋から居なくなるのを確認するとようやく身を起こし、その場に座り込んだ。

 程なくして雑なポニーテールに白衣の女性が入ってくる。

「失望したよ、フェニックス。私は貴様の本気が見たかったんだがな」

 少女の無表情な顔が、白衣の女性に向けられる。

 そうしてポツリと言った。

「私は、フェニックスなんて名前ではありません」

 それに、白衣の女性はくつくつとのどを鳴らして笑った。

「米原みらい、か? それは貴様が『人』だった時の名だろう? だが、今は違う。耳を澄ませば、貴様の関節があげる軋みは、機械の音だとわかる筈だ。交通事故でバラバラになった貴様を、我が組織の最新サイボーグ技術で再起させたのだ。もはや貴様の9割9分は、以前の貴様ではない代物だよ」

 『米原みらい』だった少女の表情が陰る。

 少女は自分の手を握り締めた。

 手や指の内部フレームが無機質な音をたて、金属ワイヤーで構成された腱が引き絞られる。その構造を覆う人工の皮膚は、機械の発する熱を帯びていた。

 一連の動きと動作、その見目は人間のそれと相違なく、全てがよく出来た造形物だった。ましてや、少女の脳に伝達される五感の情報は、ほぼ生前に等しいものだ。

「リミッターを外せば、熊の腕力にも勝るステキな腕だ。うれしいだろう?」

 ずどん、と重く大きな音がした。

 少女の振るった拳が、部屋の床板を打ち付けていた。

 陥没した一部を中心に、くもの巣状にひび割れた床板からゆっくりと手を放すと、パラパラと破片が零れ落ちる。

「なんのために? 私に熊と闘えというんですか」

 うれしいはずが無い。白衣の女性の賛辞は、常識を逸脱している。

 生命が兵器に成り果てたのだ、涙が出るならば湛えていたであろう。

 少女の顔は怒気を孕んでいた。

 座り込んだままの少女を、白衣の女性は見下ろしている。

「熊などではないさ。お前が戦う相手は別に居る」

「えっ?」

「宇宙から飛来する悪性のマシーナリーウィルス。それが貴様の戦う相手だ」

「うぃるす?」

「ああ。正確に言えば、コア化したウィルスと融合した人間だがな」

 え……? 少女は、言葉の意味を図りかねたかのように、少しばかりポカンとした。

「……人間が相手なんですか?」

 白衣の女性はしゃがみ込むと、少女の肩に手を置いた。

「心配するな。コアと融合してしまったヤツはもう人間とは呼ばん」

 それはもう化け物だよ。と女性は口元で微笑む。

 さらに女性は「つまりは、だ」ともったいぶって付け加え、ゆっくりと立ち上がる。

「――この組織はその化け物どもを駆逐するためだけに存在し、貴様はその任務を完遂するためだけに作られたのだ。そして私はこの駆逐計画を管理する貴様の上司、常盤だ。これからは私のことを主任と呼べ。いいな」

