王子様、前世が猫の姫はお嫌いですか?
「病弱なあの子が寂しくないように、あなたが傍にいてあげるのよ」
(あの子? あの子って、だあれ?)
「おかあさま、誰とお話しているのですか……?」
扉の向こうからひょっこりと顔を覗かした、小さな男の子。
「ちょうど良かった。王子殿下にプレゼントをお持ちいたしましたよ」
(この男の子が、『あの子』なの?)
「プレゼントですか? おかあさまが僕に……?」
「ええ、そうですよ」
わたしは、『おかあさま』に体を持ち上げられて運ばれると、柔らかいベッドの上に優しくおろされた。
「にゃんっ」
小さな声で可愛らしく鳴いた。
まるでぬいぐるみのように、ふわふわで愛らしいまだ生まれてばかりの子猫。
目を見開いて、少年を見上げているその瞳は綺麗な水色だった。
「か、かわいい……」
ふふん、中々見る目があるじゃない。そうでしょ、わたし可愛いでしょ?
高級動物店でも一番の人気だったんだから。あなたの『おかあさま』、見る目あるわよ。
わたしは自信満々に「にゃんっ」と、愛らしく鳴いてみせる。
「初めまして可愛い子猫さん。僕の名はアルベール。君の名前は?」
「……にゃ」
わたしはその少年に反応することなく、ただ小さく鳴いた。
「そっか、まだ君に名前は無いんだね。よし、この僕が直々に名前を付けてあげるよ」
アルベールは少し考え込みながら、どこか嬉しそうにそう言った。
「そうだな……ソフィア、ソフィアにしよう!」
(……ふーん、まあ、中々可愛い名前じゃない。ソフィア。わたしの名前は、今日からソフィア……)
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「どうしたの? ソフィア、お外に行きたいの?」
ベッドに座ったまま本を読んでいたアルベールが、わたしに優しく声をかける。
(別に、外に出たいわけじゃない。ただ窓から外を見ているだけよ)
「にゃ」
(お外になんて、ちっとも行きたくないわ)
アルベールはわたしの頭を撫でながら困ったように眉を下げて、笑みを浮かべる。
「そんなに悲しそうな顔をしないで」
(はあ? そんな顔してないんだけど。勝手に決めつけないでちょうだい!)
わたしはアルベールの手を避けるようにして、ふわりと体を横に向ける。
それでもアルベールはしつこくわたしの体を何度も撫できた。
「僕がもう少し健康な体に生まれていれば、もっと君と遊べたのに。君が猫じゃなくて、人間だったなら。もっと君と……ケホッ、ケホッ……!」
「にゃ……」
「ケホッ……大丈夫だよ、いつもの咳さ。すぐに収まる」
苦しそうに眉をひそめたアルベールはベッドから立ち上がると、フラフラと歩いて机に置かれた水を手に取ると、傍に置かれた見慣れた錠剤の薬を口に放り込んで、一気に飲み越した。
「はあっ……。何回飲んでも、この苦さは慣れないな」
眉を寄せて、疲れたように「はあ」と息を吐いたアルベール。
「ソフィア、心配をかけてすまないな」
……そう、わたしは猫。
あなたは人間で、わたしたちは同じ世界を生きているわけじゃない。
「にゃあ」
わたしは小さく鳴いて、あなたの言葉に返事をする。
それだけが、わたしにできる唯一の役目。
あなたの『おかあさま』が、わたしに与えた役目。あなたの遊び相手になること。あなたを笑顔にすること。あなたのことを、守ること。
そのために、わたしはこの世に生まれてきた。
「僕はこの国にたった一人の王子なのに、身体が弱いからみんな困ってるんだ」
あなたは目を閉じて、少し疲れたように息を吐いた。
わたしの小さな頭を撫でるにはピッタリサイズの小さな手で、自身の胸を押さえ、咳を鳴らす。そんなアルベールを見て、わたしの胸は何故かズキンと痛んだ。
「にゃ」
アルベールの言葉に相槌を打つようにして、鳴く。
「そうそう、僕は王子。だからソフィアはお姫様だね」
(……お姫様?)
