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第3話 初めての「ありがとう」


「こちらが、私たちの住む街ですね」


役所のような、息の詰まる施設から一歩外に出ると、そこにはどこまでも澄んだ青空が広がっていた。

背の高いビルなどはなく、広く、どこまでも続く青空に、結衣の荒んだ気持ちがゆっくりと晴れていく。


「目の前のマンションが、いわゆる社員寮ですね。

ここで働く人のほとんどが、このマンションに住んでいます。

神代さんには、今からこのマンションの空室に案内しますね」


そういって、天城は結衣を連れてマンションのエントランスへと入る。

エントランスはどこの高級マンションだ?と突っ込みたくなるほど広く、ホテルのロビーか?と目を疑う。


エントランス……もとい、ロビーにはホテルのフロントのような場所が設けてあり、そこにコンシェルジュと思わしき人が立っていた。

天城は迷いのない足取りでコンシェルジュの元へ行き、何やら二、三言葉を交わすと鍵を受け取り結衣のもとへと戻ってくる。


「2階の空室を、使っても良いそうなので行きましょう」


そう言うと、天城はエレベーターへと向かう。

ここは高級ホテルだ、と言い聞かせながら結衣は天城のあとを黙って追いかけた。


「ここを自由に使って良いそうです。

もし外出するなら、鍵はかけてくださいね。

鍵はそのまま持っていただいて大丈夫です。

設備はどれもすぐに使用できるようになっているので、ここでゆっくりしてください。

何かあれば備え付けの電話の内線三番でコンシェルジュに繋がるので、連絡してください」


天城はそう淡々と説明すると、「では」と結衣に背を向けて帰っていく。

結衣は緊張する指先でカードタイプの鍵をそっとドアノブにタッチした。


────ピッ、……ピピッ


電子音に続いて「ガチャ」と鍵が開く音がして、結衣はドアノブに手をかける。

ゆっくりとドアを引くと、中は驚くほど広く、綺麗だった。


「う、わぁ……」


思わず感嘆の声を漏らす結衣は、靴を脱いで中へと入る。

掃除の行き届いた部屋を、探索したい気持ちはあったものの、適当に開けた部屋が主寝室で、そこにあるキングサイズの見るからにふかふかなベッドを前に、結衣は「飛び込みたい」という欲に抗うこともできず……。


もう何日もしっかりお風呂に入れていない体であることも忘れ、結衣は欲望のままにベッドに飛び込んだ。

ベッドのスプリングは華奢な結衣の体を簡単に持ち上げ、ベッドの上で弾む感覚に結衣は子どものようにはしゃいでしまった。


「あ~……気持ち良い……。

お日様みたいな……においがする……」


どこか温もりがあるような、不思議な匂いに包まれて。

結衣の瞼はどんどん重くなる。


瞼の重みに抗うこともできずに、結衣はそのままあっさりと夢の中へと落ちていった。



「────……」


どのくらい経ったかはわからない。

結衣は夢と現実のはざまで揺蕩うような、輪郭のぼやけた意識の中目を覚ました。


(あれ、私……そうだ、仕事していて……書類の山が……今、何時……まだ終わってない……)



脳裏で散らばった記憶をパズルように組み立て、一つ、また一つとピースをはめていく。


(違う、私……転生を希望して……それで……)


記憶がだんだんと鮮明になり、結衣の意識もはっきりしてくる。

ここがどこで、何をしていたか。


そう、自分が死んだことも……。


しかし、一度眠って頭がすっきりしたのか、今は冷静に自分の死を受け止めていた。

というよりも、死んだという実感が沸かないと言ったほうが正しい。

五感すべて機能していて、痛みや苦しみも何も感じない。


(むしろ、生きているときよりもずっと、心地良い)


結衣はゆっくりと起き上がる。

窓から差し込む日差しはややオレンジがかっていて、夕暮れが近いことを知らせていた。


「好きに過ごして良いって、言ってたよね……」


結衣は名残惜しさを感じながらベッドから降りると、これまたびっくりするほど広い洗面所で乱れた髪を直して外に出た。

青空はオレンジのグラデーションに染まっていて、日が沈む前の色は生前と何も変わらないことに少しホッとする。


探索がてらマンションの周囲をぐるりと歩き、結衣は気が付くと先ほどまで居た「転生案内所」へと戻ってきていた。

これも何かの縁、と思い、結衣は施設内の仕事を見て回っていると……、


「────ふざけんじゃねぇ!!」

「!」


思わず肩が跳ねるほどの大声が聞こえ、結衣は身を縮める。


「し、しかし……」

「うるせえ、言い訳すんじゃねえ!」


結衣は好奇心半分で声のする方へと歩いていく。

結衣とすれ違う人は口々に「天城さんを呼ぶべきか」「彼女は今別件の対応中だ」などの声が聞こえ、結衣は無意識に脳裏に天城の姿を思い浮かべる。


(天城さんって、本当に有能なんだな……)