 主任はくるりときびすを返し、米原みらいに背を向ける。

「まずは立て。我々には時間がない。早速だが、貴様にやってもらいたい任務を説明する。ブリーフィングルームへ来い」

 言うだけ言って主任は出て行ってしまった。

 勝手な話だ。と米原みらいは思う。

 だが、不本意だとしても、常盤主任への評価が最低であろうとも。

 『組織』に飼われている身の上では、逆らうことなどできようはずもない。

 米原みらいは、はぁ、と息を吐き、気だるげに立ち上がった。

 ブリーフィングルームへ向かうために。





「――我が組織の目的。それはひとえに、マシーナリーウィルスの根絶にある。しかし、ことはそう言葉で言うほどたやすくは無くてな」

 ブリーフィングルームの何も移さない大画面の前で、主任は話を切り出した。

 外壁に囲まれた真っ白な部屋に並ぶ長机のひとつに、米原みらいただ一人が座っている。

「マシーナリーウィルスのコアは、常に突発的に行動を開始することが多いわけだが、現在の我々の責務は、それを事前に阻止することだ」

 白衣姿の主任は弄んでいた指示棒を大画面に向ける。

 そこに画像が映し出された。

「裏祇山近辺の航空写真だ」

 そうして何万倍から何百倍へ縮尺が変わり、画像がズームされる。山を取り囲む森の中を、『裏祇山学園』のある高台へ続く坂道が巻きついている。

 『裏祇山学園』は、かつて米原みらいが通っていた学校だった。周辺の地図にも無論覚えがある。

 映し出された画像を、主任は指示棒をつかってくるくると円形になぞる。

「ここら一帯に、クレーターの痕があるのが解るか」

 主任の指し示す場所は、樹海の木々に隠れているとはいえ、確かに地形がほかよりも不自然に窪んでいたり、木々の繁殖に差が見られる。

 かつて隕石が落下した、と伝えられている割と有名な場所だ。

 米原みらいは、無言で頷く。

「ここは十年前、『うんりゅう』と言う名の人工衛星が落下した地点だが、内部に国家機密に相当する機構を内蔵していることもあって、撤去作業は保留とされ、半ば隠蔽する形で埋め立てたという経緯のある場所だ。公には隕石の落下ということになっている。情報規制というやつでな」

「隕石じゃなくて、人工衛星? ……埋まっているんですか?」

「ああ。3日前までは、な」

 米原みらいは、画面から視線を外し、主任の顔を見つめる。それはどういう意味かと。

「我々の見立てでは、おそらく人工衛星がコア化した可能性が高い。3日前の同日、この現場付近で土砂災害があったが、あれは雨で土砂が緩んだせいだけではない、あの日あの瞬間、地中内部のあるべきものが失われ、付近一帯の地層に振動が発生したのが主な原因だと私は踏んでいる。そこで、フェニックス――おまえにこの場の調査を頼みたい」

「大丈夫なんですか?」

「それは危険かどうかと言う話か?」

 米原みらいは、不安そうに首を縦に振る。

「コアの状態での戦闘力は皆無だ。そして、既に感染した者に寄生することはできん。国にも調査許可は出している。何も問題はないはずだ」

 そして主任は指示棒を折りたたむ。

「ほかに何もなければ、インスペクションの後、直ちに向かうように」

 主任は説明を終えるとブリーフィングルームから退出し、米原みらいだけが取り残された。

「……と、とりあえず見に行けってこと、かな」




 新たに支給された服は、『裏祇山学園』高等部の女子用の制服だった。

 基本的に、うかつに怪しまれないよう調査先の周辺地域に合わせた服が支給される。

 ――と米原みらいは組織のスタッフに説明を受けたが。

「絶対怪しいですよね……」

 樹海の中、黒髪に三つ編みおさげの女子高生が一人立っているという現状、警官に職質されたら言い訳できそうもない、と米原みらいは思う。

 一応、同時に支給された『MVR』と描かれた手帳とワッペンを見せれば、公的機関には融通が利くらしい。ちなみにMVRとは、マシーナリーウィルスラボラトリィの略だそうだ。

 樹海から見上げれば、崖上の破れたガードレールが見える。

 その破れた箇所は今、工事現場などに置かれる黄色と黒の縞模様の看板を並べて注意喚起が促されていた。

 米原みらいが今居る場所は、ちょうどバスが落ちた付近だ。

 バスは事故の後、気化したガソリンに火が引火して大爆発を起こしたと聞いている。その破片や残骸は既に撤去されているが、未だに散乱した細かな部品や、えぐれた地面はそのままとなっており、事故の凄惨さを物語っていよう。よく見ればまだ埋まっている部品も土砂の中から垣間見えている。

 だが、米原みらいの目指す場所はもう少し奥だ。

 もらった小型の端末を操作し、地図を映し出す。

 ここから西側にいった場所にマーカーが記されている。

 米原みらいはそこを目指した。



 目的の場所に到着すると、明らかに周囲よりも地形が大きく歪んでいるのに気づく。

 成層圏から大型の人工衛星が落ちて出来たクレーターだ。米原みらいも話には聞いていたが、実際に樹海に入って目の当たりにするのは初めてだった。

 当時の凄惨さを物語る遺物に関心していると。

 ぴぴぴぴ。

 端末から着信音が鳴り響く。取り出して応じると、『常盤』だ、とぶしつけな声。

「フェニックス、状況はどうだ」

 フェニックスの呼び名に嘆息し、ふて腐れながらも、米原みらいは周囲に視線をやる。

 事故現場から幾らか離れた現地点は、米原みらいにはクレーターの痕跡以上に目立つものはないように見えた。生い茂る雑草も、地面の土も、そこを這う多足類も、日常の風景然としている。

