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氷の花

作者: 三塚章

 雪は、すっかり地面を覆っていました。山の中を、いちは息を弾ませて歩いていきます。この冬初めての雪にはしゃいで、壱は村を飛び出していったのでした。

 いつの間にか、振り返っても村は霞のような粉雪に隠れ見えなくなっています。風がやみ、木々のざわめきがとまると耳が痛いほどの静けさでした。

ふと、壱は白く染まった木々の根本に、隠されるように建つ小屋を見つけました。お父さんと隣の村に行くときこの辺りを通ったときにはこんな物はなかったのに。

小屋の前で、何か動く物をみつけ、壱は目を凝らしました。戸のそばで誰かが雪玉を作っています。それは壱と同じ年頃の少女でした。ミノを背負った壱と違って、白い着物を一枚着ただけの少女は、壱に気付くとにっこりと微笑みました。その笑みを見て、壱は心の奥がむずがゆいような、恥ずかしいような気分になりました。


少女は、天花てんかという名前でした。壱と天花はすぐに仲良くなりました。壱は、それから毎日家の手伝いが終わると天花の家へ遊びにいきました。天花も壱が来ると囲炉裏に火をいれて迎えてくれました。その火で壱がこっそりと持ち出した芋などを焼いて、二人でおしゃべりをしたり、外で雪玉を作ったりして遊んだのです。


 そして、春が近くなった頃の事です。壱が遊びにいくと、天花は声をあげて泣いていました。

「天花ちゃん、どうしたの?」

「わたし、もうここにいられないの」

 しゃくりあげながら、天花は言いました。

「実は、わたしは雪の精なの」

 壱は、その言葉を聞いても驚いたりはしませんでした。だって、彼女は寒い中でも着物一枚で、壱がいない間は囲炉裏の火も必要ないのですから。そして、彼女の正体がなんなのかなんて、壱には大したことではありませんでした。だって天花はやさしくて、一緒にいるとたのしくて、かわいいのですから。

「雪の精は、春になると消えてしまうのよ」

 泣きながら天花は語り始めました。

「どうしようもないことなの。もうずっと会えないの。そのうちに、いっちゃんだってわたしのことなんて忘れちゃうわ」

「そんなの嫌だ!」

 まるでだだをこねるように壱は言いました。

「だったら、これを持っていてくれる?」

 天花は、袖から紺色の包みを取出しました。そして、小さな手でその包みを開きました。布の上に乗っていたのは、氷でできた一輪の椿でした。優雅な曲線を持つ枝の先に、ふれれば壊れてしまいそうな、曇りのない花びらがほころんでいます。

「この花をなくさないで。そうすればいつか必ずまた会えるわ」

 壱がその花を手にとると、指先にひんやりとした冷たさがしみてきました。しかし、暖かい手にふれたのに、氷の花は溶けたりしないのでした。

 それなのに、天花の姿は少しずつ薄くなっていきました。

「ずっとわたしのことを覚えていて。もしもあなたがわたしのことを忘れたら、その花は消えてしまうの。そしてあなたはわたしのことを思い出せなくなっちゃうわ。そして、本当にもう二度と会えなくなっちゃうの」

「ぜったいに忘れないもん」

 泣きじゃくりながら、壱は花を握り締めました。

「約束よ? 絶対に忘れないで」

 そういい終わると、天花の姿は手のひらに落ちた雪のように消えていきました。


 その氷の椿は壱の家の一輪挿しに飾られるようになりました。不思議な花に、両親は最初こそ不気味がりましたが、そのうちその美しさを愛でるようになりました。近所のいたずらっこは、こっそりとその花を盗み出し鍋に放り込みましたが、それでも椿は溶けたりせず、冷たい輝きを保っていました。

 時が経つにつれ、天花との思い出は薄れていきましたが、それでも壱の頭の中には、いつもどこかに彼女の記憶と再会を待つ気持ちがあったのです。確かに遊んでいる時も、仕事を手伝っている時も、眠っているときでさえも。


長い月日が経ち、壱は立派な青年になっていました。そして、村のタエという女性とともに暮らすようになりました。

そのタエが、熱病にかかったのは真夏のことでした。壱は、薬草を煎じて飲ませましたが、まったく効きませんでした。タエの額は驚くほど熱く、濡らした布を載せてもすぐにぬるくなってしまいました。

 意識をなくしたタエは、苦しげに顔を歪ませています。

「しっかりしてくれ、タエ」

 とにかく、タエの頭を冷やさなければ。しかし、今は夏で、雪のひとひら、氷のひとかけらもないのです。

 いえ、一つだけ氷でできた物がこの家にあります。

 壱は氷の椿を手に取り、それを布に包みました。そしてタエの額にのせます。

 タエは小さく呻きました。それは弱々しく、今にも消えてしまいそうでした。 

 壱はタエの手を取り、祈りました。タエが治りますように、それだけを一心に。

「壱……」

 小さく名前を呼ばれ、壱はいつの間にか閉じていた目を開きました。

 意識を失っていたはずのタエが目を開け、こちらを見つめています。壱は微笑みを浮かべ、大きくため息をつきました。

 布にくるまれていた椿は、いつの間にか溶けて消え失せていました。


 その年の冬。初めての雪が降った日に、壱はふらふらと山の中へと歩いていきました。こんな寒い日に、山に行く用事はありません。けれど、誰かにせかされているように足が自然に向かったのです。

 地面が白くまだらに染まり始めた森には、何も変わった所はありませんでした。葉を落とした枝が、黒々と立ち並んでいるだけです。その枝に触れた風が、笛のような、甲高い子供の泣き声のような音を立てていました。

 なぜか、ひどく悲しい気持ちになりながら、壱は空を見上げました。白い雪が、くるくる、くるくると虚空に渦を巻いていました。


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