「心配してくれてるの? ふふっ、ソフィアは優しいね。大丈夫だよ、ほらおいで」
こっちへ来いと手を広げるアルベールに、私は彼の腕の中へと飛び込んだ。
しっかりと私を受け止めたアルベールは、先ほどよりも強く私の頭を撫でた。
「にゃあ」
(気安く撫でないでよ。せっかく毛づくろいが終わったばかりなんだから。わたしの綺麗な真っ白い毛が乱れるでしょ?)
「……生まれ変わったら、僕はちゃんと健康な体に生まれてくるから、君は人間に生まれ変わるんだよ」
あなたの手はとても温かくて、心地が良い。
嫌がる素振りをしながらも、わたしは彼の手を払いのけることなく受け入れた。
「にゃ?」
生まれ変わったら、わたしは人間? そんなこと、猫のわたしにはどう考えても想像ができない。
「約束だよ、ソフィア。僕たちはずっと一緒だ」
(……フン。そんなこと言われても、猫のわたしにはどうしようもないじゃない)
「ソフィア、大切な僕のソフィア。君に、とっておきのプレゼントをあげるよ」
アルベールはそう言うと、ツンとわたしの鼻の上に指を置いた。
その指は優しく、温かくて、わたしは少し驚きながらもそのままじっとしていた。
「これは、君と僕がまた出会えることのできる、特別な魔法だよ」
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「あの出来損ないの王子はついに死んだか……」
「魔力が大きすぎたのでしょう。現代の医療では、あの小さな体に魔力を抑え込むことなどできませんでしたから」
その言葉がわたしの耳に届くと、わたしは不愉快で不愉快で仕方なくなった。
「……にゃあ」
人間は、猫よりもずっと長生きするはずじゃなかったの?
あなたと過ごした日々が、すべて幻のように遠く感じられた。
あなたの温もりが、手のひらの感触が、まるで昨日のことのように思い出される。
それでも現実は冷たく、わたしはただひとり取り残された。
わたしはただの猫。
言葉を持たない存在で、わたしはあなたに、ただ寄り添うことしかできなかった。
わたしの想いはきっと、あなたには伝わって居なかっただろう。言葉を持たない猫のわたしには、想いを伝えることもできないから。
いつも一緒に眠りについていた枕元に静かに横たわる。
そこにはもう、あなたの温もりは感じられない。わたしはただ、その冷たい枕の上でひとり眠りにつくしかなかった。
すべてが終わってしまったような気がして、心の中で何度もアルベール、あなたの名前を呼んだ。
でも、どれだけ叫んでも、あなたの優しい声はもう聞こえない。
あなたの温もりも、あなたの笑顔も、すべてが遠い記憶となり……わたしは、ただ一人この空間で眠りに落ちていくのだ。
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「これがお前の婚約者となられる、アルベール・フォン・ヴァルセイン王子殿下だ」
お父様はそう言うと、肖像画を覆っていた布をするりと落とした。
現れたのは、一枚の絵。その絵には、端正な顔立ちの青年が静かに微笑んでいた。
王家の証である深い青の瞳、陽の光を受けて輝く黄金の髪。
王子としての威厳と気品を湛えながらも、どこか温かみのある眼差し。
――見覚えが、ある。
その絵を目にした途端、わたしの中で長い間封じ込めていた記憶が溢れ出した。
「あ……アルベール……」
優しくわたしの名前を呼んで、優しくわたしを抱きしめてくれた彼が、肖像画の中に閉じ込められている。
「ああ、そうだ。どうだ、なんともいい男だろう! きっと気に入ってくれると思っていたよ」
「あなたったら王子殿下に対してなんて言い方ですか」
「ははっ、すまない。つい興奮してしまったな。だけど見て見ろ、私の可愛い娘はちゃんと喜んでくれたぞ!」
「まあ、それはそうね……色恋に興味のない子だから心配していたのだけれど、そんな必要はなかったみたいね?」
どくん、どくん、と。わたしの体が彼の存在に反応しているのを感じる。全てが戻ってきたような、思い出したような、そんな不思議な感覚に襲われた。