 一通り、確認してから米原みらいは口を開いた。

「特に気づく点は見当たりません……」

 常盤主任は、そうか、と簡素に返事をして続ける。

「MV振動波の残子はどうなっている? 端末に付属している探知モードがいくつかあるはずだが、使い方の説明は受けているな?」

 言われて、米原みらいは出立前に『組織』のスタッフから受けた説明を思い出した。

 あわてて探知モードを起動する。ちなみに通話中でも機能は活用できるらしい。

 端末は暫くしてからインジケーターとともに数値を示した。

「えっと・・・・・・残子値は、13288、です」

 それを聞いた主任の声が端末越しに、ほぉ、と意味ありげに呟く。

「何かわかりますか?」

「ああ。残子が観測できるということは、貴様の居る近辺でコアの活動があったということだ。値の大きさからみて大型の兵器が取り込まれた可能性は高いな」

「兵器?」

「――マシーナリーウィルスの特性でな。やつらは兵器に感染することがほとんどだ。そしてコア化したマシーナリーウィルスの次の目的は、融合に適合する人間を探すことだ。霊機融合オーバーライトされてしまえば面倒なことになる。……そのまえに、早急にコアを回収しろ。まだコアは周囲に居るはずだ。残子濃度を参考に調査を続行しろ。逐次連絡を怠るなよ」

 そう、言うだけ言って連絡は切れた。

 米原みらいは、はぁ、と溜息を吐く。

 いろいろと貧乏くじを引いている、そんな気がしたからだ。

「とりあえず・・・・・・残子? の濃いほうに進めばいいのかな」

 気を取り直し、米原みらいは、端末を駆使して残子の痕跡を辿った。

 13500

 16121

 25690

 56783

 次第に霧が出始め、数値とともにその濃さは強くなっていく。

 そして、

 ――ぴぴぴぴぴ。

 着信音とは別の、けたたましい音が端末から鳴り響き、ディスプレイが赤色に染まった。真っ黒な画面、赤色の文字色の中に、黄色い文字が一際躍る。

 《COUTION!》 

「警報?」

 気が付けば周囲はうっそうと茂る木々たちに囲まれ、さえぎられた太陽と霧が薄暗く視界を覆い隠してる。霧はかなりの濃さになっており、示された数値は10万を超えていた。

 同時に、米原みらいの頭の中に、言葉にできない何かが渦巻いた。

 直感というべきだろうか。『この先に何かが居る』――そういった感覚だった。

 米原みらいは、足を止める。このまま進むべきか、進まざるべきかを、幾許か迷った。

 だが、主任に言われた言葉を思い出す。

「コアを回収しなきゃ」

 危険はないと言っていたはずだ。

 端末から鳴り響く警報を止める。

 よし、と米原みらいは覚悟を決めて踏み込んだ。逐次連絡をしろという言葉は忘れていた。


 

 少し進むだけで、それは容易に発見できた。

 だが、おかしい。

 そもそもコアの形状は様々とはいえ、おおむね球状、多面体の形を取る半透明の代物のはず。それは、ブリーフィングのあとに閲覧させられた資料で確認してきたことだ。

 ……しかし、そこに居たのは。

「おんなのこ……?」

 草むらの中に、小柄な少女が、膝を抱えるような恰好で倒れている。

 少女は日本人であり、『裏祇山学園』高等部の制服を身に着けている。

 そこに違和感があるとすれば、髪だろう。

 ボロボロに傷ついているモノトーンで黒彩色な制服と相反するかのように。むしろそのモノトーンを際立たせるかのように、長い髪は真っ白で美しく、米原みらいの視線をくぎ付けにする。木々の合間から注ぐ僅かな木漏れ日と濃霧も、さらにその少女を幻想的に彩っていた。

