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第5話 結衣の決意


────……翌日。

結衣は、柔らかな光に包まれて目を覚ました。

心地の良い朝日が、瞼の裏を赤く透かす。


ふかふかのベッドに沈んだまま、ぼんやりと天井を見つめる。


(……あれ)


一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。

会社のデスクでもなければ、アパートの天井でもない。


真っ白な天井。

広い部屋。

窓から差し込む、穏やかな朝の光。


そこでようやく思い出す。


(……そうだ)


私、死んだんだ。


なかなか、目覚めて早々に自分の死を悟る経験なんてできないな、と結衣は少し自嘲するように笑う。


どこかぼんやりとした昨日の出来事が、ゆっくりと記憶の中で繋がっていく。


死後、気が付いたら転生案内所にいたこと。

異世界への転生を希望し、適性検査をするも、転生先なし。

そして――ここで働くかもしれない、という話。


結衣はゆっくりと体を起こした。

窓の外を見ると、街はすでに動き始めているようだった。

とはいえ、生きていた頃の朝のような慌ただしさはない。

車の音も、急ぐ足音も聞こえない。


ただ、静かな空気の中で、ゆっくりと時間が流れている。


(……どうしよう)


結衣はベッドの縁に腰を下ろしながら呟いた。


ここで働くか。


それとも――


その先は、まだ考えないようにしていた。

少なくとも今は、決めきれない。

しばらく考え込んでいた結衣だったが、やがて小さく息を吐く。


「……とりあえず、行ってみようかな」


転生案内所。外観はまさに市役所といった感じの、いい意味で古臭く、昔ながらの鉄筋コンクリートでできた建物。華美でもなければ特別ボロいわけでもない。

昨日は、ほんの少しだけ覗いただけだった場所。

結衣は簡単に身支度を整えると、マンションを出て案内所へ向かった。


朝の転生案内所は、昨日と同じように静かだった。

受付では職員たちが淡々と仕事をしている。


怒鳴り声も、騒ぎもない。

結衣は邪魔にならないように、そっとフロアの端を歩く。


(今日は平和そう……)


そう思った、そのときだった。


かすかに。


すすり泣く声が聞こえた。

結衣は足を止める。


声の方へ目を向けると、フロアの隅のベンチに一人の制服姿の少女が座っていた。

まだ新品のように、皺ひとつないパリッとした綺麗なブレザー。

肩より少し長い髪は、染めたことのない綺麗な黒髪で艶やかだった。


その少女は、両手で顔を覆いながら、小さく震えている。


(……高校生?)