そんなことを考えながら、怒鳴り狂う男性を見つけた。

転生先選定の窓口で、対応する職員に対し、こめかみに青筋を立ててブチギレている。


いやはや、いつの世にもどこにでも、ああいう怒鳴ったもん勝ち主義の人っているんだなあ、と結衣は呆れて小さくため息を吐く。


「俺の転生希望は勇者だって言ったろ!?」


男性の怒鳴り声は、はからずしも結衣の上司を思わせた。

何かと理不尽に声を大きくして怒鳴ったり机を叩いて大きな音を出せば相手を支配できると考えていた上司。

寝不足で疲労感の溜まった頭では正常な判断はできなかったし、何より自分と体格の違う男性に頭ごなしに怒鳴られては、言いたいことも言えずに、恐怖に身が竦んでしまうのも仕方のないことだった。

その記憶が鮮明に、結衣の恐怖心を煽り立てる。


しかし、生前と違い、理不尽な恐怖で体が震えたりしなかったのだ。

結衣の耳は、男性の怒声からキーワードになるような言葉を無意識に拾い上げる。


男は紙を掲げながら、


「なのに、なんで俺の転生先が“ゴブリン”なんだよ!!」


その言葉に、結衣は「あー、」と他人事ながら共感してしまう。

理想と現実のギャップに、ついていけていないのね、と冷静に状況を分析する。


受付の職員は困ったように眉尻を下げ、


「し、しかし、転生先は適性検査の結果に基づいておりまして……」


と、マニュアルの言葉をなぞるように対応している。


「そんなの知るかよ!!」


バンッと机が叩かれる。その乾いた音は、静けさのある案内所にはあまりに不釣り合いだった。


「俺は勇者になるんだ!戦って、魔王を倒すんだよ!

なのになんで、モンスター側なんだ!」


完全にヒートアップしている。

職員は必死に宥めているが、まったく聞く耳を持たない。


その様子を見ているうちに、結衣の頭の中で、ばらばらだった情報が勝手に整理されていった。


――勇者希望。

――戦闘適性。

――種族適合率。

――転生生存率。


まるで書類を整理するみたいに、

頭の中で数字と条件が並び替わる。


そして。


(……あ、この人)


原因が、一瞬で分かった。

気づけば、結衣は口を開いていた。



「その転生先、外れじゃないですよ」


場の空気がぴたりと止まる。

男性が振り返った。


「……あ?」


結衣は受付の横に立ったまま、落ち着いた声で続ける。


「むしろ、あなたの適性だと一番当たりの転生先です」

「はぁ!?」


男性は鼻で笑う。


「ゴブリンだぞ!?

勇者じゃなくて、雑魚モンスターだぞ!」

「普通のゴブリンなら、ですね」


結衣は男性の手にある書類をちらりと見た。


「その世界のゴブリンは進化個体が存在します」

「……は?」

「群れのリーダーになれば、ゴブリンキング。

そこからさらに進化して、ゴブリンロード」


受付の職員が驚いた顔で結衣を見る。

結衣は気にせず続けた。


「ゴブリンロードになると、魔王軍の幹部クラスですね」

「……」


男性の怒鳴り声が止まった。

結衣は淡々と言う。


「ちなみにあなたの戦闘適性だと、人間転生の場合」


書類を指で軽く叩く。


「生存率、三日です」

「……え?」

「勇者以前に、三日以内に死にます」


結衣はさらっと言った。


「でもゴブリンなら生存率80%。

しかも群れのリーダーになれば軍隊を持てます」


少しだけ首を傾げる。


「勇者より、そっちの方が強くないですか?」


沈黙が流れる。

誰もが呼吸することさえ忘れてしまったかのように。


そして、数秒後。

男性はぽつりと呟いた。


「……軍隊?」

「はい」

「部下いるの?」

「います」

「……それ、勇者より強くね?」


結衣は肩をすくめた。


「私はそう思います」


しばらくして、男性は咳払いをした。


「……まぁ、ゴブリンでも悪くねぇか」


さっきまでの怒鳴り声が嘘のように、男性は紙を畳んだ。


「進化できるならアリだな」


受付の職員はぽかんとしている。


「はい、何ならこの世界のゴブリンは小鬼のような外見ですが、一定以上進化すると鬼人(オーガ)のような外見へと変化しますよ」

「お、鬼人(オーガ)!?」

「ええ。鬼人(オーガ)クラスになると勇者も手こずる相手になりそうですね」


結衣の極めつけの言葉に、男はまんざらでもない表情を浮かべる。


「ふ、ふうん……なんだよ、ゴブリンも良いじゃねぇか」


男性はそう納得するように言って、最後に自分が怒鳴りつけていた職員に頭を下げた。


「悪かったな、怒鳴って」


そう言って、転生受付の方へ歩いていった。

静まり返ったフロア。

受付の職員が、ゆっくり結衣を見る。


「……あの」

「はい?」

「助かりました」


深々と頭を下げられた。


「本当に、ありがとうございます」


結衣は少しだけ目を丸くする。


仕事で、誰かに。

こんなふうに感謝されたことなんて――


一度もなかった。

胸の奥が、じんわりと温かくなる。

結衣は少し照れくさそうに笑った。


「いえ、たまたまです」


でもその言葉は、自分でも少しだけ嘘だと思った。


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