 聞こえるかすかな吐息。

 それが、お伽噺の登場人物ではないことを裏付けた。

「……はっ」

 やにわに、米原みらいの意識が夢と現の境界線から帰還する。

 そうして、横たわる白髪の少女に駆け寄った。

 その手をそっと握る。

 息はある、脈もある。死んでいるわけじゃない。

 何のいきさつと事情でここに倒れているのか定かではないが、コアの探索よりも人命を優先すべきという判断くらい、米原みらいにもできる。

 しかし、救急車を呼ぶという選択は躊躇われた。この山奥に到着するには時間がかかるだろうし、レスキュー隊が派遣されるという大事になりかねない。

「あ、そうだ」

 ここで思い出す。常盤主任が言っていた、逐次連絡せよ、を。

 端末を取り出す。

 ぴぴぴぴぴぴ!

 連絡しようとした矢先に、先ほどの警告音が再び鳴り響いた。

 煩わしさのあまりすぐに停止させる。表示されている『302765』というMV振動残子値を無視して。

『組織』に連絡を入れるとすぐに主任が出た。

「常盤だ。何か進展はあったか、フェニックス」

「はい。倒れている女の子を一人発見しました」

「おんな?」

 主任は少し考えるかのような間をおいてから質問を投げかける。

「息はあるか? 特徴は? 所持品は? 身元はわかりそうか?」

「あ、そっか……」

 さすが大人の対応力というべきだろう。常盤主任は米原みらいに的確に行動すべきことを示した。米原みらいは、「とりあえず息はあります」と答えつつ少女の周辺に目を向ける。鞄などの所持品が見当たらないため、制服のポケットを探った。するとボロボロの財布が見つかった。すすけているがピンク色で、桜の模様をあしらった可愛らしい財布だった。チャックにUFOキャッチャーでよく見かけるような小さなマスコットが一つキーチェーンで付けられている。

 ごめんね、とつぶやいて、米原みらいは財布の中を開ける。と、バスの定期を発見できた。待たせている主任に、まとめて報告する。

「ありました、バスの定期です。名前は――近藤さな。『裏祇山学園』高等部の制服を着ています。1年生、かな?」

「バスの定期? 3日前の事故の生存者か?」

 そんな返答に加えて、そういえば1名行方不明が居たな、と主任の小声が聞こえる。

「他に何かあるか? たとえば、髪の色が普通ではない、とかな?」

「あ、はい……髪は白い……ですね」

 それを聞いた主任は、なるほど、と噛みしめるように言った。

「MV振動の残子値はいくつだ?」

「えっと、302765です」

 それを聞いた主任の声色が一段と低く、口早になる。

「命令だ、フェニックス。直ちにその場を離れろ。それと、そういう解りやすい情報は今後先に言え」

「え?」

「残念だがフェニックス、そいつはもうヒトではない。既にコアに浸食されている。ただちにこちらから特殊部隊を派遣し、始末しなければならない」 

 え? え? 

 米原みらいが、事の重大さを理解しない間に、何かの特殊部隊の出動を要請する主任の声が遠く聞こえてくる。

「始末って……あの……?」

「言葉通りだよフェニックス。殺すという意味だ」

「そんなッ? なぜです!?」

「なぜだと? 愚問だぞフェニックス。貴様が発見した人間は既に手遅れなのだ。変異した髪色と残子値の高さがその証に他ならない。もしもMV感染者そいつが目を覚ませば、持ちうる能力ちからをもって人間を殺戮するただのマシーンと化す。そうなる前に、速やかに駆逐する必要がある」

 ましてや、と主任はまくしたてる。

「そいつの感染したコアが、『うんりゅう』のものならば、事態は最悪だ。なにせ『うんりゅう』は、衛星軌道上からの狙撃を主任務とした大型光学兵器を備えた“軍事衛星”だったのだからな。そんなものを装備した化け物を相手にするわけにはいかん」