結衣は思わず足を向けていた。

少女の前まで来ると、少しだけしゃがみ込む。


「……あの」


少女の肩が、びくっと跳ねた。

ゆっくりと顔が上がる。

真っ赤に腫れた目。

真っ白な頬には幾筋もの涙の跡が残り、大きな瞳からは次から次へと涙が溢れ続ける。


そして、震える声で言った。


「……ここって」


少女は周囲を見回した。


「本当に……死んだ人が来る場所なんですか?」


結衣は、何か気の利いたことが言えないか、と脳の中にある語彙力の棚を引っかきまわしてみるが、指先にかかる言葉はどれもパッとしない。

結衣は半ば諦めるように、静かに頷いた。


「……はい」


少女の目から、また大粒の涙がこぼれた。


「やっぱり……」


少女はぽつりと呟く。


「私……死んじゃったんだ……」


制服の少女は春野陽菜といった。

陽菜は涙で震える声で、ぽつりぽつりと途切れながら続ける。


「昨日……高校の入学式だったんです」


結衣は黙って頷く。

陽菜は制服の袖をぎゅっと握りしめた。


「やっと、制服着られて……」


涙で濡れた頬を拭いながら、小さく笑う。


「友達もできそうで……」


その笑顔は、すぐに崩れた。


「帰り道で、お母さんに電話してたんです」


声が震える。


「高校どうだった?って聞かれて……」


陽菜は、ゆっくりと息を吸った。


「すごく楽しかったって……言おうとして……

その時、車のクラクションが聞こえたんです。

何かと思って音のする方を見たらトラックが目の前で……」


そこまで言って、言葉が止まる。

しばらく沈黙が続いたあと、陽菜は小さく呟いた。


「気づいたら……ここにいて」


ぽろぽろと涙がこぼれる。


「私……何が起きたのかも分からなくて……」


結衣は静かにその言葉を聞いていた。

頭の中で、陽菜の言葉が整理されていく。


入学式。

その帰り道、母との電話、途切れた言葉。

そして……トラックの存在。


────……事故だったのだろう。


きっと、陽菜にとっては一瞬の出来事で、彼女は何も理解できずにこの場に来たのだろう。

陽菜は両手で顔を覆う。


「私……まだ」


肩が震える。


「高校生活、始まったばっかりだったのに……」


結衣の胸が、少しだけ締め付けられる。

その瞬間、結衣の中で何かがすっと整理された。

この子が本当に怖がっているのは、死んだことじゃない。


()()()()()()()()()()ことだ。


結衣は、ゆっくり口を開いた。


「……怖い、ですよね」


陽菜が顔を上げる。

涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、目を見開いた。


「え……?」


結衣は、陽菜の不安を少しでも和らげようと、精一杯微笑んで見せる。


「高校生活、楽しみにしてたんですよね」


陽菜の瞳から、また涙があふれる。


「……うん」


小さく頷く。


「友達作ったり……部活とか入ったり……」


陽菜は声を詰まらせながら言う。


「制服で遊びに行ったりとか……」


ぽつり、と付け足す。


「まだ、何もしてないのに……

私、みんなに忘れられたら、どうしよう……。

私なんていなかったことにされたら……っ」


陽菜の感情が、流れ込んでくるようだった。

あまりに短い人生。

確実にそこにあった陽菜の人生の続きは、強制終了してしまったのだ。

ゲームでもなんでもない、今を生きる陽菜の人生に、セーブもリセットもないのだから。


陽菜は死後、自分がどうなったがわからない。

結衣は何かに気が付いたように、ハッとして周囲を見渡す。

少し離れたところに天城の姿を見かけ、結衣は陽菜に「ちょっと待ってて」と言い残して駆け出した。


「天城さん、お伺いしたいんですけども……!」


息を切らせながらも、まっすぐに天城を見据える結衣の瞳に、天城は薄く微笑んだ。


「……聞きましょう」



────……その場に取り残された陽菜は、感情の整理ができないまますすり泣く。

しかし、結衣と話したことで少しだけ冷静さを取り戻していることも事実で、陽菜は潤んだ瞳で周囲を見渡してみる。

陽菜と同じく泣いている人もいれば、自分の死を静かに受け入れている人もいる。

この場にいる人は全員、陽菜と同じなのだ。

独りぼっちではない、という事実が、陽菜のまだ幼さの残る心の柔らかい部分をそっと包んでくれるような気がした。


「陽菜さん……っ」


そこに、結衣が息を切らして走ってくる。

思えばこの人も、死んでしまったからここにいるのだろう。

それなのに陽菜のために、死んでしまった人のために、こんなに一生懸命になってくれている。

目に映る事実が、陽菜をどこか安心させた。


「陽菜さん、少しだけ……見てみませんか」

「見て、みる……?」

「ええ。あなたが置いてきてしまった人が……

