1.欠点
人は何を以て人足るのか。言葉を話すから。考えるから。こだわりを持つから。多分、色々ある。じゃあ、私の目の前にいる父さんは、言葉も話さなくなった、考えることもやめた、無差別に破壊の限りを尽くしている父親は、人間と言えるのだろうか。
俺、大塚 太一はほとんどのものが非常に得意だ。勉学も、運動も、友人を作るのも。もちろん、料理も抜かりなくできる。有名大学を卒業して、警察学校で本物の社会常識や体術など、様々なことを身につけた俺は、もはや無敵とも言えるのではないだろうか。さて、自画自賛はこの辺にしておいて…俺は今、人生におけるキャリアを大きく変えかねない出来事、いわゆるターニングポイントに直面している。警察学校を卒業し、実家でこれからの就職について2週間をかけて迷っている時に、古葉 元という男が訪れてきた。その男が言うには、警視庁で働いてみないか、とのことだった。勧誘というやつだろう。エリート卒業生である俺を見込んで、声をかけたのだとか。相当待遇してもらえるみたいで、これから現場の見学を行うところである。
「あの、古葉さん。僕今スーツですらないんですけど。」
「気にしなくて良いよ。多分想像しているよりずっとカジュアルだろうし。」
…何だろうかこの緊張感のなさは…。確かに、仕事上で厳しすぎも良くないが、緩すぎるのも良くないと聞く。あくまで今のところだが、俺は上司ガチャに失敗したらしい。
「それにしても、唐突で悪かったね。休日を邪魔したかな?」
「暇を持て余していたところですので、お構いなく。」
それは良かったと返答して、首都高での運転に集中する。もちろん暇だったのは嘘だ。いや、一般的に時間があったのは間違いないのだが、何せ不労所得を目指す程度には暇という時間が大好きだからな。できればこの時間が続いてくれれば、なんて思っていたところだ。つまり、タイミングとしては最悪。急に現実を見せつけられて非常に不機嫌だ。もちろん、俺は頭が良いので、それを他人に悟られるような言動はしないが。
「あの、ちなみに僕はどこに配属される予定なのでしょうか?」
「…うーん…今のところはっきりは決まってないけど、多分特捜あたりになると思うよ。」
「特捜…ですか。」
政治家とか大企業などが対象の、とにかく大きな事件を追う部署だ。どの部署も大変そうだが、責任の面で言えば、一番重要な仕事という印象がある。あくまで、俺のイメージでの話だが。責任感に関してはどうあれ、エリートの俺には適した仕事にも思える。
「失礼、電話だ。」
電話に応答する。もちろん、車内通話を使って。
『お忙しいところ申し訳ございません。部長、急用です。』
「おいおいマジか…規模は?」
規模…被害規模みたいな意味か?大規模な事故でも起きたのだろうか。
『規模、とはまだ言えないのですが…』
「前兆か。マルタイは?」
『30代のサラリーマンです。複数の麻薬所持と思われる通報が。』
「複数…こりゃほぼクロだな。どのぐらい出ている?」
『1,3,4班はすでに出動しています。』
「了解。1班班長に現場指揮は任せる。とりあえず、俺の準備が整うまで、対応は頼んだ。健闘を祈る。」
『了。』
直後、古葉のスマホの通知音が鳴った。マルタイの個人情報とか、その辺の共有だろう。
「悪い大塚君。聞いての通り、急を要する事態だ。適当に止めるから、この車使って現場に向かって。」
「ちょっと待って下さい。僕まだ所属すらしてませんよ?」
「まあまあ、現場を見学できる良い機会だと思ってさ。どちらにせよ、僕は本部で指揮を執らないといけないし。」
「この車で向かえば良いじゃないですか。そもそも現場の指揮は任せるって…」
「大塚君。」
突然、背筋に寒気が走った。古葉の急な温度差を感じたからだろうか。文句の一つも言えるほどの空気感ではない。
「改めて言うが急を要する事態だ。君の感情を優先させるわけにはいかない。これは命令だ。現場までのナビは入れておいた。動員にも事情は話しておく。だから黙って現場に向かいなさい。」
「…かしこまりました…。」
これ、何で訴えるのが正解なのだろうか?余裕がない俺が考えられるのは、そのぐらいだった。
「…来てしまった…。」
指定された位置まで車を走らせ、駐車場に止める。車に乗ってからずいぶん経っていたが、まもなく日が沈みそうだ。
「もう葉桜か。温暖化の影響はすさまじいな。」