 米原みらいは狼狽するばかりだった。

 何が何やら、理解が追い付かない。それでも、米原みらいを突き動かす何かがあった。

 それはちっぽけな正義感だったのかもしれない。

「なんとかならないんですか?」

 しかし、米原みらいの叫びは、主任には届かなかった。

 主任の声が苛立ちをもって響く。

「退避しろ。二度目だぞフェニックス。これは命令なのだ」

「……」

 でも! と食い下がる米原みらいの心を見透かした主任の声が追い打ちをかける。

「納得がいかないか? だがこれは我々の仕事だ。放っておけば、バスの事故とは比べ物にならん犠牲者が出る。そして現時点で戦力にならん貴様をそこに置いておくわけにはいかない。貴様と、他の人間の安全のために、私は出来うる最善の手法を取らねばならない……」

 米原みらいは動けなかった。

 自分を動かすための動機を見失っていた。

 もはや意地なのか正義感なのかも解らぬまま、倒れた白髪の少女――近藤さなの顔を見つめていた。

 その安らかな寝顔からは、主任が言う脅威は欠片も感じない。

「あと10分だ……」

 無慈悲な死の宣告が、常盤主任の声で奏でられる。それは特殊部隊が到着するまでの時間だった。

 米原みらいは、時刻を確認してから端末の電源を切る。

 主任に連絡したのは間違いだったのかもしれない。そんなことを思いながら、近藤さなの髪にそっと触れようとしたとき。


 ――墜ちる夢は終わりを告げ

 少女は覚醒する。


「っは――ッ!」

 げほッ げほッ。

 息を吹き返す、という形容そのままに、近藤さなが突然戻った呼吸に激しくせき込んだ。

「さな……、さん!?」

 米原みらいの呼びかけに答える余裕もなく、近藤さなは、身体をくの字に折り曲げたまま、暫くせき込み続けた。

 その間、米原みらいは、近藤さなの名前を何度も呼びかけたが、苦痛のあまり返答できない様子だ。

 やがて近藤さなが落ち着いてからも、ひゅーひゅーと、肺と気管支から空気が出入りする音がして、まともに会話できる状態には、なかなかならなかった。

「さなさん、大丈夫ですか?」

 数分経って、ようやく米原みらいの声が近藤さなの意識の中に届く。

 ぎゅっと瞑られていた近藤さなの双眸が開かれ、涙を湛えた視線がゆっくりと米原みらいに向けられた。

 色素の変異で黄金色に見える近藤さなの瞳が米原みらいの姿に向けて、口を開く。

 それはひどく乾いた、掠れた弱弱しい声だった。

「こ、ここは……? 私は? 助かったの?」

「さなさん、あなた、やっぱりバスの事故の……?」

「バス? ……そういえば確か土砂崩れに巻き込まれて……」

 そしてまた――

「うっ!?」

 近藤さなが苦しみだした。

 今度は咳き込むではなく、高熱にうなされているような苦しみ方だ。

「うううううっ!!」

「さなさん!?」

 吹き出す汗に塗れて、呻くような声が、樹海に響き渡る。

 それは次第に激しさを増して、ついには悲鳴のようになった。

「――――!」

 声にならない言葉が、切り裂くように空気を震わせる。

 そうして。

 突如として。

 膨大な。

 光の柱が。

 近藤さなの身体から大空へ向けて立ち昇った。

「え? 何!?」

 眩い極光は、米原みらいの視界を白く染め上げ、同時に巻き起こる数多の衝撃波に吹き飛ばされる。

「ぐっ――うッ!」

 近くの木の幹に激突し、背中を打ち付けた米原みらいは苦悶の声をあげ、ずるずると地面に崩れ落ちる。生身であれば骨の一つも砕けたであろうダメージだったが、強化カーボネイトフレーム製の骨格はヒビひとつなくしのぎ切った。

