電車の中で席を譲る
通勤中の自分だって、出来ることなら座りたかった。
しかし隣では老婆と言って差し支えないであろうご婦人が、よろめいていた。彼女より先に座るわけにはいかない。
自分たちの前には、健康そうな男性二人。
壮年の元気そうなサラリーマンがだらりと座ってパズルゲームをし、野球部かと思われる高校生がやはりだらりと徒然草を開いていた。
老婆は、席を探すように、キョロキョロしていた。
そして、自分は、非常に臆病で我儘な性格だったが、何よりも勇気があった。
「おかけにならなくて大丈夫ですか?」
譲る席もないのに聞く自分。老婆は品良く、しかし不思議そうに
「あら、大丈夫よ。どうして?」
と返事をした。自分は余計なことをしたかと恥ずかしくなって、
「お席をお探しにお見受けしたので……」
とゴニョゴニョ言って、窓の外のスカイツリーに目を逸らした。体が熱かった。
と、次の駅で、少し離れた席の中年女性が、
「私降りますから」
とニコニコ老婆に譲ってくれた。聞こえていたのだろう。自分はホッとした。肩の荷が下りた。
男子高校生は疲れたのか、徒然草を閉じて首肩を動かしている。だったら立て、と思ったが、彼は自分より先に乗っているのだから長距離通学や部活で疲れているのかもしれない。もしかしたら、見えない病気かもしれない。だから、彼に譲れというのはきっとそれはそれで無作法で思いやりのない行為だ。
自分が降りる駅になっても、高校生は座っていた。やはり声を掛けなくて良かったと安堵して立った瞬間、離れた席の老婆が寄ってきた。
「さっきはありがとう。とっても嬉しかったわ」
老婆の笑顔は、心からの感謝を表していた。自分は間違ってなかった。喜んでもらえた。良いことをしたと認めてもらえた。
自分は席を譲ることに非常に積極的だが、時には優先席に座ってスマートフォンを操作していることも、ちょっぴり電話で話してしまうこともある。それでも、今日はとっても気分良く出社した。