本当にあなたを忘れてしまうのかどうか」


結衣の言葉は衝撃的だった。

痛みなど感じないはずの陽菜の体を、衝撃に似た感覚が貫く。


「で、でも……」


見たくない事実(忘れられた現実)が、そこにあるかもしれない。

陽菜は不安に思い、即答できずにいると、結衣は柔らかく笑った。


「大丈夫です、私も一緒に行きますから」


何一つ根拠のない「大丈夫」だけれど、今はその言葉が何よりも暖かい。

結衣は小さくうなずいて立ち上がった。


「────……春野さんですね、こちらにどうぞ」


結衣に連れられて、陽菜は「視聴覚室」と書かれた部屋の前に来た。

そこには黒い髪を綺麗に束ねた、凛とした雰囲気を纏う女性が立っていた。


「……っ、」


怖気づいたのか、陽菜は部屋へ踏み入るあと一歩が出ずに立ち止まる。

けれど、そんな陽菜の手を握ってくれる人がいた。


「大丈夫ですよ」

「……」


結衣の言葉に、陽菜はうなずいて視聴覚室へと入る。

遮光カーテンが閉められ、薄暗闇が広がる部屋で、陽菜はなんとなく部屋の中心あたりの席に座った。

そういえば、映画を見るときも映画館の座席は中央をよく選んでいたな、とひどくどうでも良いことを思い出す。


結衣は陽菜の隣に座り、スクリーンのそばにいる天城にアイコンタクトを送った。

するとスクリーンに映像が投影され、薄暗闇に明かりが灯る。


「────……な、陽菜……っ」

「お、お母さん……!?」


陽菜の名を呼ぶ声に、陽菜は目を見開いてスクリーンを見つめた。

そこには穏やかな笑みを浮かべる陽菜の遺影を前に、泣きじゃくる母の姿があった。


ああ、やはり母をこんなに悲しませてしまった。

陽菜の胸の内は罪悪感に塗れる。


そこに現れたのは、中学時代の友人たちだった。

母と同じように泣きじゃくり、震える陽菜の母を抱きしめている。


「陽菜……、なんで……っ」


どうして、と泣く友人の姿に陽菜の心は締め付けられる。

けれど、友人たちはすぐに涙を拭った。


「で、でも……私たちがこんなに泣いてたら、陽菜が安心できないよね……」

「うん、優しい陽菜のことだもん。私たちが泣いてたら、「泣かせてごめん」って言いだしそう」

「笑ってさよならなんて絶対にできないけど……、それでも今、こうして泣いてる姿を陽菜に見せたくないよね」


友人たちの言葉に、陽菜は震えた。

ああ、まさにそうだ。自分の死が原因で大事な人たちを泣かせてしまっている。

その事実が陽菜の心を抉っていたが、懸命に涙を拭おうとする友人たちに陽菜の気持ちは少しずつ変化していく。


「陽菜……、陽菜も、私たちのことが心配で天国に行けないとか、言わないでよね……」

「私たちなら大丈夫……、今はこんなに辛くて苦しいけど……、この悲しみをずっと引きずることはしないから」

「でも、陽菜のことを忘れるわけじゃないからね……っ

陽菜はずっと、私たちの心の中で生き続ける……」


陽菜の頬を、静かに涙が伝う。

暖かい涙が、心を満たしていく。


「陽菜、私たちずっと一緒だよ」

「ずっと忘れない」

「陽菜との思い出全部、私たちが覚えてるから」


友人たちの紡ぐ、嘘偽りのない言葉が陽菜の不安を拭っていく。


「陽菜のお母さんも、そんなに泣いてたら陽菜がいつまでも天国に行けないよ」

「……そうね、あの子はとっても……優しいから……っ」


そう言うと、陽菜の友人と母親は涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、不器用に笑った。

無理やり持ち上げた口角は歪んでいて、生まれたての赤ちゃんよりも下手な笑顔に、つられるようにして陽菜も笑った。


「ふ、ふふ……っ

酷い顔……っ」


陽菜はそのまま、声を上げて泣きじゃくった。

涙は途切れることもなく、陽菜の不安な気持ちもすべて綺麗に洗い流しているようだった。


「────……あ、りがとう……ございま……!?」


陽菜は途中で天城が差し出したタオルに顔を埋めて泣きじゃくり、ひとしきり泣いたあとタオルから顔を上げた。

するとそこには、陽菜以上に目を腫らした結衣がいた。


「いいえ、いいえ~

陽菜ちゃんもたくさん泣いてすっきりした?」


鼻の奥に涙の余韻が残る結衣に、陽菜は困ったように笑う。


「はい、すごく」


陽菜の表情は最初に見たときとは見違えるほどに明るくなっていて、結衣も釣られるように微笑んだ。


「良かった」

「……私、……私だけ、死んじゃったから……

先に進み続けるみんなの人生から、取り残されちゃったような……。

うまく言えないんですけど、私っていう存在が切り取られちゃったような気がして怖かったんです」


陽菜はタオルを握りしめるようにそう気持ちを吐露する。


「お母さんや友達をあんなに悲しませちゃったことにも、罪悪感があったし……。