環境問題を考えている場合ではなかった。指示通りに早く現場に向かわないと。それにしても…
「流石に扱いが雑じゃないか?俺はまだあの古葉とかいうやつの部下ですらないんだぞ?ほぼ脅迫だろ、脅迫。」
いや、だからこんなことを言っている場合ではない。いくらただの一般サラリーマンとは言え、薬物を所持しているということはそういうルーツを手に入れる売買ルートを知っているということだ。拳銃を持っていても違和感はない。万一がないように早く…なんて、考えていた時だった。目の前で壁に車が衝突し、聞いたことがない音を立てて、爆発を起こした。多分、車が暴走したわけではない。壁に衝突したのは側面だ。それに、飛んできたときの軌道は何というか、ボールを投げたときのような放物線で…
「先に人命救助だろうが!」
119番通報をしつつ、被害が少ない正面から見て左側の扉を開ける。外車ではないことがせめてもの救いだったか、運転手は目に見える致命傷は特に見られない。意識もあるようだ。
「もう大丈夫ですよ。僕が出しますから、落ち着いて呼吸して下さい。」
「…すこを…」
「え?」
「…むすこを…たすけ…て…」
後部座席を見る。俺の目に映ったのは母親同様、無事な姿の少年…ではなく、異常に体中が曲がっている、元人間の死体だった。
「…あなたを先に出します。」
「…いいから…むすこを…!あのこには…みらいが…!」
「…残念ですが、あなたの息子は、もう…。」
「ぇ」
そこからは、今までの抵抗が嘘のように滞りなく、女性を外に出すことができた。遺体だけでも、助けようと思ったが…火の手に突っ込むほど、俺は熱い人間ではなかった。冷静で、合理的で、残酷な冷たい人間だった。せめて、母親と同じ左側に座っていたなら。衝突した扉とは逆の座席に座っていたなら。おそらく小学生ぐらいだった彼は、生き残ることができたのだろうか。
「通報ありがとうございます!無事で何よりです!」
「…ご苦労様です。重ねて悪いのですが…あそこに転がっている車の少年を、出してあげてくれませんか。」
「了解です。しかし…あの火ではすでに…。」
「女性の息子なんです。…駆けつけた頃には、もう…。」
「…承りました。改めて、ご協力感謝致します。」
返事はしなかった。特に何も考えることなく、車が飛んできた方向に走った。無意識に考えない、というよりも…考えたくなかった。
「…なんだ…これは。」
おおよそ、この世のものとは思えなかった。不規則に破壊された跡があり、その中心には、人型の何かが、四足歩行で佇んでいた。腕と足は雑に肥大化し、肌の色は赤に染まっていた。一部ではなく、全身が。想像を絶するその光景に、魅入ったように体が動かなくなった。多分、恐怖だ。そう思った頃には異形が、目前に迫っていた。直感的に死を悟った。ああ、こんなことになるなら、あんな怪しい男について行くんじゃなかった。だが、異形の腕が折れに届くことは、なかった。
「逃げて。一般人がいて良い場所ではないわ。」
可憐な少女だった。後ろが結ばれた銀髪に、ダイヤモンドのように透き通った水色の瞳。身長は多分、俺より少し低い。こんな物騒な場所には似合わない容姿をしていながら、着ている服には血が付いていた。
「助かった。ありがとう。」
「お礼は良いから早くどいて。足手まといよ。」
無愛想で冷たい少女だ。だが、正論なのでおとなしく身を引いておく。少し離れたところに、何人かの人影があった。ジャケットを着ているということは、警察関係者だろう。声をかけようとして、ためらった。真ん中に、けが人がいたからだ。
「あの、大丈夫ですか?」
「…君は…ああ、大塚君か。組織長より話は聞いている。すまない。不甲斐ないばかりに、命の危機にさらしてしまった。」
「いえ、大丈夫です。」
死んでいたら呪っていたところだったけどな。古葉を筆頭に。
「とりあえずこちらは大丈夫だ。…いや、大丈夫ではないな。死者が2人出ている。」
「そう、ですか。」
どうも、いやな予感がした。言葉に表しにくいのだが、何というか…この人達は、こういう現場になれているように感じる。死者が出たのにもかかわらず、冷静すぎる。つまりはそう、こういうことはよく起きることで、この人達はそれに対抗しうる存在なのではないだろうか。
「その違和感は正しいよ、大塚君。」
「!?」
いつの間にか、背後に古葉が立っていた。全く足音がしなかった…思考に集中していたからか…?
