紀伊
「橋掛けろ!」
「連絡橋固定完了!」
「速力2ノットで固定、行けます!」
俺が甲板へと降りると、整備兵が連絡橋を掛け終えたところだった。
「ありがとう、行って来る。万が一、俺が帰って来る前に、敵艦隊が接近、攻撃してくるようなことがあれば、連絡橋を速やかに落として、撤退しろ。今の大和に、一戦交えるだけの余力はない」
「……そんなこと、出来るわけないだろ」
40代ぐらいの整備兵が、そう呟く。
「いや、お願いします。俺は、この艦と、貴方達を失う訳にはいかないんだ」
そう言い残して、俺は連絡橋を渡った。
まるで『大和』から『大和』へ渡ったかのような不思議な感覚を受ける。こうして艦に乗ってみると、その差はほとんど感じない。
「主砲51センチ……」
俺は日本に残っていた資料と、今目の前に並ぶ武装に勝手に名前を付けて、まるで呪文を唱えるように呟く。
「主砲51センチ三連装砲三基九門 副砲15、5センチ三連装砲二基六門 14センチ連装砲六基十二門 12、7センチ連装高角砲……二十八基五十六門 20ミリ三連装機銃、少なくとも三十基 CLWS四基……現代戦は戦えないが、WW2に生まれていたら、間違いなく最強の艦だっただろうな」
『大和』の艦砲を食らって、かなりボロボロになってはいるが、幸い艦橋への階段は壊れていなかった。
「お前が大和の妹って言うなら、そこにいるのか?」
ゆっくりと階段を上り、まずは艦橋へ入る。
「……何だこれ」
艦橋には、一切の計器やモニターが存在せず。中央に畳が敷かれ、その上には座椅子が一つ。その側には、戦艦の形を模したぬいぐるみが置かれている。
「とても艦橋とは思えないな……」
ぐるりと艦橋を見渡した後、俺はもう一つの階段を上り、防空指揮所へと上がる。
「……高いな」
大和よりも艦橋が大きい。甲板までの距離が普段より遠い。
「うん、わたしの方が大きいからね」
聞いたことない幼い声。振り返るとそこには、黄色い髪を腰まで伸ばし、大和と同じ紅白の巫女服にも袴にも見える和装を見に纏う少女……というより幼女。桜花と背格好はほとんど変わらない。
艦の傷が反映されているようで、体中ボロボロだ。
「……君が紀伊、なのか?」
「おじいちゃんとか、皆はそう呼ぶね」
おじいちゃん……?
聞きたいことは山ほどある。だがまずは……。
「紀伊、今君に、敵対意思はないんだね?」
「最初から、わたしは別にお兄ちゃんたちに敵意はないよ? ただ、日本を攻めるとおじいちゃんが喜んでくれるの。それに、アリアちゃんも凛も、日本を攻めてるから、そのお手伝いができればって……」
見た目と同じぐらい、意思も幼い。WSとして生まれて間もなく、兵器として生きた時間も存在しないからだろうか?
「そうか、なら、今仲間を読んだり、急に撃ったりはしないんだよな?」
「うん、そんなことしないよ。大和お姉ちゃんとは、ちゃんと正々堂々戦って負けちゃったから、だまし討ちなんて面白くないもん」
面白くない、か……本当にただ純粋に艦隊決戦をしたかったのか。
「あ、でももしかしたら、わたしが戻ってこなくて、おじいちゃんが心配してるかも……」
「なあ、そのおじいちゃん、って……誰なんだ?」
その返答次第では、今後の対応が変わる可能性がある。
「おじいちゃんはおじいちゃんだよ。わたしを作ってくれて、わたしの夢をかなえてくれた」
「名前は、分かる?」
「えっと……松長卓也だった気がする……あんまり名前を名乗らないから、凛が言っていたのはそんな名前だった」
ぞっと背筋が凍る。その名は、WASトップの名前だ。
ここに、WASのボスが来る。と言うことはきっと、あの艦も……。
「ねえお兄ちゃん? どうしてわたしとお話ししたかったの? 海戦はお兄ちゃんと大和お姉ちゃんの勝ちなのに、どうしてわたしを沈めなかったの?」
さっきとは別の寒気が俺を襲う。
「紀伊は、沈められたい……の?」
「ん? 違うよ? でも、決戦はどちらか一方が沈むまでやるものでしょ? わたしはもう主砲を使えないけど、大和お姉ちゃんはまだ、一番主砲が残ってるよね? どうしてわたしを沈めないの?」
桜花と初めて話した時と似たものを感じる。
心の中で、武蔵を、海自の艦達を沈めた怒りが少なからずあったが、これを聞かされてしまっては責める気も失せる。
「……俺は、君を沈めない。こうして話しをしたのも、君が何かを迷っているのを、大和が察したからだ」
「お姉ちゃんが?」
「君の砲弾が大和に命中するたび、何かを感じたみたいなんだ……紀伊、君は、何を考えているんだい?」
俺の言葉に、紀伊は目を背ける。
「……えっと……その」
やけに言いよどむ。そんなに言いにくいことなのか?