 それでも伝わる痛みに耐えながら薄らと開けた米原みらいの視界には、光の柱の中に映る近藤さなのシルエットが垣間見えた。

 否。

「う、そ……?」

 その影は既に、人間の域を超えていた。

 ――常盤主任は言っていたはずだ。

 コアと融合してしまったヤツはもう人間とは呼ばん。それはもう化け物だよ――と。

 光が収束し、濃霧は吹き散らされ、その場には『近藤さなだったもの』だけが残された。

 それは佇むというよりは浮遊し、近藤さなを象る体躯の外側に、真っ白な構造物を幾つも纏っていた。

 ――キラキラと輝く妖精の羽に似た二対の翼、両肩を覆う大きく白い甲冑のようなパーツ、そして近藤さなの身体もところどころ硬質なパーツで覆われており、青く輝く宝石のようなものが、手甲や、脚甲などに埋め込まれている。その周囲には全部で12枚の青く透き通った長方形のパネルと、二つの正八面体が、近藤さなを取り囲むように追従し、浮遊し、緩やかに公転していた。

 白く長い髪と合わさったその見目は、一言で言うならば、『武装した天使』だった。

 その天使は今、近藤さなの仮面のまま、やすらかに瞳を閉じ、ふわふわと中空に佇んでいる。

 米原みらいの脳裏に、まさか、という言葉が浮かぶ。

 機械と人間の融合。

 常盤主任の言う最悪の事態。

霊機融合オーバーライト……!?」 

 ぴぴぴぴぴぴ。

 端末の呼び出し音がけたたましく鳴り響く。

 その瞬間。

 それは動きだした。

 両の眼が開かれ、妖精を思わせる機械仕掛けの翼が輝きを増す。

 近藤さなが、目前の樹木に座り込んだままの米原みらいに気付くのにそう時間はかからない。

 近藤さなの両眼はまるで狂犬のごとく煌々と紅蓮に燃え、片方の掌が米原みらいの頭部へ向けられる。同時に、近藤さなの周囲を公転していた蒼く透明な正八面体一つが、かざす掌の前面に配置された。

 直感というべきか、米原みらいは、咄嗟の防衛本能のままに頭を手で覆った。

 目前の六芒星に殺意の塊が収束し、放たれる。

 そう思われた次の瞬間。

 風を切る幾つもの羽音が喧しく周囲をつんざいた。

 それは少し遠方の上空からだった。

 米原みらいと、近藤さなが反射的に見上げれば、迷彩塗装を施したAH‐1コブラ(攻撃ヘリコプター)1機と、UH‐60ブラックホーク(兵員輸送ヘリコプター)4機が上空に姿を見せていた。常盤主任が言っていた特殊部隊だろう。米原みらいが所持している端末やワッペンが、GPSと連動して特殊部隊に位置情報を教えていたのだ。だから彼らは迷わずに一直線にやってきた。 

 やがて総勢44名の兵士がホバリング中のUH‐60ブラックホークから降下を開始する。

 その間にAH‐1コブラは旋回し、真っ直ぐ米原みらいの居る方角……正確には近藤さなへ機首を向けた。

 AH‐1コブラの下部にあるユニバーサルターレットにはM197‐20ミリ機関砲が、――両翼のパイロンにはハイドラ70ロケット弾ポッドが2基装備されている。それらの兵装は、今『化け物』と化した近藤さなに狙いを定めていた。

 それを知ってか知らずか、近藤さなの周囲を浮遊している蒼い正八面体一つが、かざす掌とともにAH‐1コブラに向けられる。

 そして間もなくして正八面体が青白く光り輝き、地上から上空へ、一筋の閃光が一直線に放たれた。

 光はAH‐1コブラのコクピットを貫通し、回転するメインローターを切断しながら、天空へ向けて消えていく。

 コクピットのガラスは真っ赤に染まり、前部座席、後部座席には溶解した二名分の肉塊が焦げた異臭を放ち、コントロールを失ったAH‐1コブラは、なすすべもなく樹海の底へ沈んでいった。

 地面に激突した4500kgが爆発四散する轟音が響き渡る。


 すべてが、あっという間の出来事だった。

 重武装した軍用ヘリコプターがたった1撃で落とされ、少なくとも乗員2名の命が、瞬く間に失われた。

 信じがたい。

 米原みらいは、畏怖や憤りすら感じずに、一連の出来事をまるで夢現のように見ていた。

 他人事のように、絵空事のように。米原みらいの心は現実を受け入れることを拒んでいた。

 だが、現実は着実に時を刻む。


 近藤さなが、空へと舞いあがった。

 上空には今も4機のUH‐60ブラックホークが留まり、降下した兵士たちは樹海の中に展開を始めている。

 ――MV感染者が目を覚ませば、持ちうる能力ちからをもって人間を殺戮するただのマシーンと化す。そうなる前に、速やかに駆逐する必要がある。常盤主任のその言葉は正しかったかもしれない。