「今、彼女が戦っているのは元人間だ。」
「…冗談ですよね…?」
「残念ながら事実だ。では問題だ。名前すらもつけてもらえないあの怪物は、どうやって生まれると思う?」
この世で生まれてはいけない難問だ。怪物がいることを受け止めたくないし、怪物に変異する原因があるということも確定させたくない。だが、知ってしまったからには無視をするわけにはいかない。何事も、原因の発見と究明が重要だ。
「…薬ですか?」
SFの世界観に習って答えた。今日の流れを参考にすれば、あの怪物の元となった人間はおそらくサラリーマンだ。そしてそのサラリーマンは薬物を所持していたという。その薬物が特殊なものであり、異形への変異を起こしてしまった、というのがかなり現実的な筋だ。
「不正解だ。」
…相当自信があったのだが…じゃあ原因は一体。
「実のところ、はっきりとした原因は分かってない。」
「それ、答えがないとも言えるんじゃないですか?」
「いいツッコミだ。だがもちろん、大体の目安は付いている。それは今も昔も、ほとんどの人々が持っている特徴だ。」
抽象的だな。全然見当も付かない。
「ヒントをあげよう。元となった人間が、僕たちが追っていたサラリーマンなのは合っている。」
じゃあ、やはり薬物なのでは。いやまて。思考の幅を広げて考えろ。人に共通する特徴は何だ?何かの臓器が悪さをしている?いや、ならばヒントとしてサラリーマンは挙げないだろう。多分、薬物もヒントと断定づけても良いのだろう。薬物の特徴…。
「…依存…?」
「ご名答。」
いや、待て。原因が依存だとして、つまりそれは全人類が怪物化する恐れがあるということだ。スマホ依存、たばこ依存、アルコール依存。それ以外にも依存するものは多い。つまり、父さんも母さんも明日には怪物になっている可能性があって…。
「安心しろ。あくまで現段階の情報で言えることだが、依存具合が一定を越さない限りは怪物にはならない。」
「そんな不確定な情報で安心できるとでも?」
「ならば君で実験しようか?薬物を投与し続けて、どのラインで怪物になるのか。」
あり得ないことを言っているはずだ。それなのになぜか、冗談に思えなかった。
「君は確かに優秀だ。勉強もできて、運動もできる。正直、ここまでできる人材を見たことがない。だが、君には大きな弱点が一つある。」
「…言ってくれるじゃないですか。僕に隙はありませんよ。僕は常に合理的で、冷静な男だ。」
「いや、残念ながらそれは違う。一部違うとも言えるな。君はおそらく、感情に左右されることを良きとしないと考えているだろうが、非常事態という最も合理性が求められる状況で、唯一感情を優先してしまう。」
「そんなはずはない!そんなの、俺が一番愚かだと考える人間の性格じゃないか!」
「ならば君は、人体実験という非人道的な研究が、法治国家である日本でできるはずがない。よって、怪物化の原因を確定させることは困難であると考えることができなかった?」
「それはこのあり得ない状況に困惑していて!」
「ほら、感情に左右されているじゃないか。」
「!?」
「改めて言おう。君は確かにエリートだ。普通に生きていく上での困難はほとんど起こらないといっても過言ではない。だけどね、怪物を相手している僕らの世界の中じゃ、その本領を発揮するのは難しいよ。合理的でなければ、理不尽に揉まれるどころか、踏み潰されちゃうかもね。」
「…。」
「言い返せないだろう?当たり前だ、君は賢いからね。自覚するのも早い。そして…敗北感を味わうのも、ね。」
これが、敗北というものなのか。俺の人生というのは、自分で用意したレールを、その通りに進むだけ。他の人にとっては敗北でも、俺にとっては想像の範疇だ。少なくとも、悔しいとは思わなかった。だけど…ここまで、悔しいのは初めてだ。なるほど、これは…
「…結構、堪えるな。」
この日、多分俺は初めて、挫折を味わった。