間違いない。彼は、間違いなくわたしのアルベールだ。
『おいで、ソフィア』
その声が、まるで昨日のことのようにわたしの頭の中で響いた。
あなたに頭を撫でられるのが好きだった。
あなたに名前を呼ばれるのが好きだった。
あの頃、わたしはあなたのために生きることができた。どんな小さなことでも、あなたに伝えたくて、ただ傍にいるだけで満たされていた。
今、わたしは――
「にゃあ………なーんて、」
黄金の鏡台の前でわたしはふと呟いてみる。
誰かに聞かせるつもりもない、ただの独り言だ。
鏡の中に映るのは、クリーム色の髪と水色の瞳。柔らかなカールがかかった髪が、光を受けて優しく揺れている。どこにでもいるような、可愛いらしい貴族の娘。
公爵令嬢、ソフィア・シャルロッテ。
わたしは、親の言うことをきいて、どこにでもいる貴族の娘と何ら変わりなく育ってきた。
それなのにどうして突然前世の記憶を思い出したりしたのだろうか。
もしかして、前世で生前にアルベールがわたしにかけた、あの"魔法"というものが本当に……。
(……なんて、あるわけないか)
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「ソフィア様! さぁさぁ、今日は大事な王宮でのパーティーですよ!」
「うぅ……」
「もう、そんな顔をなさらないでくださいませ! ソフィア様は今日、デビュタントを迎え、王子殿下との婚約を発表されるのです。なんてロマンチックなことでしょうか!」
侍女の言葉に、わたしはぎゅっと唇を噛んだ。
ロマンチック、か。
確かに、公爵令嬢が社交界に正式にデビューし、その場で王子との婚約が発表されるというのは、貴族社会では誇るべき華やかな出来事だ。
普通の令嬢なら夢見たくなるような瞬間なのかもしれない。
だけど、わたしにとっては――
「ソフィア様?」
「あっ、うん……」
気づけば、お湯が張られた豪奢なバスタブの前に立たされていた。
浴槽には香油が入れられ、たくさんの薔薇の花弁が浮かべられていた。わずかに立ち昇る湯気が甘い香り。わたしの表情は、こわばるばかりだった。
「さあ、お入りくださいませ」
侍女たちが優しく促す。ここで逃げるわけにはいかない。
意を決して足を湯に沈めると、途端に肌を撫でる温かさに、心地よさと同時にひどい違和感を覚えた。
(水は、嫌いなのに……)
「ソフィア様は本当にお風呂が苦手ですね。ですが大丈夫ですよ、すぐ終わりますから。目を閉じていてくださいね」
その声とともに、頭からざばぁっと湯を頭からかけられる。
「ひゃっ!」
冷たくはないのに、全身がこわばる。滴る水滴が肌を伝う感触がどうしても馴染めない。
心の奥底から不安に似た感情がこみ上げてくる。身体の芯が震えそうになるのをこらえながら、ぎゅっと目を閉じた。
シャンプーの香りと、ふわふわの泡。丁寧に指先で梳かれる髪。苦手な水に耐える間、わたしはぼんやりと前世の記憶を思い出していた。
――前は毛づくろいだけで十分だったのになあ。
無意識に、首の後ろをこする。そこにあるはずのない毛並みの感触を探してしまいそうになった。
今はもう人間として過ごしているのだから、こんなことは考えるべきではないのに。
「今日は本当に素敵な一日になることでしょう。この国のどんな姫君よりも、ソフィア様が一番お美しいに決まっています」
「……うん、そうだといいね」
侍女たちは口数の少ないわたしを気遣っていつもたくさん話しかけてくれる。
どうやらみんなはわたしが話をするのが苦手だと思っているみたいだけど、本当は嫌いではない。
人の声を聞くのは、けっこう好きだ。
こうして穏やかな会話を聞きながら目を閉じていると、まるで昔のように、誰かの膝の上で丸くなっていた頃を思い出す。幸せだったあの日々を。
でも、今はそんな気分に浸る余裕なんてない。
今日はわたしの婚約者、アルベールと会う日なのだから。
∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴
豪華なシャンデリアが天井を照らし、シルクのカーテンが風に揺れる。
金色の装飾が施された広間には、きらびやかな衣装に身を包んだ貴族たちが集まり、香水と笑い声の混ざる空気が漂っていた。
その中を、わたしはお父様に手を引かれながら歩いた。
「ほら、あの方がお前の婚約者となられる、アルベール王子殿下だよ」
――アルベール・フォン・ヴァルセイン。
彼は他の誰よりも堂々と、そして美しくそこに立っていた。
黄金の髪、凛とした青い瞳。完璧な装いに身を包んだその姿は王家の威厳と気品に満ちている。
けれど、その目にはごくわずかに切なさのような翳りが浮かんで見えた。
……そう感じたのは、きっとわたしだけだろう。
遠い過去の、あの温かい日々がふわりと胸の奥で息を吹き返す。
また会えた。本当に、アルベールだった。
一目見てすぐにわかった。姿や名前だけではない。彼だと、そう直感でわかった。
「ああ、シャルロッテ公爵じゃないか」
アルベールが穏やかに微笑み、お父様に声をかける。
「アルベール王子殿下、ご紹介いたします。こちらが我が娘のソフィアです」
「この方が公爵の言っていた……ソフィア公女、お会いできて光栄です」
その青い瞳がまっすぐにわたしを見つめた。
視線が合った瞬間、わたしの心臓はひときわ大きく跳ねる。
「アルベール、王子」
わたしはその時、初めてあなたの名を呼ぶことが出来た。
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二人でゆっくり話でも、とお父様に勧められ、わたしとアルベールは王宮の庭園へと足を運んだ。
月明かりが差し込む静かな小道を、並んで歩く。緊張から手のひらがじんわりと汗ばんでいるのがわかった。
「そ、その……アルベール王子は、前世の記憶というものを信じますか?」
暫く世間話をした後、わたしは勇気を出して問いかけた。
お願い、どうか覚えていて。あなたもわたしと同じように、どうかわたしのことを――
「ははっ! 公女は面白いな。そんなに可愛らしい冗談をいうとは」
「……じょうだん……」
――ああ、最悪だ。
嫌な勘が、当たってしまった。
それはわたしが最も恐れていた答えだった。
もしもあなたがわたしのことを覚えて居なかったら? 前世の記憶を覚えているのはわたし一人だったら。
頭ではわかっていたはずなのに。でも、どこかで信じたかった。あなたも同じ気持ちでいてくれると……。
「公女?」
「…………」
「すまない、傷つけてしまっただろうか。バカにしているわけではないんだ。ただ、可愛らしいことをいうのだと……」
顔に出てしまっていたのだろうか。
アルベールは気まずそうに視線を彷徨わせながらも、まっすぐにわたしを見つめている。
「どうか許してくれ」
そう言うと、わたしに向かってそっと手を差し出した。
(やっぱり、あなたはすごくやさしいひと。やさしくて、やさしくて、この世の何よりもあなたのことがだいすき……)
だけど違う。今のあなたはわたしのことを覚えていないんだ。
だったら、そんなふうに優しくしたりしないでよ……。
「やめてよっ!」
感情が溢れるのを抑えきれず、わたしは衝動のままにその手を勢いよくはらい避けた。
「あ……」
はらい退けようとしたその瞬間、わたしの爪が彼の肌をかすった。
アルベールの手の甲には、わたしの爪が引っかいた浅い傷が刻まれていた。薄く開いた傷口から、赤い血が滲んで滴り落ちる。
「っ……ご、ごめんなさい!」
我に返った時には、わたしは震える声で謝っていた。
(どうして、こんなことに……。大切な人を、また傷つけてしまった……)
こんな形で繰り返してしまうなんて、わたしはどうして上手く振る舞えないのだろうか。
わたしはあの時、同じようにあなたを傷つけて、同じように謝って、そして――
「気にするな」
――アルベールは、わたしに笑いかけてくれた。
「突然触れようとしてすまなかった。驚かせてしまったな。全て俺の責任だ」
(ああ、やっぱりあなたは何も変わってない……)
前世でも同じだった。