 だが、殺せるのだろうか。

 たった一撃で軍用の攻撃ヘリを撃墜する少女を。

 進撃を開始する近藤さな。

 地上の部隊が上空に向けて火器による攻撃を開始し、米原みらいの耳に銃撃音が幾つも届く。無数の銃弾、砲弾、ロケット弾が近藤さなに殺到し、爆煙がその姿を覆い隠していく。

 きっと派遣された兵士たちは、厳しい訓練を受けたスペシャリストなのだろう。専門は地上戦だったのかもしれない。それでもMV感染者を想定した部隊に違いはない。

 連絡を取り合いながら、臨機応変に作戦を遂行しようと動いている。

 本来ならば眠っている近藤さな《ターゲット》を始末するだけの任務だっただろう。

 しかし到着してみれば誤算だらけだったに違いない。

 それなのにヘリ1機を落とされても怯むことなく、未知の相手にさえ果敢に挑む姿はプロの集団を思わせた。

 だが、近藤さなは兵士たちの想定とは桁違いの『化け物』だった。

 晴れた爆煙から姿を見せた近藤さなの身体は何事もなかったかのように健在だった。それどころか、銃弾も、砲弾も、ロケット弾も。近藤さなの張り巡らせた“粒子の光壁”に受け止められてしまっていた。

 そして次の瞬間には爆煙の残り香を切り裂くように、展開する部隊に向けて極細の閃光が放たれる。地上に到達したその光は真横へ薙ぎ払われ、地表を削り取りながら兵士たちの元を横断する。それだけで3名の命が失われ、両脚を斬り飛ばされた他1名も生存は絶望的となった。

 地対空で分が悪いのならば空対空で応じるしかない。対人兵器で歯が立たないならば、対装甲兵器で応じればいいと、1機のUH‐60ブラックホークがチェーンガンと対装甲ロケット弾による応戦を試みるが、それをもってしても近藤さなの展開する粒子光壁を貫通することはできない様子だった。

 次の瞬間には、またいくつかの命が失われていく……。

 そんな中、

 ぴぴぴぴぴぴ。

 いつからか鳴りっぱなしだった端末の呼び出し音。

 米原みらいは、ようやく気が付いた。

 恐る恐るといった感じで出ると。

「フェニックス、無事か? 今貴様の腕と脚は幾つくっついている!?」

 米原みらいは少々度肝を抜かれながら、訳も分からずにとりあえず無傷だと伝える。

 常盤主任は、そうか、と応じてから。

「時間が惜しい。貴様への説教は後回しだ。よく聞けフェニックス。現時刻をもって貴様への命令を変更する」

 戦闘の状況は主任にも連絡が行っているのだろう。

 早口にまくしたてる常盤主任の声は、焦りと憤りを含んでいた。

「私が派遣したデクどもでは恐らく、『セラフィム』を駆逐するのは不可能だ。そこでフェニックス、貴様は現存する部隊を護衛し、撤退の援護に向かえ」

「援、護……?」

 聞き返す米原みらいの声は震えていた。

 主任の言葉は、戦火の中に身を投じろということを意味していた。米原みらいは自ずとその意味を感得したのだろう。

 自分に援護などできるのか、そもそもあの場に行って生きていられるのか。

 米原みらいにはその自信も度胸も無い。

 それなのに、常盤主任は淡々と念を押して告げる。

「恐らく、今の状況下でアイツの相手を出来るのは貴様だけだフェニックス」 

「で、でも私は戦力にならないって……!」

「そうだな。貴様はまだまともな戦闘訓練すらしていないド素人だ、そんなやつは戦力とは呼ばん。だが、ポテンシャルだけならば、貴様は『セラフィム』に対抗できるだけの力がある。今は貴様の出るか出ないかわからん未知の可能性すらあてにしなければならん状況なのだ」