「大丈夫、ゆっくりでいいよ。話してくれるかな?」
「……最近のおじいちゃん、なんだか怖いの。追い詰められているみたいな、何かに苦しんでいるみたいな」
紀伊の目は、どこか寂しそうだ。本気で心配しているのがよく分かる。
「おじいちゃんはね、すっごく優しいの。本気で世界中の人の安全を、平和を願ってる。だからそのために頑張ってたのに……日本を目標にして戦うってなったら、おじいちゃん凄く怖い顔してた。苦しそうだった、本当は日本と戦いたくないみたいな感じだった」
ああ、そうか。やっぱり、WASは、只のテロ組織じゃなかった。
「紀伊はどうしたい?」
「え?」
俺は士官帽を脱いで問う。
「苦しんでいるおじいちゃんを、どうしてあげたい?」
「……わたしは、おじいちゃんに笑っていて欲しい。おじいちゃんの夢はお手伝いしたいけど、それでおじいちゃんが不幸になるのは嫌」
まるで俺がこの子を誘拐しているような構図になったが、これは『紀伊』というWSを仲間に、少なくとも無力化するチャンスだ。
「なら紀伊、一緒に日本に来て、おじいちゃんを止めるのを手伝ってくれないか?」
「でも……」
迷っているな……。本当に心苦しいが、このチャンスを、軍人として逃す訳にはいかない。
「きっと君のおじいちゃんは、日本を、自分の祖国を攻撃するのを本当は望んでいない。だから、日本への攻撃をやめるよう、説得を手伝って欲しいんだ。大和も、それを望んでる」
「……分かった。おじいちゃんには笑っていて欲しいし、お兄ちゃんに協力するよ」
よし、思わぬ副産物だ。紀伊というWASボスに対して切り札になりえる仲間が出来た。
「そうとなれば、まずは修理しないとな……」
今後のことを考え始めると、紀伊がくいくいと俺の服の裾を掴んで聞いて来る。
「ねえお兄ちゃん、私、お姉ちゃんと話してみたいんだけど……ダメ?」
「ダメじゃないが……」
今君に叩きのめされて寝てるんだよなぁ。
「大和は今、君との戦いに疲れて眠ってるんだ。基地に帰る頃には起きるだろうから、とりあえず一緒に来てくれるかな?」
「分かった。私も、少し疲れたから……眠っても、いい?」
俺の裾を掴みながら、紀伊はコクコクと頭を動かしながら、目を擦る。
これでは、本当に幼子のようだ。
「ああ、構わないぞ」
「うん……」
俺からの了承を得ると、紀伊はその場で座り込むようにして目を閉じる。耳を澄ませば、風に混じって微かな寝息が聞こえる。
「……姿が消えない?」
大和のように、眠ったら姿を消す物だと考えていたが、紀伊はまだここにいる。
「本当に、君は何者だ……?」
さすがに、防空指揮所にこのまま置き去りは気が退けたので、その体を抱きかかえ、艦橋に敷かれていた畳へと寝かせる。
「戻るか……」
この後考えなくちゃならないことに頭痛を感じながら、俺は『紀伊』を後にした。