王宮に連れてこられたばかりで、心細くて、誰も信じられなかったわたしがあなたの手を振り払ってしまったあの日。
あなたは今日とまったく同じように、傷を負ってなお、わたしを庇うように微笑んでくれた。
前世と変わらない優しさ。それが尚更、わたしを苦しめた。
「……少し疲れてしまったみたいです。喉も乾きましたし、飲み物を取ってまいりますね」
「では俺も行こう」
「大丈夫です。お父様が、向こうでわたしを待っていますから」
わたしはその場から逃げるように背を向けて、歩き始めた。
足早に歩き出しながら、胸の奥にわき上がる想いを押し殺す。
追いかけてこないで。
どうか、追いかけてきて。
そんな矛盾した祈りを抱きながら、わたしは足を進め続けた。
∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴
「きゃあっ! 王宮に侵入者だなんてどういうことなの!」
鋭い悲鳴が静けさを打ち砕くように夜会の会場へと響き渡った。
会場の中心では机からグラスが落ち、ガシャンと無惨な音を立てて砕け散る。
その音を合図にしたかのように、ざわめきと叫びがあちこちから巻き起こり、つい先ほどまで華やぎに満ちていた王宮があっという間に混乱と恐怖の渦へと呑み込まれていった。
「何があったの……?」
「早く逃げるんだ!」
「王国騎士団を呼んでこい! 早く!」
騒然とする空気の中、無数のドレスの裾が揺れ、人の叫びが狂ったように鳴り響く。
「ソフィア、何をしている!? 早くこっちへ……!」
焦りを滲ませた父の声が、わたしの意識を現実へ引き戻した。
「お父様、でも、アルバート王子殿下が……!」
混乱の中で見失いそうになりながらも、わたしの視線は自然とあの人を探していた。
「あのお方なら大丈夫だから、お前は自分の身を第一に考えなさい!」
お父様ごめんなさい。言うことが利けない悪い子で。
わたしはあの人がとても心配なの。自分のことよりも、あの人のことしか考えられないの。
(どこ? どこにいるの?)
悲鳴と逃げ惑う人々の足音が響く中、私は必死に辺りを見渡した。
人々の動きに押し流されそうになりながら、それでも視線を泳がせる。
王家の証、金色の髪。煌めくような青い瞳。
(……見つけた!)
人々の動揺の波に背を向けるように、アルベールは静かにその場に立ち尽くしていた。
「アルベール! 後ろ!」
普段から口数の少ないわたしの声は、騒がしい会場ではすぐにかき消されてしまい、彼に届くはずもなかった。
ああ、こんなことならもっと話す練習をしておくべきだった。
今ならちゃんと言葉にできるのに。わたしはどうしてこうもダメなんだろう。
アルベールのすぐ背後に、黒い影が忍び寄っていた。
フードを目深にかぶったその姿からは、ただならぬ気配が滲み出ている。
アルベールは、まだそれに気づいていない――
「ダメ……!」
思わず声が出た瞬間、わたしは反射的に駆け出していた。
スカートの裾が足にまとわりつく。ヒールが石畳を打ち鳴らし、バランスを崩しそうになるのを必死に堪えながら私はただ彼へと向かって走った。
「なっ、ソフィア! どこへ行く気だ!」
父の声が背後から追いかけてくる。
けれど、わたしは振り返らなかった。
行かなければ、きっと後悔する。あのときのように、何もできなかった自分をまた憎むことになる。
あのときだって、本当ならわたしがあなたを守ってあげたかった。
あなたのことが、とても大切だった。
あの頃の泣いてばかりだったあなたは、もうここにはいない。
幸せなんでしょ? 楽しいんでしょ?
あなたの笑顔を見れたなら、わたしはもう十分。
わたしの役目は、あの日あなたのおかあさまが、わたしをあなたの元へと連れてきてくれた時から、ただ一つ。
あなたを、守ることだけ。
だから死んじゃダメ。もう、わたしを一人にしないで……。わたしのことを置いていかないで……。
飛び出したわたしは勢いよくアルベールを突き飛ばし、剣から避けた。
そして視界が揺れる。ぐらりと、体が傾いた。
「公女?! どうしてここに……!」
ねえ、アルバート。
どうして死んじゃったの?