私、死んじゃってもう何も返せないのに……。

でも、違った。私の死を、私よりも受け入れてくれる友達がいました」


陽菜はどこかまっすぐ、晴れ晴れとした声でそう続ける。


「私のために泣いてくれて、私のために笑ってくれる人がいる。

私は、誰の人生からも切り取られてなかった。それが、すごく嬉しかったんです」


陽菜はそう言い切って、まっすぐに結衣を見据える。


「ありがとう、神代さん。

私────……転生します!」

「……!」


結衣は陽菜の明るい笑顔に、心から安堵した。


「だから、案内してください。

私の……次の人生に!」

「……もちろん!それがここの役目だから……!」


結衣は陽菜の手を取り立ち上がる。

諸々察していた天城が転生の手続きをできるところまで進めてくれており、すでに土台は出来上がっていた。


「じゃあ、私はここで。

陽菜さんの次の未来は、明るいものになるって私が宣言するよ」

「神代さんにそう言ってもらえると、私も安心して転生できます。

本当に────……ありがとうございました」


陽菜は結衣にそういうと、転生の扉を潜っていった。

扉の先は目がくらむほとの白い光で溢れていて、扉を潜ったあとの陽菜を視認することはできなかったけれど、扉を潜る前に見せてくれた笑顔が、結衣の心を淡く照らしていた。


「……それにしても、」

「はっ、あ、天城しゃん……っ」


すぐ真横で聞こえた声に、結衣は驚きのけ反る。


「驚きましたよ。神代さん」


天城はさきほどの結衣とのやり取りを思い出していた。


「────……死後の様子、ですか?」

「はい……、あの、私ここでの仕事内容とか全く分からないし、規則も知りません……。

なので、もし可能であれば、という話にはなるのですが……」


天城は結衣からの突然の提案に、目を見開いていた。

どうやら、自分の死を受け止めきれない女子高生の話を聞いていたらしい結衣は、天城に、その女子高生の死後の様子を見せることができないか、と提案してきたのである。


天城は親指と人差し指で自身の顎をつかむようにして少し考える。

規則に、死者に死後の様子を見せてはいけないという明確なものはない。

しかし、死後の自分の身内の様子を見て、余計に自分の死を受け入れることができずに転生拒否をする人もいた。ここにいるのは魂そのもの。死後の様子を見て傷ついた人は、魂に傷をつけられたことになり、転生したとしてもその魂の傷は癒えることはなく、永遠に付きまとうのだ。


故に、死後の様子を見せることは、暗黙の了解で「しない」というルールがなんとなく出来上がっていた。

しかし、規則という面で言えば禁止する項目はないのである。


しかも、提案してきた結衣には飛びぬけた能力があることを、天城も知っていた。

そんな結衣が選んだ手段なのであれば、女子高生にとって有益になるのでは、と半ば博打に近い気持ちで、死後の様子を見ることを許可したのである。


────……結果、完璧と言わざるを得ない結果となった。


女子高生、春野陽菜の魂に傷はつかず、さらに絶望して泣いていた姿からは想像もできないほど、明るい笑顔で転生の扉を潜ったのである。

あの様子であれば、転生先でもうまくいくだろう。


「なぜ、彼女にあの手法を?」


天城は好奇心を抑えきれず、そう結衣に問いかけた。

結衣は自身の能力が関係していると自覚しておらず、小首を傾げた。


「ん-、何となくっていうのが一番しっくりくるんですけど……。

私たちの人生にはセーブもリセットもないじゃないですか。

死んだら即ゲームオーバー。だから、リセットがないなら作っちゃえば良いって思ったんですよね」


結衣はおそらく、感覚的に自身の能力を使用している。

そのためうまく説明ができないのだろう。


「陽菜さん、すごく優しい子だっていうのは()()()()()()ので、そんな陽菜さんの死を、遺された人が無下にするとは思えなったんです」


そう言い切る結衣に、天城は思わず笑った。


「さすがですね、神代さん」


天城の賞賛の言葉に、結衣は首を傾ける。

何故褒められたのだろう、と明確な理由がわからなかったのだ。


しかし、陽菜のように悲しみに暮れる人を、次の人生に明るく見送ることができるというのは、存外良いものなのかもしれない、と結衣はこの仕事にやりがいのようなものを感じていた。


(生前は、何の役にも立ってなかったけど……、ここでなら……)


結衣の中に、この二日に満たない短い時間の中で蓄積された、暖かい言葉や表情が浮かぶ。

ありがとう、と言う背中を見送ることができるのは、こんなにも気持ちが良い。


結衣はまだ少し躊躇いはあるものの、天城のことをまっすぐに見据える。


「天城さん、私……。

私、ここで働いてみたいです」






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