第4話 悪くないのかも。
転生案内所のフロアに、いつもの静けさが戻っていた。
さっきまで怒鳴り声が響いていたとは思えないほど、職員たちは淡々と仕事に戻っている。
結衣はその場に立ったまま、どこか落ち着かない気持ちで周囲を見渡していた。
(……私、余計なことしたかな)
クレームは収まった。
結果としては良かったのだろうが、部外者の自分が口を挟んでしまったことに、今になって少しだけ不安を感じる。
そのときだった。
「神代さん」
背後から聞き覚えのある声がした。
振り向くと、そこには天城が立っていた。
背筋をまっすぐ伸ばし、凛とした雰囲気を纏っている。
「天城さん……」
余計なことをした、という自覚のある結衣は、天城の登場に少し身構える。
そんな結衣に、天城は静かに歩み寄ってきた。
そして、ほんのわずかに首を傾ける。
「先ほど、転生先選定窓口での件ですが」
(やっぱり、怒られる……?)
結衣の肩が、無意識にきゅっと縮こまる。
しかし次の瞬間、天城は小さく息をついた。
「助かりました」
「……え?」
思わず間の抜けた声が出た。
天城は落ち着いた口調で続ける。
「窓口の職員から報告を受けました。
勇者希望でゴブリン転生になった男性のクレームを、あなたが対応してくださったそうですね」
結衣は慌てて手を振る。
「い、いや、あれはただ……ちょっと話を聞いてただけで……」
「いいえ」
天城は静かに首を振った。
「通常、あの手のクレームは簡単には収まりません」
ほんのわずかに視線を細める。
「相手の気が済むまで怒鳴られ、落ち着いてきたところで再び諭す。
それを何度も繰り返したり、最悪の場合は警備員を呼んでその場から離す対応が必要なことも……。
そんな案件を、神代さんは数分で納得させたそうですね」
結衣は言葉に詰まった。
自分では、ただ思ったことを言っただけだと思っていた。
しかし、周囲の職員たちはちらちらとこちらを見ている。
どうやら、本当に珍しいことだったらしい。
天城は少しだけ表情を緩めた。
「神代さん」
「はい」
「あなたの能力は、やはり非常に優秀です」
その言葉に、結衣は戸惑う。
生きていた頃、そんなふうに言われたことは一度もなかった。
むしろ、
「それくらい当たり前だろ」
「もっと早くやれ」
そんな言葉ばかりだった。
だからこそ、どう反応していいのかわからない。
「……たまたま、です」
結衣は小さく答える。
天城はその様子を見て、ふっと微笑んだ。
「そういうことにしておきましょう」
そして、少しだけ声を落として言う。
「ですが、神代さん」
「はい?」
「もしあなたがここで働くことになれば」
一瞬だけ間を置く。
「転生案内所にとって、とても心強い存在になるでしょう」
結衣は何も言えなかった。
その言葉が、胸の奥に静かに落ちていく。
仕事で、誰かの役に立てた。
ただそれだけのことなのに────……
なぜか胸の奥が、じんわりと温かくなった。
────その夜。
結衣は、案内されたマンションの部屋に戻っていた。
昼間に見たときと同じはずなのに、夜になると部屋の雰囲気はどこか落ち着いて見える。
窓の外には、街の灯りが静かに広がっていた。
背の高いビルはない。
ネオンもない。
ただ、ぽつぽつと暖かい光が灯るだけの、穏やかな夜景だった。
結衣は窓の前に立ったまま、その景色をぼんやりと眺める。
結衣はゆっくりとベッドの縁に腰を下ろした。
ふかふかのマットが体を沈ませる。
(転生案内所で働くか……)
昼間、天城に言われた言葉が頭の中で繰り返される。
ここで働くか。
それとも、転生を拒否して魂の循環を終えるか。
二つしかない選択肢。
生きていた頃なら、迷わなかっただろう。
仕事なんて、もうこりごりだと思っていた。
毎日終わらない業務。
理不尽な上司。
終電を逃す帰宅。
そして最後は、机に突っ伏したままの過労死。
(もう働きたくない……)
本音は、きっとそれだった。
けれど。
結衣の脳裏に、昼間の出来事がよみがえる。
「助かりました」
そう言って、深く頭を下げてきた職員。
あんなふうに、誰かに感謝されたことなんて――
一度もなかった。
(……変なの)
ただクレームを一つ処理しただけなのに。
胸の奥が、まだ少し温かい。
結衣はベッドの上に仰向けに倒れ込む。
天井を見上げながら、小さく息を吐いた。
(あの仕事……)
転生案内所。
生きている人間の役所ではなく。
死んだ人間の、最初の窓口。
そこで働く人たちは、毎日
怒鳴る人や、泣く人や、混乱している人と向き合っている。
……それでも。
誰かの次の人生へ送り出す仕事。
結衣は目を閉じた。
しばらく、何も考えないようにしていたが――
ふと、小さく呟く。
「……悪くないのかも」
転生案内所の仕事も。
その言葉は、まだはっきりとした決意ではなかった。
けれど、少なくとも、昼間よりは。
ほんの少しだけ、前向きに考えている自分がいた。