「そんな……」

 無理ですよ。

 聞こえないほどの小さな呟きが、米原みらいの口から零れ落ちる。

 そして訪れた不意の静寂。

 無言を貫く米原みらいは、どこまでも拒絶を呈していた。

 ――遠くで爆発音が響く。

 銃撃音が。他人ひとの罵倒が、他人ひとの叫び声が。

 無機と有機の破片が飛び散る生々しい響きが――大気を伝ってくる。

 暫くして、端末の向こうで諦めたような溜息があった。

「行きたくないならば無理にとは言わん。正直デクどもの命など私は惜しくない。だがな、放っておけば近隣の街がどうなるか、貴様にも解る筈だ」

「それは……」

 街に被害が及ぶ。その言葉は、米原みらいの心を揺さぶった。

 ここから一番近い街は、裏祇市。山の中腹には裏祇山学園もある。

 それらは米原みらいが少し前まで生活していた場所だった。

「もう一度言う。アイツを止められるのはお前だけだ。本気を出せフェニックス。私はお前の本気を信じているぞ」

 あとは貴様次第だ。常盤主任はそう言うだけ言って通信を切った。


 そんなことを言われても。

 米原みらいは、そんな一言を思いながら、空を見つめた。

 少し遠く、立ち込める黒煙と煌々と燃え上がる炎は、墜落したヘリたちの残骸だ。

 もはや音はなく、残響もなく、叫喚もなく、近藤さなの姿も……。


 そんな空がキラリと輝く。


「!?」

 ハッ、とした時には、米原みらいの世界は傾いていた。

 次第に身体の重心を地面に奪われ、ドサ、っと地面に倒れこむ。

「……え?」

 突然だった。

 状況を把握しきれない米原みらいの視界は今、草木と枯葉の色彩で覆われている。

 その後から、ゴトッ、っと何かが米原みらいの顔の傍に倒れてきた。

 脚だ。強化カーボネイトの骨格に、極細の金属繊維を織り込んだ機械筋、その稼働を伝達するワイヤーによる腱と、疑似神経を介する無数の合成高分子繊維糸、そして湿材と人工皮膚の層で作られた、精巧な外皮。疑似神経の伝達に使われる透明な液体が、その『切断面』から流れ落ちている。

 それは米原みらいの右脚だった。

 米原みらいは、身体を動かそうとしたところで、右腕も無いことに気付く。

 う、そ、だ。うそだ、うそうそ。

 そう思い込みたい心を、後から湧き上がる熱さと、ご丁寧に再現される激痛が、苛み始めた。

 中途半端なうつ伏せのまま、身動きが取れない。そんな米原みらいの身体に、薄らと影が落ちた。

 辛うじて首を動かし、片目で見上げれば。

 殺戮を終えて舞い降りる、近藤さなの姿があった。

 その姿を見て、米原みらいの頬が緩む。

 はは。

 声にもならないくらい、掠れた、乾いた、笑いが、米原みらいの口から洩れ始めた。

 涙は流れないはずだったのに、一滴何かが米原みらいの目からあふれて頬を伝う。

 悔しさなのか、悲しさなのか、毀れた水滴の意味は解らないが、米原みらいは無自覚に覚悟していたのだろう。

 自分はもう死ぬのだと。

 そして、転がる手足の断面を見て、『死ぬ』に値しない無機物で出来た人形だったのだと気づいてさらに嗤う。

 嗤いながら、米原みらいは残った左手で木の葉を掻き毟った。

 その次の瞬間。

 米原みらいの意識は消え失せた。








読んでいただいてありがとうございます。

チマチマ連載していこうかと思っていますが、

プロットを作ってもその通りに進めることがあまりなく、結果的にいきあたりばったりな執筆になっております。

 ゆえに、UP後に頻繁に修正していたりしますので、UP直後はクオリティが低い恐れがあります。ご了承ください。

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小説としてやっちゃいけないことをたくさんやっていると思いますが、せっかくですのでこの場を借りて、ホントにダメなのかどうかを実験していきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。


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