わたしはずっと、あなたの傍に居るって約束したのに。
「……アルバート。どうしてわたしを、置いて行ったの……」
わたしの意識は、そこで途切れた。
∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴
「ああっ! ソフィア様よかった! 公爵様! 公爵様! ソフィアお嬢様が目を覚まされました!」
周囲の慌ただしい声が響き渡る中、わたしはぼんやりと目を開けた。
「ううん、うるさいよ……」
次に目を覚ました時、そこはわたしの家だった。
あの後、メイドによって呼ばれて来た両親に強く抱きしめられ、暫く離してもらえなかった。
過保護というか、なんというか……わたしにつくづく甘い人たちだ。
「お父様、心配かけてごめんなさい」
「いや、いいんだ。あの騒ぎの中だ、私の声が聞こえなくて当然だ」
「あ、あはは……」
(まあ、本当は無視しただけだけど)
「だが、しっかり反省するんだぞ。王子殿下が意識を失ったお前を連れてきた時はどれほど驚いたものか……」
「えっ……アルバート王子が、わたしを?」
「なんだ、知らなかったのか?」
どうやら、あの夜の混乱はパーティーの参加者の中に魔獣を誘い出す魔石を所持していた者が紛れ込んでいたことが原因だったらしい。
その人物は長年この王国と敵対している反乱軍のスパイだったのだと、後に王宮から正式な発表があった。
わたしは、その魔石を間近に持つ者と接触したことで魔石から発せられた魔力に触れ、気を失ってしまったのだと医師から説明を受けた。
幸い命に別状はなく、後遺症の心配もないとのことだったが、それでもわたしは3日間意識を失ってしまっていたという。
医師からは焦らず体力を取り戻すようにと静養を勧められ、わたしはゆっくりと回復に努めていた。
一日に三十分の散歩を命じられ、この日もまた美しいシャルロッテ公爵邸の庭園で、わたしは一人ベンチに腰を下ろし、咲き誇る花々を静かに眺めていた。
風がそっと髪を揺らし、薄桃色の花びらが一枚ふわりと足元に舞い落ちる。
平穏な時間。それなのに、心のどこかが落ち着かないのはどうしてなのだろう。
「ここに居たのか、公女」
(どうして、あなたがここにいるの?)
一瞬、そんな疑問が頭をよぎったものの、すぐにどうでもよくなってしまった。
「……公女じゃないわ」
あの時、わたしは確信した。
モヤモヤと頭を悩ませて手遅れとなる前に、ちゃんと言わなくてはならない。
「あなたがくれた、わたしの名前」
ソフィア。その名前を、わたしはすごく気に入っていた。
「……全部、全部あなたのせいじゃない。わたしに、変な魔法をかけたりするから……」
気づけば、涙が頬を伝っていた。
「君に謝罪と礼をしに来たのに、泣かれてしまっては困るよ」
そう言いながら、彼は戸惑うように、けれどどこか手慣れた仕草でそっとわたしの頭に手を置いた。
「触らないでよ。わたしの綺麗な髪の毛が崩れるでしょ……」
そう言いながら、自然とわたしの口角は上がっていた。
やっと、わたしの声があなたに届いた。やっと、あなたと話すことができた。
わたしの言葉に、アルベールはふっと微笑みを浮かべて、わたしの髪を指先に絡める。
「……なんだか、君を見ていると懐かしい気がするんだ」
わたしのあなたへの返事はもう「にゃん」じゃない。
「アルベール、あなたに会いたかった。わたしはちゃんと、あなたの元へ生まれてきたのよ」
アルベールは驚いたように目を見開いて、わたしを見つめた。
「だから、褒めて……」
だいすき、だいすき。あなたにずっと会いたかった。
何度生まれ変わったとしても、わたしはきっとまた、あなたの傍にいる。
わたしは、あなたにまた会うために生まれてきたのだから。
この後からの構成が面白くて気に入ってるので、設定が好評だったら連載で続きかきます〜
少しでも面白いと思っていただけましたら下にある☆マークから評価をお願いいたします。
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